終章
終章
二人の大人たちは、武史君の話のとおり、製鉄所に飛び込んで水穂さんの介抱を行った。その時は、武史君を責めたり、悪口をいう事は一切しなかった。
薬を飲ませて、口の周りについたモノを拭き取って、汚れた寝間着を取り換えてやって、やっとすべての介抱が終わった所で、やっと大きなため息を就く。
「ごめんなさい。」
武史君は布団の隅で正座をし、ペコンと頭を下げた。
「そうだねえ、、、。」
返答に困ってしまう父のジャックさん。
一方の所、水穂さんは、しずかに眠っている。
正直なところ、咲もどうしたらいいのだかわからなかった。たしかに逃げてしまったことは問題であるが、もし咲たちがやって来なかったら、水穂さんは先ず助かることもなかった可能性もある。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい。」
武史くんはまだ泣いていた。
と、いう事は、かなり反省してくれているという事だろうか。
「そもそも、、、。」
ジャックさんは武史君を困った顔で見た。
「たしかに、僕たちには多大な迷惑を掛けましたが、その結果として、水穂さんのことを知らせてくれました。こういう場合イギリスでは、良いことをした方をほめるのが通例なんですけれども、日本では違いますよね。」
たしかに日本では真逆である。其れはよく知られている。そんな事、当たり前だと息巻く人さえいる。だけど、武史君がしたことに対して、咲は、しかろうという気にはならなかった。其れよりも、大事な右城君が、たいへんなことになる事のほうがもっと怖いことだと思った。
「いやはや、本当にすみませんでした。俺がもうちょっとしっかり監視すべきだったんです。眠っているから大丈夫だと思って、買い物にでちゃってまして。」
咲から連絡を受けたブッチャーがやっともどってきた。
「すみません。俺が不注意で。」
ブッチャーは、そういって、まるで自分が悪いかのように言うが、
「そうなりますと、一番悪いのは、右城君ということになるのかしら。」
と、咲が言った。というとそういうことになる。理論的に言えば、その原因を作った水穂が一番悪いということになるのだが、なぜかみんな水穂さんのせいにしてしまう気にはなれなかった。どうしてなのだろう。単に、水穂さんが余りにも綺麗すぎて、許してしまうというだけではなさそうであった。
「本当にすみません。俺、この騒ぎの始末として、ちゃんとお支払いしますから。今回畳の張替代だけでなく、お二人にもちゃんと。」
と、ブッチャーはいうのだが、
「そんな事必要ありませんよ。悪いのは、武史が勝手に入ってしまった事から始まったんです。だから、僕たちが、何とかするべきでしょう。」
と、ジャックさんもいい返した。咲は、日本人であれ、西洋人であれ、人間は、必ず誰かのせいにしないと、解決できないという所に、どうしてかなと何だか情けなく思ってしまうのだ。
「武史が、迷惑さえ掛けなかったら、こんなことは起きなかったかもしれないし。」
武史君はしずかに泣いていた。
「これでわかったよ。僕はやっぱり馬鹿な子なんだね。よく学校の先生が、武史君は変な絵ばっかり
描くから、近づかないようにって、ほかの子に言っていて、みんなその通りにするので、、、。」
なるほど。学校で孤立してしまっているのか。学校の先生も、変な子を受けもってどうしていいのかわからないから、そういうことをしてしまうのかもしれない。実は、まだ日本の教育現場に、こういう変な子を受け持った場合、どうしたらいいのかをアドバイスしてくれる人はほとんどいないのが実情であった。そういう場合、すぐ普通学校から弾き飛ばされ、山奥の隔離された特別支援学校とかそういうところに、行かされるようになる。其れはもしかしたら、ゲットーに移住するのと同じことかもしれない。
いずれにしても、彼らの将来の事とか、そういうことを考慮した教育をしてくれる所はほとんどなく、ただ一時しのぎ程度しか、思っていない教育者が多いということだ。
「でも、僕は今日、おじさんにあえて良かった。」
武史君はそんなことを言った。と、いうことは水穂さんがなにか言ったということだろう。水穂さんに何を言われたのか、咲はそこを聞いてみたかったが、あまり詰問するのもどうかと思った。一方、ジャックさんに至っては、欧米人らしく、それ以上のことは質問しなかった。どんな小さな子どもにも、プライベートなことはあると考えているらしい。
「やめようか、相談所に行くの。」
ジャックさんは小さな声で呟いた。
「あら、どうしてですか?」
咲が聞くと、
「いや、ちょっと可哀そうかなあと思ったんです。せっかく、おじさんと感動的な話をして、一助けまでやったのに、今から君はちょっとおかしい子だから、矯正しようというのはどうかと、、、。」
