後編
それは多分、当たり前だった。
無理をして働いていたからだった。
優しすぎた両親は、狡猾さに欠けていた。
真面目なくせに、いつも搾取され続けて、結局ママは身体を壊した。
薬は高かった。
パパがボロボロになって働き続けても、間に合わないくらいに高かった。
お陰で私はいつもいつも、満足にご飯も食べられなかった。
でも、きっとママやパパの方が、食べていなかったのだろう。
ある日、突然、パパの働いていたお店が潰れた。
破壊、崩壊。物理的に、文字通り潰れてしまった。
原因は不明。それこそ、マフィアに爆破されたのかもしれない。
パパの行方も不明。
あんな場末で働いていたから、そんな事件に巻き込まれたし、死体すらも見つけてもらえなかったんだ。
取り残されたのは、もはや働けないママと、十代前半の私。
年端もいかない私が、パパみたいに稼ぐのは無理だった。
少ない貯金も、確実に目減りしていく。
その日も、なけなしのお金で薬を買いに出かけようとして。
ドアに手をかけたところで、ママに呼びとめられた。
――お薬、今日は要らないわ。
――何だかとても調子が良いの。
――たまにはちゃんとしたものを食べましょう。
その日は、本当に楽しい一日だった。
久しぶりに、たくさん食べた。
ママと、いっぱいお話をした。
そうして。
翌朝、彼女は静かに息を引き取った。
うそつき。
ママは最期に、とびっきりの嘘をついたのだ。
私へ残せる、唯一で一番の贈り物だと信じて。
それで……それから。
薬を買うはずだったお金で、私は少しだけ良い服と化粧品を買った。
少しでも大人っぽく見せて、振舞って、働いた。
誰のためでもなく、自分のために。
がむしゃらでいたら、いつのまにか、マーフォンに拾われていた。
私は自分のためだけに生きてきた。
だから、この結果も私のものなんだ。
「綺麗な瞳をしているな、お嬢ちゃん」
少し物思いに耽っていたら、コウキがそう、話しかけてきた。
「まっすぐな眼差しだ。誰にも支配されたくないって意志を、よく映してる」
見透かすように、彼は言った。
「そう……」
とだけ、私は応えた。
そんな風に褒められたのは初めてで、ちょっと恥ずかしかった。
コウキも軽く頷いて、それ以上は何も言わなかった。
「さ。そろそろ行かないとね」
サミーがうながす。
アジトの間取りについて意見を交わし、段取りを彼女の『ダディ』――みそづけファミリーのドンに連絡したところだった。
このあと私達は、マーフォンの部下たちと合流し、コウキを連行する――振りをする。
アイディアは、サミーが提案したものだ。
「サミーは、どうして私に協力してくれるの?」
「うん?」
「正面抗争なんてしたら、みそづけファミリーだって無事では済まないのに……だから、今までおとなしくマーフォンに従ってたんじゃないの?」
「……そうだね」
サミーは軽く肩をすくめた。
「一つ勘違いをただすと、私は何も……ラティに協力してるわけじゃないさ。同じ方向をたまたま向いたから、隣でコトをなそうとしているだけ」
「同じ、方向……」
「ひょん君のことは好きだったろう?」
「……嫌いじゃなかった」
私を気にかけてくれて、話してて楽しくて。
それに、ひょうちゃんが守ってくれたから……、
身を呈してくれたから、今、私は生き残っている。
「悪い奴じゃなかった。爆破の作戦が決まった時も、最後まで反対したのはひょん君だった。私は意気地なしでね……身の安全を優先した」
「……」
「マフィアなんて稼業は、結局どいつもこいつも汚いことをやって儲けてるのさ。けれど、だからこそ、筋は通さなくちゃならない」
「筋を通すために?」
「そう。せめてそれをしないと、いつか自分が自分ですらなくなっちゃう。……私は、やっとそのことに気づいて――気づかされて。今さら、過去を購おうとしてる」
サミーは少し遠くを見るようにして。
「だからこれは……個人的な復讐で、言い訳みたいなもの」
それから私に笑いかけた。
「サミーは自分勝手な奴なのさ」
「……ふぅん」
「さあ、迎えが来たよ。頼むぜ、名女優」
視線を向けると、待ち合わせをしていた部下たちが、こちらに近づいてきている。
気持ちを切り替え、不自然のないようにふるまった。
彼らはサミーと二・三言葉を交わし、コウキを取り囲むような位置についた。
連れられて、私達はアジトへと向かう。
いくつかある隠れ家のうちの一つ。
