恋する杭打機

 もしも迷路ならば、話はとても簡単だ。

 私こと、鶴辺つるべ千里せんりはそう断言する。

 パズルであれば、一層容易たやすい。

 迷路には始まりがあり、終わりがある。選択肢も経路も入口も出口も複数あるかもしれないが、何はともあれ、終わりを定義することは可能だ。仮に解答が用意されていないパズルやクイズがあるとしたら、それはそう呼ばれるに値しない代物だろう。

 ところが、人生は違う。

 いささか陳腐がすぎる表現かもしれないが、人生には出口も解答もない。確かに死という終焉が生命には付き物だが、迷路やパズルと違ってその終焉自体が私たちの目的ではないだろう。大方の場合は。

 つまり、分かりやすい落としどころがないのだ。

 多くの人が思い悩む理由はそこにある。

 自ら定義しない限り、人生の出口や解答に至ることはない。

 ただの生き死に以上を望んだとき、人は「自らの答え」を求めてさまようのだろう。もしかしたら、動物と人間とを隔てる境界線の一つは、それを試みるかどうかなのかもしれない。

 とはいえ、四六時中探し歩くわけにはいかない。誰だって、日々の生活というものがある。大抵の場合は目の前のことで精一杯だ。しかし、そんな日常にふとした亀裂が生じてしまったのなら、たちまち迷わずにはいられない。このまま正しい結末を迎えられるのかどうか、と。

 我が人生の解答はいずこや、と。

 などと。

 さて、いい加減そろそろ回りくどい。

 いったん切り上げて、つたない物語へ移るとしよう。

 始まりは、小さな亀裂だった。



 △    △    △



「千里君、あそこ……」

「はい」

 私の勤める喫茶店『Undecimberアンデキンバー』のマスター、暮春くれはる祁門きもんさんの指さした先には、壁があった。

 店内の奥の席を仕切る役割を持った、いわゆるパーティションとしての、薄い壁である。

「ヒビが入っちゃったんだ」

「はぁ……」

 目を凝らせば、確かに、細い線が縦に走っているのが見えた。

「以前はありませんでしたよね」

「うん。昨日の朝、ちょっと強い地震があっただろう」

「ああ。このあたりは震度3でしたね。それでですか」

「そう。別にお客さんに危険はなかったんだけど、みしりっと。イヤな音がしたもんだから。古くなってきてるからな……」

「少し見てみましょうか」

「頼むよ」

 近づいてよく観察をしてみると、意外と深い亀裂であることが分かる。線をなぞりながら、もう一方の人差し指で軽く唇を触れた。

 ここで唐突だけれど、私の秘密について簡潔に話しておこう。

 あるいは、世界の機密について。

 この世の中には、人が概念と呼ぶような曖昧で抽象的極まりないものを、まるで現実的な物質のように扱える存在が、極少数確認されている。もはや人間という器では測れるような個体ではないけれど、彼らを分かりやすい言葉で表現すれば、いわゆる超能力者と呼ぶのが妥当だろう。裏の界隈では“リンクス”と表現されているらしい。

 そして私もその一人。

 いわゆる『迷い』そのものを、視認したり操作したりすることができる。自身に宿ったこの性質に、私は“アラインメイズ”という名を付けた。

 詳細な説明は省くけれど、人が「答え」に行き着く過程を引き延ばしたり省略したりできると理解してくれれば、ひとまず事足りる。

 例えば、私は壁の亀裂の診断過程を省略し、解に至ることができる。

「……どうだい?」

「うーん。おそらくですが、修理を頼んだ方がいいでしょう。このままだと、一ヶ月もせずに剥がれてくると思います」

「そうかぁ……千里君がいうなら間違いないな」

「いやいや。きちんと見てもらってください」

「わかったよ」

 祁門さんは、肩をすくめた。

「これを機に、少しリニューアルでもしようか」

「良い案だと思いますよ。萌花もえかちゃんが、もっと若い人にも来てほしいって言ってましたし」

「あんまり娘の意見を採り入れすぎると、ピンク色のお店になっちゃいそうだなぁ」

「常連さんが来なくなりますね」

「はっはっは。それは困るからほどほどにしないとな。……じゃあ」

 というわけで。

 お店はしばらくお休みとなったのだった。



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 思いかけず暇ができてしまった。

 旅行に行くのも悪くない選択肢だが、今日は朝から近所の公園を散歩することにした。

 予感がそうさせたのだ。

 そして、こういう予感は的中しなかったことがない。

 時期は冬。薄く青く広い空を、細い枝が幾何学的に切り裂いている。服の隙間を、北風が体温を奪いながら吹き抜け、私は肩をすくめるように身を縮こまらせた。視線を揺らがせながら気の赴くまま歩いていると、がらんとベンチの並ぶエリアに辿り着く。案の定、そこには見覚えのある人物が腰掛けていた。

 つり上がった細い目が特徴的な、若い女性だ。寒空の下、長いマフラーをスタイリッシュに巻きこなしている。私も女にしては身長があるためか(183cm)スタイリッシュと誉めそやされることがあるものの、彼女はまた異なる雰囲気を持っている。

 絵になるというか。

 女性的なラインの中に刃を潜めているというか。

「どうも。おはようだわ、匕首あいくち絆根きずねさん」

 別に待ち合わせをしていたわけではないけれど、斜め後ろから、極めて穏やかに声をかけた。

「ん……鶴辺千里じゃないのよ。久しぶりなのよ」

 こちらを振り向いた彼女は、一瞬驚いた顔をしたが、即座に臨戦態勢に切り替えた。頬を吊り上げ、流れるように腕を振りかぶる。同時にその両手首からは青白い炎が出火し、拳を包み込んだ。

 そう、彼女もリンクス――『焦燥』を炎へと変換する能力者!

