終幕
その日、私はすべてを失ったらしい。
私はきっとその日の事を忘れないだろう。
空の色が反転し、私の目には空が映らなくなった。
眼鏡越しでも、良くないものがそこにあるのが解る。
仰々しい雰囲気の中、私は
そこには一人の男性が居た。
背の高い方だ。髪が長く、その眼鏡の向こう側の瞳には表情がなかった。
「単刀直入に言おう。
名前を呼ばれ、体が震えた。その後の言葉の意味が解らない。
後にある扉が開き、誰かが入ってくる。
その手には見覚えのある刀がそこにあった。
〈
家宝であり、私達の家系を護ってくれている。そう。そう聞いた事がある。
兄が仕事の際に佩いていたのを覚えている。とても似合っていて、怖かった。
綺麗だった朱色の鞘は汚れていて、柄には血がついている。
「君の兄上が遺した物だ。君にはこれを受け取る権利と、放棄する権利がある」
羽瀬様は淡々とそう告げる。
この人は一体何を言っているのか。
これは
何故、ここに?
「そんな」
そんな事は酷すぎるではありませんか。
喉が引き攣って、言葉にならなかった。
この刀の
手が震え、膝をついて知らず知らずの内に涙が溢れている。
溢れた涙を拭う際に、眼鏡が落ちてしまった。
「返して……下さい……ませ」
やっと、やっと絞り出せた声は。手は。その刀へと伸びる。
その後のことは、あまり覚えていなかった。
布団しかない部屋に、私は荷物と刀だけで取り残された。
雪兄様が何故居ないのか、
部屋を出ると、そこには刀を帯びた人々が居た。
怪我をし、うなだれてる人。歓談している人。悲しそうにしている人。
色々な感情がそこには入り混じっていた。
私も倣うように、広間の椅子に腰を掛ける。
花守。というらしい。
霊魔と呼ばれる
漠然と。恐らく霧原の家は、そういう家系だったのだろうと思った。
この目が何かよく解らない何かを映しているのも、きっとそういうことだったのかもしれない。家族の誰も驚かず、決して莫迦にしたりせずに、優しくしてくれた。
この眼鏡を買い与えてくれた。この眼鏡をかけていたら恐ろしいものが見えなくなる。兄も弟も私が怖がると何時も大丈夫だと。護ってあげると言ってくれた。
あの二人の事だから、きっと何かを守るために戦って、そして居なくなったんだ。
何も知らずに、友人と遊び、笑い、女学校へ通った。
その頃に彼らは鍛錬を続けたのだろう。
喧騒を聞いていると、胸が苦しくなる。だから部屋へと戻ろう。
静かだった。
静かなのは好きだった。騒がしくするのは好きだけど、一日を思い返したりする時間が好きだった。
今は、騒がしいのも静かなのも辛い。
何かをしないと。そう思って、汚れた鞘や柄を拭く。
血は中々落ちなかったけれど、鞘は綺麗になった。
刃はどうだろう。慣れない手付きで鯉口を緩め、ゆっくりと引き抜く。
刀身には傷一つなく、汚れ一つもない。
鏡のようなそこに、私の顔が映った。
ひどい顔。急いで来たから、碌な化粧の一つも出来なかった。
鞘に収めるのも一苦労。そう思った時、何者かがそこに居た。
驚いて悲鳴を上げそうになるが、不思議とその姿に見惚れてしまう。
何かで読んだ事のある、烏天狗の様な衣装を纏った、何者か。
顔は見えず。口元だけが僅かに見える。表情は判らなかった。
その口がゆっくりと開けば、告げた。
『……霧原が護り刀。〈霧渡り〉。お前の力となろう』
声は暖かさと僅かな悲しさを感じさせた。
その後その姿が口を開き、次の言葉を告げようとするが、姿が霧のように霞んでいく。その言葉も雑音のようなものが混じり、すぐに聞こえなくなってしまう。
今のがきっと雪兄様を守ってくれた
私が何かを問いかける前には、既に何も無かった様に静かな部屋に戻る。
きっと何か、私には足りないものがあってその声を聞くことが出来ないのかもしれない。
花守と呼ばれた人たち。その人達と同じく行動すれば、何か解るかもしれない。
もう一度その声を聞いて、――雪兄様がどういう最期を迎えたかを、問いかけなければならない。
鞘へと刀を納め、床へ置くと、私は頭を下げる。
「よろしくお願い致します。〈霧渡り〉――」
私はこの日の事を、忘れないだろう。
<禱れや謡え花守よ・異聞>霧を祓い霧を渡る 七篠 昂 @ladida_boys
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