汗が……。

狛夕令

簪代わりに槍杖さして、魔物退治に夜も日も暮れる

 逢魔が時にはやや早い時刻。

 だが、飢えたアヤカシならば時は選ばない。

 現に下校しようとする二人の女子学生に魔の手が迫りつつあった。


 「私たちだけでやっていいのでしょうか?」

 「これぐらいしかないよ。まとまった金がもらえるバイトなんて」

 市内有数のお嬢様学校に通う生徒にしては品を欠く会話をかわしながら、夕日が照らす石畳の上をおっとり歩く二人の足元に狙いが定められた。

 蛇か鰻のように地面を這いずる漆黒の細長い影。

 その妖から見て左側の生徒の足首に巻きつこうとした瞬間、


 「五一!」

 「かかったな!」

 右側の生徒に呼ばれた生徒がジャンプ、細い脚に絡んだ蛇をすり抜けた。

 「現れたな妖霊」

 そう言って、ロングの鬘を投げ捨てる。


 ばっと制服が宙を舞うと一瞬で詰襟服の小柄な少年に変わった。

 風に揺れるススキみたいな阿呆毛が特徴の闊達そうな男子と、耳を出して前髪をきれいに切り揃えたショートボブの碧眼の男子。どちらも居るだけで背景に花が咲きこぼれそうなほどの美男子である。


