蛇足編02 「これからも」
故郷に戻って一ヶ月、メアリーは安寧な日々を送っていた。あれからというもの、リュウからの接触は一度もない。
彼は「渡したいものがある」と言っていたが、いつ姿を現すかわからないままだった。そんななか、以前と同じような毎日を過ごしている。
ひとつ変わったことと言えば、両親が以前よりも過保護になったことくらいだ。
「メアリー様? どこを見ておいでですか。集中しなければ終わるものも終わりませんよ」
「わかってますよー」
ぼーっと外の景色を眺めていると、向かいの席に座る青年がメアリーに注意する。彼は雇われの専属教師で、分厚い参考書を基に次に出す問題を作っていた。
出題された問題をメアリーは地道に解いていっている。
メアリーが故郷に帰ったばかりの頃、誰しもが彼女を労った。しかし、一ヶ月も過ぎるとそうもいかなくなるらしい。
教師が見守るなか勉強をして、息抜きに庭園の中を散歩する、そして暗くなれば部屋に引きこもる毎日だ。
安全で脅威もない生活は理想中の理想、と言うにふさわしい。だが、メアリーの心にはどこか大きく空いた穴が存在していた。
今の生活は全てのしがらみから解放された日々と程遠いが、決して不満があるわけではない。
しかしなにかが足りなかった。安寧な日々を過ごすほど、心の渇きは大きくなる。
勉強を終わらせた後は庭でお茶会を開き、母親と話しているうちにその日は過ぎていった。
空は暗く、月明かりが照らす深夜。パジャマ姿に着替えたメアリーは自室で机と向き合っていた。
眠たくなるまで作りかけの刺繍を進めようと、ろうそくの灯りを頼りに細かな作業を続けている。
今彼女が作っているのは青色の薔薇だ。
いつぞやにリュウからもらった刺繍道具は手元にない。あの日は私物を取りに行くこともできず、未だ城に置いたままになっている。
が。祖母から受け継いだ道具が一式揃っているため、たいした問題はなかった。
あと一週間もしないうちに母親の誕生日がやってくる。その日に間に合うようにと、徹夜の日々が続いていた。
刺繍の薔薇もあと少しで完成する。あとは無地のハンカチに縫いつけていくだけだ。
次の段階に進もうとしたとき、背後にある窓ガラスがこんこんと音を立てる。
「え、なに?」
咄嗟に振り返るが、見える範囲ではなにもなかった。気のせいだと思い作業に戻るが、再びこんこんと音が鳴る。
気のせいなんかじゃないと気づき、メアリーは音の正体を確かめるべく立ち上がった。
月に照らされ、バルコニーの景色がよく見える。よって、窓のそばで寒そうに佇む人物の姿もすぐに認識できた。
「リュウさん!」
急いで窓を開け、外にいるリュウを部屋に入れる。長い間外にいたせいで、リュウの体はすっかり冷え切っていた。
最後に別れた時の姿のままだが、ひとつ違う点をあげると大きなバッグを持っていた。
「忘れちゃったんですか? 背後からくるのはやめてくださいって言いましたよね」
「たしかに、そんなことも言ってたな」
メアリーの小言を適当に受け流す。すると、リュウは些細な拍子に大きなくしゃみをした。
心配したメアリーが羽織っていたストールを彼の背中にかける。彼女なりの優しさにリュウは「すまんな」と言った。
「風邪には気を付けてくださいね。それで、どうしたんですか? こんな夜遅くに来るなんて」
「あぁ渡したいものがあってな」
そう応えながら、バッグの中をあさり始める。
そして最初にバッグから取り出したのは、透明な液体が入った瓶だった。
液体の中にはなにかが入っており、よくよく目を凝らす。中身の正体に気づいた時、メアリーは小さな悲鳴をあげた。
「大聖堂にいる修道女の目。メアリーが返しといてくれ、外に取り出すだけで片付く」
「え、えぇ……そんな、こんなグロテスクなもの」
「意外とオブジェに向いてるかもよ」
恐る恐る瓶を受け取り、改めて中身を確認する。
瓶の中で、目玉が尾ひれのようなものをつけてたゆたっていた。それが余計に鳥肌を立たせたのは言うまでもない。
「次はこれ」
「あ、それは……持ってきてくれたんですね。わざわざありがとうございます」
「一応な」
次に取り出された物を見て、それがなんだったのかをすぐに思い出した。
見間違えるはずもない。それはメアリーが城に置き去りにしてしまった、あの刺繍道具だった。
その刺繍道具は、祖母から受け継いだ物より道具は揃っていない。が。滅多にない他人からの贈り物のため、メアリーはとても気に入っていた。
「今日はこのふたつを渡しに来た。それじゃあ……もう用は済んだし、俺は帰るよ」
「あっ、待ってください。まだ来たばかりですし、外は寒いのであったまって行ってはどうですか?」
リュウが帰ろうとした途端、メアリーは慌てて引き止める。一ヶ月ぶりだというのに、会って数分で帰られるのは流石に寂しく感じた。
ふたりが別れて以来、お互いにつもる話はあるだろう。メアリーに引き止められたことで、リュウはもうしばらく居座ることにした。
「リュウさんはあの後どうしてました? 私がいなくて眠れない夜とかありませんでした?」
「いや流石にそこまでは……。俺は普通に、元気にしてた」
「それはよかったです」
机の上にあった物を急いで片付け、自分が座っていた椅子にリュウを座らせる。
数刻前に侍従に用意させたカップ(何故かふたつある)に紅茶を注ぎ、ひとつをリュウに差し出した。
そしてメアリーは部屋の隅にあった椅子に腰を下ろす。テキパキしたおもてなしに、リュウはおずおずと席についた。
「メアリーの親父さんは大丈夫か?」
「えぇ元気にしてます。ただあの一件以来、以前よりも過保護になりましたね」
「そりゃそうか。ただでさえおてんばなのに、危ない所に飛び出すんだからな」
「うっ」
近況報告をしていると、リュウにとどめの一言を言い放たれる。咄嗟に「リュウさんも私を連れ去ったじゃないですか」と食い下がるが、鼻で笑われるだけだった。
「あんな危ない所にひとりで、いつ獣に喰い殺されるかもわからんのに。俺は手を差し伸べただけだよ」
「そう言われると言い返せなくなるのが悔しいです……」
ハムスターのようにほっぺを膨らませ、あからさまにすね始める。それを横目にリュウはさらに鼻で笑った。
たしかに連れ去るのはやり過ぎだが、案外それで良かったのかもしれない。『連れ去った』ことでメアリーはひとりの時間を得て、心を落ち着けることができた。
婚約を解消した時、冷静でいられたのも二ヶ月の猶予があったおかげだろう。そして、対面した時には見せなかったカーラの恐ろしい一面からも逃れることができた。
「メアリー、俺はこれからも見守ってるよ。なにか困ったことがあれば俺に頼るといい」
「ふふ、凄く頼もしいですね」
いつだってリュウはメアリーを見守っている。今までも、これからも、リュウは本気だ。
しかしメアリーがそれを真に受けることはない。
リュウが先ほど言った「これからも」の意味も、彼女は深く考えずに聞き流した。言葉は鋭利な刃物になると気づかないうちは、メアリー自身も気づくことはないだろう。
それは彼にとっても好都合でしかなかった。
リュウはきっと「やめて」と言われるまで、言葉通りにこれからもずっとメアリーを見守り続ける。
すべてはメアリーのためになると信じてやまないからだ。
私を抱きしめてくれたのは 鬼灯 鬼灯 @hozukikitoboshi
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