異変
倉田日高
異変
昼過ぎ、自室
「あー、よく寝た」
そう言いながら俺は体を起こす。手早く着替え、朝食
「ん?」
何かに違和感を感じた。そのはずだが、それはすぐに消え去った。
「気のせいか……」
独り言ちて大学へ向かう。
都心の大学に通う三年生、原田隆。テニスサークルに入ってはいるが、飲み会の時ばかり参加するせいで後輩には煙たがられている。
今日は講義が一時間あって、そのあとサークルの飲み会だ。だから六限にだけ間に合わせるよう、三時過ぎに起きた。深夜三時までかけてレポートをやっていた分を埋め合わせることができてとても喜んでいる
「ん」
また何かが引っかかったように感じた。
自転車をこぐ足を緩めると、車輪が小石を踏んで軽く跳ね、その制御に意識を持っていかれる。気を取られている間に、違和感は去っていく。
教室
平田俊介「おう、今日はさぼらなかったのか」
原田隆「おい!」
俺は思わず叫んだ。講義室は静まり返ったが、それに気を払う余裕もない。
俺の背中には今、とてつもない鳥肌が立っている。今こいつは何をした?
「お前、今なんていった」
平田俊介「え?今日はさぼらなかったのか、って」
「その前だ!」
困惑した様子の友人は、一向に俺の焦りを理解してくれない。
苛立つ原田隆
中山優「おい、原田」
再び俺の背中を違和感が駆け上る。恐る恐る振り返ると、そこに立っていたのは、同じサークルの中山優。だが、いつからか、髪の毛が朱色になっている。染めるだけでこんな鮮やかな赤にできるのか?
「お前が何に焦ってるかはわかる。いいから騒がずついてこい」
平田はぽかんとした顔で俺と中山を見比べている。それにかまわず、中山は俺の腕をつかんで講義室から連れ出した。
階段下
中山優「お前が気になってるのは、これだろう」
中山は、人目のない階段下へ着くなりそう言った。
「何で、なんでだよ」
うまく言葉が出てこない。もどかしさを懸命にこらえ、適切な言葉を選ぶ。
原田隆「なんで台本みたいな喋り方なんだ!」
「SSでもよく用いられる手法だな。発言者の名前を台詞の前に挿入する」
首肯する中山
「……発言だけじゃない。今の地の文、見たか」
「……句点がない?」
「大正解。そのうえ体言止めだ」
すなわち、と中山は人差し指を立てて続ける。
「地の文がト書きになっている」
「だよな、場面転換もおかしかったよな」
普段なら、もっと自然な地の文で表現されるはずだ。「中山は、人目のない階段下へ着くなりそう言った。」の時点で場所が表現されているのに、なぜその前にわざわざ舞台を明言した?
「何が起こってるってんだよ……」
中山優「俺も推測しかできんがな」
朝起きた時から、妙に独り言が多かったんだ。中山の言葉に、はっと俺も思い当たる。
よく寝た、だの気のせいか、だの、一人暮らしの部屋の中でわざわざ口に出さない。少なくとも俺はそういう人間じゃない。
中山は自分の頭を指さして見せた。
「今朝からの、この真っ赤になった頭が決め手になった」
この世界は、今や映像化されつつあるんだ。
固まる原田隆
「え……?」
だって、この世界は小説だ。テニスサークルの怠惰な先輩と熱血新入生たちの生活を描いた文章。俺は脇役の一人、ただのムードメイカー。
中山優「いや、きっとたまたまバズっちまったんだ。だから、この世界が――多分アニメだろうな。アニメにされる」
だから、世界が徐々に脚本になりつつあるんだ。
淡々とした語り口だが、中山の表情は怯えを隠しきれていない。入学以来の付き合いである俺には分かる。
「描写を楽にするために独り言を増やされ、キャラ付のために赤髪にさせられ……でも、問題はそれだけじゃない」
「どういうことだよ」
妙にもったいぶるような言い方に苛立ちを覚えてしまう。だが、中山はただ引き延ばしているのではない。こいつ自身も、口に出すことを恐れているのだ。
「俺たちは、なんで小説だのアニメだのって話をできるんだ?」
「え、それは、だって、あれ?」
混乱する原田隆
中山優「いいか、よく聞け」
俺たちは、メタネタを言うギャグキャラにさせられるんだ。
ここへきて、中山の声が波打つ。怒り、不信、衝撃、悲しみ、唐揚げ、そんな色々を抑えきれなくなったのだろう。
「おい、見たか。地の文ですらつまらんギャグを入れるようになった」
「……俺たちは、これからこんな役割をやらされるってことか?」
呆然として問いかけると、中山は唇を噛んでうつむく。血が出そうなほどに力のこもった口元に、俺も遅れて感情の波濤が押し寄せた。
「……っざけんな!」
階段を殴るとひびが走る。そんなわけないだろう、俺は筋トレすらしてない一般人だぞ。
「なんで脚本家だか監督だかのために俺らの人格変えられなきゃいけないんだ! 作者は俺らを愛して創造したんじゃねえのか!」
「知るかよ!」
互いにぶつけ合っても意味のない怒り。言葉は弾丸のごとくすれ違い、形あるやり取りを残さない。
中山優「尺のアニメの都合で安易な表現に変えられる、感動を捨ててしょーもないギャグに走る、エピソードがカットされる可能性だってある! でも俺らには何にもできねえんだよ!」
原田隆「ふざけんなよ!じゃあまさか俺たちの一年の全国大会編や去年の合宿、お前の失恋話もなくなるってのか!?」
「読者受けが悪かったんだよ!!」
校舎全体に響いたのではないかと思うほど、中山の怒声は大きかった。そしてそれ以上に、俺の心を十分に傷つけるだけの痛みがこもっていた。
「脚本化が進めば、もうこんな会話もできなくなるだろう。脚本家の意図したとおりにしか話せなくなる――メタ視点は与えられながらな」
こんな残酷なことってあるか。最後にそう吐き捨てて、背を向ける中山
壁に背中を預ける。そのまま立っていられなくて、俺はずるずると滑り落ち、しりもちをついた。
きっとこの後は場面転換だ。何事もなかったように飲み会が始まるんだろう。
そんなト書きは見たくない。俺は目を固く閉じた。
異変 倉田日高 @kachi_kudahara
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