緑川製パンと田中さん

韮崎旭

緑川製パンと田中さん

 緑川製パンの工場は閉鎖されていた。あまりにも臆病なためそのことに気がつくのに14カ月もかかった。緑川製パンの工場で勤務していたことがあったのかもしれない。緑川製パンでは緑茶アイスバーが人気商品だった。そもそも、なにも人気ではないし、人気商品というよりは。唯一まともに売れたといえなくもない商品。なぜ早々に工場がたたまれなかったのか不思議でならない。きっとこの工場の商圏にある小中学校の児童生徒は、緑川製パンのうんざりするようなもそもそとした断熱材のような食パンに嫌気がさしていたことだろう、ほかの、まともな食パンを食べる機会があれば。しかしスーパーマーケットにはしばしば緑川製パンの製品が並んだ。特に質がいいわけでも、栄養的に優れているわけでも、保存期間が長いわけでも、軍用として使用できるわけでもない、無能な食パン。確かに食べたからといって健康被害に見舞われるわけではない。しかし、各種製パン工場が様々な工夫を凝らしてまともなパンを作ろうと試行錯誤しているこのご時世に、食べても健康被害が起きないことしか取り上げるべき長所のない緑川製パンの食パンが売れていること自体異常なのだ。いったい誰が好き好んで、たとえば同じくらいの価格であるにもかかわらず、玄米やクルミなどを用いていかにもおいしそうな風貌を持ち、しかもそれを引き立てるパッケージに身を飾った食パンがあるというのに、なぜ、わざわざよりにもよって緑川製パンの建築資材のようなパンを買うのか。あれではまるで単なる緩衝材だ。気が知れない。そういう自分も、緑川製パンの食パンを食べて育ったため、食パンが生来嫌いだった。その後市をでて、まともなスーパーマーケットに行く機会に巡り合い、緑川製パンの食パンなど当然置かれていないそのマーケットで初めて見る品々に目を奪われ半ば当惑しながら心ここにあらずに適当に取り上げレジに持ち運び会計を済ませ食べた食Bパンがこの世のものではなかった!

 

 食Bパンは第二世代食パンとも呼ばれる比較的パンに近い組成を持つ食パンの亜系であることをのちに知った。道理で、緑川製パンの引っ越し業者が使う養生用品のようなパンともまして食品とも思えないパンをパンと思いこんでいる身からはそれはこの世の食品ではないわけだ。


 鉄の手すりには錆が浮き、イワシの缶詰は油の酸化した匂いに沈み、太陽は弱々しく熱に冒され、それで干上がることのない有害な季節風に包まれた地上は淀んだという形容がまさにふさわしくあらゆるものは停滞し、歪み、正体を失い、さながら死都であった。そのネクロポリスの残骸にまだへばりついている人間から、緑川製パンのうわさを聞くことはできたのだろうか?私はまだ人間であるとの自覚を捨てきれぬまま、異形にうずもれてゆく雨季の蒸し暑い市街で茫洋と、時折降雨が見られるが基本的には定まらぬ雲がやる気なく垂れ込めた空を見やり、廃墟になった売春宿がいまだに整地されていないことになど何の関心もなかった。私はただ、人間がそうするように、朝食にオレンジフレーバーティーを注いだり、徒歩圏内の映画館で映画鑑賞なのか仮眠なのかわからない午後を「食人の正餐~驚異の惨憺と大猟奇がいま幕をあげる!~」といった映画でつぶし、書店に立ち寄り、人間のふりをそこはかとなくしたいだけだった……。この辺には市街がない。


 どこもかしこも塩害と沈みかけた泥舟で埋め尽くされていた。派手な切り傷か膿瘍のように犬が胸腔を漁っていた。暮れてゆく熱を帯びた赤にささやく郷愁の偽装品はあさも待たずに飽きて色あせる。害為す道の機械的要諦はあきらかな衝動をおおい隠し、ガードレールにはあなたの爪痕がみすぼらしく鋭利を騙っている。もうくちなしの季節ね、君は知らない等の花を、それは問題ではない、スペルミスのついではいだ怪物が遺骸のような鯨に親しみを覚えるころ。