「ここで会ったが百年目!」

「って戦いに来たわけじゃないのだわ」

 昏倒させた。

 正しくは、意識を迷わせた。

 その間に、彼女の隣に腰掛ける。

 それから15秒後。

「……はっ」

「気がついた? あなたには無体な話かもしれないけれど、落ち着いてほしいのだわ」

「鶴辺千里! ここで会ったが――」

「コントかっつーの」

 持っていた缶コーヒーを放り渡す。

「おっ……と、何これ。爆弾?」

 受け取った彼女は、そう尋ねながら早くも無警戒にプルタブを起こす。

「ご存知ない? 缶コーヒーというものよ」

「どんな道理で私にくれるのかって訊いてるのよ。知らない種類のだし――ん。美味し」

「説明する前に飲んじゃうのね、あなたは。生き急いでるっていうか……」

 私も自分の分を開ける。

 家で暖めてきたのだ。

「うん……いい仕上がりなのだわ」

「仕上がりって? もしかして鶴辺千里が作ったりしたワケ?」

 などと質問する頃には、彼女は最後の一滴を啜るべく、缶を逆さに振っていた。

「そのまさかだわ。販売元は某飲料メーカーだし、直接私が作ったワケじゃないけどね。ウチの暮春祁門氏監修レーベルの新作だわよ」

「げぇっ、本当だ。喫茶『アンデキンバー』って書いてある」

「発売はもう少し先になるけれどね」

「覚えてたら買うのよ」

「よろしく」

 餌付けではないが、試作品をもう一本渡しておく。受け取るやいなや、彼女は喜々として二本目に口を付けた。こうしてみていると、ただの子供っぽい女性である。

 本当は戦闘機並の危険人物なのだが。

「……で、なんか用事なの? 私の方から探そうとしても絶対捕まらないくせに、そっちからは難なく接触できるっていうの、圧倒的不公平を感じずにいられないんだけど」

「いえ、用事はないのだわ。強いて言えば、さっきの販促くらい」

「はぁん。っていうか仕事はどうしたのよ。ずばり、喫茶『アンデキンバー』の。もしかしてクビ? 解雇なの? その缶コーヒーは退職金代わり? 現物支給なの?」

「矢継ぎ早ね。お店はただいま改装工事中。暇だから散歩にきただけだわ」

「成る程なのよ。それで偶然私に会ったってわけ」

「そ。予感はあったけれどね」

「お前の予感は、予定みたいなもんでしょ」

 はーあ。と、彼女は大仰にため息をついた。

 私は薄く笑みを作って、公園の景色を眺める。

「最近はどう? それとなく話は聞いているけれど」

「ん? ああ、頼まれた子たちのお守りね。つつがなくやってるのよ。基本的に二人の仲は相変わらずだけど、取り巻く現象の方はぶっ飛んでるものが多くて飽きないのよ」

「それは良かっただわ」

「とはいえ、面倒見てるって感じでもないけど。テキトーに楽しめる範囲で協力してるっつーか」

「そのくらいの関係性の方が、案外お互い気楽なものだわ」

「そもそも、なんで私がこんな役回りになったのか。結局、鶴辺千里から分かりやすい説明を受けていないのよ。テキトーにならざるを得ないのよ」

「説明は以前したもので全部だけど、そうね。あえて今、解説用語を変換するのなら――」

 自然に発言が途絶える。

 匕首絆根さんも、続きを促したりしなかった。

 お互いに何気なく、公園横の歩道へ目線をやった瞬間である。おそらく登校中の、とある女子高生が視界に映り込んだ。

 その子は、巨大な『迷い』が取り巻かれていた。



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 私には『迷い』がえる。

 周囲に渦巻き本人を囲む立体迷路として、その人の悩みや迷いを視認することができる。触れることによって、『迷い』に直接干渉することさえも可能という、私の“アラインメイズ”の代表的な能力である。他人と違う視界を持つという意味では、代表的な“症状”といった方が正しいかもしれないけれど。

 とりあえず、その女子高生を取り巻く『迷い』は巨大なものだった。

 ずいぶんと大きな悩みを抱えているように見える。

「鶴辺千里。あの子」

「ええ、あなたも視える?」

「バッチリ。『焦燥』がごうごうと燃え盛ってるのよ」

 先ほど述べたように、隣の匕首絆根さんもリンクスである。彼女の場合は“イグニッション・チョーカー”と呼ばれる能力によって、『焦り』が首もとで燃える炎として観測されるらしい。

「マジで。顔すらも覆い隠しちゃうくらいなのよ」

「迷ってるし、焦ってる――か。何があったのかしら……」

 私は唇に軽く触れ、考える仕草をする。

 言うまでもなく、ほとんど答えの見当はついてしまってるのだけど。

「その余裕ぶった態度、ムカつくわー」

「あなたはどう思う?」

「ふん――」

 彼女は、細い目をさらに細めて、女子高生の首元を解析するように凝視した。

「あの年代だと……進路か……あるいは……炎の色合いからしても――うん。……恋わずらい。……っぽい。だと思うのよ」

「ま、そうよね」

 恋愛。

 恋の病、恋わずらい。

 古来から男女を狂わせ、迷わせ、そして焦らせる。

 とりわけお年頃の少年少女にとって、恋愛は生きるか死ぬかの次に大問題だったりすることもある。

 それにしたってずいぶんな悩みようだけど……。

「話題振ってきたくせに、あっさりしてるわー。よっしゃ、答え合わせに行くのよ」

「え。ちょっと――」

 制止する間もなく、匕首絆根は跳んだ。

 それは飛翔と呼んでも間違いではないくらいの、まさしくロケットスタートだった。ベンチがたわみ、隣に腰掛けていた私まで吹き飛ばされそうになるほどだった。

 崩された体勢を整えてる間に、彼女はその女子高生へ接触を図っている。全くの躊躇を見せずに肩をたたき、声をかけていた。

 尋常ではない行動力である。

「ねえねえ、そこのあなた」

「は、はい? あの、どなたですか?」

「通りすがりなのよ。で、恋してるの?」

「えっ?」

 戸惑った様子の女子高生。

 それはそうだ。いくらなんでも、質問の仕方があるでしょう。

 しかしそんな不審者的な行動よりも、イヤな予感が先行した。

 私も駆け出す。

「だから、あなた恋愛青春真っ最中なの? そうじゃないの? 誰かに恋い焦がれてるんじゃないの?」

「う、うう……」

「ねぇ、聞こえてるの? それとも言葉が理解できてない? 私が訊いているのはすごく単純な事――」

「きっ、きゃああああ!」

 反応は劇的だった。

 その女子高生が叫ぶと同時に、周辺にはが数本出現した。

 杭。――そうとしか表現しようがない。

 腕ほどの太さの棒きれ。鋭利に尖った先端。

「わ!?」

 そこで匕首絆根さんが悲鳴を上げたのは、私が足を払って転倒させたからだ。

 すかさず間に割って入る。

「来ないでえっ!」

 女子高生のさらなる絶叫を合図に、すべての杭が射出された。

 弾丸の如き亜音速。

 標的は私たちだ。

 避けられない。

 ――が、避ける必要もない。

 飛来した杭は、私に接触する直前で『迷い』、軌道を逸れて背後の建物へと突き刺さった。

 コンクリート壁程度なら簡単に貫いてしまうようだ。

「ずいぶんな威力だわ……」

「まさか、あれもリンクス?」

 走り去っていく女子高生と、建物に刺さった杭を交互に見やりながら、匕首絆根さんが起きあがった。

 次の瞬間である。

 

