後編

 それは多分、当たり前だった。

 無理をして働いていたからだった。

 優しすぎた両親は、狡猾さに欠けていた。

 真面目なくせに、いつも搾取され続けて、結局ママは身体を壊した。

 

 薬は高かった。

 パパがボロボロになって働き続けても、間に合わないくらいに高かった。

 お陰で私はいつもいつも、満足にご飯も食べられなかった。

 でも、きっとママやパパの方が、食べていなかったのだろう。

 

 ある日、突然、パパの働いていたお店が潰れた。

 破壊、崩壊。物理的に、文字通り潰れてしまった。

 原因は不明。それこそ、マフィアに爆破されたのかもしれない。

 パパの行方も不明。

 あんな場末で働いていたから、そんな事件に巻き込まれたし、死体すらも見つけてもらえなかったんだ。

 

 取り残されたのは、もはや働けないママと、十代前半の私。

 年端もいかない私が、パパみたいに稼ぐのは無理だった。

 少ない貯金も、確実に目減りしていく。

 その日も、なけなしのお金で薬を買いに出かけようとして。

 ドアに手をかけたところで、ママに呼びとめられた。

 

 ――お薬、今日は要らないわ。

 ――何だかとても調子が良いの。

 ――たまにはちゃんとしたものを食べましょう。

 

 その日は、本当に楽しい一日だった。

 久しぶりに、たくさん食べた。

 ママと、いっぱいお話をした。

 そうして。

 翌朝、彼女は静かに息を引き取った。

 

 うそつき。

 ママは最期に、とびっきりの嘘をついたのだ。

 私へ残せる、唯一で一番の贈り物だと信じて。

 

 それで……それから。

 薬を買うはずだったお金で、私は少しだけ良い服と化粧品を買った。

 少しでも大人っぽく見せて、振舞って、働いた。

 誰のためでもなく、自分のために。

 がむしゃらでいたら、いつのまにか、マーフォンに拾われていた。

 

 私は自分のためだけに生きてきた。

 だから、この結果も私のものなんだ。

 

「綺麗な瞳をしているな、お嬢ちゃん」

 

 少し物思いに耽っていたら、コウキがそう、話しかけてきた。

 

「まっすぐな眼差しだ。誰にも支配されたくないって意志を、よく映してる」

 

 見透かすように、彼は言った。

 

「そう……」

 

 とだけ、私は応えた。

 そんな風に褒められたのは初めてで、ちょっと恥ずかしかった。

 コウキも軽く頷いて、それ以上は何も言わなかった。

 

「さ。そろそろ行かないとね」

 

 サミーがうながす。

 アジトの間取りについて意見を交わし、段取りを彼女の『ダディ』――みそづけファミリーのドンに連絡したところだった。

 このあと私達は、マーフォンの部下たちと合流し、コウキを連行する――振りをする。

 アイディアは、サミーが提案したものだ。

 

「サミーは、どうして私に協力してくれるの?」

「うん?」

「正面抗争なんてしたら、みそづけファミリーだって無事では済まないのに……だから、今までおとなしくマーフォンに従ってたんじゃないの?」

「……そうだね」

 

 サミーは軽く肩をすくめた。

 

「一つ勘違いをただすと、私は何も……ラティに協力してるわけじゃないさ。同じ方向をたまたま向いたから、隣でコトをなそうとしているだけ」

「同じ、方向……」

「ひょん君のことは好きだったろう?」

「……嫌いじゃなかった」

 

 私を気にかけてくれて、話してて楽しくて。

 それに、ひょうちゃんが守ってくれたから……、

 身を呈してくれたから、今、私は生き残っている。

 

「悪い奴じゃなかった。爆破の作戦が決まった時も、最後まで反対したのはひょん君だった。私は意気地なしでね……身の安全を優先した」

「……」

「マフィアなんて稼業は、結局どいつもこいつも汚いことをやって儲けてるのさ。けれど、だからこそ、筋は通さなくちゃならない」

「筋を通すために?」

「そう。せめてそれをしないと、いつか自分が自分ですらなくなっちゃう。……私は、やっとそのことに気づいて――気づかされて。今さら、過去を購おうとしてる」

 

