お笑いの種類

 お笑いの種類について、ここでは考えてみようと思います。

 笑いの焦点となる種類には大まかに2種類あると考えられます。(これはあくまで僕が感じたものなのでもっと多くあるかもしれません)


 ひとつは前述の「お笑いの歴史」でも述べたように、日本語独特の言い回しである、というものがあると思います。


 日本語の面白いところでもあり、難しいところでもあると思います。

 たとえば、『いいまちがい』にしても、漢字読みによっては、

と変換されることもあるんですよね。ほぼ使われることはないと思いますが。


 落語の世界や漫才の世界では、この言い間違いが上手い具合に使われ輪をかけるように正そうとする意図がみられ、そこから笑いが生まれているのです。


 おそらく、外国人からすれば何のことやらさっぱりわからない。日本ならではの文化になると思います。考えてみると、日本語には不思議に固有となる文法表現に重複する形で、別の意味が使われるものが数多くあるからでしょう。

 たとえば

 『めいし』→『名詞』『名刺』『瞑し』『目意志』『明氏』

 『どうし』→『同士』『動詞』『同志』『導師』『同誌』『同紙』

などです。

 海外(とりわけ英語)にも文法表現で重複する言葉があるとおもいますが、そこから笑いに発展することはよほど流暢でないとできないことのように思えます。ただ、日本人からするとそこも笑いに変えられる要素があります。綴り間違いです。

 たとえば

 "rice"は『ご飯 白米』という意味ですが、頭の”r”を"n"に変えるだけで"nice"(良い)という意味に変わります。英語自体、大本がラテン語からきているものもあるからなのでしょうか。


 もうひとつは、五感をつかった笑いであるとおもいます。

 という表現だと分かりにくいと思いますが、簡単に言えば人間が何らかのアクションを起こした時の動作性の笑いです。

 昭和のテレビのバラエティ番組で多かったのは、この類と考えられます。

 たとえばで言えば、


 ひとりの女性がしつこい男に絡まれ、逃げようとする際に男の股間を思いっきり蹴り上げ、走り去っていく。男は悶絶にかられた顔でその場にうずくまる。さらに言えば、そこに小さい子供(4歳くらい)が現れて、訝しく男を指で突く。

 男の顔が痛みと苦しみと悲しみのグシャグシャな顔に彩られていた。

 

 というようなドラマによくありそうなパターンですが、笑えるところがどこにあるかというと、男の哀しい性にあたる股間を思いっきり蹴られたことによる、男の悲劇でしょうか。その場に現れた何も知らない小さい子供が首をかしげる姿にも笑いの共感を抱くのだと思います。


 結局のところ、お笑いを共有できるのは、が笑う人に備わっているかどうか、になるのです。

 前述の中で言えば、「女性と男には男の急所を蹴り上げれば一時的に動けなくなることを知っていた」という情報があり、「小さい子供にはその情報がなかった、もしくは気づいてなかった」から笑いが生まれたと思われます。

 男にとって見れば股間を蹴られたことによる苦しみと悲しみで彩られ、女性は困ったことから解放される。客観的に見れば、男の悲劇が観客からすると喜劇にかわる瞬間ではないかと思われます。


 五感に対する笑いのほうは、海外の映画でも随所にみられる手法ですね。

 ただ、小説でお笑いの表現を説明する上では、日本独特のを活用する方が、楽なようにも思いますが、シチュエーションに持ち込むのがかなり大変なんですよね。


 いかがだったでしょうか。また機会があれば、他の分野で考察してみようと思います。

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笑いについて 芝樹 享 @sibaki2017

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