 と、気の抜けるような効果音と共に、杭の刺さった建物が姿を変えたのだ。

「はあ?」

「これはまた……、名状しがたい形だわね」

「なかなかセンスのある……能力なのよ……」

 呆れたように二人で見上げた建物は、すっかり様変わりしてしまっていた。

 例えるのなら、子供が粘土をこねて積み上げたような。

 それはそれは、前衛芸術的な形状だった。

「刺さらなくて良かった……」

 ぼそりと、匕首絆根さんが呟いた。



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 火車かぐるま穂実ほのみ

 女。満15歳。身長155cm、体重49kg。健康体。視力矯正なし。

 霞染かすみぞめ学園高等部1年C組。徒歩通学。成績は中の上。写真部所属。受賞歴等特になし。

 兄弟姉妹なし。両親と一軒家に居住。素行に目立った問題なし。基本的に物静か。

 切り揃えられた前髪の黒髪ロングがトレードマーク。整った顔立ちといえるが、瞳が大きめ。噂によると、同高校3年生の高峯たかみね嵐太らんたに片想い中のようだ。

「……というのが、ここまでで判明したあの女子高生ちゃんのざっくりプロフィールね」

 そう言って、匕首絆根さんは慎みの欠片も見せずに、ズコーッとファストフード店から持ち帰ったジュースを飲み干した。

「やっぱ恋か」

「そうみたいだわね」

 朝の出来事からざっと5時間後のお昼時。

 現在私たちがいるのは、匕首絆根さんが今日宿泊しているホテルの一室である。彼女は何故か、同じ場所に一晩以上継続して寝泊まりしない……という不思議な信条を貫いている。そのため、様々な宿を毎晩転々としているそうだ。話によると、知人の居宅に押し掛けたこともあるらしい。その通称オトモダチとやらには同情を禁じ得ない。

 さておき。

 あれから私たちは、かの女子高生――火車穂実さんの身辺を調査し、情報を収集した。

 半分以上は匕首絆根さんの好奇心が原動力ではあるが、私も興味をそそられたのは否定できない。実地調査はフットワークの軽い匕首絆根さんに任せ、私は少々心得のあるネットワーク情報からの解析を行った。それから、日本警察固有の超常現象対策課である警視庁資料編纂室の協力もちゃっかり仰いでおいた。さすがに、あんなに危険な野良リンクスを野放図にするわけにはいかない。

 私はイスに腰掛けて、机のみならず床にまで並べて広げた資料を見下ろす。向かい側のベッドの上には、食べ終えたファストフードの包み紙と一緒に、匕首絆根さんがあぐらをかいていた。

 彼女は、ストローを噛みながら意見を述べる。

「恋の相手が3年生って事は、もうすぐ卒業しちゃうのよ。だから焦っちゃってたってわけよ」

「その点については、噂しか情報源がないけど……、ひとまず間違いない、としておこうかしら」

「高峯嵐太君は、背の高い男の子らしいのよ。学校の委員会だかで手伝ってもらったのがキッカケ、みたいな」

「ふぅん……」

 お淑やかで目立たない女子高生が、ひょんな事で助けてくれた、背の高い爽やかな青年に恋い焦がれる。彼は3月に卒業してしまい、そうしたら離れ離れ……だから、焦るし、迷う。

 よく聞くような話だが、よく聞く話すぎる。

 何となく、ではあるが……情報に違和感は感じる。

 作り物めいているとまでいってしまうと、言い過ぎだろうが。

「何その意見。偽造情報ってこと? ここまで周到に? 一介の女子高生が? ありえなくない?」

「今のところ根拠はないのよ。現在に至るまで警視庁資料編纂室からも完全ノーマークだった対象が、情報偽造に関わってるとも考えにくいわ」

「あくまで、鶴辺千里の予感ってこと?」

「そう、私の予感」

「なら、予定調和かもしれないのよ」

「そうね。もし理由があるとすれば、彼女の特性――リンクス能力に鍵があるかもしれない――だわ」

 今朝目撃した、あの危険きわまりない能力。

「恋する杭打機、人呼んで“パトスドライバー”ね」

「どこのどなたが呼んでいるの?」

「私。いつまでも『彼女のリンクス能力カッコハテナ』じゃ呼びづらいから、名付けてみたのよ。情熱、すなわちパトスを打ち出すパイルドライバーだから、“パトスドライバー”」

「そう……値千金のネーミングね」

「なによう」

「素直な感想だわよ。その“パトスドライバー”についてもおさらいしてみましょうか」

「そうね。かったるいけど」

 匕首絆根さんが目を細めた。

 今朝の接触、それから資料編纂室からの報告も踏まえ、声に出して確認作業を行う。

「まず、『杭を生成し、射出する』だわね。太さは場合によるかもしれないけど、視認している限りでは成人の腕程度。長さは30cmくらい。速度は、見て対応するのでは遅いくらいだから――音速付近かな。そしてコンクリートを貫く程度の威力」

「ご丁寧にどうもなのよ。付け加えるなら、複数本同時に出現してたってのもあるか」

「ええ。そして二つ目。『杭の刺さった対象は変化する』。仮に変化、と呼んでいるけれど……」

「他にどう呼ぶのよ。あられもない姿に形状変化しちゃうのは見てわかるとして、調査報告によると、物質的にも多少は変化してるみたいなのよ」

「とはいえ、地球外の物質になるわけではない」

「そ。まぁ、混合物になるみたいな? 例えば今朝変化したビルの素材は、コンクリートと鉄とガラスが主成分だったけど、変形後はそれらがブレンドされちゃってたらしいのよ。ムラがアリアリだけどね」

「とりあえずは、『変化』と、まとめてしまいましょう」

「異論なし」

「そして特記すべき三つ目。『杭を射出すると、彼女の』」

「最重要ポイントなのよ」

「ええ」

 そう。

 今朝、目撃した時点では膨大な『迷い』を抱えていた火車穂実さんだけど、“パトスドライバー”を発動した直後にはその『迷い』が減少していた。最初は見間違えかとも思ったけれど、匕首絆根さん曰く『焦燥』の炎も減少していたらしいので、ほぼ間違いないだろう。

