最終話 ただそれだけの物語

 夏の朝の風が窓から吹き込む。ゆらりゆらりとカーテンが揺れ、その隙間から太陽の日が差す。その日が目に入ったのか、上野直也はむくりと体を起こした。ふと横を見ると、そこには由佳が小さな寝息を立てながら寝ていた。昨日の事を思い出し、由佳の頭をそっと撫でる。

「これからも、一生を俺と過ごしてくれないかな」

 寝ている由佳に対して、上野はポツリと溢した。心の底では考えていても、勇気が出せずに心の中にしまっている気持ちだ。

「好きだよ、由佳」

 そう言って由佳のおでこに軽くキスをする。

「寝てる彼女にプロポーズしてキスするなんて、なかなかロマンチックじゃない」

 目を瞑りながら喋りかけた由佳に、上野は驚きを隠せなかった。

「起きてたの!?」

「直也のちょっと前にね。直也の寝顔拝んでたんだけど、いきなり起きたから寝たフリしてようと思って」

 そう言った由佳の顔は、ほんのり赤くなっている様だった。

「それで?」

 聞かれて上野は由佳に見惚れている自分から正気に戻った。

「え?」

「さっきのプロポーズ」

「えっ、あっ、その...」

 分かりやすく口籠る。その顔は既に茹でダコだ。

「もう、意気地ないなあ。じゃあ、私から...」

「待って、ストップ」

 手を前に突き出して由佳を止める。そして、軽く深呼吸をする。姿勢を正し、上野は口を開いた。



「小田切由佳さん。俺と、結婚して下さい」



「私、プロポーズって夕日の沈む砂浜とかかと思ってたけど、こういうのも良いね」

 由佳は顔を火照らせながら、上野を真似る様に軽く深呼吸をして言った。

「小田切由佳は、上野直也君と、一生を過ごしていくことを誓います」

 そして、2人はいつもより少し長くキスをした。

「あ、そうそう」

 さっきまでの雰囲気を変えるかの様に、由佳は切り出した。

「どうしたの?」

「これ」

 由佳は、束になった原稿用紙を差し出した。

「新しいやつ?」

「そうそう」

 由佳は学生時代に小説で賞を取った経歴があり、それからちょこちょこ新しい小説を持ち込んでは賞に出していた。

「今回はどんな話なの?」

 前にも何作品か読んだことがある上野は、早速作品について聞き始めた。

「前までは結構SFみたいな物語だったじゃん?」

「そうだね」

「だからさ、今回はちょっと変えて、日常を描く感じにしてみたんだよ。そうだなー、ぶっちゃけ、モデルは直也」

「なんか、嬉しい様な、恥ずかしい様な...」

 へへっと由佳は笑った。

「題名とか決まってるの?」

 上野は何気なく聞いた。

「うーん、そうだなあ...」

 少し悩んだ末、由佳は1つの案を口にした。

「うん、いいじゃん。俺、好きだよ」

「そう?でも、なんかプロポーズされた後に小説とは言え好きとか言われるとちょっとヤキモチ妬いちゃうな」

 ツン、と唇を尖らせて由佳はそっぽを向いた。

「何それ」

 上野は笑いながら由佳を後ろから抱きしめた。

「好きだよ」

「バカップルだよ。こんなの」

 上野の方を振り向いた由佳が言った。

「良いじゃん。今だけだよ?」

「ふふ。そうだね」


 ふと溢れかけた上野の涙を、由佳は指で拭いた。



 ただそれだけの物語・fin


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ただそれだけの物語 手田リュウ @hirokawaari

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