第七話

 何やら妙な事になってしまった。

 クレール夫人がミセス・クラレンツァを連れて意気揚々と帰って行ったのち、ダベンポートは思わずため息を漏らした。

 明日からクレール夫人は毎日午後、一人でここに来ると言う。ミセス・クラレンツァは反駁したが、クレール夫人は頑なだった。

(こちらの都合も考えて欲しいものだ)

 別に、午後早く帰ってくるのは構わない。魔法院に定時の概念はない。やることがあれば登院するし、事件があれば直接現場に向かう。自宅での研究が興に乗っているのであればそれを自宅で続ける事についての裁量も与えられている。単に、朝リリィに魔法院まで手紙を持って行って貰えばいいだけだ。

 クレール夫人の発明品の改良もに解釈すればそうした研究活動の一環と言えなくはない。

 しかし、それよりももっと考えなければならないことがあった。

 エリオットとマーヤをどうするか?

 目下ダベンポートが頭を悩ませているのはむしろそちらの方だった。

(子供の世話もしなければならない、クレール夫人の相手もしなければならない。急に人気者になったものだよな)

 ダベンポートは孤児だった。だからなのかは判らないが、孤児を見ると放っておけない。

 思わずシニカルが笑みが漏れる。

(まあ、そうなってしまったことは仕方がない。なるようになれ、だ)

…………


 翌日から早速、ダベンポートはリリィと分担してエリオットとマーヤの世話をすることにした。

 登院している午前中はリリィの助手として働かせ、午後に帰ってきたらダベンポートがエリオットとマーヤに勉強を教える。当面、教えるのは綴り方と読み方だ。他はいずれでいいだろう。

 ダベンポートは魔法院でのペーパーワークの空き時間を使って、毎日二人分の教材を手書きで作った。罫線の引かれた紙の左側に手本を書き、空いた空欄に同じ綴りを何回も書かせる方法だ。

 試験も作った。単語の定義を辞書から拾い出し、その単語が書けるかどうかの小テスト。単語は前日の綴り方で使った単語にした。そうすれば早く単語を覚えられるだろう。

 勉強が終わったら夕食の準備をするリリィを手伝わせ、食事は六時。食事が終わった後自分たちで風呂に入らせ、寝る前にはリリィが二人に童話──幸いな事に、魔法院内の教会には童話の蔵書があった──を読んで聞かせる。

 大人の食事は子供が寝付いた後となるため、どうしてもダベンポート達の夜は遅くなったが、ダベンポートはこの生活リズムに徐々に慣れつつあった。

 どうせ遅くまで起きているのだ。リリィには申し訳ないが、こういう生活も悪くない。


 エリオットとマーヤと過ごすうち、ダベンポートは退屈を忘れた。

 退屈など、する暇がない。それよりはやらなければならない事が山ほどある。

 時間が取れる時には外にも連れて行った。行く先は常に近所の農園だ。

 夕食の準備をするリリィを家に残し、三人で魔法院の近所の農園まで歩いて行く。

 農園に行く目的は馬だった。特にエリオットには馬を教えないといけない。魔法院の厩舎には小型馬ポニーがいなかったので、ダベンポートは農園でポニーを借りる事にしたのだ。

 お得意様の魔法院から来ていることもあり、農園主は親切だった。エリオットの背丈を目測し、すぐに牧場から一匹の小さなポニーを貸してくれる。農園主の老人はポニーに小さな馬具を装着すると

「まあ、ごゆっくり」

 と鷹揚に手を振ってゆっくりと去って行った。

「ほらエリオット、こうやって手懐けるんだ」

 ダベンポートはポケットから取り出した角砂糖を一つ手のひらに載せ、茶色いポニーの鼻先に差し出した。

 ポニーが鼻を動かし、すぐに唇だけで上手に角砂糖を摘まみ上げる。ポニーが目を細め、角砂糖を舐めている隙にダベンポートはポニーのたてがみを撫でてみせた。

「こいつが砂糖に夢中になっているあいだに撫でるんだ。そうすればすぐに慣れてくれる」

「こ、こう?」

 ダベンポートから角砂糖を受け取り、エリオットがおっかなびっくり片手を差し出す。ポニーは新しい角砂糖に目を輝かせると、早速エリオットの手のひらから角砂糖を舐めとった。

「あはは、くすぐったいよ」

 手のひらを舐める舌の感触にエリオットが笑い声をあげる。

「ほら、すぐに撫でるんだ……そうそう、そうやって……」

…………


 子供の回復は早い。スラムでの生活が堪えたのかまだ顔色は悪かったが、毎日の規則正しい生活とリリィの作る食事、それに安心して休める暖かいベッドのおかげでエリオットとマーヤの体調はみるみる回復していった。

 一方、クレール夫人は自分で宣言した通り、毎日午後になるとダベンポートの家を訪れた。

 手にしているのは例の『小型風呂沸かし器』、それにお菓子の入ったバスケット。

 毎日お菓子を持参してくれるクレール夫人に、すぐに二人はよく懐いた。


 プップーッ


 クレール夫人は到着すると必ず車のクラクションを鳴らす。

 そうするとすぐにエリオットとマーヤは書き取りをする手を休め、顔を起こすのだった。

 クレール夫人もそんな二人をよく可愛がった。

「さあエリオット君、マーヤちゃん、おやつの時間にしましょう!」

 毎回リリィに招き入れらるたびにクレール夫人がバスケットを差し出す。

「今日はマドレーヌを焼いてもらったわ。ちゃんとお行儀よく食べるのよ」

 これはダベンポートを二人から解放するための方便だったが、どうやらそれだけでもなさそうだった。

 発明品の改善ポイントについて議論しているとき、時折クレール夫人がエリオットとマーヤの様子を伺っていることにダベンポートは気がついていた。

 クレール夫人の訪問はいつも二時間程度だったが、彼女は必ず二人とも話をする。始め二人はクレール夫人のことを少し怖がっている様だったが、特に小さいマーヤはすぐに心を開いた。

 クレール夫人が帰る時、ダベンポートはエリオットとマーヤにもちゃんと見送らせていたのだが、名残惜しそうにするのは決まってマーヤだった。


 そんなある日のこと。

「旦那様、大変なんです!」

 お昼過ぎ、家に帰ってきたところでダベンポートはひどく慌てた様子のリリィに迎えられた。

「大変って、何がだい? 落ち着いて説明してごらん」

 上着を脱ぎながら、おろおろしているリリィをなだめる。

「エリオット君が居なくなってしまったのです」

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