「まさか、新手のストレス発散方法だったりするわけ?」

「発想としては外していないかもね」

「迷惑千万なのよ」

「あなたはそれを言う資格がないかも」

「私が迷惑な存在なのは自覚しているのよ。改めようという気が無いだけでね」

「そこまで含めてはた迷惑だわ。にしても」

 おさらいがひと段落ついたところで、私は改めて独り言ちるようにした。

「恋する杭打機、ね……」

「なによ、随分ネーミングに突っかかる奴なのよ」

「いえ、恋と杭って似てると思ったのだわ」

「どこが? 響きが? 『Koi』と『Kui』ってこと? ダジャレというにもおこがましくない? 略して恋打機ってわけ?」

「確かにダジャレ未満だけど、近い響きで関連を想起させるという点では、必ずしも無意味ではない考察かもしれないわ」

「ふむ……」

 匕首絆根さんは頬に指をあてて首を傾げた。

「じゃ、恋バナでもしてみる?」

「恋のお話? いいわよ」

「え、いいのぉ?」

「恋について掘り下げてみる試みとしては悪くないと思うのだわ」

「え、え、まさか? あろうことか鶴辺千里が恋バナ? どんなお茶の間企画?」

「あろうことかって、あんまりだわ」

「いや、え、でもお前……恋とかするの? 人間的というか動物的というか、そんな感情を抱いたりするの?」

「したことあるわよ」

「今日一番の驚きいただきましたー!」

 大騒ぎの匕首絆根さん。

 大はしゃぎと表現した方が妥当だろうか。

 どちらにせよ、失礼な話である。

 彼女は身を乗り出すようにして聞いてきた。

「で、ねえねえ。今まで何人と付き合ってきたの?」

「二人ね。どちらも学生時代」

「最長交際期間は?」

「1年……弱かしら」

「わぁお。結構長続きね。何で別れたの? あ、ごめん。今はフリーって前提で話しちゃってるのよ」

「それで間違いないから構わないわ。別れた理由は……」

 当時を思い出して、少し宙を見る。

「……確か『お前と俺とじゃ釣り合わない気がする』って言われたんだったわ」

「なぁにそれー。振られじゃん」

「振られよ。どちらもそんな感じ」

「えー。鶴辺千里的にはそれで良かったの?」

「仕方がないって感じだわね。いつものことだけど、いずれ一緒になる相手だったらそのうち出会うだろうし、そうでないのなら遅かれ早かれ道を違えてたでしょう」

「迷っていても答えは出ている。なーんか、別に特別扱いじゃないのね。恋に関しても」

「愛に関しても、ね。私にとっては日常の茶飯と相違のない現象だわよ。起きる時は起きる。起きない物は起きない」

「わかる」

 あら、意外と共感を得られる話だったのかしら……と思ったが、思い直した。というのも、匕首絆根さんは相手の方に共感していたからだ。彼女は人差し指をこちらに向けてきた。

「お前のそういう態度が、釣り合わないって思わせたのよ。明らかに見ている世界が違うというか、存在しているレイヤーが違うというか」

「そうかもしれないわ。で」

「で?」

「あなたはどうなの? 匕首絆根さん」

「あー、私かぁ……」

 彼女は、ベッドに足を投げ出すようにしてから頭を掻いた。何かを思い起こすように顔をしかめている。

「人数覚えてないのよ……じゅうご……ろく……20は行ってないと思うんだけど」

「相手の数? 随分多いのね」

「まぁ、私の場合その場のノリで付き合うとか決めてたからさぁ」

「成る程」

 そんな感じ。

 口には出さないけど。

「最短交際期間は半日」

「1回に数えていいのかわからないくらい極短ね」

「別れた理由は全部『お前にはついていけない』だったのよ」

「でしょうね……。普通の人が時速で生きているところを、秒速で生きてるようなものだもの、あなた」

「恋愛とか飽きちゃったから、ここのところはからっきしなのよ。ていうか、人間相手が飽きた」

「あなたも存在のレイヤーが違うみたいね」

「だってリンクスじゃん?」

 予想はしていたけれど、この二人で恋バナというのがそもそも不毛だったのかもしれない。

 全然盛り上がらなかった。

「どうやらこのアプローチは不発だったようだわ」

「ざんねーん。じゃ、次は?」

「次は――『Koi』ではなく『Kui』の方かしらね」

「杭ね……」

 何故、“パトスドライバー”は杭として顕現したのか。

 自身を含めたところでそれほど多く具体例を知っているわけではないけれども、リンクス能力には大抵それなりの理由がある。抽象的な概念を物理的に扱えるというのがリンクスの特徴だと先述したが、そこに顕れる物理現象は、該当する抽象概念に深く関与している。

 つまり、『迷い』に対して『迷路』という形が与えられ、『焦燥』に対して『身を焦がすような炎』が与えられたように。

 逆説的に、引き起こされる物理現象を読み解けば、根幹となる抽象概念をある程度特定することも、理論上は可能である。というか、リンクスに対処するためには、その特定が肝要だ。

 それでは。

『杭』が顕現する裏には、どんな『概念』が隠れているのだろうか。

「うーん。杭、杭。くいくいくいくい……。釘、楔、突き刺す、貫く、止める……」

 匕首絆根さんが腕を組んで唸りはじめた。

「そう、止める。杭打ちといえば、基礎工事に属するわ」

「あー、そうだっけ」

「杭打機を引き合いに出したのはあなたでしょう」

「そうだけど。私のイメージはむしろ、マンガやアニメに出てくる仮想武器としての杭打機だったのよ」

「成る程だわ。家や建物を建てるに当たって、目印や支柱として打ちつけるのが杭。よく似ているけれど、楔の方は、物をつなぎ止めたり、石などを割るときのヒビ入れとして使うわね」

「あれはどっちなの?」

「断定はできないけれど……直観して直感した限りにおいては、やっぱり『杭』の方だと思うのよ」

「基礎工事……支柱、目印か……よし」

「よし、って?」

 彼女はすっくと立ち上がった。

「火車穂実ちゃんのおうちに行ってみるのよ」

「あなた、午前中に立ち寄ったって言ってなかった?」

「うん。あのときは何の変哲もない家だって思ったけれども。『杭』が基礎工事っていうなら、建物が関与してるってことじゃん? 学校って線も濃いけど、まずは家でしょ」

「それは早とちりでは……」

「現場百編なのよ」

 話しながらも靴を履き、颯爽と扉を開く。

 単純に話し合いに飽きていたのかもしれないけれど、フットワークの軽い女性だ。気を逸らしているとすぐに見失ってしまいかねない。

 仕方がないので、私も手早く追いかけた。

 かくして、火車穂実の居宅へ向かう。



 △    △    △



 瓦礫の山である。

 しかも所々が焼け焦げ、灰になっている。

 火災現場と見紛うばかりの惨状が広がっていた。

「んー、何も起きないし、何も残ってないのよ」

 惨状を引き起こした本人はどこの吹く風で、現場見聞を進めていた。

 誰であろう。いうまでもなく、匕首絆根さんである。

 私はただ呆れるばかりだったが、やっとのことで我を取り戻し、敷地の外から声をかけた。

「本当、後先考えないのね……」

「えー? だってこっちの方が早いじゃない?」

「早い遅いの問題なのかしら」

 ため息。

 軽く回想を入れておこう。

 私と匕首絆根さんは、火車穂実宅へ一緒に向かい、特に障害もなく一緒に到着した。もし“パトスドライバー”の根幹に彼女の家が関係しているのであれば、特殊な『杭』かそれに類する物があるのではないか、という予想だ。そして、目的地を前にした匕首絆根さんは、出し抜けにこう言った。

「家の中を逐一探索するのもかったるいし、丸ごと解体しちゃえばよくない? そしたらいっぺんに解決するかもしれないし」

 呆気にとられるとはこのことだ。

 止めようとも思ったが、彼女は間髪入れず臨戦態勢に入っていた。

 トレードマークのロングマフラーが優雅にほどかれ、彼女の『焦燥』によって青白く燃え盛る炎の槍へと変換される。鬼神のごとき動きでそれを振り回しはじめたら、もう手を出すことはできなかった。哀れ一般居宅はお豆腐のように焼き斬られ、崩壊した。

