7つの扉
黒崎葦雀
七つの扉
ある朝、自室から出ようとすると、扉の向こうには雲海が広がっていた。
そう、雲海である。雲が一面に広がるあの雲海である。
僕は目を大きく見開いたあと、これまた大きく深呼吸をして呟いた。
「またか……」
そう、この現象は今に始まったことではない。
あれは5日前のちょうど同じ時刻だった。その日、自室の扉を開けると、草原が広がっていた。
そう、草原である。草が一面に広がるあの草原である。その時はただ呆然として、口を開けたまま突っ立っていた。
ああ、なるほど。起きなきゃ起きなきゃと思っていると変な夢を見るという、あの現象だな、と僕は一人で納得し、早々にベッドに戻ろうとした。
そして、扉を背にした瞬間、不気味な音とともに腹部に違和感が漂った。ゆっくり頭を下げて腹を覗き込むようにする。
尖った何かがお腹を貫いていた。
おそらく「槍」と称される類の刃物だ、と理解した。
痛みはない。当然だ。夢なんだから。
そうしてベッドに戻る前に体が倒れた。
ああ、早く起きなきゃ、と頭の片隅で考えながら。
そして、案の定、目が覚めると遅刻ギリギリの時間だったので、大慌てで支度をして高校に向かったという経緯がある。
その日は2学期の始業式だった。
それから五日間、毎日おかしな扉の夢を見た。
4日前は雪原だった。そう、雪原である。雪が一面に広がるあの雪原である。そのためなのか、関連性に少し無理があるようにも思うが、扉を背にした瞬間、氷漬けになった。そして大きな鈍器(おそらく巨大なハンマーだと思う)に粉々に砕かれた。
3日前はマグマの滾る溶岩の海だった。そう……あ、もういいね。とにかくマグマの海だ。今度はマグマに飲まれるのかと思って早々に後ろを向いたら、何かに後ろ襟を掴まれた。振り向くと、ドラゴンだった。あの首の長い、角があり、翼のある、僕が想像するドラゴンの特徴を全て持ったモンスターだった。
ドラゴンと思しきモンスターは、そのまま僕を宙に放り投げ、落ちてくるのを口を広げて飲み込んだ。牙で噛み砕かれるよりはいいか、と思いながら、僕の意識は再び重く沈んで言った。
一昨日は砂漠で銃に撃たれて蜂の巣にされ、昨日は一面の霧の中でギロチンが降りて来て、体を縦に真っ二つにされた。
だんだん雑になって来たと思っていた時に、今日の雲海である。
恐る恐る扉に背を向けると、今度は後ろから強烈な光がさしてきた。いや、光ではなく熱線、レーザー兵器みたいなやつだ。
ああ、これはアクションゲームで、ステージとトラップになんの脈絡もない、そんなゲームだ。あれ? そういうゲーム結構あるな……と、そんなことを考えながら意識が沈んでいった。
目覚めるとやっぱり遅刻すれすれの時間だった。
あんまり慣れたくないものに慣れてしまった。全くもって変な夢だね。ストレスとか溜まってるんだろうか?
玄関から出ると、夏後半のジトリとした暑さが、朝っぱらから全身に覆いかぶさって来た。
頼むよもう9月だよ? お天道さん。夏の名残のこの暑さ、何とかならんもんかね。
朝っぱらかの暑さにやられつつも、僕は足を前に進める。こんな暑さにも関わらず、夏休みは終わり、学校は始まり、そして律儀に僕は登校する。
あ、すみません。暑さでやられているようです。
そうしてお決まりのようにため息を一つつくと、これまたお決まりのようにヤツの声が聞こえてきた。
「おはよ〜ございま〜す!」
寝癖がついた鳥の巣のような赤毛を振り乱して、その女の子は全力で手を振って向かってくる。
「ああ、お前か。おはよ」
「お前か、ではなく
「何だよ、そのいろいろとって……」
僕は「苦虫を潰したような」というべき表情で彼方からいろいろ全力なヤツを睨みつけた。
彼女は最近、朝一緒になる後輩だ。と言っても僕は部活に入っていないから接点はない。もちろんどこに住んでいるのかも分からない。本当にこの朝の登校時間だけの仲だ。ただ、女子は制服のリボンの色が学年のカラーになっているので、それで一つ下の後輩だということは分かった。
