第3話 電気洗濯機・炊飯器

改めて今、「電気洗濯機」という人はいない。「お爺さんは山に柴刈りに、お婆さんは川に洗濯に」というように、洗濯はもっぱら女性の仕事であった。私も子供の頃、田舎であったので、洗濯物が多い時は母が川で洗濯をするのを見たものである。普段は井戸のそばでたらいと洗濯板でゴシゴシとやっていた。


洗濯には布をこする必要があり、そうすることで汚れを布から浮かせ、石鹸を布地に浸透させる。以前は川縁の岩に衣類を打ち付けたり、こすったりすることで洗濯していたが、その後波状の溝をつけた洗濯板が使われるようになったのは明治になってからであり、外国由来である。

江戸の長屋で、井戸端で「お母ぁー」たちが洗濯板を使っていたら、時代考証がおかしいのである。手もみであったはずだ。


シーツや大きなものを絞るときは結構力がいり、端を持たされて手伝わされた。女性にとっては力仕事であった。共同の井戸なら、これが井戸端会議になり、一つの楽しみの場ともなる。洗濯板とは若い人は知らないかもしれない。波模様のギザギザが刻まれていてここに布をこすりつけるのである。やせ細って肋骨が見えるのを洗濯板と称するのはここから来ている。

自分も大学の学生時代寮に住んでいたとき、洗濯機はすでにあったが、国が設置してくれるはずもなく、この洗濯板でゴシゴシとやった。冬の寒い日はたまらなかったのを覚えている。


初めて、洗濯機が家に来た時の母を覚えている。白い割烹着を着た母が嬉しそうに何度もローラー(搾り器)を回していた。


アメリカでは、1940年には、電力供給を受けている2500万戸の60%が電気洗濯機を所有していたという。戦後まもなく全自動が開発されている。


日本では三洋電機が1953年(昭和28年)に開発した噴流式洗濯機が大ヒットし、洗濯機の普及に弾みをつけた。発売定価は28,500円(当時の大卒初任給は17,000円)と、これでも比較的買いやすい値段だった。

小暮実千代のサンヨー婦人として宣伝に登場し、「銀幕の女優が洗濯する」としたのも普及に貢献したと思える。俳優で初めてコマーシャルに登場したのが小暮実千代であった。今は映画や、ドラマで見なくて、もっぱらコマーシャルでしか見ない俳優もいる。

「洗い」、「すすぎ」、「脱水」をすべて1つの槽で行い、注水から最後の脱水までをすべて自動で行う全自動洗濯機が開発されたのは1965年に松下電器産業であった。


家事労働を軽減しただけでなく、炊事をしながらの洗濯、洗濯をしながらの掃除というように家事の仕方を根底から変えたのである。電気に弱いとされた女性が接する電気製品として、科学技術の進歩に親和感を抱かせる契機になり、以後の家庭での電化製品の積極的導入につながっていくことになった。


洗濯機のように女性の家事労働を軽減したものに、もう一つ炊飯器を上げたい。

田舎の時代、「おくど」があって釜でご飯を炊いたものである。薪や柴で炊くのであるが、その火加減がむつかしく、目を離せないものであった。

都市(まち)にきてガスになって火起こしの手間は省けたが、炊き上がるまでの1時間ほど目が離せないのは同じであった。


電気炊飯器の最初は戦前の軍隊であった。多い人数の炊飯をせねばならないから当然考えられたのだろう。

最初に実用的な電気炊飯器を発明したのは、東京の町工場である「光伸社」とされている。釜を三重化する方法を採用することで、実用的な炊飯が可能となった(これは空気の層による保熱機能で、温度を高めるようにしたもの)。


やがて1955年(昭和30年)に自動式電気釜という名で東芝から製品化されたときには、「二重釜間接炊き」という方式が導入された。これはバイメタル技術を利用したもので、自動式で電源オフにする機能である。

このおかげで、いったん電源オンにすれば、あとは自動的に電源オフになるので、炊飯中に常時見張っている必要がなくなった。さらに、自動的に電源オンになるタイマーも別途併売された。これらにより、電源のON・OFFが自動化されたので、いったんタイマーをかけておけば、夜眠っている間に炊飯されて、朝起きたら炊き上がっているようになった。全自動化されて便利だったため、電気釜は大ヒット商品となった(東芝内では製品化する際、「寝ている間に米を炊こうなどという女と結婚したいのか」と製品化に反対したという笑い話が残されている)。


三菱電機が保温機能を備えた炊飯器を発売し、炊き上がったご飯を保温機に移し替えるという手間を取った。田舎にいた頃おさんどんを手伝わされ、薪のくべ方が悪いの、鍋蓋を取るのが遅いのと、叱られ。並行して風呂焚きも当番で、大変だったのですから・・小学校1、2年ですよ((´;ω;`)

これらの登場によって、従来、家庭において洗米から水張り・火加減を行って、最後におひつに釜から移すという主婦の作業を軽減させる事にもつながり、洗濯機と並んで家事労働から女性を解放し、女性の社会進出を可能にした。


洗濯機も炊飯器もない状態を想定して欲しい、今のような女性のあり方が想定できるであろうか。


女性の解放を政治や制度からだけでなく、モノと女性の間で戦後を考えて見る。結構面白かった。戦後男を変えたモノは何だったのだろう?変わっていないからそんなモノはないのだろうか?



   了


注:坂井泰子 (さかい-よしこ)


1934- 昭和時代後期の経営者。

昭和9年1月18日生まれ。35年すぐれたアイディアの事業化をはかる発明サービスセンターを設立。36年ミツミ電機社長の森部一(はじめ)に出資をあおぎ,女性生理用品製造・販売のアンネを設立し,社長。急成長したが,競争激化などで経営不振となり,46年会長にしりぞく。平成5年アンネはライオンに吸収合併。東京出身。日本女子大卒。旧姓は倉持。


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戦後、女性を幸せにした『4つのモノ』 北風 嵐 @masaru2355

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