 私はよく「迷っていても答えは出ている」と言うし、その意味は「遅かれ早かれ行き着く結果は同じ」ということだけど……さすがに、横着が過ぎるのではないだろうか。

 過ぎてしまったことは仕方がないけれど。

「ないわ。見当違いだったのよ」

「はたして、その一言ですませてよい事態なのかしら」

「仮説が間違っていた、ってことがわかっただけでも前進でしょ」

 私は肩をすくめる。この場面では、そうする以外にふさわしいボディランゲージを知らなかった。

「あなたに陣頭指揮を任せちゃだめね。味方が全滅しても、『強敵だということがわかっただけ前進した』で済ませちゃいそう」

「そうね。そもそも私は隊列を組む必要がないもの。さて、『What's next?』なのよ」

「次、ねぇ……」

 順当かつ常識的に考えれば、今するべきは彼女を機動隊に引き渡して拘束してもらうという行動なのだろうが、それを言い出したらどうしようもない。気持ちを切り替えよう。

 選択肢は、仮説の検証を続けるか、別の仮説を打ち立てるか。

 先の仮説――建築物に『杭』の本体が紛れ込んでいる、というもの――を棄却しないのであれば、火車穂実さんに関係のある建物を順に調べることになるだろう。そうなると次点は、彼女の通う霞染学園高等学校の学びやだろうか。あるいは、彼女にとって強い思い入れのある場所があれば……。

 そこまで考え、私は口を開いた。

「そうね。彼女のプロファイルの中に……」

「あ」

 ところが、早くも遮られる。

 私の背後に火車穂実その人が立っていたからだ。

「――!」

 振り返る暇はあれど、隠れる時間もなければ、場所もなかった。何せ目の前には家一軒分の更地と瓦礫の山しかないのである。むしろ彼女の接近に気づけなかったことが不思議でしかない。

 火車穂実は、自身の居宅の成れの果てを凝視していた。

 驚愕の表情。

 膨れ上がる戸惑いと焦り。

 そして、轟く絶叫。

「きゃああああああああああああ!」

 ぶわっ。

 杭。

 視界を埋め尽くさんばかりの、杭の群。

 彼女を中心とした周囲に大量の杭が顕れ、浮遊し、居宅のあった敷地へと向けられた。

「げ……っ」

 あまりに異様で威容な光景に、さしもの匕首絆根さんも青ざめた。

 私は間に入るべく走り出すも、遅い。

 次の刹那、杭の群は一斉射撃された。

 まるで真っ黒い台風。

 ドスドスドスドスッ!

 容赦なく杭が瓦礫と地面を抉ってゆく。

 私に命中しそうな杭はかろうじて軌道が逸れるが、匕首絆根さんの体を数本がかすめ、鮮血があふれ出す。

「伏せて!」

「ぐっ、うぅ!」

 彼女が反射的にとったのは、伏せるのとは真逆の行動だった。

 庇おうと私が伸ばした腕を、がっしりと掴まれる。

 直感で意図を理解し、握り返した。

 匕首絆根さんの踵から、青白い閃光がはじける。

 跳躍。

 私ごと高々と跳ね飛び、隣家の屋根へと着地した。

 お互いに素早く身を屈めつつ、真下の光景を確認する。

 が。

 杭は追いかけてこなかった。

 一通りが空き地に打ち込まれ、悲鳴も止み、静寂が訪れる。

「何故――?」

 傷口を手で押さえながら、匕首絆根さんは誰にともなく呟いた。

 何故追いかけてこないのか。攻撃意図は何なのか。そもそも何故唐突に火車穂実はやって来たのか。束の間の安堵と共に、疑問が噴出する。

 呼吸を整えようと、深く息を吸った時。

 

 例の、気の抜けるような炸裂音が目の前で鳴り響いた。

 

 連発。

 しかし音よりも驚くべきことがあった。

 火車穂実の居宅が、魔法のように再構築されていったのである。

「“パトスドライバー”……」

「すっご……」

 今や、目の前の火車宅には傷ひとつなく、最初に見たとおりの状態だ。目を向けてみれば、火車穂実自身からも『迷い』や『焦り』は雲散霧消していて、すっかり『元通り』といった風だった。

 彼女は至って普通に、今まで何百回もそれを繰り返してきたというような当然の様子で、家の鍵を取り出し、自宅の扉に差し込んだ。

 がちゃり。

「……ただいまー」

 ばたん。

 扉が閉じ、窓に明かりが灯る。

「…………」

 私たちは顔を見合わせるしかなかった。



 △    △    △



 私は、『マヨヒガ』という都市伝説フォークロアに踏み込んだことがある。

 とはいっても、『マヨヒガ』を知らない人にとっては意味をなさない告白だろうので、まずはそこから説明する。元を辿れば『迷い家まよいが』とは、日本の東北地方、遠野に古く伝わる逸話だ。迷い込んだ者に、ある時は富を、ある時は貧を与えるという幻の家。私と同じ『迷い』を司るという点では興味を引かれる物語だが、よくある昔話の、数ある形態の一つでしかないともいえる。

 一方で、ここ暦市に生じた『マヨヒガ』は、その伝承にちなんでいるようで子細は大きく異なっていた。

 そこは異世界。

 あるいは平行世界と表現した方が、SF小説物のようで理解しやすいだろうか。

 一人のリンクスが――一介の女子高生が『創造』した、紛い物でありながら本物の、この世とは異なる空間と物質と物理法則。つまるところ、世界を丸ごと創ってしまえるほど埒外な空想具現化能力の、その発露。なんでも『彼女』の思い通りになるはずの『世界』。それが『マヨヒガ』と呼ばれる領域だった。

 リンクスを人間ではなく現象として捉えるのならば、異世界へ通じる『門』が『彼女』の形をしていた……と、そう表現するのが妥当なのかもしれないけれど。

 さておいて。

 事件自体はほどなくしてひとまずの収拾をみたものの、『マヨヒガ』の話はこれで終わりではない。『彼女』の能力と同じものを再現しようとする人物が現れたのだ。再現者は、一児の母であり、研究者だった。研究というのは再現性をいつでも重んじる。

 研究の対象は、『』。

 願望、切望、すなわち欲望。

 人の持つ純粋な黒さが、色と形と力を持ったもの。

 再現者は、異世界への『門』として『心の澱』が物理的に利用可能な物質であると仮定し、実験を敢行したのだ。

 整理をしよう。

 研究計画はこうだ。

 人が誰しも持つ、願いの力。裏を返せば欲望。あまりにそれが過ぎれば、『澱み』として心に沈殿する。この『心の澱』を抽出して十分に集積すれば、疑似『マヨヒガ』を作ることができるのではないか。純正『マヨヒガ』との違いは、複数で成すか、独りで成すかだけだ。

 研究結果も非常に気になるところだろうが、さすがに長々としてきたので、大事に至る前にこれもまた落ち着いたと記すにとどめよう。

 今重要なのは、どうしてこんな話をするかということ。

 それは、似ているからだ。

 あの『杭』は、『心の澱』によく似たをしているのだ。

「……『マヨヒガ』ね。うん、私も行ったことがあるのよ」

 火車宅の隣家の屋根の上。

 匕首絆根さんは自身の傷口を治しながらそういった。

 ……などと簡単に書いてはいるが、傷口が青色の火を噴いて焦げるような音とともに治っていく様は、超常現象リンクスならではだろう。『焦燥』で裂傷を焦がして癒着するという、強引としか思えない手法だ。

