第3話 関門、通らざる者

 山林道を降りていく天地と墓碌。童子姿の木霊が枝上から見下ろす。

 未だ団子を想う天地は道の小石を蹴っていた。

 蹴った小石が茂みの奥に消えると、天地が騒めきを感じ取った。

 天地が、墓碌に耳を貸せと手招きする。

「どうした、お師さん」

 墓碌の重たい声が頭上からのしかかる。

「やけに……騒がしくないか」

 天地に言われて墓碌は始めて耳を澄ました。

 確かに枝上の木霊が騒めいている。

 この原因は、風の仕業とは思えない。だが獣とも言えない。なぜなら自分たちを取り囲むように、先回りして移動しているのだ。それもかなりの速度と群れ。

「狒々の連中ですかね。……にしちゃぁ、数が多すぎやスが。枝上とくれば犬鼬の畜生じゃあないでスし」

 墓碌の目つきが鋭くなる。ぐぐぐっと腕に力を入れて、臨戦態勢に入る。

「さぁて……」

 天地の顔は笑っていても体は強張っていた。そっと小袖へと手を入れた。

 いつでも二人は戦える準備ができていた。

 しかし実際は二人の勘違いだったのか、山中を抜けるまで一切の奇妙奇天烈は起きることがなかった。

「……」だが天地はこの騒めきが心残りであった。

 「刻を過ぎると今日中は無理だろうな、少し急ぐか」天地の言葉に墓碌は「ヘイ」と答える。

 

 数刻ほど山を下ると、街路へと出た。山中を抜ければ小さな道路関がある。仕事熱心な伴頭が居ると天地は団子屋で聞いていた。財布の心配をする必要はなさそうだ。

 田畑の作業を終えた農民たちが道先の野原で水筒の水を啜っていた。

 その横を歩き過ぎているなか、目先に関所が見えた。良かった。まだ門は開いている。

「おんやマァ、坊さんだ」「偉ェお方なんでさぁ」「ありがたやありがたや」

 すると天地と墓碌の姿を見た農民達が、彼らを見た途端に拝みだした。

(ええい、鬱陶しい)

 祈るだけで救われる。ふざけた理想が今の日本を巣食っている。天地は自分を拝みだした農民に怒りを覚えた。

 他者に救われるのを待っている、きっとどうにかなる。そんな理屈頼みを天地は嫌っていた。

 そろそろこの姿を辞めようか。そんな考えも起きるが、この姿は些か楽なのだ。旅人という職務に対する他人からの好奇心も無い。誰にも詮索はされない。一種の象徴めいた幻想イメージを着ていると言っていい。

 都合がよいのだ、天地にとってこの偽装は。

(ま、こいつ等の人生など、俺には関係ないか)農民の姿を記憶から捨て吐く。

 

 さてと関門。

 門の両脇に立っていた足軽二名が互いの長棒を交差させ、天地たちの行く手を阻む。そしてマニュアル通りの決まった台詞を吐くのだ。

「手形を」「通行手形を」足軽は始めから疑った声色であった。

 無論、仕方ないとも言えた。

 何せ雲水と山伏。呉越同舟にしてはやけに奇妙すぎる並びであるからして、このような奇天烈が居ては足軽達の忠誠心にも火が付くというわけだ。

「ああ、待て」天地はそう言うと小袖を探りだした。

「ほれ」と直ぐに手形を探り当て、これでどうだと足軽達に見せつけた。

 足軽達は一瞬、面食らっていた。まさかこの者達が公的手形を持っているとは思いもしなかったのだ。しかし偽造手形という事もある。

 足軽の一人は相方に目で合図すると、その手形を持って急いで所内に居る番士のもとへと走っていった。

「あいや待たれよ」そう言って残された足軽は睨みを効かせつつ、天地達を関所内へと案内された。

 おかしい。普通ならば千人溜で待たされるのだが。余程彼らは警戒しているのか、最初から天地達を不審者として扱っているのか、随分と奥まで連れて行く。

 天地達が案内されたのは、まさしく不審者や密行者を取り締まる関所構内の広場だった。

「ここでしばし待て!」と足軽が声を張り上げる。

(マ、当然っちゃ当然か)