 サミーは少し遠くを見るようにして。

 

「だからこれは……個人的な復讐で、言い訳みたいなもの」

 

 それから私に笑いかけた。

 

「サミーは自分勝手な奴なのさ」

「……ふぅん」

「さあ、迎えが来たよ。頼むぜ、名女優」

 

 視線を向けると、待ち合わせをしていた部下たちが、こちらに近づいてきている。

 気持ちを切り替え、不自然のないようにふるまった。

 彼らはサミーと二・三言葉を交わし、コウキを取り囲むような位置についた。

 連れられて、私達はアジトへと向かう。

 

 いくつかある隠れ家のうちの一つ。

 そこは、寂れた倉庫を改装してつくられた部屋だった。

 窓は高いところにあり、外から光を取りこんでいる。

 端に寄せられた、雑多な違法物。散乱するかのように無秩序に並べられた机。

 その中央、不釣り合いなほど柔らかそうなソファに深々と座り、ドン・マーフォンは待っていた。

 

「よく来たな。歓迎するぜ」

 

 鷹揚に足を組んで、マーフォンは私達を迎えた。

 いや、彼が見ているのは……見るべきなのは、突然の爆発からも無傷で生き残った“硝煙の紳士”コウキだけ。

 私もサミーも、背景に過ぎない。

 

「それじゃあ――」

「その前に」

 

 私は言葉をさえぎった。

 怪訝そうな顔をされたが、このまま背景になるわけにはいかない。

 時間稼ぎ。そして、慢心を誘うため。

 用心深いこいつを、安心させてやるのだ。

 

「……よぉ、なんだ?」

「その前に、私に言うことがあるんじゃない?」

「くっくっく、ラティ。そうだったなぁ、ラティ。よく帰ってきた」

 

 愉快なことでも聞いたかのように、彼は手を叩く。

 

「……」

「驚かせちまってすまねぇな。まさか、『たったあれごとき』で俺のことが嫌いになっちまったりしてないだろう?」

 

 あれごとき。

 ひょうちゃんの命も、私の命も、マーフォンにとってはその程度の物だった。

 事実を受け止めながら、私はゆるゆると首を振る。

 あれごとき――どうでも良いことのように。

 

「まさか。でも、きちんと慰めてよね」

「金でか?」

「この世の中、それ以外に何があるの?」

 

 当然といわんばかりに頷いてから、手に持ったものを掲げて見せる。

 コウキの愛銃――預かっているヤスミノコフ9000Mを。

 手中にある、交渉の鍵。二人の男の生命線を。

 見せびらかすように。

 

「これ……必要なんでしょ。値が張るわよ」

「ああ、そうともさ。この商談が成立すりゃ、その金で買ってやるとも」

「……ふん」

「お前のそういうところが俺好みなのさ。さァ、ソイツを持ってこっちに来るんだ。ゆぅっくりと、慎重にな」

 

 私は顎を上げ、それこそ舞台に上がった女優のように凛と澄ました顔をする。

 ゆったりと、高慢な女性のように――マフィアの女らしく。

 マーフォンの方へ歩み寄り、いつものように、隣へ腰掛けた。

 彼は、それが当たり前であるかのように私の頬を撫でる。

 そして、もはやすっかり勝ち誇った表情で、コウキの方へと向き直った。

 

「……それで。返答を聞こうか」

 

 含み笑いをしてから、もっとも――と、繋ぐ。

 

「愛銃がなけりゃ、お前にできるのは首を縦に振ることくらいだろうけどな」

「…………」

 

 コウキは左手を腰にやり、右手でテンガロンハットの角度を深くした。

 口を開き、渋い声を響かせる。

 

「俺は一匹狼だ。プライドは在っても失うモノはない」

「ふん……?」

「だが――失うモノがなくても、プライドだけは在る。飼われるわけにはいかないな」

 

