第37話 誰がための剣4

 戦闘終了から半日後、地下居住区内に侵入した敵勢力が完全に掃討されたことが確認されると、居住区内での住民の移動制限、通信制限は共に解除された。

「おにいちゃん!」

 負傷者の収容場所として開放されたアルバ軍学校の敷地内。校庭とグラウンドの境界をさまよっていたネリーは、学生寮の手前にある芝生広場に座る兄を見つけた途端走り出した。行き交う生徒や住民たちとぶつかりそうになるがお構いなし。兄のところへ一直線に駆けつけて、その胸に頭から飛び込んだ。

「ネリー! 無事だったか……ってちょっと待て待てストップ! おにいちゃんは怪我をしていてだな――うぐうっ!」

 制するハルの声など聞こえちゃいない。ネリーは遠慮なくぶちかましてハルを芝生の上に押し倒す。

「おにいちゃん! おにいちゃん! おにいちゃああん!」

 マウントポジションを取ったネリーは、義兄の首筋に頭をぐりぐり押しつけ、腕をいっぱいに回して抱きしめながら泣きじゃくる。ハルは目を細め、自由な手で妹の頭を撫でた。

「……心配かけてごめんな、ネリー」

「おにいちゃん……」

「でもあんまり体重かけないでくれると嬉しいかな。おにいちゃん、あばらが二本と右腕が折れ、てるから……」

 ハルの声が途切れ、続いて意識もどこかに行く。

「おにいちゃあああああん!」



 絶望の淵にあった解放軍兵士たちは、ハルとムラクモが敵エクスマキナを撃破したことを、アサルトギアのデータリンクによって知らされると、たちまち奮い立った。

 もしかしたら勝てるのかもしれない。いや、勝つのだ。ガキ共が大金星を上げたのに大人が諦めていいはずがない。

 指揮官機を失ったセンチネルの統制が乱れた隙をついて、軍は思い切った反攻に出た。とはいえいくら士気が高くても、それだけでは戦況を覆すには至らない。決定打となったのはやはり、ムラクモであった。エクスマキナさえ倒してしまえば、通常型人工知能しか搭載していないドロイドや自動兵器などムラクモの敵ではない。愛用の短刀二振りを携えたムラクモは居住区内を駆け巡り、残敵を掃討していった。

 ハルはアイリやレキと一緒にムラクモを援護していたのだが、敵が撤退を始めた頃に、足を滑らせて建物の三階から転落し、あばらと腕の骨を折る怪我をしてしまった。

「……エクスマキナ相手にかすり傷で済んでおいて、その後ビルから落ちて怪我してるんじゃ運がいいんだか悪いんだか」

 ネリーのタックルで気絶していたハルが意識を取り戻すと、傍らにムラクモがいて、ネリーにこれまでの経緯を説明していた。

 ムラクモは手足に包帯を巻いていたが、これは怪我の手当てをしたのではなく、損傷箇所を一般市民に見られないように――中身が人間ではないと知られないようにするための措置だ。もっとも、その前に市民の前でナーゲルリンク相手に大勝負を繰り広げたのだから、今更隠す意味はあまりないのかもしれないが。

「あ、起きた?」

「ん。痛てて……」

 寝ていた方が楽だったが、ハルは無理をして起き上がった。ネリーが泣きそうな顔をしていたからだ。わざとらしく腕を振り、「もう元気だよおにいちゃん丈夫だから」とアピールすると、ようやくネリーの表情が緩む。

