第八話(エピローグ)
「居なくなったって、いつからだい?」
リリィに上着を預けながら、ダベンポートは足早にダイニングに向かった。
「お昼ご飯を食べる時までは一緒でした」
リリィがすぐに後に続く。
「外に遊びに行ったのではないのかい?」
「一人でですか?」
ダイニングにはマーヤが一人で座っていた。
椅子を引き、マーヤの隣に腰を下ろす。ダベンポートは身体ごとマーヤに向くと優しく訊ねてみた。
「マーヤ、エリオットがいないんだ。何か知らないかい?」
「あのね、お兄様はお手紙を置きに行ったの」
マーヤが平然と答える。
「お手紙?」
ダベンポートはリリィと顔を見合わせた。
リリィによれば、それまで家の中でエリオットを呼んだり、庭を見回ったりはしたのだそうだ。だが、マーヤが小さいため、マーヤに訊ねるところまでは気が回らなかったと言う。
「手紙か」
ダベンポートは少し考えた。
「きっと両親にだな。二人の両親はエリオットとマーヤが隠れていた廃屋に迎えに行くと言っていたそうなんだ。そこに自分たちがいなかったら両親が心配すると思ったんだろう」
「でも、セントラルまで徒歩でですか?」
居た堪れないと言う風に、リリィが胸の前で握った両手を揉みしだく。
「子供には距離感がよく判らないからね。ここに来る時は馬車だったから一時間足らずで着いたんだ。だが、セントラルまで歩いたら子供の足では到底たどり着けないと言うことがまだ判らないんだろう」
ダベンポートはリリィからもう一度上着を受け取ると玄関のドアを開けた。
「急いで馬を出すよ。ちょっと探しに行ってくる。なに、セントラルまでは一本道だ。急いで行けばすぐに見つかるだろう。もうじきクレール夫人が来るだろうが、今日のところはお引き取り願ってくれ。今日は無理だ」
ダベンポートは急ぎ足で魔法院の厩舎に行くと伝令用の足の速いサラブレッドを借り出した。
「ハイッ」
手綱を使い、厩舎の中から馬を走らせる。
走るのが嬉しいのか、馬が鼻息荒く厩舎を飛び出す。ダベンポートは中腰になると、全力疾走する馬の上で身体を支えた。
ドドッ ドドッ ドドッ
サラブレッドがさらに速度をあげ、土を蹴る両足から盛大に土煙をあげる。
馬が池の側を駆け抜け、魔法院の正門へと繋がる石畳の太い道を駆けて行く。
「よし、いいぞ。いい子だ!」
ダベンポートは手綱を操作しながら舌を鳴らして馬に合図し、半分鞍からぶら下がるようになりながら正門前のコーナーを駆け抜けた。
サラブレッドが大きな正門を疾風のごとく飛び出していく。ダベンポートは速度を保ったまま、セントラルに向けてさらにサラブレッドを疾走させた。
…………
二十分ほど街道を走ったところで、ダベンポートは前を歩くエリオットの姿を遠くに認めた。
もうすっかり回復したのか、しっかりとした足取りで歩いている。時折立ち止まって周囲を確認し、再び歩き出すという動作の繰り返し。
(賢い子だ。馬車の中から道を覚えていたのか)
「エリオットー!」
ダベンポートは馬の上からエリオットの小さい背中に呼びかけた。
「エリオットー、止まりなさい!」
「!?」
エリオットがその声に気づき、驚いたように振り返る。
「ダベンポートさん?」
「エリオット、歩きでセントラルまでは無理だ。さあ、乗りなさい」
ダベンポートは手綱を引いて馬を止めると、エリオットの隣に飛び降りた。
「セントラルまで行こうとしているんだろう?」
軽々とエリオットを抱き上げ、鞍の上に乗せてやる。
ダベンポートはエリオットの後ろに跨ると再び馬を走らせ始めた。
「あのね、僕……」
叱られると思ったのか、エリオットが振り返って何かを言いかける。だが、ダベンポートは柔らかい笑みを浮かべると首を横に降った。
「判っているよ。手紙を残しに行くんだろう? 君たちが隠れていた廃屋に」
「なんでわかるの?」
エリオットが不思議そうにする。
「大人にはなんでも判るのさ」
ダベンポートは手綱を使って馬の速度を上げた。
「急がないと日が暮れてしまう。エリオット、馬のたてがみにしっかり掴まるんだ。走らせるぞ」
ダベンポートは馬を二人のいた廃屋に止めると、手綱を手頃な柱に巻きつけた。
「ところで、手紙はいつ書いたんだい?」
エリオットを鞍から下ろしながら少し不思議に思って訊ねてみる。