 不敵な物言い。

 しかし、マーフォンの余裕は揺らがない。

 

「くっくっく……お前のジョークは毎度毎度笑わせてくれるぜ」

「そいつはどうも」

「電話で言ったこと、忘れたか? 舐めた口を聞くなと言ったはずだがな? なァ?」

「別に舐めてるつもりはないんだがな。ただ、正直な性分でね」

「そいつがこの上なく舐めた態度だっつってるんだがな。まァ――お前がそういうつもりなら、それはそれで構わねぇ。さっきセリフを、そのまま返せるってもんだ」

 

 にやぁり、と、不吉な笑み。

 そして右手を持ちあげ、宣告した。

 

「『お前の首にも結構な額の賞金がかかってるんだぜ』、コウキ!」

 

 カチャチャッ。

 小さな金属音が同時に重なる。

 コウキを囲んだマーフォンの部下達が、一斉に銃を取り出し、彼に向けたのだ。

 もちろん、サミーもそれに参加している。

 銃口に包囲されたコウキ。

 マーフォンが右手を下ろした時、その命は霧散するのだ。

 

「泣いて謝るんなら、このカウントダウンが最後のチャンスだぜ。10……9……」

 

 死への秒読み。

 だが、コウキは落ち着いたものだった。

 

「随分のんびり屋さんだな。あくびが出ちまう」

「6……何?」

 

 マーフォンの顔がかすかに歪んだ。

 その瞬間。

 

 パァン……。

 

 間抜けにも聞こえる音が、突如、倉庫内を突き抜けた。

 

「なっ……」

 

 前触れもなく。

 サミーが隣の人間を撃ったのだ。

 コウキを囲むマーフォンの部下のうち、一人が崩れ落ちる。

 動揺と沈黙。

 そして、その銃声が合図だった。

 

 バリン! バリバリ、バララッバラララ!

 

「おいなんだ!? 畜生め――!」

 

 窓の割れる音。

 飛び散る破片。

 銃撃音。怒号。

 みそづけファミリーが、段取り通りに侵入してきたのだ。

 

 たちまち戦場と化す空間。

 混乱が倉庫中に充満する。

 

 私はソファから転げ落ちるように地面に突っ伏した。

 間髪いれず、私はヤスミノコフ9000Mを前方へ滑らせる。

 渡された時の言葉を思い出しながら。

 

 ――こいつを預かっていてくれ。

 ――俺の相棒で、分身で、俺自身だ。

 

 コウキは倒立のように床へ手を着き、を軽やかに手中へ収めた。

 そのまま両足を広げ、ブレイクダンスみたいな勢いで回転する。

 顎をかかとで蹴りぬかれた周囲の敵は、バランスを失い、マリオネットのように崩れた。

 

 一瞬、コウキと視線が交差する。

 

 ――オイオイ、もっと丁寧に返してくれよ。

 

 余裕ありげなウィンク。

 

 身を起こすと同時に、二挺の小型マシンガンが火線を放つ。

 私に迫りつつあった男が、もんどりうってひっくり返った。

 

 銃を構えて跳躍。

 立て続けの銃撃。

 

 隣に着地したかと思うと、彼は両手を交差させて優雅なターンを決めた。

 ばらまかれた銃弾が、一発残らずマフィアたちの胸元に吸い込まれる。

 血煙が次々と散った。

 

「怯むな! 陣形を整えろ! 撃ち続けやがれ!」

 

 マーフォンは素早く部下達に隠れ、後退していた。

 虚を突かれたものの、この業界でのし上がって来た男だ。

 周りの机や棚で簡易的なバリケードを作らせ、部下達を統制する。

 

「畜生てめぇら――裏切りやがったな!」

「そいつぁ違いますぜ」

「!?」

 

 ……どんっ!

