2つ目
昔から俺は姉さんが嫌いだった。嫌いだった、厭わしかった、いいや。全部違くて本当は羨ましかったんだ、どこまででも飛んでいける姉が。
それはまるで、見えない翼が生えているようで。
俺たちは双子で、生まれた時からずっといっしょだった。けれど同じように育てられていたのにいつからだったか。姉の方がすごいのだと、幼心に明確に感じたのは。姉──ゆかりはあらゆる物事になんにでも興味を示し、納得するまではりついた。かと思えば解決したわ!と言ってすぐにほかのところに行き、また同じようにはりつく。好奇心旺盛なのに、それぞれの物事を追求したがった。俺はただそれについて行くだけで、俺自身からは自発的に何も出来ない。それがどうしようもなく歯痒かった。
だって俺たちは、双子なのに。同じ時に生まれて、同じ顔をしているのに、どうして
──姉さんばかりが輝いて見えるんだろう。
なんでも教えてくれそうに見えたけれど、その疑問ばかりは天才のように見えた姉に聞くわけにもいかず、俺はずっと一人で考えていた。そうやって俺が考え込んで、前に進むことも出来ず立ち止まっているあいだにも、姉さんはスポンジのように様々なものを吸収していき、自分の道を切り拓いていく。時が経てば経つほど、その溝は埋められなくなっていた。奇人だけど快活で生気に満ち溢れた姉と、思慮深くて大人しい〝いい子〟の弟。俺たちの評価は、そう分かれていった。周りの先生たちは何も知らないから、俺の方をすごいって、優秀だと言ってちやほやするけれどそうじゃないんだ、本当にすごいのは、俺じゃなくて!何もわかっちゃいない。俺はただ、自分の知っているところから離れるのが怖いだけの、臆病者なんだ。だから今も、こわごわと自分の道を切り拓くことができなくて、安全な誰かが敷いてくれたレールの上を歩いていきたくて。
「あっ、ときわくーん!私あれ調べたいからよろしく!」
「……ゆかりー!俺にランドセル投げるの何回目だよ!」
たとい下校中でも姉の興味が迸れば、今まで持たれていた荷物は投げられるか、もしくはそこに投げ捨てられる。可哀想なそれを持って、二人分の重さを抱えながら姉を置いて1人で家路につくのが常だった。……それにしても姉さんの荷物は軽かった。教科書なんてもの、きっと彼女は持ち歩かなかったのだろう。『つまらない常識の詰まった紙切れ』など。
「ただいまー」
家のドアを開け、どさっと音を立てて2つのランドセルを玄関に置く。リビングから出てきたおばあちゃんが、俺一人なのをみて笑った。おかえりなさい、ときわくんと。たったそれだけでも、俺はとても嬉しかった。向こうが姉だから仕方ないことであるけれど、二人で並べばいつだって先に呼ばれるのは姉の名前。それすらも俺が姉より劣っているのだと嘲笑っているように感じていたから。
「うん、ただいまおばあちゃん」
みかんを貰ったから食べましょうね、というおばあちゃんについていきながら、幼心の自尊心が、少しだけ癒されていくのを感じていた。
「樋口くん、ええと質問は?」
「すみません教授、お忙しい中……」
いいんだよ、君ほど真面目な生徒も今頃珍しいからね。そう笑う老教授に曖昧にすみませんと笑って返す。どうしても聞きたいことがあったから無理に言って時間を作ってもらった。聞きたいことのいくつかをまとめたメモを取り出す。時間を作ってもらっている身だ、ご迷惑をかけないようにしなければ。そう思った時、宅配のお兄さんが来て教授の部屋に段ボールが届く。緊急らしいですよー、と間の抜けた声で彼が言う。教授は高名だからこう色々なものが届くのはいつもの事だと、俺は特に気にしなかった。それが、いけなかったのだ。なんだろうね、と箱を開ける教授に、1歩引いて俺は眺めていた。そしてそれが生死を分けたのだ。
ピ、ピ、と音がして、だんだんと感覚が狭くなって。最後にひとつ、ドカンと音がして。
「樋口くん!」
黒煙の中そんな声が、聞こえた気がしたのだ。そこからは痛くて苦しくて頭がぼうっとして、よく覚えていない。
「樋口ときわ20歳、間違いはないかな」
「……え?」
次に目が覚めた時は白い天井だった。寝かされていたのだろう、その横にいた誰かが言う。待ってくれ、おかしいんだ。
「俺、19ですけど……」
そうだ、俺は19歳で。まだ未成年だなって先輩に笑われて酒を無理に断わったのが、今年の春なのだから。名前はあってるのに違うぞ、と言おうとした時後ろからさらに誰かが現れた。
