4周年完成稿

ミュージカル界において最高の賞であるトミー賞。私たちの夢色カンパニーももちろん、その受賞に向かって邁進している。そしてそのために、ブリテンの王とその騎士たちの冒険譚を描いた『アーサー王伝説』をもとにしたミュージカル、『運命の刻』を上演することにした。したのだけれど……。

「まどか、さっきからため息多いけど大丈夫?」

「え、そんなにため息ばっかりだった?」

 頭上から聞こえてくる明るい声に顔をあげると、そこに立っていた服のところどころにペンキを付けた昴くんにそう指摘され、はっと口元を覆う。大丈夫だよと笑って返すと、あんまり根を詰めすぎるのもよくないよ、だなんて心底心配そうにしてくれるものだから、そんな顔をさせてしまったことが申し訳なく、そして同時にいたたまれなくなってくる。そんなときにおーい、昴。ちょっと来てくれないか。ええとあの声は、蒼星くんだろうか、舞台のほうから彼を呼ぶ声がして、行かなくていいのと声をかけると、はっとしてまるで慌てたかのように去っていく。その後姿を眺めながら、独り言が口から出てきた。

「どれを、モチーフにしようかな」

 アーサー王伝説と一口にいってもたくさんの種類がある。今親しまれているものはフランスで加筆修正されたものだから原典とは言えない。でも原典にこだわってしまうと、それはそれで親しみにくいものになってしまうし。大きな違いを一つ挙げるとするならばやはり湖の騎士ランスロットだろう。彼が登場してきたのはフランスに物語が広がってきてからだ。彼がブリテン出身ではないことからもそれは言えるだろう。でも、やっぱり。ランスロットがいるのといないのとでは話の展開が大きく異なるのもまた事実。……と、なると。

「やっぱりランスロットは必要、だよね」

 ようやく方向性が固まった。決めてしまえばすっきりとすらしたような心地で、胸にそう快感が広がっていく。そうと決まれば、と積み上げられた本の山と対峙する。その中から目的の本を取り出して、ページを開く。相手取るのは今やだれだって知ってる、騎士道物語の王道だ。そう思うと背筋がピンと張るような気がした。それを夢色カンパニー風に落とし込んで、皆に演じてもらう。時間の猶予は思っているよりはないけれども、それでもやるしかない。はらり、と落ちてきた髪がどうにもうっとうしく、耳にかけた。終わったら髪を切るのもいいかもしれない。なんてことが一瞬だけよぎったけれど、湧き出てくるアイデアによってすぐにかき消されていった。


「なにしてるの、カイトくん」

 喉が渇いたけれど、部屋に持ち込んだペットボトルは空になってしまった。仕方ないから事務所の冷蔵庫に入れたやつを持っていこうと事務所に足を運ぶと、入り口前にカイトくんが腕を組んで立っている。相変わらず偉そうな立ち方だなぁ、なんて思いながらも声をかけた、までが今の状況だ。声をかけてもカイトくんが答える様子はなくて、なんかこう、変なのなんて思いながら事務所を覗き見て、それでようやく、なんとなくわかったような気がした。ふふーん、とカイトくんのほうを見やると何見てんだよ、訳知り顔しやがってという声といっしょに頭をわしゃっ、とかき乱される。なにすんのさ!と抗議の声をあげつつも事務所を覗くも、反応する様子はない。

「すごい集中力だね」

「ヒナタ結構うるせーのにな」

「うるさくしてないし、カイトくんがそんなところに立ってるからじゃん!」

「……なあ、大丈夫かアレ」

大丈夫じゃない、とか思いたくないんだけど、何いってんのさ。怖いこと言わないでよ。なんていいながらするりと入り込む。おねーさんだいじょぶ?と声をかけつつ顔を覗き込もうとして、漂う珈琲の香りに気が付く。ちら、と目をやるとマグカップが見つかる。そこにある黒い液体は、芳醇な香りを放ってはいるものの。湯気をあげることもなく、すっかり冷めきってしまっていた。ただひたすらにページをまくっていく手元を、図らずして凝視することとなる。

「ひ、陽向くんどうかしたの?」

 気が付いたみたいで、おねーさんと目が合う。不思議そうにこちらを見る目に、ボクはけらけらと笑う。横のマグカップをすいと持ち上げる。にひ、と声をあげて笑った。

「もー!すっかり冷めちゃってるよコレ。仕方ないから淹れなおしてあげる。あっ……でもそーせいみたいにうまくないけど、まぁそれは許してねおねーさん」

冷めちゃったの、悪いことしちゃったなぁと苦笑いを浮かべるおねーさんは本当に申し訳なさそうであるのと同時に楽しい、といった様子が前面ににじみ出ている。すごいや。少し前まで、染谷さんに勝てるホンなんてって苦悩していたはずなのに、もう今の表情は晴れ晴れしている。