 

 建物ごと揺らすかのような、重量のある着地音。

 私の前に、スーツ姿の巨体が降りてきた。

 金髪の、これまた巨大なリーゼントヘアが、わっさりと揺れる。

 

「こちとらぁ、ハナっから組んだつもりはありやせんでしたぜ」

「貴様っ……」

 

 サミーの父親であり、みそづけファミリーの首領ドン

 娘や仲間から『ダディ』と呼ばれる彼は、こともなげに片手でアサルトライフルを構えた。

 それは、あまりに大きい身体と比較して、まるでピストルみたいに小さく見える。

 お見舞いといわんばかりに、銃が咆哮を上げた。

 小さく見えたのは錯覚に過ぎず、威力は十分だ。

 

「ちぃっ!」

 

 たまらず、マーフォン達はバリケードに身を隠す。

 その隙に、サミーも近くに寄って来た。

 

「やぁやぁダディ、遅かったじゃないか」

「悪いなぁ娘よ。ちょっとあの窓、ワシには狭すぎたわ」

 

 上を見上げれば、窓の一つが枠ごと破壊されていた。

 暮れかけた空が覗いている。

 

「どうする? ここにある机、意外と頑丈だよ。こういう時のために用意してたのかね。このままじゃ長期戦になる」

「隠し通路は?」

「多分あるねぇ。逃げに回られたら厄介だよ」

「しゃあねぇわなぁ。コイツを使うかい」

 

 撃ち尽くしたアサルトライフルを放り投げ、ダディは逆の手に持っていたモノを構えた。

 ぬぅっと。

 大きなそれは、取っ手のついたサーフボードのようにも見える。

 

「ヒュゥ――面白い得物だな」

「え……ぼ、木剣?」

「その通り」

 

 呆気にとられるコウキと私に、サミーが得意げに解説をする。

 

「ただの木製じゃないよ。ケブラーと層構造にして、深海並みの超圧力で固めてある。そりゃもう、堅くて重い」

 

 ダディの弾切れを見て、マーフォン達がここぞとばかりに彼を撃つ。

 しかし盾のように掲げられた木剣が、全部の弾を弾いてしまった。

 今度呆気にとられたのは、マーフォン達だった。

 

「堅いだけじゃなくて、耐衝撃性。ちょっとした狙撃銃でも撃ち抜けない」

「おりゃあああああ!」

「でもって――」

 

 木剣を掲げたまま、ダディが突進していった。

 迫力に圧されて、敵達の一角が逃げ腰になる。

 そこへ、巨大な塊が振り下ろされた。

 

 ぶぅん――どがぁっ!

 

 銃弾を防ぐほど丈夫な机が、叩き砕かれて吹き飛んだ。

 

「……あれだけの重量があると、斬れなくたって十分な破壊力なのさ」

「何から何まで豪快な親父さんだ」

「まぁね。自慢のダディの自慢の得物――“カグダチ”って呼んでるよ」

「さて。見とれてるわけにもいかない。ショウに遅れるなよ」

「はいよ!」

 

 コウキが一足先に踊り込み、横からダディを狙っていた男達を一掃する。

 続けてサミー率いるみそづけファミリーがなだれ込み、マーフォン達は悲鳴をあげた。

 統率の崩れた彼らには、もはや勢いを押しとどめることはできない。

 このまま決着がつくか――と、私が見守っていると……。

 

 瞬く何かが、集団の間を縫うように飛んでいった。

 ホタルか羽虫かと思ったのもつかの間、

 

 ボウン!

 

 と、唐突にそれは破裂した。

 はじけ飛んだのは、みそづけファミリーの構成員。

 戸惑い、動きを止めた彼らに、それは次々と飛来した。

 

 ボウン! ボウン! ボウン!