「お前を残して死んだりしないよ。俺はお前のおにいちゃんだからな」

「おにいちゃん……」

 ハルの言葉にネリーはまた抱きつきそうになったが、どうにかこうにか自制してくれた。

「ここにいたのか」

 声に振り返ると、車椅子のウルスラ教官が、アムシェル議長と一緒にやってきたところだった。

「いや、そのままでいい」

 立ち上がってあいさつしようとするハルを議長が押しとどめた。ムラクモの方はあいさつするつもりすらなくて、腕を組んで議長を胡乱な目で見つめている。

「いいんですか、こんなところにいて」

 アムシェルはアルバ地下居住区の行政の長だ。この非常事態にやることはいくらでもあり、怪我人の見舞いなどしている暇はないはずだが。

「エクスマキナを撃破した英雄の見舞いは重要な職務だと思うが?」

「英雄、ですか……」

「アナン訓練生には後日、ソードブレイカー勲章が授与される」

 ウルスラ教官が声を落として言った。人類解放軍における最高位の勲章である。訓練生がこれを授与されるのは史上初なのだが、ハルの表情は全く晴れない。

「それは俺よりムラクモにやって下さい。俺はただ最後の一撃を入れただけで、本当に敵と戦ったのは、英雄と呼ばれるべきなのはムラクモの方です」

「いや、しかし……」

 議長が言いよどむ。言いたいことは分かる。「兵器に勲章はやれない」のだ。ムラクモは人間ではない。その権利が認められていない。

 ハルは怪我に響かないようにゆっくりと息を吐き、周囲を見回した。

 長い一夜が明け、普段ならばそろそろ授業が始まる頃である。けれども地下居住区内は薄暗い。戦闘によって天穹があちこち破壊され、いつもの明るさが出せていないのだ。その薄暗い校庭や運動場に大勢の、怪我をした生徒や一般市民が集まっている。街中の病院が重傷者であふれてしまったため、軽症者はこちらに回されてきているのだ。無事だった生徒や心得のある市民が医者の手伝いをして駆け回っている。

「ネリー、おにいちゃんちょっと腹減ったからさ、何か食べるものもらってきてくれるか?」

「うん」

 お使いを口実にネリーを遠くにやってから、

「これから、どうなるんですか」

 敵の撃退には成功した。けれども居住区を守れたとは言いがたい。破壊されたのは天穹と市街だけではない。リサイクル施設や野菜工場、空調――環境維持に不可欠な設備が、どれも少なくない損害を受けた。当面はどうにかなるとしても、これからやってくる冬を越えることはできないだろう。それに何より、次の敵の出方が問題だった。ナーゲルリンクを撃破した以上、今度はもっと強力な戦力が送り込まれてくるに違いない。

「残念ながら当居住区は放棄せざるを得ないだろうな。防衛体制を整えるほどの戦略的な価値もない。住民はひとまずザイデル要塞に避難して、その後は各地の居住区に分散することになるだろうか……個人的には地下居住区ではなく、軍備の充実した、防衛都市的なものにシフトしていくべきではないかと思っているが」

「いえ、そうじゃなくて。俺が訊きたいのは……ムラクモのことです」

「……」

「俺は、ムラクモを脱走させるつもりでした。いや、実際に脱走させたんです」

「ハルっ!」

 ムラクモが口を挟もうとした。ハルはそれを制して、

「軍がムラクモを特攻させるって聞いたから……。戦えない兵器なら処分してしまえばいい。どうせ処分するなら敵を巻き込んでくれればいい。軍はそんなふうに考えてるって」

「……」

「お願いです。ムラクモを処分しないで下さい! 勲章なんかいらないから、ムラクモを助けて、いや、こいつを共に戦う仲間だと認めてやって下さい!」

 ハルは地面に手をついて頭を下げた。

「議長!」

「それについては心配する必要はない」議長は明言した。

「本当ですか!?」

「ムラクモは敵エクスマキナを撃破した。研究員たちの戦力評価を覆し、自らの有用性を証明したのだ。使い捨てにするなどとんでもない。もしまだそんなことを言う阿呆がいたら、この私が張り倒してやるとも」

