第2話 パンスト
女性のストキングほど、あっという間に短期間に変化したものは、他にはないのではないか。素材で言えば絹、木綿などの天然繊維からナイロンの合成繊維へ、形態でいえば、「シーム」のあるフルファッションからシームレスへ、そしてパンティーストキングへと、目まぐるしくかわった。
使われるものは、使う人に、それにふさわしい身体的な振る舞いや身のこなしを要求する。繊細で傷つきやすい絹の靴下では、颯爽と大股で歩くことは難しい。また値段も高く、伝線した箇所をつくろってはいた。
「シーム」のあるフルファッションはその縫い目の曲りを度々直さねばならず、道端でもズレや、曲りを直さねばならなかった。それはそれで男性にとっては・・の眺めであったが、女性にとっては恥ずかしく煩わしいものであったろう。
戦後、昭和20年代の映画などを見ていると、絹のストッキングをどれだけ大事にしたか、どれだけの枚数を持っているか、苦労話が出てくる。
パンストの画期性は、ガードルとストキングの間のあきをなくし、足元から腰まで継ぎ目なしのシルエットを作りだし、「かくす」と「みせる」という衣服の二つの基本的な機能を同時に果たすことに成功したところにあった。
ミニスカートの大ブームがあったが、このパンストの登場ぬきでは考えられない。丁度この頃私は婦人服飾店で勤めていたのでよくわかるのである。
こんな話がある。超ミニ、マイクロミニといった。それを買おうとした若い女性が,「これエスカーレーターや階段では見えるわね?」と訊いた。もはや見えませんとは言えず、「そうですね」と相槌を打つしかなかった。「じゃ-、これいただきます」と売れた。私は「世の中変わった」と思った。
ミニスカートとパンストは、女性たちに膝を伸ばし、背筋を伸ばし、堂々とした姿勢で歩くことを可能にした。その歩く姿は戦後のくすんだ空間から青空に飛び出てきたようなイメージに僕には映った。
一時、「生足」のブームがあって、パンストの将来が心配されたが、ビーズや模様をあしらってファッション性を高めた色んな製品が登場して復活している。
パンティーストッキングが開発され発売されたのは1963年(昭和38年)アメリカであった。たちまちにして全米の女性の間で大ブームとなったものの、日本では輸入品だったため希少かつ高価で庶民には広まらなかった。日本では1968 年、厚木ナイロン工業が国産に成功し、日本の女性の間でもミニのブームと共にたちまちにして普及した。
パンティーストッキングは当初の着用法としてパンティーを穿かずに着用する事を想定されていたが、購買者の女性達の羞恥心からパンティーを着用してからその上にパンティーストッキングを重ねて着用する様になった。
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