十話

 雨降って地固まる、という言葉が日本にはある。

 なんだかんだもめ事が有っても最終的には良い関係に落ち着く、という先人の知恵だ。

 だがしかし、豪雨の果てに地面が流されてしまえばどうしようもないのではないだろうか。


「――なんとなく、状況は分かるのだけど、何故貴方がここにいるのか聞いてもいいかしら」


 淡々とした声音には明らかな毒が含まれていた。が、今の市松には見事に気にならないというか、気が付く気力すら残っていないようだった。

 文芸部部室、別名魔女の私室。大体育館の上階に位置する部屋には、部屋の主である不機嫌そうに紅茶をすする少女と、その先でいじけたように固まる少年の姿が有った。


「何で俺がこんな目に……」


 ぐずっと鼻をすする市松の眼には光るものがあった。言葉では言い尽くせない悲しみを宿した表情は、元が良いからか見るものの心を打つような美しさすらもっている。

 理由が理由なことを思い返せば、世に美醜の道理の理不尽さを嘆きたくなる現実である。


 普段ならば自慢の毒舌でとどめを刺しそうな黒崎だが、流石に原因の一端というか原因の源流を占めているからか彼女は大人しかった。

 まあ、その目は氷河期を三乗したがごとくに冷ややかではあったが。


「俺のせいじゃないのに、俺悪くないのに」


 市松はついに涙をこぼした。

 これもまた呪いの影響でしょげた猫耳が生えている状況でなければ、なかなかに絵になる光景であった。


「俺……俺、イケメンなのに」

「は?」


 ずっと黙っていた黒崎がついに素っ頓狂な声を上げた。絶対零度の目が得体のしれないものを見る怪訝な目へと色を変える。


「だって、おかしいだろ」


 市松はきっと黒崎をにらむように見た。彼にしては珍しい力強い瞳に、黒崎は軽く半身を引く。そんな彼女に市松はまくし立てるように内心を吐露した。


「俺ってさ、身長180センチ越えのイケメンで、頭もいいし、スタイルも手足長くてバランスよいイケメンで、運動神経も人並み以上だし、イケメンだし、超イケメンなのに――これっておかしいだろ、なぁ!?」

「……とりあえず、貴方が自分の容姿に相当のこだわりを持っていることはわかったわ」


 黒崎は苦虫を噛み潰したような顔でそういうと、眉間を指で軽く抑えた。軽く頭痛でもするのだろう。

 市松のほうは言い切ったら力尽きたのか、またぐずぐずといじけだした。永遠に続きそうな現状に黒崎はさすがにため息をついた。


「ねえ、とりあえず授業も始まるし、私はここを出たいのだけど」

「……うう、俺はもう一生猫耳をはやしたかわいい系少年でいるしかないんだ」

「だから猫耳が生える呪じゃなくて猫になる呪いって」


 まったく黒崎の声が聞こえていない市松を見て黒崎はイラついたように本を閉じると、強引にうつむく市松の頭を上へと向けさせた。


「な」

「お前の愚痴はどうでもいいが、聞きなさい」


 有無を言わせぬ絶対的な態度に、本能的な何かを感じ取った市松はごくりとつばを飲み込んだ。


「いい、私は姫森初音のキスが呪いを解くとは言っていない。真実の愛が呪いを解くといったの」

「でも俺は猫耳のまんまで、姫森は――別れるって」

「愛は一瞬で燃え上がることもあれば、氷河期に突入することもあるの。あとまあ、恋人でも本心どうかなんて保証書があるわけでもないから」


 容赦のない切り捨てに市松の目がうつろになる。脱力し、浜に打ち上げられたクラゲのようになった市松を黒崎は容赦なく揺さぶると言い放った。


「お前がどうなろうと知ったことではないけど、呪いをかけたものとしてこれだけは言うわ。いい、真実の愛なら呪いは解けるの。別に姫森初音でなくても、結構愛し合っていたすこといたせば呪いは解けるの!」

「でも姫森と別れたばかりだし」

「一年間! その足りない頭でよく考えなさい、365日もの猶予がお前にはあるの、分かる?」

「一年……」


 市松は天を仰いだ。灰になった頭でも黒崎が物理的な衝撃を加えたからか、少しずつその顔に力が戻っていく。


「黒崎、俺ってイケメンだよな」

「まあ、外身は悪くはないわね。中身はともかく」

「そうか」


 市松義弘、彼の最大の特徴はナルシシズムであり、長所短所もまたそのナルシシズムである。

 そしてその次に挙あげるべき特徴は素直、別名単純である。


「つまり俺が一年以内にかわいい女の子を落として、彼女になってもらって、熱々のキスをすれば――呪いはとけるのか」

「熱々かどうかはしらないけど、まあ」


 突然活気を取り戻していく市松を、黒崎は怪訝気に見る。そんな黒崎にかまわず、市松は胸を張って得意げに己の顔を指さした。


「それで俺はイケメンだ、頭も体もそこそこな文句なしのハイパーイケメン」

「個人の見解や認識は人それぞれだけど、人によってはまあ」


 歯切れの悪い黒崎の言葉も今は市松の耳には都合よく変換されているのだろう、彼はうんうんと頷くと尤もらしく続けた。


「そう、だからこの問題は超絶ハイパーイケメンの俺が女の子を口説いて、熱々のキスを頂戴すればいいという――それだけの問題なんだ」

「まあ偏見を八枚重ねしたように穿った見方をする人なら、そう言うかもしれないわね」


 もう人が変わったといっても過言ではないくらいに豹変した市松を、黒崎はそれこそ宇宙人か何かを見るような心の底から理解できない表情で見る。

 だがそのゲテモノを見るような目線と情け容赦のないというか現実的な言葉のナイフにも、市松は全く気にする様子はない。むしろ、すべてが自分を肯定しているかのようなその堂々たる態度である。

 市松は口元でふっとニヒルに笑うと、黒崎に勢いよく指をつきつけた。


「黒崎いいか、よく聞けよ。この程度の呪い、この俺にかかれば赤子の手をひねるがごとし! すぐに解いてお前に悔し泣きをさせてやる!」

「どうでもいいけど、私に指を向けないでくれる? あと授業もう始まるから、あほみたいな調子をとりもどしたのなら、いい加減に出て行ってちょうだい」


 ピシッと軽い音をたてて、黒崎が市松の手を叩き落とした。

 思いのほか痛かったのか、ぴょんぴょん飛び跳ねる市松をしり目に、黒崎は曇りの一つもない美しい笑顔を向けた。


「まあ、期待はしているわ。精々頑張ることね」


 市松の受難はまだ始まったばかりなのである。

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黒崎さんは悪い魔女 石崎 @1192296

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