「ありがとうございます。……よかった」

 ハルは顔をくしゃくしゃにして喜んだ。笑いたいのに涙が出そうになる。

 そんなハルを見て、アムシェルは何故か悲しそうな顔をするのだった。

 ハルもムラクモも気づいていないが、二人の行動は常に監視されていた。脱走未遂も、議長は把握していた。けれど特に止めようとはしなかった。

 逃げてくれるなら、それもいいかと思ったのだ。

 どうせこの戦争は人類の敗北で終わりだ――人に話したことはないが、アムシェルはずっとそう思っていた。人類は遠からず滅亡する。

 ムラクモが戦いを捨ててどこかで穏やかに過ごせるなら、逃げてくれても構わない。むしろ逃げて欲しかった。人類の滅亡に、何の罪もない彼女が付き合う必要はないのだと。

 けれどムラクモは戻ってきた。自らの意志で。再び戦場に。

 人に寄り添い戦うことを、彼女は選んだ。

「……これで君はもう二度と、戦いの宿命から逃れることはできない」

「覚悟の上よ」

 ムラクモは迷いも気負いもない目で議長を見返した。

「そうか……」

 議長は目を伏せ、息を吐いた。

 ムラクモは自らの道を、自らの意志で決めた。ならば、それでいい。

「ハル君。きみにはもうしばらくムラクモの面倒を見てもらいたい。構わんね?」

「も、もちろんです!」

 ハルはびしっと敬礼をした。

「ではこれで失礼するよ」

 議長とウルスラ教官がハルたちの元を離れる。負傷者たちに声をかけながら校舎の方へ。校長がやってきて議長を出迎え、校舎へと案内していく。

 その姿が完全に見えなくなってから、ハルはチラ、とムラクモを見た。

 ネリーはまだ戻ってこない。訊くなら今のうちだ。

「あのさ……」

「何?」

「……なんで、戻ってきたんだ?」

「……」

 ムラクモは沈黙する。考える。あのまま一人で逃げていたらどうなっていただろう。

 ムラクモ自身は生き延びられる。この体は無理をしなければノーメンテナンスで十年以上稼働できる。その間にどこか落ち着ける場所を見つけて、自分自身を整備できる環境を整えたら、半永久的に生き続けることも可能だろう。

 誰も知らない廃墟の片隅で、戦いに巻き込まれることもなく、誰にも会わず。

 それは平和で、とても寂しいことだ。

 自分以外の全員が死んでしまうことと、自分一人だけが死んでしまうことには、どれほどの違いがあるのだろう。

 地下トンネルでセンチネル襲撃の報を聞いたとき、ムラクモはそんなことを思った。

 ――たった一人で生き延びて、それが一体何になる?

 生きる喜びとは、他の人たちがいるからこそ、得られるものではないのか。

「あたしは、死にたくなかったんじゃない。一人で生きるのが嫌だったんだって気づいたの。……あんたと一緒じゃなきゃ嫌なんだって」

「ムラクモ……」

「も、もちろんあんただけ特別ってわけじゃないわよ!? ネリーも、レキもアイリも、アナも。ちょっと癪に障るけどガロンも入れといてやろうかしら。あいつの援護がなかったら勝てるかどうか怪しかったしね。そこは素直に認めて上げないと」

 ムラクモは赤い顔で早口でまくし立てる。

「ムラクモ。ちょっと黙れ」

 ハルが手を伸ばしてムラクモの顎に触れた。

 ムラクモは一瞬硬直し、それからハルの手の平に頭を預けた。

「……」

 二人はどちらからともなく顔を寄せ合い、

「はいそこまで!」

 突然顔の間に突っ込まれたペットボトルが、二人の唇の接触を阻んだ。文字通りに水を差したのは、配給の水とビスケットをもらって戻ってきたネリーである。

「おにいちゃん、ネリーがいない間におねえちゃんに何しようとしてたのかなあ……」

「いや、あの、これは……」

「違うのよ、ネリー、誤解だから……そう、誤解」

 ハルとムラクモが口々に弁解する。全然弁解になってない気もするが、特に問題はないだろう。どの道ネリーは聞く耳を持っていないのだから。

「おにいちゃんの馬鹿! うわきものー! おねえちゃんのアホ! どろぼうねこ!」

 ハルの顔面にペットボトルを投げつけ、ネリーは泣きながら走って行く。

「……前にもこんなことがあったわね」

「これからも何度もあるんじゃないかな」

 ムラクモの言葉にハルがそう応じ、二人は声をそろえて笑った。

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ラスト・エクス・マキナ 上野遊 @uenoyou

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