 

「な、なんだぁ?」

「室内で爆弾だと!?」

「然り。超小型対人ミサイル――“山椒白火リトルスパイシー”……です」

 

 幼く高い声。

 ゆらり。マーフォンの部下達を割って現れた小柄な人物は、白い衣装に身を包んでいた。

 ポニーテイルに結んだ髪まで白い。

 構えた両手には、指の間にペンシルのようなものが挟まれていた。

 

「てめえ! ふざけやがって!」

 

 みそづけファミリーの若い男が、銃をその子に向ける。

 

 一閃。

 

 別の方向から煌めきが疾った。

 

「ぐぁっ」

 

 うめき声とともに、銃を握った手が主の元を離れ、床に落ちる。

 手首が綺麗に斬り落とされていた。

 煌めきは止まない。

 

 一閃。一閃。一閃。

  

 シュカカッという小気味良い音と共に、マーフォンに迫りつつあった男達の銃が、手が、指が、ばらばらと散らばった。

 それはもはやスプラッタではなく、滑稽にすら見える光景だった。

 みそづけファミリーは立ち止り、後ずさる。

 

「ぬぅっ!」

 

 ダディすらが、一歩引かざるを得なかった。

 なんとあの“カグダチ”に、切り傷がつけられたのだ。

 流石に一刀両断とまではされなかったが、かなり深く裂かれている。

 

 しゅるる……シャカッ。

 

 煌めきが旋回し、ある人物のそでに収まった。

 全身緑に統一された、とても長身の人物。

 彼女も髪をポニーテイルに結わえていた。

 カツカツと歩を進め、白い子の隣にたたずむ。

 

「“斬織鋼糸ワイヤードランス”。残念です、サミーさん」

 

 澄んだ、落ち着いた声で彼女は言った。

 サミーは、皮肉な、苦笑いのような表情を浮かべた。

 

香辛コウシンさんに霧織キリオリさん……、今日は別件があってハズしてるって……そのはずじゃなかったのかい?」

「はぁーはっはっは!」

 

 質問に応えるように、マーフォンがけたたましく笑った。

 

「そんなわけねーだろ! あの“硝煙の紳士”と交渉をするってのに、そんな不用心なことはしねぇ! 念には念をってやつだ!」

「あの二人が……噂に聞く?」

「そうさ、ラティ。マーフォンファミリーの隠し玉。そこらのとは一線を画す戦闘員だよ。白い方が香辛さん、緑の方が霧織さん」

「……」

「ホント……裏の取り損ねだね。今日はいないって思ってたのに」

「ふん……散々コケにしてくれやがって。オイお前ら。わかってるな」

 

 マーフォンが顎をしゃくると、香辛と霧織は一歩ずつ前に出た。

 対して、みそづけファミリーはさらに一歩引く。

 

「くっくっく……奴らを解体してやれ。まずは――あのいけ好かないガンマンからだ」

「……はい」

「はい」

 

 サミーはダディとコウキに目配せをする。

 

「どうする?」

「どうするも何も、御指名だ。俺がやろう」

 

 臆する様子を少しも見せずに、コウキが前に出た。

 銃口でテンガロンハットのつばを、くいっと上げる。

 

「俺と一曲――踊ろうぜ」

「……はい」

「“硝煙の紳士”コウキさん。二対一で申し訳ない――とは思いませんよ」

「なに。俺もコイツと二人組さ」

 

 コウキは両手のヤスミノコフ9000Mを小粋に構えた。

 睨み合う、一人と……二人。

 周囲の人間は、手を出せない。

 

 しばしの静寂。

 そして。

 ぱきっ……。

 誰かが破片を踏んだ音が、やけに大きく耳に届く。

 

 一番最初に動いたのは、香辛だった。

 

「“山椒白火リトルスパイシー”」

 

 両腕を振るいながら、指に挟んだペンシルのようなものを、親指ではじく。

 途端にそれらは火を吹き、彼女の手から解き放たれた。

 先ほどの爆発の正体。小さく見えても、殺傷力は十分。ペンのような外見の超小型対人ミサイル。

 六つの弾頭がそれぞれに、独特の軌道でコウキに向かってゆく。

 

「……小粒だからと侮らないで下さい」

 

 応じるように、彼は一歩前に出た。

 ヤスミノコフ9000Mを迷いなく正面に向け、両の引き金を引く。

 弾丸の群れが、まずは二本のリトルスパイシーを喰い破った。

 中空で起きる爆発。

 

 ボ、バウン!