「何日かかけて、書き取りの練習の後に書いていたんです」
ダベンポートはエリオットに手渡された紙片に目を通した。
ちゃんとダベンポートの家の住所も入っている。幼い文字だが、ちゃんと読める。「ああ、これでいい」
ダベンポートはエリオットの手紙の内容に満足すると、今度は内ポケットから羊皮紙を取り出した。
「これでは小さすぎるからな。そこの壁に焼き付けてしまおう」
ポケットに挿していたペンを取り出し、フリーハンドで魔法陣を描く。
ダベンポートは廃屋の奥に落ちていた石炭の粒をエレメントに使うことにした。
計算した通りの位置に魔法陣を起き、石炭とエリオットの書いた手紙を魔法陣の上に重ねる。
「エリオット、明るく光るぞ。目を保護しなさい」
そう言ってエリオットを下がらせる。
十分な距離を置いてから、ダベンポートは起動式を詠唱した。
「────」
ついで魔法陣を起動するための固有式を詠唱。
パンッ
何かが弾ける大きな音。
同時に廃屋の中が閃光で満たされる。
「わっ」
明るい光にエリオットが思わず小さな悲鳴をあげる。
「これでよし」
再び目が暗がりに慣れたのち、ダベンポートは壁面を撫でてみた。
計算した通り、エリオットの字が縦横三倍に拡大されて大きく壁面に彫り込まれている。
「これが、魔法なの?」
エリオットは目を覆っていた両手を下ろすと、自分の書いた文字が彫り込まれた壁面をまじまじと見つめた。
「ああ、そうだよ。ちゃんと使えば役に立つのさ。何も怖いものではない」
ダベンポートはエリオットに話しながら、手帳から魔法院の紋章の入った小さなカードを取り出した。
「このままでは片手落ちだからな。ちゃんと箔をつけておこう」
カードに
『これは王立魔法院からの通達である。何人たりともこの壁面に触れてはならない』
と魔法院の正式な書式に従った布告を書き、下に自分のサインを入れる。
「こうしておけば安心だろう?」
ダベンポートはそのカードを壁面に貼り付けるとエリオットに言った。
「うん」
エリオットが頷く。
「これを見れば君たちがどこにいるかはお父様やお母様には判るはずだ。そうしたらいずれ迎えに来てくれるさ。さあ、うちに帰ろう。早く帰らないとリリィが心労で倒れてしまう」
…………
「リリィ、ただいま。エリオットはすぐに見つかったよ」
日が暮れてからダベンポートはエリオットと共に帰宅した。
「旦那様、お帰りなさいませ」
ダベンポートに気づき、すぐにリリィがリビングのソファから立ち上がる。だがリリィはダベンポートの背後のエリオットに気づくと、
「エリオット君!」
と少年に駆け寄った。跪き、思わずそのまま抱きしめる。
「心配したんですよ、エリオット君。出かけるときはちゃんとわたしに言って下さい」
「……ごめんなさい、リリィさん」
エリオットは素直に謝った。
翌日のお昼過ぎ、いつものようにクレール夫人が訪ねてきた。
「昨日は不在にしていて申し訳ない。いや、実はですね……」
ダベンポートは昼過ぎの明るいダイニングから顔を出して昨日の欠礼を夫人に詫びると、エリオットの冒険談をクレール夫人に語って聞かせた。
「まあ、それはすごい冒険ですこと!」
一部始終をダベンポートから聞き、クレール夫人が目をキラキラと輝かせる。
「エリオット君、すごいわ! 一人でセントラルまで行こうとしたのね!」
ダベンポートの指導の元、ダイニングにマーヤと座って書き取りの練習をしているエリオットにクレール夫人は声をかけた。
「ダベンポートさんが連れて行ってくれたんです」
エリオットが少しはにかむ。
「いいえ、エリオット君、その気持ちが大切なのよ」
クレール夫人が人差し指を立てて片目を瞑る。
つと、クレール夫人はダベンポートの方を向いた。
「ちょうどいいわ。実はダベンポート様にお願いがありますの」
「お願い?」
不審に思ってダベンポートはクレール夫人を見つめた。
クレール夫人のお願いならもう十分に聞いている。例の『小型風呂沸かし器』ももうじき完成だ。これ以上、何をお願いすると言うのだろう?
「あの、もしダベンポート様がよろしければですけど、エリオット君とマーヤちゃんをうちで引き取らせて頂きたいんです。もちろんご両親が見つかるまで、ですけど」
クレール夫人の表情は真剣だった。
エリオットとマーヤを引き取る?
