傘のお姉さん

 あれ、見ない顔だね。もしかして余所の街から?

 いやあ、それにしても土砂降りだね。運良く濡れずにここまで来られたけど、あとはもう待つしかないね。暇つぶしに少し話をしても良いかな。ありがとう。


 この街では、こんな風に突然の雨に立ち往生していると、たまに背後でカタンと音がすることがあるんだ。それで振り返れば赤い傘が一本置かれている。もしそういうことがあったら、その傘はあなたに貸し出されたものだ。

 誰からって?そうだね、僕達は「傘のお姉さん」と呼んでいる。といっても女の人なのかはわからない。というのも僕はその姿を見たことがないし、借りたことのある人の大部分も同じだと思う。一人で雨に困っているといつの間にか傘が置かれているという現象自体は前々からあったんだけど、僕達が認識できるのはそれだけだったんだ。

 最初にお姉さんだと言ったのは近所の小学校の子だった。土砂降りの中、見慣れない傘を差して帰宅したその子に母親が尋ねたところ「傘のお姉ちゃんが貸してくれた」と話したんだって。それから僕達は、いつの間にか赤い傘が置かれていたら「傘のお姉さんが貸してくれた」と言うことにしているんだ。

 僕も何度か借りたことがあるんだけど、傘のデザインは女性的というのかな、よく見ると赤一色でなくて微細な模様が刻まれているんだ。柄や骨も細いけれどしっかりした作りで、古いものだとわかるのだけど上品さを感じさせる。アンティークだといっても通じそうな傘だから、きっと傘のお姉さんは貴婦人のような人なんだろうな。まあ、見えないんだけどね。


 あ、でも気をつけなくてはいけないことがあってね。

 まず傘のお姉さんに傘を借りたら、ちゃんと返さなきゃならない。借りたら返すのは当然だよね。ああ、大丈夫。返すのは簡単だよ。お礼を言えば良いんだ。「お陰で助かりました、ありがとう」とか、そんな感じで。ふと気付けば傘が消えてるから。あれは面白いよ。消える瞬間を見てやろうと意識してても気が付いたら無くなってるんだ。

 もうひとつは、借りたら他の人には貸さないこと。又貸しはもちろん駄目だし、傘の中に他の人を入れるのも駄目だよ。傘のお姉さんは誰に貸すかということに拘ってるみたいでさ。え、ルールを破ったらどうなるのかって?うーん、これはルールと言うよりマナーだと思った方が近いかな。特にどうにもならないよ、最初に借りた人の方はね。


 ああ、それにしても雨が止まないね。残念だけどこんな風に二人以上でいると傘のお姉さんは出てこないみたいなんだ。普通に雨が上がるのを待つしかないね。


 *****


 青年はひとしきり喋り終えると、こちらに軽く一礼してからスマホを取り出し、弄り始めた。残念ながら彼の言うとおり、彼は自然に雨が止むまで帰れないだろう。傘を貸すより先に私の姿を見てしまったから。私は背に隠していた赤い傘の柄を握り、小さく苦笑した。

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