 

 しかしそれは、視界を遮ることにもなった。

 爆煙の向こうから、まっすぐと飛来する一本のミサイル。

 コウキはこれを、跳躍でかわす。

 

「“斬織鋼糸ワイヤードランス”ッ」

 

 この機を狙いすましたかのように、霧織が素早く動いた。

 そでから伸びる、二本のワイヤー。

 先端に小型の刃物がついているようだが、あまりに速くて捉えきれない。

 その通り道だけが、後から煌めくのだ。

 交差するように、リトルスパイシーもコウキを追う。

 

 見事なコンビネーション。

 あまりにも完璧なタイミングだった。

 

「――捉えたっ!」

 

 思わず霧織はそう漏らす。誰もが、間違いないと感じた。

 

 とん……っ。

 

 が、コウキは空中で身をひるがえす。

 まるで、翼が生えているかのような……そうでなければ、『空気を蹴飛ばした』かのような動きだった。

 空しくリトルスパイシーが通り過ぎ、ワイヤードランスが弧を描いた。

 華麗に宙返りを決めながら、コウキが銃火を瞬かせる。

 見蕩れるような光景に、時間がスローモーションに感じられた。

 

 ボウウン……!

 

 立て続けの爆発に、感覚が現実に引きずり戻される。

 リトルスパイシーが残らず撃ち落とされていた。

 霧織も指揮者のように腕を繰り、ワイヤードランスをそでに収める。

 

「……っ!」

「特殊な兵装を使うな。おたくら、もしかしてNINJAかい?」

 

 着地したコウキが、何事もなかったようにおどけて言う。

 対して、香辛と霧織には動揺が見て取れた。

 

「……否。あなたこそ、一体何を……」

「私のワイヤードランスを踏み台にしたんだよ、香辛……」

「な――?」

 

 自分も信じられないかのように、言葉を絞り出す霧織。

 目にも止まらないような刃を、的確に空中で蹴り飛ばし、体勢を変える。

 そんな曲芸じみた芸当など、想像したことすらなかったのだろう。

 彼女がショックを受けている様子が、ここからでもありありと見えた。

 

「……だとしても。偶然は二度も続きません」

 

 だからこそなのか、自身と霧織を奮い立たせるように、香辛は新たなリトルスパイシーに点火した。

 やや乱暴に放つ。

 煙の尾を引き、それらは駆ける。

 再び六方向からコウキに迫る脅威。

 けれども彼はもう、一歩すら動かなかった。

 

「そう――偶然は二度も続かない」

「……!」

 

 六つの牙はあっという間に叩き落され、爆発音だけが連続して響いた。

 

「一見ランダムな動きだが、実は計算しつくされている。加えて、非常に精密な力加減の威力。恐ろしく戦略的な武器だな」

「……まさか、もう見切った……?」

「弱点をあえて指摘すれば、積める火薬量ゆえに――弾速が遅い。そいつは俺の前で致命的だったな」

「くっ――!」

 

 二閃!

 

 会話の隙を突いて、霧織がワイヤードランスを放った。

 しかしコウキは怯まない。

 身を反らし、アッパーカットのように頭を狙った軌道を避け。

 そこを狙う、左から回り込むような軌道を正面から撃ち抜き、破壊した。

 

「――対して、こっちは疾いが軌道が読めすぎる」

「そうですか――?」

 

 がしゅっ。

 

 避けた方のワイヤードランスが、そのまま天井に突き刺さった。

 それと同時に、霧織は踏み切っている。

 途端にワイヤーが巻き戻され、彼女はコウキとの距離を刹那のうちに詰めた。

 

 飛び道具の間合いから、一気に格闘の間合いへ。

 

 回転。

 渦巻くポニーテイル。

 勢いもそのままに、右手を首元へ向けて振るう。

 

 ガ。キャンッ!