そこは、寂れた倉庫を改装してつくられた部屋だった。
窓は高いところにあり、外から光を取りこんでいる。
端に寄せられた、雑多な違法物。散乱するかのように無秩序に並べられた机。
その中央、不釣り合いなほど柔らかそうなソファに深々と座り、ドン・マーフォンは待っていた。
「よく来たな。歓迎するぜ」
鷹揚に足を組んで、マーフォンは私達を迎えた。
いや、彼が見ているのは……見るべきなのは、突然の爆発からも無傷で生き残った“硝煙の紳士”コウキだけ。
私もサミーも、背景に過ぎない。
「それじゃあ――」
「その前に」
私は言葉をさえぎった。
怪訝そうな顔をされたが、このまま背景になるわけにはいかない。
時間稼ぎ。そして、慢心を誘うため。
用心深いこいつを、安心させてやるのだ。
「……よぉ、なんだ?」
「その前に、私に言うことがあるんじゃない?」
「くっくっく、ラティ。そうだったなぁ、ラティ。よく帰ってきた」
愉快なことでも聞いたかのように、彼は手を叩く。
「……」
「驚かせちまってすまねぇな。まさか、『たったあれごとき』で俺のことが嫌いになっちまったりしてないだろう?」
あれごとき。
ひょうちゃんの命も、私の命も、マーフォンにとってはその程度の物だった。
事実を受け止めながら、私はゆるゆると首を振る。
あれごとき――どうでも良いことのように。
「まさか。でも、きちんと慰めてよね」
「金でか?」
「この世の中、それ以外に何があるの?」
当然といわんばかりに頷いてから、手に持ったものを掲げて見せる。
コウキの愛銃――預かっているヤスミノコフ9000Mを。
手中にある、交渉の鍵。二人の男の生命線を。
見せびらかすように。
「これ……必要なんでしょ。値が張るわよ」
「ああ、そうともさ。この商談が成立すりゃ、その金で買ってやるとも」
「……ふん」
「お前のそういうところが俺好みなのさ。さァ、ソイツを持ってこっちに来るんだ。ゆぅっくりと、慎重にな」
私は顎を上げ、それこそ舞台に上がった女優のように凛と澄ました顔をする。
ゆったりと、高慢な女性のように――マフィアの女らしく。
マーフォンの方へ歩み寄り、いつものように、隣へ腰掛けた。
彼は、それが当たり前であるかのように私の頬を撫でる。
そして、もはやすっかり勝ち誇った表情で、コウキの方へと向き直った。
「……それで。返答を聞こうか」
含み笑いをしてから、もっとも――と、繋ぐ。
「愛銃がなけりゃ、お前にできるのは首を縦に振ることくらいだろうけどな」
「…………」
コウキは左手を腰にやり、右手でテンガロンハットの角度を深くした。
口を開き、渋い声を響かせる。
「俺は一匹狼だ。プライドは在っても失うモノはない」
「ふん……?」
「だが――失うモノがなくても、プライドだけは在る。飼われるわけにはいかないな」
不敵な物言い。
しかし、マーフォンの余裕は揺らがない。
「くっくっく……お前のジョークは毎度毎度笑わせてくれるぜ」
「そいつはどうも」
「電話で言ったこと、忘れたか? 舐めた口を聞くなと言ったはずだがな? なァ?」
「別に舐めてるつもりはないんだがな。ただ、正直な性分でね」
「そいつがこの上なく舐めた態度だっつってるんだがな。まァ――お前がそういうつもりなら、それはそれで構わねぇ。さっきセリフを、そのまま返せるってもんだ」
にやぁり、と、不吉な笑み。
そして右手を持ちあげ、宣告した。
「『お前の首にも結構な額の賞金がかかってるんだぜ』、コウキ!」
カチャチャッ。
小さな金属音が同時に重なる。
コウキを囲んだマーフォンの部下達が、一斉に銃を取り出し、彼に向けたのだ。
もちろん、サミーもそれに参加している。
銃口に包囲されたコウキ。
マーフォンが右手を下ろした時、その命は霧散するのだ。
「泣いて謝るんなら、このカウントダウンが最後のチャンスだぜ。10……9……」
死への秒読み。
だが、コウキは落ち着いたものだった。
「随分のんびり屋さんだな。あくびが出ちまう」
「6……何?」
マーフォンの顔がかすかに歪んだ。
その瞬間。
パァン……。
間抜けにも聞こえる音が、突如、倉庫内を突き抜けた。
「なっ……」
前触れもなく。
サミーが隣の人間を撃ったのだ。
コウキを囲むマーフォンの部下のうち、一人が崩れ落ちる。
動揺と沈黙。
そして、その銃声が合図だった。
バリン! バリバリ、バララッバラララ!
