概念迷宮と焦熱地獄
梦現慧琉
ふたりの接触
チリチリと首元を焦がす、蒼い炎。
身も心も凍らせるほどに冷たく、何もかもを焼き尽くすが如く熱い。
とにかくこのままではいけない、直ちにどうにかしなくてはならない――そんな感覚を、人は『焦燥』と呼ぶ。
私は物心ついた時から、『焦燥』に駆られ、『焦燥』に後押しされながら、『焦燥』のままに生きてきた。
ここではないどこかへ。
どこかここではないところへ。
そうすれば、きっと何かが、どうにかなる。
で、どうなったかって?
どうかなってしまった。
いつしか、『私』は『焦燥』であり、『焦燥』が『私』になっていた。
自分のも他人のも関係なく、『焦燥』は私にとって実体となり、手に取って弄べ、その炎は物理的に焦がし切る力を得た。
しかし、それでも。
世界は依然として何も変わらず、ただ『焦燥』の炎は煽られ、燃え盛る。
私は何も達成できないままで、ただ――焦り続けるだけ。
▽ ▽ ▽
といったところで、その前にまず、私の“イグニッション・チョーカー”について説明しなくちゃいけないか。
世の中には、人としての器を越えてしまい、概念を現実的に弄ぶ存在がいるのよ。簡単に単純に分かりやすくいえば、それは超能力者ね。――リンクス、と、裏の界隈では呼ばれているのよ。
私はその中の一人――いや、一現象と呼んだ方が妥当かな。人の抱えている『焦燥』を、首元に燃え盛る青い炎として、視認できる。操作もできる。そして私自身――『焦燥』を物理的な力としてとらえている。
大体人間なんてものは、一つや二つ常に焦燥の種を抱えていて、多かれ少なかれ首元から出火しているものなのよ。ふとした拍子にそれを思い出し、焦り、炎が首筋を冷たく焼く。当たり前のこと。
さて、あの日の話。
しかし――あの日目撃した『彼女』は違ってたわけなのよ。
少しの『焦り』も抱えず、泰然と――まるで解き終わったパズルを見るような眼差しで、世間を見つめていたのよ。
なんというか。
非常に、私はムカついたのよね。
そんな余裕ありげな存在があっていいのかと。
『焦燥』なくしては、人は何も達成できないのに。
彼女だけそれから隔絶していて良いのかって。
……そしてそれ以上に。
強く、強く、彼女に心惹かれたのも、否定できないか。
彼女を――倒すなり、殺すなり、乗り越えるなりすれば、私は――私はやっと、『焦燥』の向こう側へ――
この燃え盛る“首輪”を外し、ここではないどこかへ到達して、何かになれるのではないかと。
そう思ったのよ。
以来、私はその
でも、あいつもおそらくリンクスなのよね――仕組まれているのではないかと思うほどに、以降遭遇できない。
何故か鶴辺千里は喫茶店で働いているんだけど、私が行くときには常にシフトから外れているし、帰り道に待ち伏せしても通らないし、家に向かえば迷うし(この私が!?)、それなのに周囲の話を聞くと別段変わったところなく普通に生活をしている――らしいのよ。
だから最近いらいらしっぱなし。
もちろん、『焦燥』とイライラは相性がいいから、普段の私とあまり変わらないといえば変わらないけど。
どうすれば接触できるのか。
毎日、試行錯誤してたのよ。
とりあえず、そんな日々に身を置いていたと知ってくれてればいい。あの日の話+α終了。
今の話に入るのよ。
私はとある公園のベンチに誰かの携帯がほうり置かれているのを見ていた。そしてその携帯が鳴り始めたので、面白そうだから、と、当然手に取ってみた。ピッと、応答ボタンを押す。
今ココ。
携帯から声が響く。
「どうも、今日は、匕首絆根さん」
「……っ!」
私は驚愕する。
だってそれは、ずっと追い続けても捕まえることのできなかったあの声だったから。
「鶴辺――千里!」
「そう、私だわ」
その声は、電話からではなく、私の背後から聞こえた。
トン、と肩に手を置かれる感覚とともに。
「――ぁ」
そして私の意識は途切れた――のよ。
▽ ▽ ▽
「う……?」
目を開く……。
明るい……けど、室内の明かり。窓……外は、あれから、それほど時間は経ってなくて……。
ここは――コーヒーの、香り……。
コーヒー……喫茶店……
「っ、鶴辺千里!」
身を起こした。
「なに? おはようだわ」
鶴辺千里は、優雅に椅子に腰かけながら、パズル雑誌を読みつつ、足を組んでコーヒーを飲んでいた。
なんだこの余裕……ムカつく。
飛びかかろうと思って気づいたが、私は腕も手も足も、ビニールテープでがんじがらめにされていた。
「なっ、何なのよこれ!」
「ビニールテープって、食い込むしやわらかいし一定方向には頑丈だし、うまく使うと人を縛るのに案外適してるわ」
「……Sだったのかお前」
「イニシャルはそうだわね」
重ね重ねムカつく。
こんなちゃちい拘束なんか、私は焼き切れるのよ。
「でも、解くのはやめておいた方がいい、だわ」
「う……?」
解こうとした矢先にそう言われ、動きが止まる。
「ワンテンポ遅れるでしょう。その隙に私は、またあなたを前後不覚にすることができる。つまり、何度やっても同じだわよ」
「ちっ」
鶴辺千里は、パズル雑誌をぱたんと閉じて、近づいてきた。
