第五話

 その日登院すると、とりあえずダベンポートはクレール夫人にテレグラムを打った。

『ハツメイヒン ハ カイシュウ シタ ヒキトリニ コラレタシ ダベンポート』


 ひとしきり書類と格闘し、急いでペーパーワークを片付ける。一息ついたのち、ダベンポートはボルグ夫妻の行方を探すために騎士団のグラムと会うことにした。

「ボルグ夫妻? あの破産した洋服屋か?」

 剣に砥石を当てながら、グラムはダベンポートに答えてのんびりと言った。

「ああ、そのボルグ夫妻だ。夫妻に何かあったら君の耳にも入るかと思ってね」

「いや、聞いてないな」

 グラムは首を振った。

「そもそもデカかったとは言え商家だろう? それは警察の範疇だよ」

 グラムは顔を上げようともしない。あからさまに面倒ごとを嫌がっている風だ。

「お前、セントラルの警察がアテになると思うか?」

 ダベンポートはそんなグラムに片眉を上げた。

「まあ、そりゃそうだがなあ」

 グラムが少し考える。

「それなら、カラドボルグ姉妹の方がいいかも知れん。彼女達ならここいら辺りの変死体の事はなんでも知っているはずだ。警察ともパイプがあるしな。あの子達はセントラルの警察とも伝書鳩で連絡を取り合えるようにしているらしいぞ。うちの鳩舎に彼女達専用の鳩が六羽住んでいる」

「へえ、それは知らなかった」

 死体ばっかりいじくっていると思ったら、鳩も飼っていたのか。

「彼女達が知っていればボルグ夫妻はアウト、知らなければまだ生存しているって事だ」


「カレン、ヘレン、いるかい?」

 ダベンポートは魔法院に引き返すと、地下の遺体安置室の両開きの扉から二人の名前を呼んだ。

「「はーい」」

 すぐに奥の方から血まみれの白衣を着たままで二人が現れる。

「カレン、ヘレン、人前に出るときは白衣を脱げと言っただろう?」

 ダベンポートはまるで人目を気にしない二人に苦言を呈した。

「だって、面倒くさいんだもん」

 カレンが口を尖らせる。

「今更驚く人なんていないし」

 とヘレン。

 まあ、それもそうか。

「実はな、セントラルでブティックを経営していたボルグ夫妻を探しているんだが、何か知っているかい? 最近行方不明になったようなんだ」

 ダベンポートは二人に訊ねた。

「ボルグ夫妻?」

 二人が顔を見合わせて少し考える。

「ひょっとしたらあの人達なのかなあ」

 カレンがダベンポートに言った。

「実はね、セントラルの警察から身元確認のための遺体修復依頼が来てるの。最初は人相も判らない状態だったんだけど」

「昨日からお顔を直し始めたから見れば判るかも」

「でもダベンポート様、お二人の顔って知ってる?」

 ヘレンがダベンポートを見上げながら小首をかしげる。

「ああ、判るぞ」

 ダベンポートは小脇に抱えていた分厚いファイルを二人に見せた。

 それは魔法院の捜査局から借りてきた新聞のアーカイブだった。しおりを挟んだところに二人の顔写真の乗っている新聞の記事がある。

 ダベンポートは手術台の横の小机でファイルを開いた。三ヶ月ほど前の新聞記事だ。ボルグ家の破産の記事に二人の写真が添えられている。

 カレンとヘレンは血がつかないように手袋を外してから新聞記事を指で辿った。

「ふーん、アーネスト・ボルグ士爵とレイチェル・ボルグ夫人かあ。身長とか体重とか書いてないかな」

「流石に、新聞にそこまでは書かんだろう」

 二人の後ろから自分も記事を読みながらダベンポートは言った。

「でも、似てるね」

「うん、似てる。頬骨のあたりとか、顎のあたりとか」

 姉妹によれば、特に頬骨と下顎は死体の身元同定には重要な要素なのだという。

 二人は頷くとダベンポートの袖を引っ張った。

「まだ途中なんだけど、ちょっと見てみて」


 二人がダベンポートを引っ張って行った先は、遺体安置室の奥の小部屋の一つだった。規模が小さい修復を行うための部屋だ。

 部屋の中央に並んだ銀色の手術台には男女二人の遺体がシーツを被って安置されている。

「まだ作業中なんだけど」

 と二人は断りを入れるとそれぞれのシーツを上半身まで剥がした。

「……この二人か」

 ダベンポートはまだ紫色の傷跡が生々しい二人の死体と手にしたファイルの写真とを見比べた。年齢は確かに近そうだ。だが、人相が変わってしまっていて同一人物かどうかは判然としない。