 ということだから、朝起きても荒唐無稽な人格のさながら小川の歌う声のような姿見が散見されたとしても別段驚くことではなかった。私はかつて人間であった、そうしていつしか人間の外聞を持つ何かぶよぶよした魚……たぶん、安倍公房の『水中都市・デンドロカカリヤ』からの連想で、発車のベルが鳴るのを聴きそびれたせいで高崎行きの電車の通過を待つことになった。でもそれよりも、「羊を数えたほうが有意義」に思えたのは、道徳というのがこんにゃくや深海魚の仲間に思えて仕方がないからなのかもしれない。柔らかな繊維質が豊富で、濃い味付けで煮凝りにするとよいのだ、道徳は。それはこんな経緯だったのかもしれない。……「羊を数えたほうが有意義」

「それは、どういう点で?」

「まあ少なくとも、架空の、道徳上の、または宗教上の罪についてことさら討論するよりかはね」

 私たちはさほど効き目の強くない鎮静作用のあるなにか、というかベンゾジアゼピンを各々メロンソーダまたはメロンクリームソーダで流し込んだ。このころになるとだいぶ酔いが回ってきていたから、目の前にあるものがメロンソーダなのか、別の意志を持たない立体的だが流動性のある構造物なのか、流動性ってなにか、クリームはメロンとどう区別するのか、わからなくなり始めていた。やはりゾルピデムにしておけばよかったと思ったが時すでに遅し。律儀な田中さんは今頃、どこか遠いところで首をくくるついでに行燈をともしていることだろう。それもこれも道端のねこの腐りかけたぼろぞうきんのような、ハエやその他の昆虫にたかられている、ナメクジたちの世間話。でも。艶か第二鉄のような空は私たちにやさしく微笑んだ。腐食性のものの持ち込みは禁止されている。それは散乱し、或は閑散とする。ホトトギスのように?まあ、血を吐くのであれば、或は、理路整然とした区画整理のいかにも人工的な都市の上空を横切るのであれば、明け方に。誰かの伯母は言うのだった。「ああ灯篭の時期だ、肺を悪くしてしまう、佐伊は肺に水が溜まって死んだ。スイカのようにはじけてしまってねえ、その皮膚の、スイカの皮のような亀裂から、半透明の体液がにじんでねえ、寝所のシーツの交換がたいへんだった、水が溜まってしまうから、内圧で皮膚が割れて、旱魃にあった地面のようさ、亀裂が幾筋もいく筋も、柱状節理のように幾何学模様に、ああ灰を悪くして死んでしまったねえ、結果的にはなんだかわからないそぼろのような肉塊になって死んでいったよ、もうシーツを誰も、交換しなくて腐臭だけでもない異臭が立ち込めていた、先年の5月末さ、死体の処分?燃えるゴミさ。スコップでかき集めてね」だが、立ち並ぶ家々の裏手の用水路は強酸性だというのに、あの忌々しい太陽は白く、核爆発のような強烈さで常時照りつけ、そのせいで用水路の内容物はすっかり煮詰まってしまったため、あたりには腐った魚と、水自体の臭気の入り混じった胸が悪くなるような刺激臭が立ち込めていた。それにもかかわらず私たちは、今こうしてメロンクリームソーダをすすることができている。でも、姉はクラック(向精神作用を持つ薬物の一種)中毒だったし、四六時中、俺のことを、「丸々としたかわいい蛆虫ちゃん」と呼ぶので耐え難く、しかもある中の父はもう何年か(無関心だから忘れたが)前に死んでいた。兎に角誰も墓地の管理をしないので、たぶんそれが墓地だということが一見してわからないと思う。それでも墓地にキチンと埋葬するよう心掛けたのは、死体遺棄罪に問われたくないからだった。そうして道徳は神経症的不安の代償行為に見せかけられた。とはいえ、ジンやその他のやたら強い安酒で今をごまかすしかないのだとしたら、間違いなくアル中まっしぐらだった。