「別に、あなたをどうこうするつもりはないわ。匕首絆根さん。ちょっと、お話をしたいだけ」
「話……だって? なんの話なのよ」
「あなただって、私に興味があったはずでしょう」
「……」
「私も、あなたに興味があるんだわよ」
「私に、興味――お前が?」
「ええ」
人差し指を唇にあてる仕草――秘め事のポーズをされて、頷かれる。
私は後ずさった。
「わ、私に同性愛の趣味はないのよ」
「そういう意味じゃないだわ」
「じゃ、どういう意味なのよ」
「あなた、『迷い』がほとんどないのね」
「『迷い』――?」
気になる言葉の響き。
それは、おそらく――私にとっての『焦燥』のような。
「いいえ、無いというよりは、シンプルな円環といえるのかしら。始まりも終わりも同着な、単純な円環迷路――その多層構造。どこかへ行こうとして、どこへも行けない」
「お前は……まさか……」
「ルートのチェンジだけは迅速だわね。追い立てられるように――焦ってる。成程」
焦っている。
「常にね――今も。迷うのではなく、焦ってる」
「やっぱり……リンクスなのよね?」
「“アラインメイズ”と呼んでるわ。『迷い』が視えるし、操れる。そして始点と終点が最初からそこにある」
「――終点が見えているから、焦らない」
「だから、こんなところでウェイトレスをしているんだわ」
「ここがお前の終着点――」
「――そう。そしてあなたには、終着点が――」
「――無い。お前をもってしても、視え、無い――だから、『焦る』」
「話が早いだわね」
そうか。
始まる前から終わってる――それが、鶴辺千里。
そして私には――終りも無ければ始まりも無い。
なら……私は結局どこにも行けないの?
「そう――結論を急ぐ必要はないだわ。というより、結論って一つの終わりだから、やっぱりあなたには『出せない』――んじゃ、ないかしらね。特に、自分のことに関しては」
「本当に無いのか、見つけられないだけなのか、決められもしないのが、終りが無いってことの意味?」
「かもしれないだわね。結局」
「――その結論すら、出ない」
ほぞを噛む気持ち。
ならどうすればいい。どうすればいい。
どうしようもないが、どうにかしなくてはいけない。
――ああ、長年一緒に生きてきた、これこそが『焦燥』だ。
「“イグニション・チョーカー”」
「ん……」
「私は、『焦燥』を操り、それをエネルギーに変換する」
「興味深い話だわね」
「首元に蒼い炎として視えるのよ。『焦燥』がね。最も――鶴辺千里に限っては、それが視えないけど」
「終わっているから、かしらね」
取るに足りないことのように、薄く微笑んで。
鶴辺千里は椅子にかけ直した。
「あなたにお願いがあるんだわよ」
「お願い?」
「佐奈川君と、浅賀さんのこと。知ってるわよね?」
「ああ――それが?」
「彼らは、私のことを過信している節がある。私は元から『そうなる』予定だったものを、『そうしている』だけなんだけど、彼らにはそれが状況を打破しているように映るみたいだわ」
「お前の視点を共有できる奴なんか、いるもんか。最初から『終りが見えてる』なんて」
「それはお互い様だわ――まぁ、こちらとしても過度の期待は心苦しいわけなのよ」
「…………」
どうだか。
「だから、『終わってない』あなたに……しばらく彼らを頼んでみたいわけだわ」
「ふん――『終われない』――って言った方が正しいと思うのよ」
「正しさに意味なんて無い」
「……、私が引き受けたとして、結果は」
「そう、多分変わらない」
「…………、なら、意味なんか無いんじゃ……」
「無くはないわ。それを決めるのは主観的な『心』だもの。始めから終わっていると思っている私より、終わらないと思っているあなたの方が、それこそ意味を――見つけやすい」
「彼らのため?」
「そして私のためであり、あなたのためでもある。だわ」
「……」
「よろしくお願いするだわね」
断られるとは――考えていないのだろうか。こいつは。
いや。
断られても、受け入れられても、結局『同じ』……私がそれをするのが、こいつにとっての『終り』――迷路のゴールなのだとしたら……。
…………。
「一応、手紙を書いておいただわ。会ったら、渡してあげて頂戴」
「ふん――了解……」
――しゅぼっ。
私の掌が、焦燥の炎に包まれる。
ビニールテープが、一瞬にして焼かれ千切れる。
「――なわけないのよ!」
踏み込んだ。
瞬間。
私の頬に優しく、鶴辺千里の手が当てられた。
「よろしく、お願いするだわ」
見通せない――何かの渦巻いた、
それでいて、酷く直接的な瞳を、覗きこむ。
――また意識が途切れた。
▽ ▽ ▽
気付けば、元の公園。
ベンチにもたれている、私を見つける。
拘束は、今度は何もない。
鶴辺千里もいない。
全てが、元通り。
「……」
……いいえ。
手に、手紙を持っていた。
燃やしてしまおうかと考えて――
――。
「やめた――ふん。しばらく、踊ってやろうじゃないのよ」
私は、どうにもならないまま、どうにかなってしまいながら、『焦燥』に駆られて――
また、今日を駆ける。
迷いなく。
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