 

 銃撃音と、甲高い音。

 はじき飛ばされた何かが、散らばった机に落ちてきて、刺さった。

 ダガーの刃だった。

 

「……そっちの得物が真打ちだったかい?」

「ぐ……ぅ……」

 

 霧織の右手が震え、柄だけになったダガーが床に転がる。

 極近距離に迫り、あともう少しでコウキの喉元を抉るはずだったのだ。

 ところが彼は、咄嗟に右手のヤスミノコフ9000Mを持ち変え、親指で引き金を引いていた。

 ちょっとでも狙いがぶれれば、自身を撃ち抜いていたであろう行為だ。

 左の銃はすでに霧織の頭に向けてある。

 

 決着は、ついていた。

 

「くっ、まだ……!」

 

 香辛は、しかし、さらなるリトルスパイシーを取り出した。

 それを見て、コウキは右の銃を彼女へ向ける。

 引き金に、指がかかる。

 

「――コーシン!」

「!」

 

 怒号で制したのは、霧織だった。

 声を荒らげながらも、力なく肩を落とす。

 彼女は左のそで口に隠していたダガーも床へ落とし、ワイヤーを静かに巻き取った。

 

「犬死は、勝利じゃない……」

「けれど……っ!」

「私達が忠誠を誓ったのは……“HEADSの意志”であり、マーフォンじゃない」

「…………」

「私達は……! 彼に、まだ、遠く及ばない」

「……わかり……ました……」

 

 香辛も渋々ながら観念したように、取り出した武器を収めた。

 霧織がゆっくりと離れるのを見送りながら、コウキはテンガロンハットを抑え、呟いた。

 

「HEADS……幻の部隊か。道理で」

 

 HEADS部隊。

 その名前だけは、私も聞いたことがあった。

 かつて国家が秘密裏に組織したという、存在しないはずの特殊戦闘部隊。

 政府の方針が変わったために解体され、そこに所属していた人間は散り散りになったという。

 ……もし本当に彼女達がそうなのだとしたら、マーフォンもまた、関係者の一人だったのかもしれない。

 聞いたところで、答えては貰えないだろうけど。

 

 そんなことを考えながら見守っていると、香辛と霧織は、並んでコウキに会釈した。

 

「……それではまたの機会に」

「このお礼は、いつか必ずさせていただきます」

「ああ――楽しいダンスだったぜ」

 

 シュカッ。

 霧織はワイヤードランスを窓枠に引っ掛け、香辛の手を引いて去ってしまった。

 立ち去り際も素早く軽やかだったので、声をかけるのにすら、マーフォンは出遅れてしまった。

 

「――なっ! おい! お前ら! 待てよ……畜生!」

 

 声は虚空に吸い込まれていった。

 周囲の部下達も、すっかり戦意を喪失してしまっている。

 

「くそ……っ! おい! 誰かこいつらを殺せ!」

「……おしまいよ、マーフォン」

 

 私は、そこで、前に出た。

 一歩、一歩、マーフォンへ近づく。

 途中でサミーが、何も言わずにオートマチックを渡してくれた。

 一歩。そして、もう一歩。

 

「おい……ラティ。なんだ。おい……! 寄るな!」

「…………」

 

 後ずさるマーフォン。

 しかしもうそこは壁際だった。

 もはや後のない、断崖絶壁だった。

 構えるようなそぶりを見せたマーフォンファミリーの部下もいたが、コウキやダディがひと睨みするだけで、動きを止めた。

 

 不思議な話だ。

 滑稽で、傲慢な話だ。

 私は何もしていないのに。

 最後のけじめは、私がつけようとしている。

 

 ずっと隣にいたマーフォンと、今初めて向かい会ってる気がする。

 

「なんでだ……ラティ。お前は、金さえあれば良かったんじゃないのか」

「うん……お金があれば、命すらも買える」

「そうだ、ラティ。俺はお前を買ってやった。俺はお前に色んなものを買い与えてやった!」

「うん。代わりに貴方は私を得た」

「そうだ……そうだ。買って、それだけの物を得る。当然の道理だろう?」

「うん。そう思う」

「なら、何故……」

「…………」

 

 イヤリングを外した。

 