「黒ね。黒。確かに、黒いのも何度か見てるのよ。そういえば」

「ええ。似ていない?」

「似てはいるけど、だから何? まさか“パトスドライバー”が『マヨヒガ』だとでもいうの?」

「まさか。直接そのものだとは思わないだわ」

 さすがにあんなリンクスがごろごろしていたら、世の中は今の形状を保っているだけでも難しいだろう。

「とはいえ、関連性はある」

「要するに、鶴辺千里。お前は“パトスドライバー”のからくりが読み解けたってことなの? 私のダメージと引き替えに」

「そんなところだわ。あなたのダメージはそれほど関係がないけれど……あえて指摘すれば、『杭』が掠ったのに、あなたは少しも『変化』していないわよね。それが着想かな」

「言われてみればそうなのよ」

 彼女は自分の体を確かめるような素振りをした。

 刺さった箇所、手足、胴を確かめ、自分では見えないからかちょっと眉根をひそめつつ、顔を触る。あえて指摘されていないからには変化していないのだろう、と判断したようで、頷いてみせた。鏡を取り出す手間を惜しむあたり、さすがだ。

「あくまで予想でよければ、順を追って話しましょうか」

「待って」

 私を遮って、匕首絆根さんは起立した。

「血を流しちゃったし、肉よ」

「肉?」

「肉を食べるのよ」

 というわけで。

 夕食時には少し早いが、奇しくも彼女からディナーのお誘いを受けたのだった。



 △    △    △



 じゅうじゅうと、シズル感溢れる音。

 香ばしく焼かれた牛肉の上で、煌めくワイングラスが控えめにキスをする。

 私一人では到底近寄らないであろう、高級なステーキ屋さんだ。匕首絆根さんの行きつけだそうで、彼女は自宅にいるかのように鷹揚と振る舞っている。彼女は自宅という概念を持ち合わせていないそうだけど、裏を返せばどこでも自分らしく振る舞えるということなのかもしれない。

 豪快にカットしたお肉を口に運び、彼女は舌づつみを打つ。

「ん~、やっぱココのは美味しいのよ。レア具合が最高!」

「ええ。たまにはこんな贅沢も良いものだわ」

「さてさて。私の気分が良いうちに、さっさと推理をご披露願いたいのよ」

「了解だわ」

 私はナイフとフォークを置き、ワインで唇を湿らせる。

 どこから話すのがわかりよいだろうか。

 しばしの黙考。一拍置いてから、私は言葉を紡いだ。

「……そうね、気分。気持ちの話から入りましょうか」

「うん?」

「気持ちは変わるものだわ」

「そりゃそうだ」

「そして恋心も、いってしまえば気持ちよね」

「確かに、ね。コロコロ変わるものなのよ」

「人は気持ちが時と場合によって変化するから、後悔もする。変わってしまった想いに対して、『悔い』を抱く。とりわけ恋愛感情に関しては、ね」

「……『悔い』」

「ええ、『くい』」

「まさかまた駄洒落? 『杭』とかけてるんじゃないでしょうね」

 怪訝そうな匕首絆根さんの表情を、私は受け流す。軽くウィンク。

 そうしたら、彼女の目つきは人殺しのように鋭く尖った。

「からかっているわけじゃないのだわ。そう考えれば、“パトスドライバー”のロジックはシンプルに理解できる」

「『杭』ではなく、『悔い』を撃ち出していると考える?」

「そう。気持ちが変わってしまったという『悔い』を外に撃ち出す――放出することで、自分の気持ちは『変わらなかった』ことになる。一方で、『悔い』を押しつけられた方は変化してしまう」

「言い換えれば、『変化』を他者や他物へ押し付ける能力……結果として、自身を一定に『保つ』というリンクス……」

「ええ。それが火車穂実の行ってきたこと」

 思い起こしてみれば分かりやすい。

 彼女が“パトスドライバー”を展開したのは、感情が変化するきっかけを与えられたとき。迷いや焦りが募り、しかも見知らぬ人にその悩みを指摘されたとき。帰るべき自分の家が、無惨に破壊されていたとき。

 そして“パトスドライバー”が展開したあと、彼女は心の平穏を取り戻している。何も変化がなかったかのように振る舞っている。

「“パトスドライバー”が執拗に私たちを狙うことがなかったのは、狙う必要がなかったからだわ。殺したり、壊したり、変化させるのが本質なわけじゃない」

「自分が変化しなければいい。今までの延長線上を生きていければそれで満足ってこと……。成る程なのよ」

「ストレス発散という指摘は、ある意味正解だったわけだわ」

「ふぅん……」

 匕首絆根さんは、話を反芻するようにぶつぶつと小声でつぶやき、首を傾けた。それからステーキの付け合わせを口に放り込み、ワイングラスを一気に空にする。

「でも、わからないのよ」

 いささか乱暴にグラスを卓上へ戻し、彼女は言った。

「“パトスドライバー”の内実の解釈はそれで良しとして、派手な影響を及ぼすものってことに変わりはないのよ」

「心的変化を物理的変化として押し付ける能力だからね。見方によっては、あなたより派手だわ」

「そう! そんなド派手な奴が、どうやって今まで隠遁生活してきたっていうのよ? 平穏無事なのって、火車穂実ちゃんの精神だけでしょ。長期で見たら被害を拡大するだけの歩く災害よ。まー、ヒトのこと言えた身じゃあないけどね」

「仰るとおりだわ。だから、ここからの話が本題」

 お肉にナイフを入れて、一切れを口に運ぶ。

 咀嚼。

 嚥下。

 ゆっくり味わっていると、様子を眺めていた匕首絆根さんが、待ちきれなくなったように問いかけてくる。

「――つまり?」

「つまり、何故、火車穂実は私たちと出会ったか」

「出会った? いかにして隠れおおせられたかじゃなくて?」

「ええ。彼女の能力――“パトスドライバー”は、私やあなたの能力とは似て非なるもの。一線を画す部分がある。そこが糸口だわ」

「……」

 数度の瞬き。

 それから、匕首絆根さんは指を立てて指摘した。

「……方向性。能力の方向性。……私もお前も、リンクスとして備わった力をどう使うかで工夫する。すなわち、道具が先。けれども“パトスドライバー”は逆。目的のために道具が備わった印象。つまり、目的が先なのよ」