 「この学校の制服をお借りした甲斐があったというものです」

 丁寧語で話すショートボブが説明し、元気な相方が後を続ける。

 「おかげでこの女学校に潜む化物をおびき出せたぜ!」

 この匂い立つ花のような美童らは、日中は普通の中学生、放課後は生活費の足しとすべく魔物退治のアルバイトに励む少年退魔師であった。

 一人の名は伊良忠太いらちゅうた、もう一人を武庫五一むこごいちと言った。


 「浄めてやる!」

 元気者の武庫五一が手に持つ獲物は一尺ほどの杖。くるっと回せば、如何なる仕掛けか五倍もの長さの棍へと変じた。

 「覚悟なさい!」

 丁寧語の伊良忠太も同様の武器を出す。

 五一の武器は何有槍かいうそう、忠太の武器は二楽槍にらくそうと呼ぶ。


 何有槍が地を穿つと蛇の怪異は舌打ちのような音をさせて逃げた。

 「逃がしません」

 忠太が掌に花びらを出現させて、ぷっと息をかけて飛ばす。

 妖は細帯のごとき蛇体の有利を活かして花屑の包囲をくぐり抜けたが、その身に何枚かの花びらが付着した。

 「待てっ!」

 地を滑る矢のように逃げる蛇。追う二人もなかなかの駿足だ。


 「こら! 君たちはどこの生徒だ!」

 校舎の角を曲がったところで強面の男性教師と出くわした。

 「男子が女子校で何をしている!」

 「もうしわけありません。これには色々とわけが……」

 「どんなわけだ⁉」

 「靴の裏に聞け!」

 頭を下げた忠太の背中越しに五一が飛ぶ。

 まともにドロップキックを受けて男性教師はぶっ倒れた。

 「な、何をする⁉」

 「額に花びらくっつけて何言ってんだか」

 「人間に擬態もできるのですね」

 「おのれ!」

 正体を見破られた妖は再び蛇に戻って植え込みの中へ逃げた。


 「袋のネズミも同然ですよ。逃げ道はすべて塞いでおきましたからね」

 女生徒に変装した二人は昼間のうちに校内のいたる所に魔をはじく札を貼っておいたのだ。いわば学校全体を結界で覆ったことになる。

 「でも、早く仕留めないと」

 「たかが蛇一匹と侮り過ぎましたね」

 忠太は汗を浮かべて蛇が隠れた茂みを見る。逃げ場を失った妖がどんな手段に訴えるか。最も危惧すべきは校内に残る一般人を盾に使うことだ。


 「手分けして探そう。僕は右」

 「では私は左へ──いいですか五一」

 「なに?」

 「ここは女子校です。あなたを誘惑するものがたくさんあります」

 「生徒の皆さんにイタズラするのは仕事が終わってからにしろってんだろ? いくら僕が色欲まみれでも、それぐらい心得てるさ!」

 ぱっと武庫五一は走り去る。まさに一陣の疾風かぜ

 「終わってからでも駄目なんですよ……」


 「どこ行った化蛇!」

 校内を隈なく駆け回ること十分あまり、ついに五一は魔性のもの特有の異臭を嗅ぎつけたが、辿った先には古びた体育倉庫があるばかり。妖怪どころか猫の子一匹いない。

 「五一、五一」

 体育倉庫の中から彼を呼ぶ声がする。

 「私です五一」

 「忠太か?」

 「はい、ここへ閉じ込められてしまいました」

 確かに分厚い扉は外から施錠されている。


 「仕方ないなあ」

 何有槍をステッキ形態にして叩く。あっさり錠前は外れた。

 扉を開くと、光差し込む体育倉庫の中で相棒は跳び箱に腰かけていた。

 「何やってんだよ。僕に説教しといて」

 「すみません……油断しました」

 「まあいいいや。早く奴を探そう」

 「ちょっと休んでいきませんか?」

 「何を呑気なことを……」

 言いかけて五一は唾を飲み込んだ。

 夕日に染まる忠太は恥じらうように小指を噛んでいる。

 少年ならではの艶めいた仕草だった。

 「だって、ここ暑くて……」

 跳び箱から下りて、忠太は詰襟の金ボタンをはずし始めた。

 「……汗が」

 「忠太?」


 武庫五一はいわゆる両刀使いである。

 相応の美貌であれば女性はおろか年上の男性でもいける口で、その行動は場当たり的で節操がないと思われがちだが、ひたすらに相棒を想う一途な面もあるのだ。

 自分は夢を見ているのかと頬をつねってみた。

 痛い。これは現実だ。

 本当に忠太が自分の前で脱衣を始めている。


 「……一枚脱げば十分なんじゃないか?」

 彼の相棒は詰襟を脱ぎ捨て、さらにズボンのベルトもはずす。

 「な、なんで下まで?」

 ズボンがストンと落ちる。気まずいと思っても目が離せない。

 純白のワイシャツの裾からなまめかしい太腿が覗く。普段の自分たちのインナーは野暮ったい白の猿股トランクスだが、今日は履いていないのだろうか


 「変だよ忠太。今はそんなことしている場合じゃ……」

 「どうせ蛇は外へ出られないのでしょう?」

 いよいよワイシャツのボタンにも指がかかる。

 ひとつ外れ、ふたつ外れたところで背後から声が飛んだ。

 「よけて五一!」


 いくらハニートラップに弱くても〝本物〟の声を聞き逃すほど間抜けではない。五一がさっと横に跳ねると、投槍が忠太の胸を貫いた。

 「おのれえええ!」

 明らかに別人の声で忠太がもがく。

 その体が徐々におぼろげになり、黒い蛇の本性を現した。

 体育倉庫へ入ってきた伊良忠太が投槍を拾う。二楽槍の穂先を円錐形に変えると、のたうつ蛇の頭を潰して息の音を止めた。


 「南無……」

 合掌してから穢れを落とす祓詞を唱えた。

 「五一……おまえは……」

 忿怒のこもった目で睨まれ五一は身がすくむ思いだった。

 「い、いやあ、作戦大成功だ! 君に化けた妖怪の色仕掛けに嵌まったと見せかけて動きを止める。何もかも打ち合わせどおりだね」

 「いつそんな打ち合わせをしたっ!」

 忠太は赤面して二楽槍の石突を五一の脳天に落とした。


 「忠太~、いいかげん機嫌直してよ~」

 女子校から引き揚げる道すがら五一はひたすら詫びた。

 「仕方ないじゃん。偽物だろうと君にストリップなんかされたら」

 「スト……とかいう言葉を使うな!」

 相方は花より美しいが、とにかく堅物かたい。

 ステッキ形態の二楽槍を振り上げたので、あわてて逃げた。


 「今回の件は若先生にもご報告します。その上で、おまえを許してあげなさいと仰せになられたら私も従います」

 「なーんだ」

 それを聞いて安心した。

 彼が若先生と呼ぶ人が許せと言わないはずがないのだ。誰よりも忠太を深く愛し、彼の親友にも等量に近い優しさを向けてくれる人だ。

 忠太の表情もいくらか和らいでいる。

 「あ、一番星」

 夕闇が濃くなる空の果てに輝く星を見つけ、五一は祈った。

 明日もいいことがありますように。

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