 思い出していた。

 ママは言っていた。

 愛するとは、捧げること。

 自らを相手に捧げることなのだと。

 それは、見返りを求める行為ではない。

 捧げるからこその嬉しみも、世にはあるのだと。

 

 ネックレスを外した。

 

「愛でお金は得られないよね、マーフォン」

「……? ああ。ああ! ああそうだ! 愛なんかくそったれだ!」

「そして、お金で愛を買うこともできない。何故なら、愛することは捧げることだから」

「何を……言ってる……?」

 

 指輪を外し、腕輪を外した。

 

 ママが最後の一日を、丸ごと私に与えてくれたように。

 ひょうちゃんが、身を投げ出して守ってくれたように。

 愛するとは、捧げることだったのだ。

 

 上着を脱ぎ、靴を脱いだ。

 

「これ……ありがとう」

「おい……」

 

 それら全てを、マーフォンに向けて放る。

 

 けれど私達は、愛することができない人間達。

 生き残るために。

 我欲を満たすために。

 私達は、愛することを選択しなかった人間達。

 マーフォンは私を『買った』だけだし、私もマーフォンを『利用した』だけだった。

 結局、愛する気も、愛される気もなかった。

 

 眼前の距離。

 

「筋を通すとか、忠誠を誓うとか、私にはわからない」

「やめろ、ラティ。俺を殺しても、何にもならない」

「何にもならない。でも、ただ熱い。身も心も、焼け爛れるみたい」

「熱い……?」

「感情が熱い。これが――」

 

 愛じゃないことだけはわかる。

 

 と。

 

 私は、銃を構えた。

 

「やめろ――やめろラティ!」

 

 拳を握りこむ。

 

 引き金を引いた。

 

 弾が射出され、彼の頭を穿つ。

 

「……! ……、……」

 

 のけぞって、倒れていく身体。

 

 灼けた薬莢が、ひとつ。

 

 空中をくるくると舞いながら、空気に熱を奪われていく。

 

 カラン。

 

 カラカラと。

 

 それが転がった時。

 

 私の気持ちも、すっかり冷めきっていた。

 

 熱い悲しみも、焼けるような悔しさも、何もかもを吐きだして。

 

 空っぽ。

 

 空っぽだった。

 

 ……それでも。

 空っぽな私の周りでも、時間は経過する。

 私は放心したように突っ立っていた。

 サミーが何かを言ってくれた。

 ダディも心配してくれていた。

 決着。勝利。終着。収拾。片付け。お疲れ。

 マーフォンファミリーの残党も、みそづけファミリーの人間も、みんなが撤収して。

 もうすっかり日は暮れてしまっていて、壊れた窓から、月明かりだけが覗いていて。

 

 コウキと私だけが、何となく、空っぽの倉庫に残っていた。

 

「……ねぇ。帰ろうか」

 

 何処へだろう。

 自分でもそう不思議に思いながら、私は言った。

 

「――ああ。だが、そのままじゃ足を怪我するぜ、お嬢ちゃん」

 

 コウキはそう言って、背中を向けて屈む。

 おぶってやる、ということらしい。

 私は、遠慮なしに体重を預けた。

 

「ねぇ」

「なんだい?」

「名前で呼んでよ」

「……。了解だ。ラティ」

「それから……、銃の使い方、教えてよ」

「……」

 

 少しだけの沈黙。

 

「あんまり、女が使うものじゃないぜ」

「ううん」

 

 もうすっかり冷えた薬莢を弄んで。

 握りこんでから。

 私は目をつむった。

 

「意外と、私に向いてる気がするの」

 

 まぶたの裏に浮かぶ光景は、愛もお金もない、広々とした荒野だった。

 何故だろうか。

 いっそのこと清々しい。

 そう感じながら、私は意識を手放していった。

 

「……」

「荒野の華も、灼けちまったな……」

 

 やれやれだ、と。

 コウキは少し悲しそうに、かぶりを振った。

 

 

 (Fin...)

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冥途・オブ・マフィア ―荒野の華と灼けた薬莢― 梦現慧琉 @thinkinglimit

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