(吹っ切れた、みたいな顔してる)

フィルターを濾されていく珈琲のしずくをどこかぼんやりと眺めながら、思索に耽る。役者としてではない、ボクにしか狙えないもう一つに思いを寄せた。


 衣装賞。名前の通り、優れた衣装デザイン者に送られるものだ。毎年狙ってはいるものの、同じように毎年惜しいところで手が届かないそれ。それが悔しくてもどかしいと毎年思っていたのだけれど、それはもう終わりだ。今年こそ、ボクが獲ってみせる。時代考証自体はばっちり。でもそれを、どう落とし込むか。おねーさんが来た最初のころに比べればずっと資金繰りも充実しているのだけれど、今でも完全に思いのままとはいかない。その与えられた予算の中で最高を、いや。最高を超えた最高を作り出すんだ。うーん。こっちがびっくりするほど熱中するおねーさんの姿を見て、ぱっとインスピレーションが浮かぶ。ああ、これなら。そう思ってしまえばカバンにいれっぱなしのスケッチブックが懐かしくて、駆け出してしまいたい衝動に駆られる。


 今回の題材である、アーサー王物語。知らない話なんかじゃ全然なくて、むしろ身近なものであるように感じる。昔何回か読んだ思いがあるし、演目が決まってから学校の図書館から借りたのだ。ほこりをかぶったそれを本棚から引き出しながら、その存在について思いを馳せる。イギリスの、ブリテンにいたという理想の王の物語。それをおねーさんが書くわけで、その中で与えられるのは、一体。

「おねーさんは、ボクに、何を」

 どの役をやったとしても異論はない。完璧にやって見せる自信だって、ある。絶対に勝たなければならない相手がいるのだ。

 劇団GENESIS――勝つんだ、勝たなければいけないのだと、カンパニーの中に入るたびに思う。勝って、トミー賞を獲る。主役が誰であろうと構いはしない。本音を言えばボクが演りたいけれど、今はそんなことを思っている場合ではないこともわかっている。

「まあでもきっと、きょーちんだよなぁ」

 なんていったって夢色カンパニーの顔だ。この演目において、きょーちんしか主演が考えられない。何笑ってんの、と友人が顔を覗き込む。はっとして顔を抑えると、確かに口角が上がっているのを感じる。いつから見てたの、と問いかければボクに何をとか言ってるあたりからとか言われた。

「それってつまり最初からってことじゃん」

 全部聞かれてたとか、さすがにちょっと嫌なんだけど……と苦笑いすれば、まぁよくわかんないけど頑張って、と言って机の上にコン、とトマトジュースを置かれる。ちょっと、水滴ついちゃうんだけど!と抗議すれば、さっき買ったばっかなんだけら許せよ、とけらけら笑われる。

「まぁ、ありがたく受け取るけどさ」

 ぷし、と音を立てて缶を開ける。あ、これ意外に美味しい。ぐい、と一気に飲み干して、缶を置いてきた相手を見やると、彼はたった一言告げた。

「高校生でいられるのも、もう最後なんだな」

「そうだね」


「おねーさん、いい?」

ホンをみんなに渡した次の日、帰り支度をしていると、陽向くんに呼び止められる。ちょっと話したいことがあるんだけど、そういった彼に頷いて、カバンに最後の荷物を放り込む。ありがと、と笑った彼は、少し癖のついてしまった前髪を数度撫でてから、私の前に座った。

「主演についての話じゃないんだ。ただ、ベディヴィアについて聞きたくて」

おねーさんは何を考えて、ボクにこの役を振ったの?最初に読んだ時からずっと聞きたかったのだと、そう彼の眼が物語っている。そのまっすぐな目に後押しされるような形で私は口を開いた。今回の配役にはいつも以上に気を配ったのだ。誰に聞かれても自信満々に答えられる自信がある。

「ベディヴィアは最後まで生き残った騎士のひとりだっていうのは昨日話したよね。でもね、文献によってはランスロットの役割も担っているぐらい、人によってあらわされ方が違う人物像なの。今回の『運命の刻』ではその役割はないけれど、そんなふり幅の大きい解釈をされるベディヴィアだからこそ、陽向くんにやってほしいなって思ったんだ。……これでいいかな?」

 大丈夫。おねーさんありがとう、伝わったよ。やっぱりおねーさんに聞いてみてよかった。私の答えに納得してくれたのか、彼は満足げな笑顔を浮かべていた。その顔を見て確信する。これならきっと大丈夫であると。正直、配役には悩むところも多かったけれど、響也くんや伊織くんの言葉があってこそ、納得する形になったなと思う。カバンのひもを肩にかけた陽向くんが、部屋を出るまえにくるりと振り向いた。

「ねぇおねーさん。絶対獲ろうね、トミー賞」

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