と、答えが返ってきた。其れは若しかしたら、教育者から言うと、甘やかしという言葉になってしまうのかもしれないが、武史君というよりジャックさんの方が、相談所に行きたくなかったのかもしれない。
「そうですけど、それではいけないのではないですか?しっかり武史君のことは決着をつけてあげたほうが。」
と、咲が言ってもジャックさんは、まだ、結論を出してしまうのは早いのではないかといった。早いうちから、おかしな人間といってしまうのは、可哀そうだという気持が取れないのだろう。
「いやいや、俺の姉ちゃんも、たしかに普通の人から見れば、おかしな人と言われてもしょうがないのですが、俺の姉ちゃんだからこそ、できる事もありますよ。だから、俺はそのまま生きていくしかないと思っています。ここにいる、水穂さんだって、いろんな人に多大な迷惑を掛けますが、水穂さんなりにすごい所もあると俺たちは認めているので、そのままでいます。」
不意にブッチャーがそんなことを言った。その言葉に、咲もジャックさんもなるほどと声を上げる。
「結局、何が普通で何がおかしいなんて線引きは、しないほうがいいんじゃないでしょうか。たしかに気持ち悪い絵を散々描いてきた子ですが、そのうち変わってくるかもしれないし。これはいい、これはだめ、と勝手に基準を決めてますけど、其れだって、誰が決めたのかはっきりしませんしね。」
と、ジャックさんはいう。例えば、中東の方では、よく神様が決めたこととして、やってはいけないことが明確に定められているが、日本には日常生活まで制限する宗教があるわけでも無いし、政治家の権限がそこまで強いわけではない。寧ろ明確な線引きがなくて困っている位だ。
「だからこのままでいいんじゃありませんか。なんでもかんでもこれはいい、これはだめといちいち善悪付けてたら、このままだときりがなくなりますよ。」
と、ジャックさんはそれで納得してしまっているらしい。でも武史君が将来、苦しい思いをしないで生活していくためには、やっぱり障害という言葉も必要になってくるのではないかと、咲は思うのだが、、、。気が弱いためか、其れはいう事が出来なかった。
「本当にすみませんでした。今回は武史が申し訳ないことをして。」
ジャックさんはそういってブッチャーに頭を下げる。
「ごめんなさい。」
武史君も、父のジャックさんに続いて、丁寧に座礼した。そういう所をみせておけば、武史君も悪い方には行かないかなと咲も思った。他人に危害を加えることは、謝らなければならないことは、しっかりみせてはいるのだから。
「日本も変わってきたわね。なんだか、他人に悪いことをしなければ、何をやってもいいという風潮がでているようだけど、果たして其れはいいことなのかしらね。」
ブッチャーとジャックさんは畳の張替代について話している。今回は、僕たちも悪いことをしてしまったのだから、畳の張替代は分割して僕たちが払うというジャックさんだが、ブッチャーは、体調管理をしっかりしていなかった、こちらの過失でもあると言って其れを拒否していた。もし、、右城君が目を覚ましたら、また違った展開になるだろうなと咲は思ったが、睡眠薬で眠っている彼を起こすのは、また別の問題も発生してしまうかもしれないと思って、それはしなかった。
その数日後。
咲は、苑子さんと再びお箏教室で仕事をしていた。丁度、生徒さんがかえって、お箏を片付けていると、苑子さんがこんなことを言い出した。
「そういえば、あの杉ちゃんたちは、また来てくれないかしらね。」
「そうですね。」
ジャックさんは、あれ以来お箏教室にはすがたをみせなくなっていた。
「多分忙しいんじゃないですか。日本の絵を習ったり、人にもおしえたりしているそうですから。」
とりあえず咲はそれだけこたえておく。
「そうなのね。このままだと、あたしたちより、ああいう外国の人のほうが、日本文化に詳しくなっちゃいそうね。」
苑子さんはそこを悲しそうに言った。
「いいんじゃないですか。事実そうならなきゃ、日本の文化は根付きませんよ。今の日本では、常識とされている所から、外れなければ、こういうモノに出会える確率も少ないでしょ。」
確かにそうである。大体日本では音楽と呼ばれるものは大体洋楽に決まっている。
「そうねえ。他人に危害を与えなければ、何をしてもいいってもうちょっと広がれば、邦楽に触れようと思ってくれる若い人も増えるかしらねエ。」
苑子さんはそういうのだが、そうなれば、こないだの武史君の事件のようなことがどんどん増えていくだろうなと咲は思うのだった。
柱の傷は一昨年の 増田朋美 @masubuchi4996
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます