第14話 龍太の意思

 翌日、会社に東が訪れた。

「突然、お邪魔してすみません。昨日の帰り際にお渡し出来れば良かったのですが」と言いながら手帳から名刺を差し出した。

「あれから、光野さんを探していたのですが、お見えにならなかったので、突然お邪魔してしまいました。」

 龍太は礼をしながら名刺を受け取ると、見覚えのある古めかしい赤い手帳が目に入る。咄嗟にあの落し物は東祐希の物である事が分かったが本人には聞かなかった。拾って届けた事を恩着せがましく聞くのも嫌だったし、大事そうに使われている手帳の中身を見たと思われたくなかった。実際には一ページも開いてはいないのだが、もし自分が大事にしている車を誰かに触られたとしたら龍太は激昂してしまう。そんな事が一瞬頭を過った。

 二人は昨日の活動を振り返りながら談笑していたが、「次の打ち合わせがあるので」と言って東は会社を後にした。龍太は駐車場まで見送る事にした。

「光野さんが乗られている車をとても羨ましく思います。」

「どうしてですか?」と龍太が言う。

「私も自分でメンテナンスしながら車に乗れたらなーって思うんです。その方が車と会話しているみたいで、もっともっと、あのボルボの事が好きになれる気がするの。あのボルボには、今も沢山想い出が乗っているから、、、。

それであれから、いろいろ考えたんですが先日、光野さんからご提案頂いた修理の件をお願い出来ないかと思いまして、、、。ご都合の良い日で結構ですので、ボルボの修理依頼をお願い出来ますか?」

「えっ、それは、もちろんです。」と突然の事で龍太は驚いたのと同時に嬉しさが込み上げて来た。

 二人は今週末の日曜正午に自宅ガレージで待ち合わせる事にし、祐希は乗って来たハイブリッドカーに乗り込み駐車場を後にした。

 そのあとも何度か修理しに東宅を訪れ、その度にドライブを重ねた。祐希は、一人息子の快斗を龍太に紹介し、古めかしい赤い手帳に挟まれていた写真の子供だと直ぐに龍太は分かった。快斗は、喘息になりやすい体質を母から受け継ぎ重度の喘息を患っていた。祐希によると「私は幼少期、今見事件の被害者でその被害を遺伝という形で後世に受け継いでしまった様です。」と言葉を詰まらせながら語った。人懐っこい性格の快斗は龍太の事を気に入り、休日の予定をいつも聞いていた。龍太も特別な用事がない限り、快斗と病室で遊び、天気の良い日は、外出届を出し病院近くの公園まで二人で散歩する様になった。快斗は龍太の事を父の様に慕い、休日を待ち望んでいたし、病室に行けない日は平日の退社後に振り替えをせがむ程、二人の信頼関係は太く力強いものになった。快斗は、龍太との出会いにより、体調が快方に向かい医者が驚く程だった。その後は、自宅療養での生活を送り、同居していた祐希の母、幸子にも龍太は認められ祐希と籍を入れる形で4人での暮らしが始まった。

 幸子は、祐希の元夫との関係が崩れてから、快斗の面倒を見るために北海道に越して来ていた。夫の宗次郎は十年前に病気で他界していた。祐希は、出張で居ない事も多く、幸子が付きっ切りで面倒を診ていた為、可愛い孫とはいえ、少々疲れていたようだった。そんな中、面倒見の良い龍太が来てくれたのだから喜ばずにはいられなかった。

 三年後、龍太は休日の暇を持て余していた。祐希は海外出張で、海斗は中学の修学旅行、義母は町内の温泉旅行に出かけ一人ぼっちになってしまった。まるで数年前に逆戻りしたみたいな気分に襲われた。愛車の洗車を済ますと、思い出したかのように翔馬との思い出の場所、あの海沿いの公園へと車を転がしていた。雲一つない夕日が公園を黄金色に染めている。龍太はいつものベンチに座り込み、途中の自販機で買った2本の缶コーヒーの栓を開けた。禁煙していた煙草に火をつけ、黄金色に染まった海面を遊具と一緒に眺めた。

 すると何故か哀しみが込み上げてくる。龍太は戸惑う。本人ですら私雨の理由は判らない。龍太は蕭蕭とただ感情の想うがまま、身を委ねていた。

 しかし、次第にその理由を龍太は知る。龍太の心の奥底にしまっている大事なパンドラの箱「想い箱」が開き始めたからだ。心に潜む靄たちは消え去り、翔馬と過ごした少年時代の記憶が少しずつ蘇る。想い箱から光が溢れ出す。ゆっくり、よりゆっくりと蓋が開き、光が一斉に飛び出した。涙が止まらない。十数年もの間、閉じ込められた感情が溢れ出す。

「やあ、龍太。久しぶりだね。」

「翔馬、翔馬なのか?」

「俺を許してくれるのか?」

「当り前じゃないか。許すも許さないも初めから龍太は自由だよ。龍太の想うがまま、なすがままに生きたらいい。」

「怒っていないのか?」

「怒る?僕が?龍太、その逆だよ。龍太の忠告を無視して一人で走りに行ってしまったんだよ。こっちの方こそ、怒っていると思っていたよ。何年も閉じ込められていたからさ。」

「ありがとう。翔馬。」

 龍太は、気が済むまで涙を流し続けた。使命に澄んだその瞳からは、枯れることのない湧水の様に懇々と涙が流れ落ちる。自責の念は黄昏の彼方へと跡形もなく消えて行った。

 龍太は、吸い終えた煙草を踏み消し、吸い殻をポケットにしまい車に乗り込んだ。すっかり日は沈み、峠という闇の中へ車と共に突っ込んだ。勢いづいたトラックが対向車線を大きくはみ出し、S30Zはガードレールを乗り越えた。


 寂しげで悲しげな白露を身に纏った草木花たちが寒さを語り始め、田舎の外れにある会社事務所付近ではそれらしい会話が主だった。

「それにしても今朝は冷えたわね。」

「そうね。もう一度、暖かい日が来ないかしら。こんな日が続くならもう私、光合成するの諦めるわ。」

「それは幾ら何でも早すぎじゃない?あっそうだ。」

「なによ。思い出しちゃったみたいに。」

「そう言えば向かいの会社の社長さん、交通事故で亡くなったみたいよ。」

「よかったじゃない。あんな汚れ腐った会社、早く潰れてしまえばいいのよ。周りの草木から苦情の嵐よ、嵐。わかる?汚れた油をあんなに垂れ流しされたら根から養分吸い上げられないじゃない。私たちにとっては死活問題よ。自分で移動出来るなら遠くで暮らしたいわよ。幸い孫たちは、風に乗って大分遠くに行ったけど。」

「まーでもそれは、昔の話でしょ。」

「あらーっ、随分、肩持つわねー。」

「最近は随分変わったのよ、あの会社。こまめに掃除しているし、私たちの周りのゴミだって拾ってくれたじゃない。」

「まーそうだけど、たまたまよ。たまたま。私は騙されないわ。」

「ま、それならそれで構わないけど意志というものは、時と共に変わり行くものよ。」


 冷ややかで張り詰めた空気の中、祐希が声を出した。

「さあ、みんな。この会社は一体どうなるの?いや、どうして行きたいと思う?、、、。予め伝えておきます。この会社は、個人事業なので、相続上、私がこの会社の事業主となります。でも一番に考えたいのが従業員全員の意思です。今まで龍太が積み上げたモノを受け継ぐのか?または、龍太がいなくなった今、この会社を閉めるのか?そのどちらかを選択しなければなりません。私は皆さんの意見に従います。もし続けて行くのであれば、私は今まで通り経理の仕事とネットワークスの仕事を続けて行きます。また、受け継ぐ意思がないのなら弁護士さんに入って貰い、解散の手続きを開始します。」

 祐希は、6人にメモ紙を渡し、そしてみんなの意思を受け取った。

「では、読み上げます。事業継続、6票、解散、0票。新代表は、5票、西城征雄、1票、登坂啓二、よって事業は継続し、新代表は西城征雄とします。おめでとう。西城くん。」

「えっ、俺が代表ですか?俺には無理ですよ。絶対に無理ですって。登坂、お前がやれ。お前がやればいいだろう。」

「いやいや、どう考えても社長の意思を継いでいるのは征雄さんしかいないでしょう。それに、全員が征雄さんに入れているんですよ。」

「そうですよ。征雄さんしか、いませんよ。」と右次が登坂の後を押した。

祐希は無言のまま力強く征雄の肩を叩いた。

「みんなの気持ちは嬉しいが正直言って、先頭切って引っ張って行ける自信が全く無い。こんな前科もんのならず者が会社の社長なんて務まる訳がない。そうだろ?」

呆れた様子で登坂が言う。「この際だから言わせて貰うけど、社長と征雄さんは良いコンビだったよ。みんなもそう思ってるよ。酒飲んだ時なんかは肩組んで笑いあって、時には俺たちの盾になって言い合って、殴り合ったりもしただろ。それでも今までやってこれたのは、社長と征雄さんが互いに認め合って来たから、そうだろ?

それに社長の変わりっぷりにみんなが困惑している中、率先して俺たちをまとめてくれたじゃないか。社長が示した方角にみんなを導いてくれたじゃないか。俺たちの不安で一杯な背中を押してくれたじゃないか。」と登坂は一呼吸おいてから続けた。

「そして、俺は葬儀の時、社長に誓ったんだ。征雄さんが社長を支えて来た様に、これからは俺たちが西城征雄を支えて行きます。ってね。だから心配すんなってね。」と登坂は、震える指先で眉間を抑え、手の甲に感情が堰を切って流れ落ちた。

「だから、もう、引っ張って行くとか、自信が無いとか言うなよ。俺たちも頑張るからよ。この会社の代表は、あんたしかいないんだよ。征雄さん。光野龍太が目指した、持続可能な社会とやらを目指そうぜ。あんたしか、代わりはいないんだ。」

「みんなの気持ちは分かった。ありがとう、、、。でも今ここで引き受ける事は俺には出来ない。俺一人で決められる問題ではないと思う。家族と相談する猶予を一日くれないか?」

「勿論よ。ご家族と納得行くまで話し合ってみて。猶予は伸ばせて三日。それまでに返事が欲しい。」

その日の晩、何時ものように征雄は自宅前に車を止めた。三軒連なった長屋で道路から二列目の西側に父親の帰りを待っている明かりが、灯っていた。

「ただいま。」

「おかえりー。」と元気な男の子二人が出迎えた。

「今日ね、運動会の徒競走で一位になった時の賞状を貰ったんだよ。これ見て。」と長男が言って自慢げに見せびらかせ、次男は征雄の太腿にしがみ付いた。

「おかえりなさい。今日は、随分早いじゃない。何か嫌なことでもあった?」

「いや、特に何もない。」

「そう、それは良かった。もう少しで晩御飯の支度が出来るの。先に子供たちとお風呂に入ってきてくれる?」

「お父さん、今日は水鉄砲とアヒル隊長もいい?」

「おう、いいよ。みんなで水鉄砲合戦だ。」

「うん、やったー。」

風呂場では湯気と共に、絶える事のない笑い声が立ち込めていた。

「さあ、ご飯よ。早く体を拭いてね。こら、つまみ食いはダメだって。はい、じゃー頂きまーす。あっ、そうだ。気になっていたんだけど、会社はどうなっちゃうの?」

「パパの会社?お仕事終わっちゃうの?」と次男が言う。

「奥さんがそのまま引き継いでくれるんでしょう?もしかして仕事を探さないといけないとか?」

「その事なんだが、どうやら俺が社長の後を引き継ぐ事になりそうなんだ。」

「真顔でそんな冗談言わないでよ。味噌汁零しちゃったじゃない。前科もんのあんたが務まるわけがないじゃない。あんたじゃ、無理よ、無理。そんな責任の重い仕事は性に合わないんじゃない?」

「そ、そうだよな。俺には無理だよな。でもみんなで俺を支えてくれるって言うから、無理なりに引き受けようと思うんだ。」


おわり。


最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。 


                              A・本郷 雄

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ネクストジェネレーション A・本郷 雄 @ahonngouyuu

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