 こんなこと天地にとっては日常茶飯事だ。関所通行の際、必ずと言ってもいいほど起きる出来事に過ぎない。

 だから、天地はこの待ち時間をびくびくと怯え待つのではなく、堂々と大きな欠伸をし、飽き尽きた祭りを感じているようだった。

 墓碌も同様であった。

 天地のように無礼ではなかったが、それでも待ち時間が退屈なため、自分達を睨む足軽や人見女たちを数えていた。

 二人の堂々ぶりが余計に所内の疑心を煽り立てているのを、二人は知らない。

 墓碌の数が伍を超えた頃合に、伴頭が所奥から現れた。

「伴頭を務める河合道長と申す」

(へっ、これまたお侍様のお役人って面ァしてやがる……)

 天地は気に食わなかった。

 仕事の都合とはいえ丹精拵えた着物をこれ見よがしに着ている河合がとてつもなく嫌味たらしいと思っていた。それに顔つきが気に入らない。品行方正、容姿端麗、いかにも人に好かれるといった要素の塊だ。

 それもあってか、天地は最初から話し合う気分になどはなれず、それこそ河合の言葉一つ一つに食ってかかるつもりでいた。

 河合は所内広場にて待たされていた二人をまじまじと見ると、溜息を吐きつつ「如何様な旅を」と訊ねた。

「随分と、高い所から物を言いなさる。……お役人様ってのはいつもこうだ。てめぇ自身が無能だろうと血筋が良ければ金蔵は貯まるものなぁ。あやかりたいもんだよ」

 河合の眉が一瞬跳ねた。無礼な働きだと周りの足軽達がいつ号令あっても良いように身構えだす。

 しかしこの河合、私情は持ち込まぬ堅物人であった。

 男前の顔にできた皺を伸ばして、「……如何様な、旅で」と再度天地に訊ねた。

「……先程の手形が全てを」と天地が面倒くさそうに答えると、それを見計らってか所奥からバタバタと忙しない足音がする。

 河合よりかは安物、しかしそれでも上等な着物。良い出生とこの侍だろう。

 彼は番士だ。彼らは手形改めなどの実務をこなす。あの眼鏡をかけた番士も今しがた改め終えたのだろう。血相を変えてすぐさま伴頭の耳元に走り寄った。

 天地は耳が良い。ゆえにこの距離ならば耳を傾ければ、会話を盗み聞くことなど容易い。

「…長様。この手形、本物でございまする」

「なに!? それは、真か!」

「ええ、はい。捺印も一致しました。甲府藩藩主柳沢様のものにございまする」

「うぅむ……」

 天地は気分がよくなった。にたぁと笑い、あのお高くとまった河合の顔が苦虫を噛み潰したようにくしゃくしゃになるのが滑稽で仕方がなかった。

 これまた嫌みたらしく「ではでは、申し開きがなければ? これにて終というわけで」と天地が食い掛った。

「うぅぅむ。しかし……面妖な、いいや……うぅむ」納得がいかぬ伴頭。

 しかしこの河合、私情は持ち込まぬ堅物人。

 身元保証が済まされたならば、早々と彼らの通行を許可せねばならぬと思っていた。それは番士も同じようであった。それにこの手形に書かれていることが真実であれば関わりあいを持ちたくないとも思っていた。