 それはさておき、閉めきった遮光カーテンの隙間から部屋に不法侵入する光はまぶしく、思わず目をそらしたくなるような思考は、虹橋の下で渦を巻いた。逃げ出したい思いが既往症のように張り付き、意識を闊歩する。現在への恐怖からは、誰も自由ではない。暴力的な明白さを持つ視野には、白痴じみた祝祭を与えようか? 私は自身の存在をうたがうことだろう、明らかに。だからといって、一度放り出されたさようならは、言語本来の在り方からは脱落してしまったかのようだ。倒壊した残骸は、甘く美しく、廃墟として誇らしげに咲く。脳は自壊して空虚さが堆積し、選ばれたものは対照的に苦い。その強迫観念は離脱症状のように感じられたが、既往している希死念慮は、17時ごろ、また静脈と出あうことだろう。供物は檻の中でさんざめき、逃避することのできない腕を伸ばした。もう少しだけ、忘れていようか、かみ砕く血は鮮やかに零れる、ムカデのように。

「廃亡したのは17時 今ここのリアリティは絶無

暗夜の旅行は中庸に 上等なナメクジのゆりかご

荒涼とした6月に 陽光と黒は幻覚剤

もう少しだけ忘れていよう 

かみ砕く詩はただ、空虚。臨界点の異界の眺望。」


 私は食堂に食事をしに行った。するとどうだろう、食器を取り扱う音は鮮明に聞き取られ、工作機械が規則的に、轟音とともに稼働する工場にいるような気分になる。工場にいたことはない。事務、清掃、定期点検、いずれも行わない。それにもかかわらず、食堂は工場だった。それはいうなればそして、人間工場。畜産試験場ではないらしい。しかも食堂の環境音は、工場とは異なり不規則だ。不規則であるのは、いいことでも悪いことでもないが、この場合、比較対象は私の頭の中にある現存しない、そしてする見込みも永久にない工場であり、しかも私は応力計算士ではないから、応力を計算することもきっとないのだ。


 連なった嘆きを数えるほどに意気消沈するのは工場だとしても、だ。


 湖畔には優美な家屋が立ち並び、10月から4月の、(そこに行くのに通行することが不可欠な)道路の例年通りの閉鎖期間内だったので、それらの家屋群は打ち捨てられた死都という言葉を想起させた。人間も湖畔も凍り付いており、無といってよい静寂と冥界の清潔さが一帯を支配する。毎年の使用と適切なメンテナンスのおかげで、死に絶えたと形容するにはあまりにこぎれいであるという問題もあるが、人間生活の不潔さを想えば、こぎれいさは寧ろ死の領分ともいえよう。鮮やかな鍋の中身を確認してからまた、「リア王」を読み始めた。


 リア王は1841年にスコットランド王に即位、男子を持たず、現在45歳。この時代での余命は残りわずか若しくはマイナス。そこで年に3ペンスのお仕着せで満足している飛翔でさもしい恥知らずが、権力の横領をもくろむ。だが、リア王の数少ない近親者であるところの娘たちもまた、権力の横領を計画しており、彼の食事に計画的に毒を盛る。しかし、雨季であり夏でもある7月特有のモンスーン気候のせいでリア王はあらかた食欲をなくしており、食事をしなかったので、毒を盛ることによる、彼女らによる彼の暗殺は失敗する。しかし、c4爆弾の、会議室での使用により、リア王は四散しつつも無事死亡する。その辺の窓に血がこびりつき、部屋の隅に誰にも顧みられないまま放置された腕。その腕を持ち帰る道化。自前のレシピでミイラにして、『猿の手』として業者に売りつける。非常なラッキーである。なぜなら猿の手は高く売れるから。リア王は1841年にスコットランド王に即位したが、人格的な問題により、研修期間内に退位。その後、またしても人格的な問題から、自身の姉に対して、毒殺未遂(酒石酸アンチモンカリウム)を行い、収監される。刑期満了を待たずに、収容施設内で病死。c4爆弾で殺害された、と公文書にはあるが、どう考えてもそれは不可能であり、彼は実際には病死。