「……そうだね、君の中では19のままだ。でも」
「──っ!」
もう今は、××年なんだ、君は1年、眠っていたのだよ。スーツに身を包んだその男性は、戸惑う俺にそう言ったのだ。信じられなかった。自分が1年もねむり、昏睡していたことも、そんな俺が生きていることも、ここにいることも。答えはわかっていながら、俺は2つの質問を恐る恐る聞いたのだ。
「ここは、どこですか。そして教授……───はどこに」
わかっていた。知っていた。答えはとうにわかっていたけれど、それでも聞かずにはいられなかったのだ。
「君の言う教授は即死だった。爆発の規模は小さかったものの、直撃だ。逆に君が生きていることが奇跡だ、よく生きてくれた。そしてここはどこか、という質問だったね。ここはAtom日本支部西方基地医務室だ。さて。正直な話君に拒否権はない。君に許可を取ることなくこの行為をおこなってしまったことはすまなく思っている。君は『果実』を知っているかね?」
「ええ、知っています」
「君は爆発の影響で重体だった。君を救うにはもう『果実』に頼るしかなかったのだ」
だから俺に、その奇跡を。そうなのか、俺は生かされたのか。そう思うとなんだかすとんと胸に落ちる気がした。そっか、生かされたのなら死んでは行けないな、と。そしてそんな事故があったのだ。
「俺の通っていた、大学は」
残念ながら閉校した。そんな答えを得て、何故か俺は俺の道が見えた気がした。パッと光が差すような、そんな感じがしたのだ。
「あの!俺、医学部だったんです。まだ2年生だったんですけど、でも、えっとだから……」
役に、たちたい。俺に出来ることがあれば。そう身を乗り出して訴えるとその人はほっとしたように笑った。
「ああよかった。君からそう言ってもらって。では改めてよろしく頼むよ。私は」
きっと君にしかできないことがある、能力の特定は急ぎたいところだが、まずは君の快復が優先だ。もう少しゆっくり休むといい。それはきっと当たり障りのない言葉だったのだろう、わかっている。けれど俺はその言葉に弱かったのだ。「俺にしかできない」という言葉に。アイデンティティの確立に。
「逃げる方が悪いんだよバカが!……誰が魔女だ!誰がクリオネだ!お前らほんっといい加減にしろよ!」
今日も医務室はてんやわんやだ。怒鳴り声をあげる俺にときわくんもっとゆるりといこーよなんて言う赤と白の髪をした医者が言う。いやダメだろ逃がしちゃ。治るもんも治らなくなってしまう。それがどうしても嫌だから、ぱしっと壁にかけていた手錠をとり、パーカーを脱いだ。どうせ怪我人だ、そう遠くは行っていない。
「今から追いかけてやるから大人しく捕まれ!」
医務室の扉をガラッと開けて俺は走り出す。やべーやつが来た!という怪我人を追いかける。でも大抵は戦闘員だから、怪我していても割と早い。心拍数がバクバクとあがっていくのを感じながら廊下を走っていく。
「っしゃ捕まえたー!今月何回目だよ湊お前なぁ!」
「捕まっちゃったかぁ、だって治療中微動だにしちゃいけないの面倒だろう?僕は面倒だから嫌いなんだ」
「そういう問題じゃないんだよバカ、早く治さないと傷跡が残るし不便だろ?」
あーはいはい、と諦めたように言う彼女に手錠をかけて連れていく。見た目事案だねーと楽しそうに笑う彼女に、誰が事案にさせてると思ってるんだ?と言うとそれもそっか!と笑われてしまった。
「本当にときわさんは熱心だね」
「仕事だからな」
「ううん、そうじゃないよ。僕が言ってるのはそう、何かを埋めるように熱心だってことさ」
「そう、だな」
びくり、としかけたのは気づかれていないだろうか?このご令嬢は妙に勘がいいから気づかれてしまっていそうで不安だ。ちらり、と見ると赤越しにくすっと笑う緑が見えた。
──拝啓どうしようもない姉さんへ。誕生日おめでとう。俺は元気にやってるから安心して欲しい。姉さんはどうせ自由に飛び回ってるんだろう?でもまぁ、無事でいてくれればいいよ。俺はそれだけを望んでいる。姉さんが自由であればあるほど、俺は頑張っていられるからさ。
そうして、どこに出せばいいかわからない手紙に封をした。
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