「……では最後に、一つ」

 勝ち誇った顔で天地が答える。

「ええ、如何様な事でも、伴頭様」

「こちらに、ヒトアラズとあるが」

 手形の書面を見せつけ、河合が言葉を求めた。

「……。ええ。それがなにか」

 河合が手形を見せつける。そこには間違いなく甲府藩藩主柳沢鈴清の名が肉筆で書かれ、捺印もあった。

 手形はこのようであった。

『差上げ申す事、特礼也 

 一、男一人 連れる者ども、人非ず。

 一、右の者、徳川公勅命怪異討伐のため、この度日本六十余州旅仕りそうろうあいだ、御関所相違無く御通り遊ばされ下さるべく候

 一、如何なる理由事情あっても男一人、及び同行者を罰する事無かれ』

 そして、そのあとにはわざわざ以下の但し書きまでしてあった。

『此の特別手形は極めて特礼であり、既存公式文書に類しないものである。其の為、偽造文書ではないことを示すために此処に名を記す。

                   甲府藩藩主 柳沢鈴清 印』

手形そこにあるように、墓碌は妖だが……。許可は出ている。俺の式だ――満足か? だったらさっさと通させろ。宿を探さないといけねえんだよ」

「……事実を、お見せいただきたい」

「あぁ?」

 天地が手形を指さした。

「お堅いお役人さんよ。そこにある通りだ。許可はある。さっさと通せ!」

「だが……本当に妖かどうか確認できなければ……罪人を逃がしているなどがあってはならない!」

 お堅い奴だ。自分の正義をどこまでも貫きたいのだろう。だが彼の考えが通常なのかもしれない。周りの足軽達も頭を縦に振っている。

 すると墓碌が一歩前に出てきた。

「いいえ、いいえ。やつがれ、伴頭河合様のお気持ちお察しします。唐突に奇人二人がやってき、そのような文面を渡してくる。ましてや一人は妖とくれば、こうもなりまする。しかし、僕、隣にて騒ぎ立てておる御師匠様の式であり、弟子であり……。それに関しては揺るがぬ事実」

 河合は信じきれなかった。一度も見たことのないものを、たとえ幕府お抱えであろうと事実と認めることはできなかった。河合はは墓碌の言葉を聞き捨て、語気を強めた。

「ならばこの場でその化けを剥げ」流石に真を見せるしかないと墓碌は悟った。一度、天地に目配せすると、彼は渋々頭を縦に振る。「――宜しいでしょう。では」

「然らば」

 墓碌が一礼した後、ふっと腹に力を込める。

 するとどうだ。

 墓碌の針毛が逆立ち、ただでさえ偉丈夫な肉体は更なる膨張を見せ始めた。次第に顎が骨ごと前へと突き出し、後頭部が後ろへと引き延ばされていく。

 牛だ。墓碌の頭が牛の頭蓋骨に変わっていく。

 ギョロっと飛び出た目玉が煙に消え、ぽかりと空いた眼窩の奥では怪しげな火の玉がぼうっとぎらめく。

 カタリと骨を鳴らして、墓碌が笑う。

「如何様で」

 ぐぅ。河合は何も言えなかった。それどころか身震いはおろか、冷や汗一つかくことができなかった。まるで金縛りにかかったように、その場で体が氷結してしまう。周りの足軽達もそうであった。

 墓碌という妖。その場にいた生物全てが、本能で感じ取っていた。少しでも怒らせたら、あの腕で、脚で、口の牙で、殴られ、嬲られ、食い殺されてしまう。

 あまりの気圧に、河合の横に座っていた番士など泡を吹いて倒れてしまっている始末。河合達は今、意識を保つのが精一杯なのだ。

「今のご時世、ごのように式すら見守りに駆り出されるものでしてね」墓碌が手を叩いて、張り詰めた空気を破裂させた。

 ふっと生気が戻った河合は襟を正すが、先ほどまでの威厳はない。

 墓碌が満足げにぶふぅと鼻孔から息を吐きだすと、みるみる元の人間顔に化けていく。

「さあて、これで手形通りと分かりましたな。多からず少なからず、通る者は一名。きっかりと」

 額を流れる汗を拭いながら、河合はようやく通行許可を印した。

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アヤカシ・ジャーニー  吹き矢 @pigu0833

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