 リア王の娘たちは、各国の王家等の支配者に嫁いだ。または、支配者の子息に。

リア王はメキシコで斧により暗殺され、1914年にはコソボでの目撃証言を持つ。実体としては、ミカヅキモの培養に成功したといった方がよく、大変に日差しが強い湖畔のコテージは入山規制も終わり、よくにぎわっている。ここで死のような静寂をいったん忘れることとなるのが、オオマツヨイグサのメキシコ国歌だ。

陸軍の実測図によれば、確かに鈍角なのだが、あれはリア王なので、鈍角なのも当然である。


 でも、工場のような轟音とは基本的に無縁。


 夏の暴力的な日差しの中で、さびたような苦みをかみしめている。心配性な都市計画を不如帰が横断する。どこだか知らない踏切で警告用のサイレンが鳴り響いている。寂しそうな梟が明確な鍋の中の戦場をガラスのように意志のない目で凝視している。することもなく暇だったので、あれは残暑でうだるような9月中旬、粘着質な煮え立った日差しの中で、街路樹は確実に晩夏を告げていた。「また精神科か……」大抵の音がとんでもない轟音に聞こえる上に人間が、豚に見えるのだが、豚に罪はない。第5食肉加工場。


 第5食肉加工場では何らかの肉を解体している。屠る、切り分ける、屠る、懐かしく、切り分ける、判断力に満ち溢れる様子で、屠る、あたたかく、切り分ける、血を吐いた不如帰が、鍋で煮る。

啓示はない。


 拾いに行ったのだろうか?ごみ箱から、カラスを取り出す。次々に取り出すことができるのだが、カラスはどれも妙におとなしく、いやもしかしたら死んでいるのかもしれず、「これは感染性廃棄物では?」と思うことをやめられない。しかし、このカラスが体液、使用された注射針、人間の体液の付着したガーゼ、脱脂綿、人間の中身の付着したもろもろの何かや使用済みの点滴用の器具、などの、感染性のある、または、感染のおそれがあるもので、医療機関等の施設から発生するもので、このカラスどもがあるのか判断できない。


 ここは間違いなく、医療機関ではないだろうし、ごみ箱からカラスが取り出されるいわれがない。料理などの隠し味に使うという案はすぐさま、却下された。塩気が強すぎる。


 人間をこねると年度になるので、昔それでよくブロック塀が作られていたことは皆さんもご存知の通りだと思う。しかし人間なので残念なことに、法的には人格があることになっており、そのせいで塀の強度が悪くなるという問題が以前から指摘されており、2002年の建築基準法の改正の際に以後人間粘土ブロック塀は使用が禁止されることになった。非常口の常識らしきものの明かりだけがやけに煌々として活気に満ちていた。だがそれはどことなく、鬼火や船幽霊を感じさせる仄暗い輝きだった。


 駅前にはよく人がいる。私はそのせいで、ストレスで死にそうになった。衆人環視なのに、トリアゾラム0.25mg錠をコーラで大量に一気飲みしようかと本気で検討した。真剣に検討した。問題は、トリアゾラムもコーラも手元になく、わざわざ自宅と自販機に、またはスーパーマーケットやコンビニに、立ち寄るのかと思うと甚だ気が重くなり、ストレスで死にそうになった。こんなことなら、外出などせずに、部屋でおとなしくトリアゾラム0.25mgをコーラで大量に服用していればよかった。だが、部屋には、ジアゼパム、フルニトラゼパム、タンドスピロン、クロルプロマジン、ゾルピデム、レボメプロマジン、リスペリドン、オランザピン、もちろんトリアゾラム、ラメルテオンなどがたくさんあった。ドクターショッピングの成果。とはいえプロメタジンだって、入眠という点では、十分に役に立つ。とにかく、気象予報を見るのが、疲弊の間違いのない原因だった。人間は、たいていの場合、すりつぶし、適量の塩とともにすり鉢でかき混ぜると、程よい粘り気を呈する。


