エピローグ 鐘の音が響いている

 知らない街の、よく知る空。もうひとつの空。同じ空。

 だから今日のために雨雲を追い返すことくらい、なんてことなかった。


 この見鐘台にもうすぐ、二十数年ぶりにシンボルの音が鳴り響く。




「今回も非常に大掛かりな仕事でしたな、清次さん」

「うふふ、娘たちのためですからね。これまでで一番張り切りましたよ」

「それもこれも、蓮未さんがこれ以上ない品を仕入れてくださったからです」

「いえいえ、私共も同じく。息子たちのためですからね!」

 そして両家親族は、真新しいチャペルを見上げて、親しみを込めた明るい声をこちらに届けてくれる。




 この街を永らく見守ってきた初代の鐘は、遥たちの生まれた年に落雷に見舞われ、時計台ごと失われてしまったの。その後は新しく建設、設置をし直そうという話も出ないわけではなかったけど、財政面や維持管理等、山積する問題に阻まれ叶わなかった。

 そこで立ち上がったのが見鐘台出身の建築デザイナー、遥の両親である清次夫妻ね。ヨーロッパで培ってきたアイデアやセンスを活かし、時計台跡地にチャペルを建設しようと動き出すの。

 私たちの両親、蓮未夫妻もこれに賛同。広く貿易業を営むその伝手から取り寄せた、この二代目となる鐘を主役に設計がなされたという話。

 娘、息子の晴れの日、その舞台となるだけあって、並々ならぬ想いを込めたことだろうと思うわ。

 私だって、本当に、嬉しいもの。




「ちょっと…、ここは入っちゃだめでしょうよ」

「いーのいーのっ。サプライズだしっ」

「いや…まずいって。普通入んないから…」

「普通のことやってたらサプライズにならないよっ」

 何だろう。扉の向こうが騒がしい。

「苦しくないですか?」

「あ…はい、大丈夫です…」

 話し声に気を取られている間に、もうドレスは胸元までずり上げられていた。コルセットの紐を引っ張られるたび、上半身が持っていかれそうになる。大丈夫じゃなくても、こんなとき、それを正直に言える人がどれだけいるだろう。

「ん…!」

 きゅっと結ばれる紐の擦れた音は、開くドアが掻き消した。

「遥ーっ!おめでとーっ!」

「…おめでとう、遥。あとごめん」

 鏡に映る、二人の姿に目が丸くなる。

「紗奈ちゃん!美冬ちゃん!」

 私は振り返り、驚きよりも勝る喜びに声を上げた。申し訳なさげに縮こまる紗奈ちゃんをよそに、美冬ちゃんはお支度の担当の女性と親しげに挨拶を交わしている。

「どうしたの?こんなに早く」

「美冬がさ…あ、でも林堂も見かけたよ」

「え?時間、間違えたのかな…」

「んー、でもあたしの見たところ…」

 そこへ、美冬ちゃんが後ろ手に何かを隠しながら加わる。

「男と男の約束だよっ」

「えっ!?」

「うん、そう。そんな感じ」

「グータッチしてたもんねっ」

「やけに真剣な顔でね」

「そう…」

 なかなか想像はできないな。私のいないところで向かい合う二人は、掴み合う、というか湊人が一方的にだけど、そういうところしか見たことないし。

 でも、仲良くしてくれてるのなら、良かった。

「それでねっ…」

 美冬ちゃんはちょっぴり悪戯っぽい含み笑いをすると、すぐに満面の笑みに変えて、背中からそれを取り出す。

「はいっ、遥っ!」

「うん…?」

 ここにいる、私と紗奈ちゃん以外は皆にこにこしている。まるで、この綺麗な箱の中身を、知っているみたいに。

「え、美冬、そんなのいつの間に用意したの」

「ふふっ、敵を欺くにはまず…ってやつだよっ」

「敵て…」

「ね、開けてみてよ遥っ」

「いいの?…ありがとう!」

 純白のオーガンジーリボンをほどいて、それを紗奈ちゃんが持っていてくれた。化粧台の椅子に箱を置いて、蓋を持ち上げたら――。

「あ…っ!」

 光を透く、それはそれは見事な。

 瞬間、思い出す。美冬ちゃんに、素敵な魔法をかけてもらった、文化祭のときのこと。

「嘘…すごい…」

 どうしよう。もう泣いちゃう。

 だって、今私の手に、紛れもなく、本物の。


 ――いつか必ず本物のガラスの靴、作ってみせるからっ!


「美冬ちゃん…これ、本当に…?」

「もちろんっ!約束したでしょっ?」

「すっご…さすが美冬。良かったね遥。…遥?」

 美冬ちゃんは、やっぱり魔法使いだ。

「…っ」

「泣かない泣かないっ!まだ早いよっ」

「もー、相変わらず。ほら、メイクさん慌ててるよ」

 スポンジと粉を当てられながら、私は泣けない代わりにいくつも呟いた。

「ありがとう…本当に、ありがとう…」

 鏡越しに二人は、笑顔でずっと見守ってくれていた。




 太陽が、鐘を飾るように輝く。そして私を見つめている。私も微笑み返すように目を細める。

 そこから少しずつ、視線は下る。

 扉の前のその真っ白な後ろ姿に、思った通りときめいた。

 一気に煌めく白のAライン。首に揺れる、それをなぞる。不思議と、昔のような緊張はない。今はただ早く触れたくて、私はもちろんピッタリのガラスの靴で、一歩ずつ、彼の元へと近づいていく。

 この足音に振り返ったら、また、魔法をかけて。


 カタン。


 彼が気付いた。


「…遥」


 私は返事もできない。


「…!」


 あのときよりも、魔法は遥かに強かった。なぜだか急に、大人びたよう。毎日見てきたはずの、彼の笑った顔が、どうして、こんなに。


「…こっちだよ」


 太陽よりも熱い、その中にやさしさを宿していて。


「…本当だったね」

「うん?」


 月よりも強い、その中にあたたかさを根付かせていて。


「鷹矢くんの言ってたこと」

「…だからそう言っただろう、俺は」


 また、会えたんだね。


「タカヤくん、この頃やさしくなってきたもんね」

「それ、今朝母さんたちにも言われた」


 もしかしたらあの頃から、今日のことをあなたは知っていたの?


「じゃあ、先に行って待ってるね」

「迎えに行く。すぐに」


 あなたはずっと、あなただったんだね。


「時間になります、ご準備を」

 私は膝を折り、ヴェールを被る。

「おっきくなったね、遥」

「うん、ありがとう…お母さん」

「…扉開きます!」


 そしてあの時のように、私たちは最高潮のざわめきに迎えられる。


「!」

 さっき下ろしたはずの純白のヴェールは、彼の手の中。

 段取りを無視した、誓いのキスは強引に。

「すぐって、言ったろ?」

 そういうところ、

「…ふふっ」

 前から、好き。


 鐘が鳴る。響いている。きっと街中に、私たちの笑い声も乗せて。「いつまでも一緒」の幸せをかたちにした、四人分の、いっぱいの。

 これからもそうやって、満たしていこう。

 タカヤくんは右手を、私は左手を。お父さんには悪いけど、私たちは一緒に扉の向こうへ行ってきます。

 だって笑顔が止まらない。

 おとぎ話は、ハッピーエンドが好きだから。

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まま恋。 美木 いち佳 @mikill

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