「それは、二人をクレール家の養子にと言うことですか?」
驚いてダベンポートは思わず聞き返した。
「はい。この子たちの事情は存じております。でも、初めて二人に会ってからずうっと考えていましたの。今日やっと決心がつきましたわ」
クレール夫人はニコニコと頷いた。
「どう? エリオット君、マーヤちゃん。私のおうちに来ない?」
それは、願ってもない話だった。
クレール家には三十人以上もの使用人がいる。そうであればエリオットとマーヤの相手をする者にはおそらく事欠かない。それに何より、クレール家はのんびりしている。子供が過ごすにはおそらく最高の環境だ。
「それは素晴らしいお話ですね……」
ダベンポートはクレール夫人に言った。
確かにそれは願ってもない。
だが、正直なところダベンポートには迷う気持ちがあった。
エリオットとマーヤは可愛い。子供がいる生活がこんなに楽しいとは思っても見なかった。
しかし……
魔法院はなんと言っても魔法院だ。正直に言って、あまり子供に勧められる環境ではない。隣には騎士団の駐屯地もあるし、子供には見せられないものも沢山ある。
ダベンポートの仕事は基本的に血生臭い。今はまだいいが、大きな事件が起きたらとても子供の相手などしていられなくなる。
「どうだエリオット、マーヤ?」
ダベンポートは振り向くと、エリオットとマーヤの二人に訊ねてみた。
「…………」
ダイニングで話を聞いていたエリオットとマーヤが力なく俯く。
二人とも俯いたまま、ダベンポートに返事はしなかった。
「いいんですよ、ダベンポート様。二人にはゆっくり考えてもらいたいの」
…………
その日の晩、リリィも交えてダベンポートはエリオットとマーヤと相談した。
「クレール夫妻はいい人たちだ。お屋敷の人たちも皆優しい。いいお家だよ」
ダベンポートはリビングで二人に言った。
「でも」
とマーヤがべそをかく。
「キキはいないんでしょ?」
「ああ、キキは居ないな」
ダベンポートは頷いた。
「だが、遊びにくればいいんだ。クレール夫人は恐らくこれからも頻繁にうちに来るだろう。その時に一緒に来ればいい。そうすればキキとも遊べるぞ」
「リリィお姉ちゃんとも?」
「もちろんですよ」
リリィはマーヤに優しく頷いた。
「……ん」
最終的にエリオットとマーヤはこっくりと頷いた。
「大丈夫、きっとその方が楽しいぞ」
…………
一週間後。
別れの日の朝早く、クレール家の大きな馬車がダベンポートの家を訪れた。
今回は執事のコンラッドとミセス・クラレンツァも一緒だ。
リリィはエリオットとマーヤが元々着ていた服を二人に着せていた。綺麗に洗濯され、エリオットのシャツには糊も効いている。サイズがぴったりの綺麗な服を着た二人はちゃんとした家庭の子女の様だ。
「さあ、乗って?」
コンラッドが恭しく開けた馬車の中からクレール夫人が手招きをする。
二人は少ない荷物をコンラッドに手渡すと大きな赤い馬車に乗り込んだ。
「手紙を書きます」
エリオットは馬車の窓から顔を出すとダベンポートに言った。
「ああ。綴り方の練習を続けなさい」
ダベンポートは優しく頷いた。
「遊びに来てもいいんだよね?」
エリオットの下からマーヤが顔を出す。
「ああ、いつでもおいで」
「キキにもちゃんと言っておきますよ」
リリィも笑顔でマーヤに答える。
「じゃあ、出しますよ」
コンラッドが最後に馬車に乗って扉を閉めたのを確認してから、御者が声をかけた。
御者が手綱を使い、赤い馬車がゆっくりと走り出す。
二人の子供は馬車の後ろの窓からいつまでも名残惜しそうにダベンポートとリリィを見つめていた。
「寂しくなりますね」
馬車が見えなくなってしばらくしたのち、リリィは呟くように言った。
「ああ、そうだな」
ダベンポートが踵を返し、家に入るようにリリィを促す。
子供が二人いなくなっただけで、急に家が広くなったようだ。
「まあ、またすぐに会えるさ」
玄関口でキキはするりとリリィの腕の中から抜け出すと、背中を丸めて大きく伸びをした。
「まあ、少なくともキキには平和が訪れたわけだ。リリィ、お茶を淹れてくれるかい? 少しのんびりしてから登院するよ」
「はい」
まるでパーティが終わった後のような寂しい気持ち。
だが、これで良かったのだ。
ここは子供が育つ場所ではない。
ふと、ダベンポートは二人が座っていたダイニングの椅子を見た。大人用の椅子では届かないので急ごしらえでリリィが作ったクッションが残されている。
「ふふ、これも届けてやらんとな」
ダベンポートは独り言を言った。
「クレール家にもきっと子供用の椅子はあるまい」
【第四巻:事前公開中】魔法で人は殺せない17 蒲生 竜哉 @tatsuya_gamo
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