「おいなんだ!? 畜生め――!」
窓の割れる音。
飛び散る破片。
銃撃音。怒号。
みそづけファミリーが、段取り通りに侵入してきたのだ。
たちまち戦場と化す空間。
混乱が倉庫中に充満する。
私はソファから転げ落ちるように地面に突っ伏した。
間髪いれず、私はヤスミノコフ9000Mを前方へ滑らせる。
渡された時の言葉を思い出しながら。
――こいつを預かっていてくれ。
――俺の相棒で、分身で、俺自身だ。
コウキは倒立のように床へ手を着き、分身を軽やかに手中へ収めた。
そのまま両足を広げ、ブレイクダンスみたいな勢いで回転する。
顎をかかとで蹴りぬかれた周囲の敵は、バランスを失い、マリオネットのように崩れた。
一瞬、コウキと視線が交差する。
――オイオイ、もっと丁寧に返してくれよ。
余裕ありげなウィンク。
身を起こすと同時に、二挺の小型マシンガンが火線を放つ。
私に迫りつつあった男が、もんどりうってひっくり返った。
銃を構えて跳躍。
立て続けの銃撃。
隣に着地したかと思うと、彼は両手を交差させて優雅なターンを決めた。
ばらまかれた銃弾が、一発残らずマフィアたちの胸元に吸い込まれる。
血煙が次々と散った。
「怯むな! 陣形を整えろ! 撃ち続けやがれ!」
マーフォンは素早く部下達に隠れ、後退していた。
虚を突かれたものの、この業界でのし上がって来た男だ。
周りの机や棚で簡易的なバリケードを作らせ、部下達を統制する。
「畜生てめぇら――裏切りやがったな!」
「そいつぁ違いますぜ」
「!?」
……どんっ!
建物ごと揺らすかのような、重量のある着地音。
私の前に、スーツ姿の巨体が降りてきた。
金髪の、これまた巨大なリーゼントヘアが、わっさりと揺れる。
「こちとらぁ、ハナっから組んだつもりはありやせんでしたぜ」
「貴様っ……」
サミーの父親であり、みそづけファミリーの
娘や仲間から『ダディ』と呼ばれる彼は、こともなげに片手でアサルトライフルを構えた。
それは、あまりに大きい身体と比較して、まるでピストルみたいに小さく見える。
お見舞いといわんばかりに、銃が咆哮を上げた。
小さく見えたのは錯覚に過ぎず、威力は十分だ。
「ちぃっ!」
たまらず、マーフォン達はバリケードに身を隠す。
その隙に、サミーも近くに寄って来た。
「やぁやぁダディ、遅かったじゃないか」
「悪いなぁ娘よ。ちょっとあの窓、ワシには狭すぎたわ」
上を見上げれば、窓の一つが枠ごと破壊されていた。
暮れかけた空が覗いている。
「どうする? ここにある机、意外と頑丈だよ。こういう時のために用意してたのかね。このままじゃ長期戦になる」
「隠し通路は?」
「多分あるねぇ。逃げに回られたら厄介だよ」
「しゃあねぇわなぁ。コイツを使うかい」
撃ち尽くしたアサルトライフルを放り投げ、ダディは逆の手に持っていたモノを構えた。
ぬぅっと。
大きなそれは、取っ手のついたサーフボードのようにも見える。
「ヒュゥ――面白い得物だな」
「え……ぼ、木剣?」
「その通り」
呆気にとられるコウキと私に、サミーが得意げに解説をする。
「ただの木製じゃないよ。ケブラーと層構造にして、深海並みの超圧力で固めてある。そりゃもう、堅くて重い」
ダディの弾切れを見て、マーフォン達がここぞとばかりに彼を撃つ。
しかし盾のように掲げられた木剣が、全部の弾を弾いてしまった。
今度呆気にとられたのは、マーフォン達だった。
「堅いだけじゃなくて、耐衝撃性。ちょっとした狙撃銃でも撃ち抜けない」
「おりゃあああああ!」
「でもって――」
木剣を掲げたまま、ダディが突進していった。
迫力に圧されて、敵達の一角が逃げ腰になる。
そこへ、巨大な塊が振り下ろされた。
ぶぅん――どがぁっ!
