TAPIOKA

λμ

後藤とヤス

 細い月の夜だった。

 後藤は一張羅の高級スーツに身を包み、舎弟のヤスを連れて人気のない倉庫に入った。

 見るからにチンピラくさいからやめろと常日頃から口を酸っぱくして言いきかせているのに、ヤスは今日もアロハにスカジャンという方向性を見失った格好をしていた。

 二人の靴音が冷たいコンテナ倉庫に虚しく響いた。


「アニキィ……マジでやるんスかぁ……?」

「……ヤスゥ……ここまで来て何言ってんだぁ……? もう、とっくだぞぉ……とっくにとっくだぁ……」

「アニキィ……とっく、って何スか? 何がとっくなんかスか……?」

「そらおめぇ……とっくはとっくだろうがぁ……」


 後藤は声にドスを利かせ、ヤスを黙らせた。とっくに引き返せないところまできている、の一文をド忘れしてしたのだ。


「でもアニキィ……やっぱ俺、こんなシノギ無理ッスよぉ……」

「バカ野郎ヤスゥ……何ビビってんだ」


 後藤は正面の暗闇に向けて顎をしゃくった。


「向こうさん、もう来てんじゃねぇか……シャンとしろぉ……」

「アニキィ……」


 ヤスは両手で股間を隠すようにして背を丸めていた。

 後藤は殊更に胸を張り、正面に立ち並ぶ男たちを見据えた。

 窓から差し込む月の光に照らし出さた男たちはいずれも浅黒い肌をし、闇取引の場には似つかわしくないほど賑やかでラフな服装だった。


 取引相手のベトナム人たちだ。

 どこから持ち込んだのか知れない傍のアルミ机に、黒いスーツケースが置かれていた。

 男の一人が疲れたような笑みを浮かべ、片手をあげた。


「待ちましたですヨ後藤さん。何でこんな遅い時間ですか?」

「時間と場所はこっちが決める……そういう約束だろうが」

 

 交渉の主導権はこちらにある。それを示すのに最も手っ取り早い取り決めだった。

 男は目をこするような仕草をした。


「でも眠いですヨ。それにこの辺、夜は人少なくて怖いヨ。物騒です」

「も、文句あんのかコノ野郎!」


 ヤスの上ずった怒声に、ベトナム人たちが一瞬首をすぼめた。


「やめとけヤスゥ……取引に来ただけなんだぁ……穏便になぁ……」

 

 後藤はスーツケースを指差し、男に尋ねた。


「それが例のブツかぁ……?」

「そうです。いっぱいいっぱい苦労したですヨ。ミァーに頼んで送ってもらったよ」

「ミャーだぁ? 猫にでも頼んだのかぁ?」

「違うですヨ。えっと……ママ……お母さんです」

「そうかい……おっかちゃんによろしくなぁ……ブツを見せてくれぇ……金はそれからだ……」


 後藤の言葉に、男たちの一人が黒いスーツケースに手をかけた。

 バチン! と弾けるような音を立て、ケースが開いた。

 白い粉――正確にいえば黄色みがかった白色の粉が、小分けにされてパンパンに詰め込まれていた。


「……本物だろうなぁ……?」

 

 後藤はポケットから小さな飛び出しナイフを出し、袋の一つに突き立てた。


「あっ」

 

 と、男たちの一人が幽かに声をあげた。


「……せっかく詰め替えたのに……何で穴開けちゃうよ……日本人変わってるよ……」


 男の非難がましい呟きに一睨みくれ、後藤は指先で粉を擦り合わせた。細かな粒子が絡み合うような感触があった。上物だ。

 本物の――


「――いいキャッサバ粉だぁ……」

「そうだよ。ミャーが選んだですから間違いないよ。ミャーのお店はミトーいち美味しいから、これで後藤さんのお店も繁盛です」

「いいだろう」


 後藤はケースを閉め、肩越しにヤスに言った。


「ヤスゥ!」

「ハイッ!」

「金だぁ……渡してやんなぁ……」

「ハイッ!」


 声がデケェんだよぉ……という後藤の呟きに目礼し、ヤスは不承不承といった様子でスカジャンのポケットから分厚い茶封筒を出した。


「オラッ! 金だよ!」

 

 つっけんどんに突き出された茶封筒に、男たちはぎょっとした顔で互いを見合った。やがて封筒を受け取ると、中から十枚程を抜き取り、残りをヤスに返した。


「これだけで十分ですよ。ケース代と、手間賃です。長く取引したいだから――」

「そうかい……また頼むぞぉ……」

「任せてよ。美味しいお店作ってよ。私たちも行くですから――」

 

 そう言い残し、男たちが去っていった。母国語で何やら言い合っていたが、ほとんど何を言っているのか分からなかった。一つだけ、何で全部もらわなかったのか、そんな声が聞こえた気がした。


 後藤はようやく手に入れた上物のキャッサバ粉にほくそ笑んだ。ベトナム人たちはこれが大金に変わるとは思いもよらないだろう。

 

 キャッサバ粉――昨今、若い衆の間で流行っているというタピオカの主原料――の親戚だ。

 タピオカ粉はキャッサバの根からデンプン室だけを抽出して精製するが、キャッサバ粉は根っこを磨り潰し粉末状にしたものである。似ているが、違うものなのだ。


「アニキィ……ホントにやるんスかぁ……?」

 

 ヤスの泣きそうな声に、後藤は小さくため息をついた。


「ヤスゥ! 情けねぇ声出すんじゃねぇ……最近のヤクザはタピオカでシノグんだ……グー○ルディスカバーでみたんだよぉ……」


 チンケな組の、名ばかりの若頭ワカトウ。組が抱える上の組への上納金で、毎月苦労させられている。この商機を逃す手はなかった。


「でもアニキィ……タピオカはタピオカ粉で作るッスよぉ……原料からとか――」

「バカ野郎!」


 後藤の怒号に、ヤスは縮こまった。


「いいかぁ……? タピオカ粉はデンプンの塊なんだぁ……あんなもんばっか食ってたら、ただでさえメシを食わねぇ女どもが糞詰まりになっちまうだろうがぁ……」

「アニキィ……」

「キャッサバ粉はちげぇぞぉ……? 食物繊維たっぷりだぁ……糞詰まりが治って痩せる……昔はそう言って売られてたんだぞぉ……?」

「でもアニキィ!」


 ヤスは肩を震わせながら言った。


「みんな、写真撮ったら捨てっちまうんですってぇ!」

「バカ野郎!」


 後藤は黒いスーツケースをヤスに差し出した。


「だったらオメェが、みんなが食いたくなるようなタピオカ作れぇ……得意なんだろぉ……? 料理……」

「アニキィ……!」


 一瞬、感極まった様子をみせたヤスだったが、すぐに顔を歪めた。


「食べたくなるタピオカって……それもうシノギじゃなくて本職ッスよぉ!」

「バカ野郎!」


 後藤はニッと歯を見せて笑った。


「俺らは本職ヤクザだろうがよぉ……行くぞぉ……」

「アニキィ……」


 ヤスはスーツケースを胸元に抱え、後藤の背中に向かって呟いた。


「本職の意味がちげぇッスよぉ……」


 人気のない倉庫に、靴音だけが響いた。



 ――その後、後藤が打ち出したキャッサバタピオカは案の定ウケが悪く、代わりにヤスが作ったキャッサバトルティーアのベトナム風タコスがほんのり繁盛した。

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