「同意だわ」

「この恋がずっと続けばいいのに……って、感じ」

「作り物めいてる。といったら言い過ぎかしら?」

「資料を集めたときも、お前は似たようなことを言ってたのよ。そういえば」

「つまるところ、“パトスドライバー”は限定的な空想具現化能力。理想を実現する能力なわけだわ」

「それは――ああ。『マヨヒガ』のような」

「ええ。それも指摘したでしょう」

「うーん……?」

 匕首絆根さんが手のひらをぱたつかせる。

 呼ばれたウェイターが席に近づき、彼女のグラスにワインを注ぎ足していった。ついでに私もスパークリングウォーターを頼んだ。

 席を離れていくウェイターの背を見送りながら、匕首絆根さんは足踏みをした。

「『マヨヒガ』との共通点。『杭』の色と、空想具現化という能力。ここまではいいけど、まだ今一つピンとこないのよ。イライラする」

「どうどう。彼女が“パトスドライバー”をいかにして隠し続けられたのか、という問い。その答えが、隠す必要がなかったから、だとしたら……」

「答えになってなくない?」

「だから問いかけ自体が違うのだわ。何故、火車穂実は私たちと……」

か――ああ!」

 こつん。

 匕首絆根さんが机を小突いた。

 普段は細く切れ長な目が、大きく見開かれていた。

「そうか。出会う前はなかった。!」

「火車穂実自身が具現化された――」

 そう。

 火車穂実を取り巻く物事ができ過ぎのように感じられたのは、そういう風に作られたから。

 作り物めいている、という表現はやはり適切ではなく、彼女自身が実際に作り物だった。

「でも、誰が……いや待って。――もしかして、私たちってこと?」

「ええ。私たちこそが彼女の創造者」

「それは荒唐無稽も甚だしい話なのよ」

「とはいえ、予感はそう告げている。そう考えると納得できるところも多いのだわ」

 火車穂実という名前。火。匕首絆根の『焦燥』の炎。

 背の高い意中の相手。女性にしては高身長の鶴辺千里。

 女子高生というモチーフ。『マヨヒガ』の作成者は女子高生だった。

 そして、噂をすれば影が差すといわんばかりに、唐突に私たちのもとへ現れたという疑問点。火車穂実の過去も性質も存在も、今朝目撃したあの瞬間に創造されたものだとしたら……。

「私とあなたというリンクスが『同時』に彼女を見つけた。というより、私たちの意識が交差した場所に、彼女の『像』が結ばれた。だから、私たちは彼女と出会った」

「そうやって言い切られちゃえば、納得感が湧かなくはない。……けれど、おかしいポイントも依然としてあるのよ。私にもお前にも、空想具現の力はないに等しいでしょ。ただ概念を物理現象として扱えるだけ。仮に、リンクス同士の干渉が生んだ特異的な例外現象だったとしても、以前会ったときは、こんなことなかったのよ」

「『マヨヒガ』だわ。以前会ったとき、あなたはまだ『マヨヒガ』に招かれていなかった」

「……そこを訪れることがキーだというの? 訪れることで能力を授かるとでも?」

「授かるなんて表現するほど、素晴らしいものじゃないだろうけれど。心残りくらいはあるんじゃない?」

「心残り……」

「あるいは、『心の澱』。私たち自身のものではなかったとしても、『マヨヒガ』は『心の澱』が集められた場所であり、そこの住人は『心の澱』でできていたのだとしたら。そこで呼吸し彼らと触れ合うことで、そのモノは取り込まれてしまったんじゃない? ――私たちの心に居残る『悔い』として」

「くい……」

「まとめましょう」

 人差し指を、そっと自らの唇に触れさせる。

「私とあなたという、力を持ったリンクス同士が、今朝たまたま出会った。しかもお互いに『マヨヒガ』の断片を知らず知らずに持っていた。その空想具現化の能力は、リンクスの相互干渉をきっかけとして発動し、像を結んだ。『マヨヒガ』が抱いた心残りの念を核に、私たちの性質や記憶を殻にして――女子高生、火車穂実としてね。宿した能力は“パトスドライバー”。『悔い』を『杭』として打ち出し、心的変化を物理的変化として押し付けるというもの。彼女は、『マヨヒガ』が望んだように、終わらない片想いの恋を生き続ける」

 このままだとね。

 そう結び、私は語りを終えた。運ばれてきたスパークリングウォーターの冷たい刺激を口腔内で楽しむ。

 一息。

「こんなところだけれど、いかがかしら?」

 私からの予想は話し終えたので、匕首絆根さんに所感を尋ねてみる。

 彼女は少し考え込むようにグラスを弄んでいたけれど、やがて気が済んだようで、机に置いた。こちらを向いて、柔らかく頷く。

「成る程なのよ」

 とだけ。

 言葉短く告げると、彼女は傍らのナイフを手に取った。

 ステーキ肉をカットするために用意された、銀色の輝き。

 無造作に。

 しかし流れるような所作で、彼女はソレを私に突き刺す。

 あまりにも自然に。

 

 私と彼女目が合う。

 確信と焦燥に満ちた瞳。わかっていても、避ける暇がなかった。

 服を裂き、皮膚を破り、肉を切り、骨の隙間を通り、心臓へと刃が吸い込まれる。

といえば、童話や伝承ではよね」

 静かな台詞。

 仕方がない――起きるべきことは、起きる時に起きる。

 私の鮮血がテーブルを彩った。



 △    △    △



 そこからの展開は急転直下だ。

 結論から述べると、私は死なずに済んだ。

 幸いなことに。

 匕首絆根さんは、私にナイフを刺すと同時に、傷口を『焦燥』の炎で治療してくれたのだ。

 例の『焼いて焦がしてなかったことにしてしまう』リンクス式の治療である。血しぶきは舞ったが、大事はない。一応私は血友病を患っているので、即座に治してもらえたのはありがたい。……というか、「それなら初めから物騒なことをするな」と指摘したくなるものだが、別に彼女も無意味な行為をしたわけではない。

 私の胸元に突き立ったナイフは、心臓に達した先からみるみると黒々く染まっていった。あの『マヨヒガ』の色彩である。有機的で悪夢的な漆黒が、あっという間に銀色を塗りつぶし、“パトスドライバー”の『杭』にそっくりの物体へとナイフを変貌させたのだった。

 上記の様子を見届けつつ、匕首絆根さんはこれまたいささかの躊躇も見せずに、反対の手に持ったナイフを自身の心臓へと突き刺した。同様の現象が再現される。蛇足だが、もちろん彼女自身の傷口に対しても治療は行われていた。

 そうして生じた、真っ黒い『杭』が二本。

 恐らくこれが、火車穂実の本体であり、“パトスドライバー”の源。

 人情的には何かしらの感慨を挟むべきなのかもしれなかったが、発生してからわずか半日足らずのできごとだ。お互いに無言のまま目配せするだけで、処分は決まった。

 しめやかに焼却。

 土は土に、灰は灰に、塵は塵に。

 その後、追って警視庁資料編纂室から連絡があった。予想に難くなかった内容は、火車穂実がその記録や記憶ごと消失したらしいというもの。意外だったのは、彼女の意中の相手である高峰嵐太は実在の人物だったということか。きっと私か匕首絆根さんがどこかですれ違っていたのだろう。