銃弾を防ぐほど丈夫な机が、叩き砕かれて吹き飛んだ。
「……あれだけの重量があると、斬れなくたって十分な破壊力なのさ」
「何から何まで豪快な親父さんだ」
「まぁね。自慢のダディの自慢の得物――“カグダチ”って呼んでるよ」
「さて。見とれてるわけにもいかない。ショウに遅れるなよ」
「はいよ!」
コウキが一足先に踊り込み、横からダディを狙っていた男達を一掃する。
続けてサミー率いるみそづけファミリーがなだれ込み、マーフォン達は悲鳴をあげた。
統率の崩れた彼らには、もはや勢いを押しとどめることはできない。
このまま決着がつくか――と、私が見守っていると……。
瞬く何かが、集団の間を縫うように飛んでいった。
ホタルか羽虫かと思ったのもつかの間、
ボウン!
と、唐突にそれは破裂した。
はじけ飛んだのは、みそづけファミリーの構成員。
戸惑い、動きを止めた彼らに、それは次々と飛来した。
ボウン! ボウン! ボウン!
「な、なんだぁ?」
「室内で爆弾だと!?」
「然り。超小型対人ミサイル――“
幼く高い声。
ゆらり。マーフォンの部下達を割って現れた小柄な人物は、白い衣装に身を包んでいた。
ポニーテイルに結んだ髪まで白い。
構えた両手には、指の間にペンシルのようなものが挟まれていた。
「てめえ! ふざけやがって!」
みそづけファミリーの若い男が、銃をその子に向ける。
一閃。
別の方向から煌めきが疾った。
「ぐぁっ」
うめき声とともに、銃を握った手が主の元を離れ、床に落ちる。
手首が綺麗に斬り落とされていた。
煌めきは止まない。
一閃。一閃。一閃。
シュカカッという小気味良い音と共に、マーフォンに迫りつつあった男達の銃が、手が、指が、ばらばらと散らばった。
それはもはやスプラッタではなく、滑稽にすら見える光景だった。
みそづけファミリーは立ち止り、後ずさる。
「ぬぅっ!」
ダディすらが、一歩引かざるを得なかった。
なんとあの“カグダチ”に、切り傷がつけられたのだ。
流石に一刀両断とまではされなかったが、かなり深く裂かれている。
しゅるる……シャカッ。
煌めきが旋回し、ある人物のそでに収まった。
全身緑に統一された、とても長身の人物。
彼女も髪をポニーテイルに結わえていた。
カツカツと歩を進め、白い子の隣にたたずむ。
「“
澄んだ、落ち着いた声で彼女は言った。
サミーは、皮肉な、苦笑いのような表情を浮かべた。
「
「はぁーはっはっは!」
質問に応えるように、マーフォンがけたたましく笑った。
「そんなわけねーだろ! あの“硝煙の紳士”と交渉をするってのに、そんな不用心なことはしねぇ! 念には念をってやつだ!」
「あの二人が……噂に聞く?」
「そうさ、ラティ。マーフォンファミリーの隠し玉。そこらのとは一線を画す戦闘員だよ。白い方が香辛さん、緑の方が霧織さん」
「……」
「ホント……裏の取り損ねだね。今日はいないって思ってたのに」
「ふん……散々コケにしてくれやがって。オイお前ら。わかってるな」
マーフォンが顎をしゃくると、香辛と霧織は一歩ずつ前に出た。
対して、みそづけファミリーはさらに一歩引く。
「くっくっく……奴らを解体してやれ。まずは――あのいけ好かないガンマンからだ」
「……はい」
「はい」
サミーはダディとコウキに目配せをする。
「どうする?」
「どうするも何も、御指名だ。俺がやろう」
臆する様子を少しも見せずに、コウキが前に出た。
銃口でテンガロンハットのつばを、くいっと上げる。
「俺と一曲――踊ろうぜ」
「……はい」
「“硝煙の紳士”コウキさん。二対一で申し訳ない――とは思いませんよ」
「なに。俺もコイツと二人組さ」
コウキは両手のヤスミノコフ9000Mを小粋に構えた。
睨み合う、一人と……二人。
周囲の人間は、手を出せない。
しばしの静寂。
そして。
ぱきっ……。
誰かが破片を踏んだ音が、やけに大きく耳に届く。
一番最初に動いたのは、香辛だった。
「“
両腕を振るいながら、指に挟んだペンシルのようなものを、親指ではじく。
途端にそれらは火を吹き、彼女の手から解き放たれた。
先ほどの爆発の正体。小さく見えても、殺傷力は十分。ペンのような外見の超小型対人ミサイル。
六つの弾頭がそれぞれに、独特の軌道でコウキに向かってゆく。
「……小粒だからと侮らないで下さい」
応じるように、彼は一歩前に出た。
ヤスミノコフ9000Mを迷いなく正面に向け、両の引き金を引く。
弾丸の群れが、まずは二本のリトルスパイシーを喰い破った。
中空で起きる爆発。
ボ、バウン!
しかしそれは、視界を遮ることにもなった。
爆煙の向こうから、まっすぐと飛来する一本のミサイル。
コウキはこれを、跳躍でかわす。
「“
この機を狙いすましたかのように、霧織が素早く動いた。
そでから伸びる、二本のワイヤー。
先端に小型の刃物がついているようだが、あまりに速くて捉えきれない。
その通り道だけが、後から煌めくのだ。
交差するように、リトルスパイシーもコウキを追う。
見事なコンビネーション。
あまりにも完璧なタイミングだった。
「――捉えたっ!」
思わず霧織はそう漏らす。誰もが、間違いないと感じた。
とん……っ。
が、コウキは空中で身をひるがえす。
まるで、翼が生えているかのような……そうでなければ、『空気を蹴飛ばした』かのような動きだった。
空しくリトルスパイシーが通り過ぎ、ワイヤードランスが弧を描いた。
華麗に宙返りを決めながら、コウキが銃火を瞬かせる。
見蕩れるような光景に、時間がスローモーションに感じられた。
ボウウン……!
立て続けの爆発に、感覚が現実に引きずり戻される。
リトルスパイシーが残らず撃ち落とされていた。
霧織も指揮者のように腕を繰り、ワイヤードランスをそでに収める。
「……っ!」
「特殊な兵装を使うな。おたくら、もしかしてNINJAかい?」
着地したコウキが、何事もなかったようにおどけて言う。
対して、香辛と霧織には動揺が見て取れた。
「……否。あなたこそ、一体何を……」
「私のワイヤードランスを踏み台にしたんだよ、香辛……」
「な――?」
自分も信じられないかのように、言葉を絞り出す霧織。
目にも止まらないような刃を、的確に空中で蹴り飛ばし、体勢を変える。
そんな曲芸じみた芸当など、想像したことすらなかったのだろう。
彼女がショックを受けている様子が、ここからでもありありと見えた。
「……だとしても。偶然は二度も続きません」
だからこそなのか、自身と霧織を奮い立たせるように、香辛は新たなリトルスパイシーに点火した。
やや乱暴に放つ。
煙の尾を引き、それらは駆ける。
再び六方向からコウキに迫る脅威。
けれども彼はもう、一歩すら動かなかった。
「そう――偶然は二度も続かない」
「……!」
六つの牙はあっという間に叩き落され、爆発音だけが連続して響いた。
「一見ランダムな動きだが、実は計算しつくされている。加えて、非常に精密な力加減の威力。恐ろしく戦略的な武器だな」
「……まさか、もう見切った……?」
「弱点をあえて指摘すれば、積める火薬量ゆえに――弾速が遅い。そいつは俺の前で致命的だったな」
「くっ――!」
二閃!