 しかし、横須賀線内での人身事故のために、現在運転を見合わせているとのことだった。しかし、大宮駅での人身事故のため、埼京線は通常通りの運航がなされなくなる可能性があった。そのハンバーグはとてもおいしかったし、アップルパイも、生地が脂っこさを感じさせない軽やかさで非常に好感が持てる。しかし床下で人身事故による運転の見合わせが起こってしまったために、私は専門の駆除業者に連絡をしないといけない状況に陥った。49日目のことだ。


 なに、一度眠れば、二度と、目覚めたいだなんて思わなくなるさ。


 部屋の隅に何かがうずくまっている気配を感じた。そんなものは実際、全く存在しないことを重々承知したうえでのことだった。何かの、おそらくは錠剤が床の上に放置されており、それとは知らず踏んだ挙句に、粉にしてしまう。それが床の上に広がっており、カビかと思ってぞっとする。そのころ、公園では、誰も進んでは意図しない球技大会が行われる予定だった。しかしあまりにも、予定参加者たちはこの件に関して無気力かつ無関心であり、給食配給センターが時折出荷する、やたらと水気が多いのにみずみずしさは皆無で、ただ甘いだけで、ただ甘いだけのぞうきんのような不味いフレンチトーストを、そのやる気のない様子は連想させた。あまりにもぞうきんのようだったので、正直いつ死ぬか知れたものではない。この状況を憂えた田中さんが、町内会の電話連絡網で、実際は晴れているにもかかわらず、本日雨天のため球技大会は中止とする旨を周知した。これを聞いて、その予定参加者たちが安堵したのかは、誰にも、当人たちにすらわからない。なぜなら、当人たちでさえ、自身の様子に関してきわめて無関心であり、その程度ときたら、当然のように、昼食のために用意した弁当に一切の興味・関心を持たず、また、自身の空腹やその他もろもろの心身の状態に関しても弁当以上にきわめて注意が払われていないセルフネグレクト一歩手前のありさまだったからだ。


 だが問題なのは、雨が一切降りそうになかったことではない。田中さんは、青行灯と呼ばれることになった。百物語百話目が終了したタイミングで、その開催場所の住宅の建物の玄関に設置された呼び鈴を鳴らしたので、百物語の参加者の皆が皆、田中さんを怪異だと思ったためだ。

「ああなんだ、田中さんじゃないか。2丁目65番4号の共栄住宅305号室の、田中さんじゃないか」と一同が安堵した。しかし誰も、田中さん当人でさえ、田中さんの厳密な住所を知らなかったため、誰もこの住所が正しいかどうかわからなかった。実は田中さんが全くの怪異である可能性は大いにあったのだが、それはさておき、球技大会の当日には、気象情報でも安定的な晴天が報知されていたのに、球技大会の予定開始時間ちょうどから、たらいをひっくり返したような雨が降り始めた。田中さんは、あまりのことに気味が悪くなり、自殺してしまった。それ以来、この地域では、百物語の百話目が終わると田中さんが呼び鈴を鳴らしにくることが慣習として定着した。

田中さん、死んでいるのに……。


 だから、自殺したのに律儀に呼び鈴をおす田中さんの健気さを、皆が皆、好感とともに受け入れた。それ以来、輪番で百物語が行われる。おかげでろうそくがよく売れた。行灯はないので、青色の照明器具で代用された。LEDとか。全く、田中さんと来たら律儀な人である。

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緑川製パンと田中さん 韮崎旭 @nakaimaizumi

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