「さあ、今日も門番を倒す……じゃなかった、振り切るべく、スピードをあげましょう!」
「門番じゃなくて週番の先生な。お前、もしかして脳筋?」
息せき切ってやって来た彼女に、僕は再び「苦虫を潰したような」表情を見せつける。
「脳まで筋肉ってやつですね! 違います! いつも全力なだけです! いつもギリギリな先輩!」
悪びれもなく僕の崖っぷち加減を強調する彼女。
「なあ、もしかしなくてもバカにしてるだろ?」
「してません。このギリギリの時間にしか起きれず、しかし懲りもせず学校に向かおうとする先輩に敬意を評しているだけです!」
「わかった、お前ちょっと黙れ」
うんざりしながらも朝の通学が毎日ギリギリなのは認めよう。あの変な夢のせいだ。
少し足を早めると、遠くに踏切が見えた。ここを越えれば学校はもうすぐだ。
ふと、そこで視界に女子生徒の後ろ姿が入ってきた。
ちょうど踏切も下がり、彼女は足を止める。僕たちも近づいて、足を止める。
「おはようございます、先輩」
僕の挨拶に彼女は振り返り、
「ああ、おはよう。いつもギリギリな後輩君」
と、皮肉な微笑みを湛えながら声をかけてきた。
もちろん先輩と学校では何の接点もない、貴美香同様この登校時間だけが唯一の接点である。
「あれ、なんか僕ギリギリ者扱いですね……」
「それはそうさ。いつもいろんな意味でギリギリだろう?」
「ええ、そうです! 先輩はいつもギリギリなんです! あなたはいつも余裕ぶっていますね! 先輩!」
こいつは……二つ上の先輩に向かって何という口のききかたを……
「あなたではなく
「おや、言いますね。余裕ぶっている先輩さん?」
え? ナニコレ修羅場?
こめかみあたりを汗が流れた。
その日も結局ギリギリで、間に合いはしたけど門番、じゃなくて週番の先生に怒られた。
翌日である。
朝方、僕は扉を前にして腕組みをし、手を顎に当てて考えていた。
おそらく、この扉を開けると、またロクでもない殺され方をする。夢とはいえいい気分ではない。
だったら、夢だったら、扉を開けなくて、そのままベッドに戻っていいのではないか?
わざわざ律儀に毎日のルーティーンをこなさなくても良いのだ。
正直、今回はどんな景色と方法で殺されるのか、というのは気にならないでもない。
でももしかしたら、ここで寝てしまえば、いつもより早く起きれるのではないか?
うん、そうだ、そうだろう、そうに違いない。
そう言い聞かせて、扉を開けずにベッドに戻ることにした。
いつもと違うことに少し違和感を感じながらも、僕の意識はまた、重く沈んでいった。
目が覚めた時間は、いつもより10分早かった。
「おはよ〜ございま〜す!」
また、あの後輩の声が聞こえてきた。
「ああ、キミか」
「はい! 貴美香です! いつもギリギリな先輩! 今回はギリギリではないんですね! 残念です!」
「何が残念だ、おい」
全くこいつは、僕に恨みでもあるのかね?
いや、いけないいけない。今日の僕は余裕のある男。これしきのことで怒ってはいけない。
「ははは、まあ、心を入れ替えてね。余裕のある生活を始めたのだよ。後輩くん」
「……なんかキモ」
「おい!」
せっかく早く家を出たというのに、ちょうど計算されたように奴も早く登校してくるとは……な、なんか僕見張られてる?
「おや、カナタに見えるは余裕ぶってる先輩ではないですか?」
僕のツッコミなど意に介さず、後輩は前方の後ろ姿を指差す。
踏切が開くのを待っているのは、あの先輩だ。今気づいたけど、すごいスタイルいいな、あの人。後ろ姿でもよく分かる。
「おはようございます、先輩」
近づいて声をかけると、振り向きざまにニヤリと笑いながら応えてくれた。
「ああ、おはよう。その通り、奏多だよ。いつもギリギリな後輩くん。今日はギリギリではないんだな。殊勝なことだよ。なあ、脳筋な後輩ちゃん?」
おお、また修羅場か? 修羅場なのか?