 ちなみに解決のためとはいえ、こんな乱暴な手段を講じたのだ。被害が全くなかったわけではない。

 具体的には、突き刺す場面を目撃してしまったウェイターさんにショックを与えてしまった。

 今にも警察か救急車を呼びそうだった彼をなんとかなだめ、テーブルマジックだと懸命に言い訳をした。誤魔化しはできたものの、私たちの心象といったら最悪である。匕首絆根さんは普段から豪快な人なので、かろうじて理解は得られたみたいだ。いや、巻き込まないでほしい。

 彼女への文句は、「物騒なことをするな」ではなく、「時と場所と手段は選べ」というのが正しいだろう。

 さておき。

 ややマッチポンプじみた事件が解決を見て、次の日。

 昨日と同じ時間、昨日と同じ場所に、匕首絆根さんは座っていた。

「どうも。おはようだわ、匕首絆根さん」

「ん。鶴辺千里じゃないのよ。おはよう」

「また会ったわね」

「えっと、なんだっけ。そう、のよ。だから来た」

「成る程だわ」

 天気までも昨日とそっくりで、焼き増しのような雰囲気の今日だけど、彼女とのやり取りは比較的穏やかだった。

 飽きられたのかな?

 などと邪推しつつ、隣に腰掛ける。

「昨日の缶コーヒーはもうないの?」

「そういうと思って、持ってこなかったわ」

「予想しておきながら持ってこなかったの?」

「一応商品だもの。きちんと購入して頂戴」

「ちっ、餌付けしやがって……」

「もしかして缶コーヒーのお礼に、昨晩は助けてくれたのかしら?」

「は?」

 本気で分からなさそうな様子で、匕首絆根さんは首をひねった。

「……私を凌駕するのがあなたの人生の目的だとか、風の噂に聞いていたのだけれども。あのまま殺すこともできたはずでしょう?」

「ああ、あー。そゆこと。んー」

 彼女は、今度は唇を尖らせて唸るようにする。

「別に……鶴辺千里を殺すことが、凌駕することになるとは考えてないというか……。もっと他の何か。戦闘に限らず……こう、存在力で勝つとか超えるとか、そういう感じの話なのよ」

「殺してしまうと、もう凌駕することもできないってことね」

「ま……そんな感じなのよ」

「ふふ」

 異なった視点から見れば、それはある種の憧れと受け取れるかもしれない。

 現在の自分では、手に入れることができない。到達することができない。目標としての越えるべき壁。

 ともするとそれは……恋心にも似通っている。

 だからこそ、火車穂実は恋する乙女としての設定がしっくり来たのかも。――なんて、匕首絆根さんに告げたら、今度こそ殺されてしまいかねないけれど。

 ただ……、壁というのは本来越えるべきものではなく、仕切るためのものだ。すなわち壁がそこに在ると感じるのであれば、領分や分野が違うのだと認識するのが妥当だともいえる。壁を越えたり破壊してしまうのなんて、冷静に考えれば規則違反であり、犯罪者の行いである。例えば、迷路の壁を無視できてしまったら、迷路にすらならない。ゲームとしても遊べない。

 私が言うなって話だけれどもね。

「そう、迷路なら……」

「うん?」

「もしも迷路ならば、話はとても簡単だと思ったのだわ」

「鶴辺千里じゃなきゃあ出てこない台詞なのよ。何の話が簡単なのよ?」

「世の中のあちらこちらにある、それぞれの話がね。昨日の一件についても」

「昨日の件は落着したでしょ。それとも何? エイリアンシリーズみたいにしつこく続編が出てくるわけ?」

「そうとも、そうじゃないとも、限らないじゃない?」

「要領を得ないのよ。謎解き編は終わったはずでしょ。これ以上私をイラつかせて、今度はどこを焼き払いたいのよ?」

「本当に沸点低いわね、あなた」

 つい失笑してしまう。

 それで彼女はますます苛立ったのか、貧乏ゆすりを始めた。

 出火しないうちに、と、言葉を繋ぐ。

「ほら。迷路には始まりと終わりがあるでしょう。けれども、世の中の多くのことは、始まりも終わりもあやふやだわ。終わったようで始まるし、続いているかと思えば途切れていたり、かと思えば、宇宙なんて始まり自体が闇の中だわ」

「そりゃーまー、確かにね。完結したと思われるバック・トゥ・ザ・フューチャー3のさらなる続編だって、もしかしたら作られるかも」

「BTFは流石に完結しすぎでは……あ、いや。アニメとゲームで続編があるって聞いたことあるわ」

「マジ……? 今猛烈にレンタル屋さんへ駆け込みたくなったのよ」

「一緒に観る?」

「冗談」

 二人とも肩をすくめる。

「で、続きは?」

「そうね。世の中を、人生を、諸問題を、『迷路』として見做せるリンクスとしての私――“アラインメイズ”は、始まりと終わりを『定義できる』能力。そんな解釈もできるのだわ。そしてそれは、ヒトという自我だけが持てる概念でもある」

「ふぅん……」

「対してあなたの“イグニッション・チョーカー”は、『焦燥』を炎として見做す能力。たった今、この瞬間だけをどう突破するか――そのために燃やされる情熱。あなたは、始まりも終わりも関係なく、誰よりも過ぎ行く『今』に対して真摯だわ」

「――つまり?」

「つまり、私が頼んだあの二人とコトに当たるのには、あなたの方が適している。映画でいえば、あなたは登場人物になれるけれども、私はオチを知りうる観客でしかないもの」

「ふぅん。昨日の問いの続きだったわけね」

「そうね」

 匕首絆根さんは、足を組み替えて肘をつく。

 彼女と私とでは、対になっているようでジャンルが違う。その間に横たわる壁は、芸道の段のように上下を仕切るものではなく、彼我の領分を定める境界なのだと思う。加えるのなら、本来その領分こそ曖昧なもので、人は間を行き来しながら生きているのだと思う。

 ただ、私たちは――リンクスは、行き過ぎてしまった存在だ。

 互いに異なる領域を突き詰め過ぎてしまい、開いた距離が壁として感じられる。

 それだけのこと。

「……絵を思い出したのよ」

「絵? ――そういえば、あなたの表の仕事は絵描きさんだったわね」

「まあね。――絵は、誰かが完成だと定義しない限り終わらない。ま、創作活動全般がそうかもしれないけれどね。そして描いてる時間自体が、充実でもあるってこと。早く終われと願いながらも……」

「その例えなら、私は美術館の人間だわ」

「はん、目利きが偉そうに」

 吐き捨てるように言いつつ、不敵な笑みを浮かべて、彼女はベンチから立ち上がった。

 そんな、ちょっと目を離したら駆け出してしまいそうなところを引き留める。

 彼女はいつでも唐突だ。

「ねぇ、お願いを一つしてもいい?」

「ん?」

「喫茶『Undecimber』の壁に、絵を描いてくださらないかしら?」

 

 ふと日常に走ってしまった亀裂を、悔いなく塗りつぶせるような。

 とびきり情熱的で、アツいのを一枚。

 

 

 

(終)

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概念迷宮と焦熱地獄 梦現慧琉 @thinkinglimit

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