会話の隙を突いて、霧織がワイヤードランスを放った。
しかしコウキは怯まない。
身を反らし、アッパーカットのように頭を狙った軌道を避け。
そこを狙う、左から回り込むような軌道を正面から撃ち抜き、破壊した。
「――対して、こっちは疾いが軌道が読めすぎる」
「そうですか――?」
がしゅっ。
避けた方のワイヤードランスが、そのまま天井に突き刺さった。
それと同時に、霧織は踏み切っている。
途端にワイヤーが巻き戻され、彼女はコウキとの距離を刹那のうちに詰めた。
飛び道具の間合いから、一気に格闘の間合いへ。
回転。
渦巻くポニーテイル。
勢いもそのままに、右手を首元へ向けて振るう。
ガ。キャンッ!
銃撃音と、甲高い音。
はじき飛ばされた何かが、散らばった机に落ちてきて、刺さった。
ダガーの刃だった。
「……そっちの得物が真打ちだったかい?」
「ぐ……ぅ……」
霧織の右手が震え、柄だけになったダガーが床に転がる。
極近距離に迫り、あともう少しでコウキの喉元を抉るはずだったのだ。
ところが彼は、咄嗟に右手のヤスミノコフ9000Mを持ち変え、親指で引き金を引いていた。
ちょっとでも狙いがぶれれば、自身を撃ち抜いていたであろう行為だ。
左の銃はすでに霧織の頭に向けてある。
決着は、ついていた。
「くっ、まだ……!」
香辛は、しかし、さらなるリトルスパイシーを取り出した。
それを見て、コウキは右の銃を彼女へ向ける。
引き金に、指がかかる。
「――コーシン!」
「!」
怒号で制したのは、霧織だった。
声を荒らげながらも、力なく肩を落とす。
彼女は左のそで口に隠していたダガーも床へ落とし、ワイヤーを静かに巻き取った。
「犬死は、勝利じゃない……」
「けれど……っ!」
「私達が忠誠を誓ったのは……“HEADSの意志”であり、マーフォンじゃない」
「…………」
「私達は……! 彼に、まだ、遠く及ばない」
「……わかり……ました……」
香辛も渋々ながら観念したように、取り出した武器を収めた。
霧織がゆっくりと離れるのを見送りながら、コウキはテンガロンハットを抑え、呟いた。
「HEADS……幻の部隊か。道理で」
HEADS部隊。
その名前だけは、私も聞いたことがあった。
かつて国家が秘密裏に組織したという、存在しないはずの特殊戦闘部隊。
政府の方針が変わったために解体され、そこに所属していた人間は散り散りになったという。
……もし本当に彼女達がそうなのだとしたら、マーフォンもまた、関係者の一人だったのかもしれない。
聞いたところで、答えては貰えないだろうけど。
そんなことを考えながら見守っていると、香辛と霧織は、並んでコウキに会釈した。
「……それではまたの機会に」
「このお礼は、いつか必ずさせていただきます」
「ああ――楽しいダンスだったぜ」
シュカッ。
霧織はワイヤードランスを窓枠に引っ掛け、香辛の手を引いて去ってしまった。
立ち去り際も素早く軽やかだったので、声をかけるのにすら、マーフォンは出遅れてしまった。
「――なっ! おい! お前ら! 待てよ……畜生!」
声は虚空に吸い込まれていった。
周囲の部下達も、すっかり戦意を喪失してしまっている。
「くそ……っ! おい! 誰かこいつらを殺せ!」
「……おしまいよ、マーフォン」
私は、そこで、前に出た。
一歩、一歩、マーフォンへ近づく。
途中でサミーが、何も言わずにオートマチックを渡してくれた。
一歩。そして、もう一歩。
「おい……ラティ。なんだ。おい……! 寄るな!」
「…………」
後ずさるマーフォン。
しかしもうそこは壁際だった。
もはや後のない、断崖絶壁だった。
構えるようなそぶりを見せたマーフォンファミリーの部下もいたが、コウキやダディがひと睨みするだけで、動きを止めた。
不思議な話だ。
滑稽で、傲慢な話だ。
私は何もしていないのに。
最後のけじめは、私がつけようとしている。
ずっと隣にいたマーフォンと、今初めて向かい会ってる気がする。
「なんでだ……ラティ。お前は、金さえあれば良かったんじゃないのか」
