チープ・トリック

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チープ・トリック

 子供の頃、私には大好きな歌があった。

 だけど、何度も繰り返して聞くと、歌うと、どんどん安っぽくなっていくのが不思議で仕方がなかった。

 それは普通の邦楽の曲だった。年間一位のダウンロード数を誇る名曲で、誰もが知っているものだ。

 中学生だった私は夜中に屋根の上へ昇り、端末を手に星空を見ながらその曲を聞くのが好きで、時々歌ってさえいた。

 思い返せば恥ずかしい上に、近所迷惑だったと思う。ご近所様が私の調子はずれの声に苦笑を通り越して、苦痛を受けていたであろう事は想像に難くない。

 若く、向こう見ずだったから許された行為だ。思い出すだけで泣けてくる。誰かあの時の私を殺してくれ。

 さて、そんな恥ずかしい過去を思い出しつつ、現在だ。


「あははっ、それはそれは痛々しい過去をお持ちで」


 とある高校の昼休みの教室で、弁当箱を突きながら話した私の過去に、女友達は手を打って笑った。

 私は机に顔から突っ伏す。泣きたい。


「お褒めのお言葉を頂き、恐悦至極。せめて笑ってくれたなら黒歴史にも価値はあったと思う事にする」


 なおも友達は喉を鳴らして笑う。


「いーじゃん、いーじゃん。わたし好きだよ、そう言うの。変にスレるより全然いい」

「ううう、今でも歌詞を覚えてたりするんだよね……。好きな曲だと言う事に変わりはないけど、恥ずかしい事実である事にも変わりはないし……」


 私のその言葉に、友達はちょっと真面目な、何かを言い聞かせる様な口調で言う。


「どんなに好きなものであっても、繰り返し触れていると、どんどんつまらなくなるのは陳腐化って言うらしいよ。人の遺伝子にインプットされた法則で健全な現象だって」

「大好きだからっていう補正は入らないの?」

「もちろん入るわ。でも移ろっていく事に変わりはないでしょ?」

「んー……」


 私はその指摘を受けて、少し思考の海へ潜る。

 確かに、彼女の言う事は正しい。

 私はどちらかと言えばドライな性格で、例えば「二度同じ日はやって来ない。だからその日を大切に」と言われても、「いや、それは違うでしょう」と反論してしたくなるのだ。

 理由は簡単で、カレンダーをめくって別の日がやって来たと理解しても、目に映る情報のほとんどは昨日と変わりがないからだ。

 何時もと変わらないお父さんとお母さんと弟、同じローファーを履いて、同じ通学路を歩く。同じ高校に辿り着き、同じ友人と挨拶する。

 もちろん、朝食のメニューや通学路を歩く速度、空の天候などには変化がある。

 だが、統計的に考えて、変化しているものよりも、していないものの方が圧倒的に多いと思っている。

 だから私の感性になぞらえると、「二度同じ日はやって来ない。だが、全てに優先させなければならない程の事ではない」が一日を過ごす際の価値観となっている。


「あ」


 そこまで考えて、不意に理解した。

 これが、陳腐化だ。

 最初は新しい情報しかなく、全てが輝いて見えていた。

 だが、何回も、何回も同じ接触を繰り返す事で、既存の情報が増え、感動が無くなり、価値のないものとなっていく。

 それを友達に話すと、彼女はちょっと苦い顔で頬をかいた。


「生れ落ちて、時を過ごし、結婚して、子を成して、老人になる。何一つ元に戻る事はなく、擦り切れて死ぬ。それが生きると言う事なのかもね」

「むーん……、それを言っちゃったら人間に限らず生き物は全部……って言うか無機物を含めた宇宙全部が時の流れの中で陳腐化していくしかないって事にならない?」


 流石にそれは受け入れがたくて反論する。もし彼女の言葉が真実であるのなら、目に映るもの、心で感じるもの全てが、移ろい、やがて消える事になる。

 友達は少し考えてから、答える。


「そんな事はないわ。少なくとも私は貴女の話を聞いて心が楽しいと感じている。貴女にとって陳腐化して、忘れたい過去であっても、現在の私にはとってかけがえのない情報だもん」

「あー」


 そういう考え方もあるか、と私は机から顔を上げて頷く。

 私はただただ自分一人の心の中で情報を繰り返し再生していた。だが、友達に話し、共有する事で陳腐化していた情報は新しい意味を持ち、彼女の心を震わせたのだ。

 何でも一人で溜め込むな。話すだけでも楽になる。

 それらはよく聞く言葉で、私は胡散臭いと感じていたのだが、こうやって体験し、その経験が蓄積して、統計化され、解決の方法となって伝わって来たのなら受け入れてもいいか、と思う。

 私は指を立てて、それを左右に振りながら口を開く。


「じゃあ、この世界そのものも時の流れの中で陳腐化していくしかない、って言う問題の解決法はあるって事なのかな?」


 友達は箸を行儀悪く口に挟んで、唸る。


「そうね。事実、私の心身に影響はあった訳だし、情報と情報の組み合わせが新しい価値を生む事は間違いないでしょ?」

「まーね。そっか、確か、さっき結婚して、子を成してって言ってたもんね。子を成すって事は、遺伝子と遺伝子が新たな結合をするって事だから、宇宙を存続させる手段として間違いはないか」

「そうね。筋は通ってると思う」

「だからみんな彼氏を作るのかー。私も作ろうかなー、彼氏」

「いや、それは筋が通ってないと思う。ってか、そんな理由で彼氏を作る女子高生が何処にいるの。夢も希望も身も蓋もないじゃん……」

「……」


 指摘されて私は黙る。我ながら何と言う女子力の無さよ。


「しかーし、そんな私とお弁当を突く、そっちも五十歩百歩だからね、お忘れなく」

「ぐ……」


 友達は悔しそうに唸って、弁当箱の蓋を閉める。


「大事なのは将来性よ。貴女には、貴女にだけは負けないから」

「はいはい、記憶に留めておきますよ」


 そして私は彼女の結婚式に呼ばれたら、友人スピーチでこのやり取りをバラしてやると心に決める。貴方の嫁さんは、人柄ではなく、遺伝子と言う将来性に惹かれたんですよー、と。

 友達はものすごく嫌そうな顔をする。


「今、すごーく腹が立つ事を考えなかった?」

「いやいや、そんな事はございません」


 ひゅーひゅー、と鳴らない口笛を鳴らす私に、怪訝そうな表情を残して、友達は自分の席へ戻っていく。

 そして、午後の授業が始まったが、私は何処か上の空のまま、先生の言葉を適当に聞き流していた。

 陳腐化、か。

 世界の謎なんて、言葉にしてしまえば実に安っぽいトリックだったな。

 まあ、でも対応も対策も出来そうだからいいか。

 まず、世界を継続させる方法として、出来る事は何だろうと考えて、私は初心に帰った。

 歌おう。大好きな歌を。

 その気持ちを抱いて、窓の外の青空を眺める。

 私は中学生の頃よりも少し大人になって、価値観も変わった。

 だから、今晩は久しぶりに屋根の上へ昇り、大好きだった歌を口ずさもう。

 ささやかな変化ではあるが、世界にとって無意味では無いのなら、何より私の心に喜びのさざ波が起こるのなら、充分な意味がある。

 うん、今日は昼からいい天気だ。

 きっと夜空の星も素晴らしく輝いて見えるだろう。

 そして歌を奏でた時、私の心に陳腐化を超えた、新しい感動と価値が生まれる事を私は祈った。

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