ビクビクしながら隣の後輩を見ると、いつも以上に笑顔だった。
「ええ、そうですね。余裕があることは大変良いことだと思います。でも……」
ははは、やはり修羅場か……
「余裕があるのと、余裕ぶってるのは違いますけどね」
その後輩の言葉を、僕は少し離れた後ろで聞いた。
周囲がざわついている。踏切のカンカン音がやけにうるさい。
気づいたとき、僕は線路のど真ん中にいた。そう、電車が踏切に入ってくる直前の線路である。
右手側から電車が迫る。ああ、電車って大きいんだな。当たり前か。
そう思いながら、僕は考える。
ああ、これは夢だな。いつもの夢だ。
起きなきゃ起きなきゃと思っていると、起きた夢を見るというあの現象だな。
僕は納得して、ああ早く起きなきゃ、と思いながら、壁のように迫る電車を見つめていた。
僕は直立不動のまま、電車がぶつかる瞬間を待った。
長いような一瞬のような時間が経った。電車の表面の文字が読み取れるくらいの距離だ。その距離で、電車は止まった。ブレーキのそれではなく、録画映像の一時停止ボタンを押した時のように、ピタリ止まったのだ。
いや、電車だけではない。周りの人も、景色も、空気すら止まっているようだった。
「あ〜もう少しだったのにぃ……」
後輩のいつもの調子の声が聞こえた。
「当然だ。こんなことを私が許すわけないだろう?」
先輩のいつもより怒気の籠った声が聞こえた。
夢だけど、今回はやけに騒がしい夢だ。もう少しで電車に轢かれて目が覚めるはずだったのだが、どうやら簡単には行かないらしい。夢はまだまだ続いているということだ。
「ああ、ギリギリのキミ。まだ夢だと思っているような顔をしているので念のため言っておくが、これは夢ではなく現実だ。したがってアレにぶつかれば死んでいた」
先輩はいつの間にか僕の真横に立っていた。
「そのとーり! それをまあ、邪魔してくれちゃって! ホント、何なのあんた?」
後輩はいつの間にか僕の正面に立っていた。
「アンタではなくカナタだ。言っただろう? この子を殺すのは私だ」
「いーえ! その子を
言葉の応酬をした後、後輩の手の辺りから、その体に似合わない巨大な槍が現れた。
「もちろん、アンタも大人しくやられてくれないでしょう?」
嬉々としてその槍を先輩に向ける。
「当然だ、脳筋戦闘狂」
そういう先輩は涼しげな顔で、巨大な斧を構えていた。
どちらの武器も、僕は見たことがあった。いや、全体像を見たのは初めてだ。だが、それを僕は夢の中で見たことがある。毎日毎日、僕を殺す凶器たちだ。
僕を尻目に、2人はその凶刃を交える。人間ではありえないスピードで、刃を振るう。
(ああ、そうか。いつも、何か人間離れしているとは思っていたけど、何だ……)
人間じゃないのか。
僕は驚くほど現実味がなく、それでいてもう夢だとも思われない光景を口を開けて呆然と見ていた。
「ファブニル!」
後輩が叫ぶと、赤いドラゴンが出てきた。僕を丸呑みにしたドラゴンだった。
「シヴァ!」
先輩が叫ぶと、白い氷雪をまとい、巨大なハンマーを持った巨人が現れた。雪原で僕を凍らせて粉砕したヤツだろう。
2体が怪獣大決戦をしている間、後輩は武器をガトリング砲に持ち替えて、先輩はレーザーガンに持ち替えて、銃撃戦に突入していた。
2人とも、体中傷だらけで、ボロボロだ。それなのに2人とも、嬉々とした表情で、相手を殺そうとしている。
きっと2人は仲がよかったのだろう。それを、僕が来たせいで壊してしまったのかもしれない。遠い遠い遥かな世界で、きっと……
そして、決着はついた。後輩が血だまりの中に倒れこむ。
その目が僕を見た。僕も彼女を見る。そして手を伸ばそうとする彼女に、先輩はレーザーを放った。後輩と称した彼女は、そこで骨すら残さず蒸発した。
立ちすくむ僕に、先輩が歩み寄ってきた。
「終わったよ」
先輩は、にこやかに微笑みながら、ふらりと倒れこんだ。
とっさに僕は支える。
「どうして、ですか。2人ともこんなにボロボロになるほど……」
「言っただろ……キミを殺すのは私だ……と……」
自然と涙が溢れた。そんなことを言うが、結果的に僕を守ってくれたのは、この人だ。
先輩と称した彼女は、息を整えると、生気が戻ってきたようだった。
「ああ、先輩、良かった……」
「何、心配するな。私はあれしきではやられないよ。で、だ……」
その時の先輩の顔を見て、僕はああ、と観念、と言うか理解した。そうか、2人はどちらが僕を殺すか競ってたんだっけ。
今回みたいに毎日毎日、どちらかが僕を殺すのを、どちらかが邪魔していたのかもしれない。
僕は、今日扉を開けなかったから……もし開けていたら、まだこの静かで穏やかな関係は続いていたのだろうか。
「で、だ。キミ、どんな殺され方がいい?」
先輩の顔は、戦っている時以上に狂喜していた。
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