「死因は?」

「撲殺だと思う」

 ヘレンが答えて言った。

「ボッコボコに殴られちゃったみたいなの。それも何か鈍器でだと思うな。どちらの方もね、頭蓋骨の底が折れていたの」

「上から殴られるとね、頭蓋骨の底の方が割れちゃうの」

 カレンが言葉を補う。

「発見場所は?」

「港湾地帯。あの辺りではありがちな事よねー」

 カレンは事もなげに言った。

「なんか揉め事があったみたい。男の人の方が女の人をかばうようにしていたんだって。でも二人とも死んじゃった」

「怨恨かなあ」

「ああ、ひどいな」

 二人とも全身に紫色のアザができている。

 それにしても夫人まで殴るとは。殴り殺したところで金にはならない。意味のない暴力だ。

 どうやら大規模な作業が必要な修復はもう終わっているようだ。今は主に死体の顔を直しているところらしい。

「カレン、ヘレン、ちょっと悪いが急いで夫人の顔の修復を終わらせてくれるかな? その紫色の顔ではどうにもよく判らん」

「「はーい」」


 それから二時間ほどかけて、二人は女性の方の死体の顔を修復した。折れた鼻には芯を入れ、砕けた顎は内側から針金で繋ぎ直す。

「一応解剖学的に正しい繋ぎ方しているけど、本当に元の顔と同じにはならないかも」

 ヘレンはマスクの下からもごもごとダベンポートに言った。

「人の顔って、結構変化するから」

「構わん。とりあえず君らが正しいと思うように修復してみてくれ」

「うん、わかったー」


 修復し終えた顔に二人が丁寧にメーキャップを施し、紫色のアザを綺麗に消す。髪の毛を梳かし、歪んだ筋肉を整えた顔はまるで生きているかのようだ。

「……そうか、やっぱり死んでいたか」

 ダベンポートは新聞の写真と死体の顔を見比べながら無表情に呟いた。

 これは、レイチェル夫人だ。顔立ちがマーヤに似ている。眉の形とやや垂れた目元がそっくりだ。

 この二人は、命を賭けて子供を守ったんだ。

 ダベンポートは修復されたレイチェル夫人の顔を見ながらぼんやりと考えていた。

 この二人は金を持っていなくても、子供はかなりの金になる。だから二人は子供を逃し、時間を稼ぐために撲殺されるがままになったのだ。

「じゃあ、こっちの男の人の方がアーネスト卿?」

「ん?」

 ダベンポートは下から話しかけるカレンの声に現実に引き戻された。

「ああ。そう考えて間違いないだろう。セントラル警察への報告は任せていいかい?」

「了解でーす。どちらにしても遺体を引き渡さなければならないから、後で鳩を飛ばしておくね」

「ああ、頼んだよ。あと、遺族への連絡は不要だと伝えてくれ。葬式も要らない。教会の裏の市民墓地に埋葬するようにとだけ指示して欲しい」

 ダベンポートはカラドボルグ姉妹に言った。

 幼いエリオットとマーヤに両親の死体を見せたところでそれは無意味だ。

 それよりはボルグ夫妻が命を賭けて守った二人の身の安全の方が優先だ。妙に騒いで例の『怖い人たち』に嗅ぎつけられても困る。

「そうなの?」

 カレンとヘレンは不思議そうにダベンポートを見上げた。

「でもボルグ夫妻には子供が二人いるってさっきの新聞に書いてなかったっけ?」

 ダベンポートは二人の視線を感じながら

「親がこの調子じゃ子供ももう無事ではないだろう。探すだけ無駄だよ」

 と肩を竦めた。

「それもそうかもねー」

 二人がコクコクと頷く。

「それだったら、ひっそりと埋葬した方がいいかもー」

「ああ。よろしく頼むよ」

 ダベンポートは新聞のアーカイブを小脇に抱えると、忙しそうなカラドボルグ姉妹の部屋を後にした。

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