第14話 終章 祈り

俊介と結婚した綾子は今、緊急時避難準備区域に指定された川内村に住んでいる。この長ったらしい名前の区域は年間被爆シーベルトが20ミリシーベルトに達する可能性は低いが、もしこれに達する可能性が出たときには何時でも避難出来る準備を各人の責任でしておくようにという地域である。又、高齢者や妊婦は避難するよう勧められている。

「川内村の方が郡山や福島より低い積算量なのに移っても意味がない」と俊介は言っているが、綾子はやはり不安だった。俊介は、被災の仮設を訪ねたり、地域の集まりに参加したりで、ほとんど家にはいなかった。綾子のお腹の中には新しい命が宿ったのである。


 川内村は原発のある海辺の大熊町、富岡町に隣接し、内陸に入った阿武隈高地の真っ只中にある山に囲まれた盆地の人口3千人足らずの村である。盆地の真ん中を流れる木戸川には岩魚が生息する環境だ。海から少し入っただけでこんな山村があるのが不思議なぐらいである。

 若い人たちは原発に通勤する人が多く、残された女や高齢者がタバコや高冷野菜を作っている。1970年には人口が5千人ほどあったのだから、何処にでもある過疎ののどかな山間の村といえる。村は30キロ圏内にすっぽり入り、原発からの20キロ圏を境にして村は真っ二つに分かれる。一つは綾子が住んでいる緊急時避難準備地域で、もう一つは立ち入り禁止区域である。


 避難、退避地域が10キロ圏、20キロ圏、30キロ圏と拡大されるにつれて先に富岡町から避難してきた4千人と全村3千人が集団で、村役場と共に郡山市に避難している。20キロ圏から30キロ圏の屋内退避区域は解除され、川内村のこの圏内は緊急時避難準備区域に変わった。

 長い避難生活に疲れた人達が徐々に帰って来ているが、役場も郵便局も店もなく、物資の搬入もない。車が唯一の生活手段である。看護師の綾子はここから郡山の避難所まで通っている。休みの日には残っている村の人達の健康にも目を配るため村内を巡回している。医者もいない町では心強いと感謝されている。今、この村から出るわけにはいかない。

 

 綾子の家の前には一面、菜の花を思わせる黄色い花が咲いている。出荷されず、畑にそのまま残されたキャベツの花である。綾子はキャベツの花を初めて見た。花はキャベツがアブラナ科である事を語っていた。黄色い花は、人の世の騒動など知らぬげに風に揺れている。綾子はその花を摘んで俊介の父の仏壇の花とした。子供が無事に生まれてくることを、そして生まれてきた子が無事に育ってくれる事を祈った。



               完

 

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原発・『キャベツの花』 北風 嵐 @masaru2355

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