「うん……お金があれば、命すらも買える」
「そうだ、ラティ。俺はお前を買ってやった。俺はお前に色んなものを買い与えてやった!」
「うん。代わりに貴方は私を得た」
「そうだ……そうだ。買って、それだけの物を得る。当然の道理だろう?」
「うん。そう思う」
「なら、何故……」
「…………」
イヤリングを外した。
思い出していた。
ママは言っていた。
愛するとは、捧げること。
自らを相手に捧げることなのだと。
それは、見返りを求める行為ではない。
捧げるからこその嬉しみも、世にはあるのだと。
ネックレスを外した。
「愛でお金は得られないよね、マーフォン」
「……? ああ。ああ! ああそうだ! 愛なんかくそったれだ!」
「そして、お金で愛を買うこともできない。何故なら、愛することは捧げることだから」
「何を……言ってる……?」
指輪を外し、腕輪を外した。
ママが最後の一日を、丸ごと私に与えてくれたように。
ひょうちゃんが、身を投げ出して守ってくれたように。
愛するとは、捧げることだったのだ。
上着を脱ぎ、靴を脱いだ。
「これ……ありがとう」
「おい……」
それら全てを、マーフォンに向けて放る。
けれど私達は、愛することができない人間達。
生き残るために。
我欲を満たすために。
私達は、愛することを選択しなかった人間達。
マーフォンは私を『買った』だけだし、私もマーフォンを『利用した』だけだった。
結局、愛する気も、愛される気もなかった。
眼前の距離。
「筋を通すとか、忠誠を誓うとか、私にはわからない」
「やめろ、ラティ。俺を殺しても、何にもならない」
「何にもならない。でも、ただ熱い。身も心も、焼け爛れるみたい」
「熱い……?」
「感情が熱い。これが――」
愛じゃないことだけはわかる。
と。
私は、銃を構えた。
「やめろ――やめろラティ!」
拳を握りこむ。
引き金を引いた。
弾が射出され、彼の頭を穿つ。
「……! ……、……」
のけぞって、倒れていく身体。
灼けた薬莢が、ひとつ。
空中をくるくると舞いながら、空気に熱を奪われていく。
カラン。
カラカラと。
それが転がった時。
私の気持ちも、すっかり冷めきっていた。
熱い悲しみも、焼けるような悔しさも、何もかもを吐きだして。
空っぽ。
空っぽだった。
……それでも。
空っぽな私の周りでも、時間は経過する。
私は放心したように突っ立っていた。
サミーが何かを言ってくれた。
ダディも心配してくれていた。
決着。勝利。終着。収拾。片付け。お疲れ。
マーフォンファミリーの残党も、みそづけファミリーの人間も、みんなが撤収して。
もうすっかり日は暮れてしまっていて、壊れた窓から、月明かりだけが覗いていて。
コウキと私だけが、何となく、空っぽの倉庫に残っていた。
「……ねぇ。帰ろうか」
何処へだろう。
自分でもそう不思議に思いながら、私は言った。
「――ああ。だが、そのままじゃ足を怪我するぜ、お嬢ちゃん」
コウキはそう言って、背中を向けて屈む。
おぶってやる、ということらしい。
私は、遠慮なしに体重を預けた。
「ねぇ」
「なんだい?」
「名前で呼んでよ」
「……。了解だ。ラティ」
「それから……、銃の使い方、教えてよ」
「……」
少しだけの沈黙。
「あんまり、女が使うものじゃないぜ」
「ううん」
もうすっかり冷えた薬莢を弄んで。
握りこんでから。
私は目をつむった。
「意外と、私に向いてる気がするの」
まぶたの裏に浮かぶ光景は、愛もお金もない、広々とした荒野だった。
何故だろうか。
いっそのこと清々しい。
そう感じながら、私は意識を手放していった。
「……」
「荒野の華も、灼けちまったな……」
やれやれだ、と。
コウキは少し悲しそうに、かぶりを振った。
(Fin...)
冥途・オブ・マフィア ―荒野の華と灼けた薬莢― 梦現慧琉 @thinkinglimit
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