第18話 補・めまぐるしく変わる監督
抜けていました。第3話と第4話の間に入れて下さい。
藤本監督の後は
• 後藤次男 1969
• 村山実 1970 – 1972 現役兼任
• 金田正泰 1973 – 1974 2回目
• 吉田義男 1975 - 1977
• 後藤次男 1978 2回目
• ドン・ブレイザー 1979 – 1980 途中から中西に
• 中西太 1980 - 1981
• 安藤統男 1982 - 1984
• 吉田義男 1985 – 1987 2回目
• 村山実 1988 – 1989 2回目
を見て貰ったら分かる。20年間の間にこれだけ変わって、それも2回がほとんどである。その上優勝は一度もなしというから、球団の定見のなさが見事に証明されている。
大きく間違ったのは、スター選手であった村山、吉田の順番を間違ったことであった。
この頃、代表戸沢が考えたのは吉田義男と村山実どちらを先に監督にするかであった。もっともことは急がなかった。準備期間を1年取り、その間の指揮を託されたのはヘッドコーチから昇格の後藤次男。まー、順当な人事と言っていいが、人いいクマさん(後藤の愛称)なら短期間で首にしても文句を言わないだろうの読みがフロントにはあった。後藤下のその年、コーチ陣に吉田と村山が選手兼任で入った。前年、ショートに藤田平が育ち吉田はセカンドになっており、衰えは避けられなかった。村山は、エースは江夏に譲ったとはいえ15勝8敗でまだ現役専任で良かった。これも均衡人事であったろう。そんな二人をコーチにつけられた後藤も大変だったと思うが「どうせ1年」と気楽にやったのがよく2位。それでも予定は変わらず交代。
そのとき、南海の名将であった鶴岡がやめたので監督招致に動いたが、NHKの解説がすでに決まっていると断られた(実際は球団の体質が嫌われた)。急遽内部昇格となり村山の兼任監督となった。オーナーのお気に入りとの噂もあったが、観客動員を考えて人気の村山を取ったと私はみている。
コーチ吉田、村山現役としておれば、スムースに吉田監督になり、その後を村山という順番になったであろうと思うと、後々まで悔いが残る人事であった。吉田は球団を去った。
『哀しきタイガース・監督編』 北風 嵐 @masaru2355
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