第六話
(そうか、エリオットとマーヤの両親は迎えには来ないのか)
ダベンポートは魔法院から家へと続く散策路を歩きながら考えていた。
(あの子達をちゃんと育ててくれる場所か。参ったな……)
夕方ダベンポートが家に着いた時、中からは何やら楽しげな話し声が聞こえていた。
路肩にはクレール夫人の緑色の蒸気自動車が停められている。予想通り、急いでやってきたらしい。
「ただいまリリィ」
ダベンポートは玄関で一応帰宅の挨拶をした。
だが、珍しくリリィが迎えにこない。おそらくクレール夫人のお相手でそれどころではないのだろう。
「……でね、アーネスト卿が厭らしいんですの。あの方、私のお尻を撫でたんですのよ!」
明るいクレール夫人の声。
自分でコートをコート掛けに下げ、室内履きに履き替える。
リビングに入ると、クレール夫人がそれは楽しそうに社交界のゴシップを次々と暴露しているところだった。
「しかもね、アーネスト卿って、あのお歳なのにお妾さんが三人もいらっしゃるんですって。お元気よねえ」
「は、はあ」
そういう話にあまり耐性のないリリィは困った顔をして小さくなっている。隣にマーヤを座らせているが、マーヤはキキを構うのに忙しい。
クレール夫人の隣にはいつものようにミセス・クラレンツァが座っていたが、彼女の微笑みも心なしか引き攣っているようだ。
「奥様、子供がいるのです。あまり生々しいお話は……」
「あら、私ってば。ごめんなさいね。それでね……」
ダベンポートはリビングの入り口からしばらく黙ってその楽しい会話を聞いていたが、
「ただいまリリィ。ご機嫌麗しゅう、クレール夫人」
とご婦人達に無理やり割って入った。
「あ、旦那様、お帰りなさいませ」
どこかほっとした表情ですぐにリリィが立ち上がる。
ダベンポートはそれを片手で制すると
「いいんだリリィ、楽しそうで何より。それよりエリオットは?」
とリリィに訊ねた。
「エリオット君はお部屋で休んでいます。疲れが出たのだと思います」
そそくさとダベンポートの背後に逃げ込みながらリリィがマーヤを手招きする。
「さ、マーヤちゃん、お邪魔をしてはいけないわ。お茶を淹れに行きましょう」
「はーい」
マーヤは嫌がるキキを抱きしめたままソファから飛び降りた。
「旦那様、今お茶を淹れてまいります。それではクレール夫人、失礼します」
リリィは逃げるようにしてマーヤと共にキッチンへと降りていった。
…………
「これが回収した発明品ですよ」
ダベンポートは書斎から例の機械を持ってくるとクレール夫人の前に置いた。
「ありがとうございます」
明るい笑顔を見せ、クレール夫人がぱちんと両手を合わせる。
「もう見つけて下さるなんて、さすがダベンポート様」
「まあ、探すのは簡単でしたよ」
ダベンポートは肩を竦めた。
「だが、この発明品には少々問題がありますな。ちょっといいですか?」
ダベンポートはもう一度その発明品を手に取るとクレール夫人に説明した。
「見た所、これは湯沸かし器のようですね。それもポータブルの」
「はい、その通りです。これはお風呂を沸かす道具ですのよ」
クレール夫人が真面目な顔で頷いてみせる。
「中に火を熾した石炭を入れてこれを浴槽に沈める訳ですな。そして適温になったところでこのシャッターを開けると──」
「そう、その通り! そのシャッターを開けるとポンプが働いて装置の石炭が消火されるんです。同時に恒温維持魔法が起動するように設計しました。これでお風呂をいつまでもずっと温かく保つことができますわ」
クレール夫人は本当に楽しそうだ。
それに水を差すのは少々気がひけるが……
ダベンポートはティーテーブルの上の『小型風呂沸かし器』のシャッターを開け閉じして見せた。
「東洋の魔法陣を組み合わせて水に触れるだけで恒温維持魔法が起動するようにしたんですね? それは慧眼だとは思います。ですが」
「ですが?」
クレール夫人は身を乗り出した。
「その恒温維持魔法はどうやって止めるんです?」
…………
はじめ、クレール夫人はダベンポートが指摘した問題点が理解できないようだった。
「それがなぜ問題に?」
「マナ、ですよ」
ダベンポートは判りやすくクレール夫人に説明した。
恒温維持魔法そのものが消費するマナの量は大したものではない。
ダベンポートが問題視したのは、そうした装置が普及する可能性だった。
「仮にですよ、セントラルのアパートメントの各戸が──僕はいずれそうなる可能性が高いと思っているのですが──この装置を導入したとしましょう。そうすると、その狭い地域に大量に普及したこの装置が一斉にマナを消費することになりますよ」
ダベンポートは懐から手帳を出して図に描いて見せた。
「それが短時間、例えば人々がお風呂に入るであろう夕刻のある時間帯だけならまだ問題ではありません」
ダベンポートの主張では、大量にマナが消費されたとしてもそれが短期間であれば問題はないという。マナはどこにでも漂っている。その程度で枯渇するとは思えない。
「ですが、それがずうっと続くとなると問題です。もし一旦起動されたら最後、恒温維持魔法がそれ以降も永遠に働き続けるのだとしたら、それはおそらく問題になります。少なくとも魔法院の認可は取り付けられないでしょうね」
ダベンポートはソファの背に身を預けた。
「…………」
クレール夫人が難しい顔をしている。考えもしなかったことを指摘されて困惑している顔だ。
「そもそもです。もし恒温維持魔法が止めらないのだとしたら、その装置はどうなるんでしょうな? その装置はいつまでも湯の中にある訳でもありますまい。そうしたら今度その装置は周囲の大気をお風呂の中のお湯と同じ温度に維持しようとするでしょう。最悪爆発しますよ」
「……そんなこと、考えてもいませんでした」
クレール夫人はしょんぼりと俯いた。
だがすぐに姿勢を正し、ダベンポートに深々と頭を下げる。
「ダベンポート様、ありがとうございます。商品化する前に問題点が判っただけでも僥倖ですわ」
「いや、お礼を言われるほどのことでもありません」
ダベンポートは謙遜した。
どうもこのご婦人はすぐに暴走する。着眼点はいいんだがな。詰めが甘い。
「そこでです、お願いがありますの」
ふと、クレール夫人はずいとダベンポートの方に身を寄せた。夫人の瞳が少女のように輝いている。
「私、これから毎日ここに通ってもよろしいでしょうか? この子の改良を手伝っては頂けませんか。私、弟子入りでもなんでもいたしますから」
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