第28話 『人類最大のゴミ処理』問題

モノは必ず最後はゴミとなり廃棄される。ゴミはモノの最終形態だといえる。それをどのように処理していくか、古代は貝塚ですんだのであるが、人類の増加、人間の生活の発展とともに、近代に入って悩ましい問題となって提示されてきた。


燃やして灰にするか、海で埋め立てて処分してきた。そのいずれにもできず、処分に困り果てているものがある。原発による放射性廃棄物である。「トイレのないマンション」に例えられるが、見切り発車したツケである。それは年々増え続けている。プールにプールされているという、笑えない状態が現実である。


原子力発電が核の平和利用、夢のエネルギーとして1970年代頃から持てはやされ、わが国でもその数が50基を越し、電力の三分の一を占めるまでになった。その危険性が指摘され、設置反対運動もあった。化石燃料の有限性も考えて、現代科学や政府の安全神話を一応信じてきた。それが破たんした現実の酷さをチェリノブイリで知った。まだ他国のことと思っていたものが、福島で身を持って体験することになった。


それまで、安全神話を信じて、無関心であった国民も多くを知ることとなった。


私は昭和20年の生れで、戦争を知らない。70年生きて来て、最大のショックな出来事は訊かれたたら、神戸の大震災を経験した私でも、東北大震災を挙げる。原発事故が重なったこともあって、ショッキングな出来事であった。これからの日本はどうなるのだろう。どうしていけばいいのか、真剣に考え、遅ればせながら勉強もした。


私は父の話を思い出したのである。父は田舎から大阪に出て来て商売を始めたのであるが、都会の競争相手に勝てず、商売替えを何度もした。そのやめ際は見事であった。ダメと思ったら即刻やめたのである。わたしは子供ながら心配もし「僕なら次を考えてから、やめるけどなぁー」と一端のことを云った。父はそれにこう答えた。


「全くあかんわけやない。いちおう細々とでもやっていけている。そんな状態で考えてもろくな考えが浮かばん。まず、やめるこっちゃ。そしたら必死になって考えなあかん。必死になった答えが答えや。商売は先のないことではあかんのや」と言ったのである。失敗の原因を考えた。共通項は菓子屋、塩干もの、自分の経験のあるもの、食べ物屋である。食べ物がダメなら着る物やと、未経験の衣料品に変えた。経験もないので最初は苦労したようであるが、母の助力もあって、はぎれ、反物、洋品、ブランドものと時代とともに業態は変遷させ、支店も出せるようになった。お蔭でわたしは大学までやって貰えた。


「まず、やめること」それが福島に対する私の答えであった。


悲惨な体験をした日本が再稼働に舵を取り、福島を知ったドイツが全廃を決めた。これが何よりショックであった。第2次大戦で敗戦国となり、まじめな国民性と、高い技術力で復興を成し遂げ、西洋の奇跡、東洋の奇跡と言われた似た国家同士である。


国難といえば、オイルショックが挙げられる。経済の成長がストップし、マイナス成長になった日本は本当に慌てた。「1リットルの石油価格が2倍になれば、1リットルで2倍走れるようにしたら」の逆転の発想で、省エネ技術に磨きをかけ、この難を克服したのである。そのあと調子こいて〈タコがタコの足を食うような〉バブル経済をやって、長期停滞から抜けられていない。


オイルショック以上の国難に、わたしは、日本人は正面から取り組んで克服するだろう。絶好の機会を与えてくれたのだと思ったのである。放射性廃棄物の処理の問題は、まず出すことをやめること。そしてどのように処理するかの国民的合意を形成することしかないと思っている。日本がこの人類の難題の解決に向かって最先端を行ってくれることを願った。復興ではないのである。再生でなければならない。新しい国のありかた、新しいイノベーションを必ず生んでくれるはずだと思ったのである。


ときの民主党政権は危機管理能力のなさを露呈した上に、はっきりした脱原発を決められず、死にかかっていた保守党を復活させるという大罪を犯した。そのような政治の貧困があったのだが、やはりドイツとの決断の差は、国民の環境意識の差であると思う。


日本とドイツは経済規模がほぼ同じ国家であるが、ドイツの原発は17基、日本はその三倍の52基である。その数の差がドイツに決断を容易にさせたことはいがめない。


ドイツの原発反対運動がその抑制力になった筈だ。脱原発を決断したメルケルに賛辞が送られるが、メルケルは原発推進派で期限を迎える原発の再延長を決めていたのである。


ドイツの「脱原発」の方針はシュレッダー政権(SPDと緑の党との連立)下で2000年に決まっていたのである。多くのドイツ人にとっては、技術大国である日本でチェルノブイリ級の原発事故が起こったことが衝撃であった。福島直後に行われたバーデン・ヴュルテンベルク州の議会議員選挙でメルケルのCDUは敗北し、58年間続いたCDUに代り、同州の首相に緑の党が州首相の地位を得たのである。メルケルはこれを民意と受け止め、延長稼働を見直し、「2022年まで」という具体的な期間を区切る大胆な決断をしたのである。わたしはこのメルケルの柔軟な姿勢を高く評価する(もし再延長に拘っていたら、メルケルの第2次の再選もなかっただろう)。


それも、これもドイツの国民の環境意識の高さがさせたものであると云える。


ドイツには緑の党があり議会で一定の勢力をもち、重要な局面ではキャスティングボートを持ちます。それに比べて日本の左派(民主党や労働組合組織連合)の体たらくは何としたことだろう。国民の「脱原発」意識が高まったときに「脱小沢」に明け暮れていたのだ。起死回生の機会を逃してしまった。全国労働組合最大組織である連合は、傘下に電気労連をかかえ原発推進である。先に行われた新潟知事選では、蓮舫代表が原発再稼働慎重派の米山氏の応援に入たことに、連合新潟は抗議したという。


わたしは、ほとんど日本政治、いや日本という国に絶望している。もとをただせば国民の意識の差かと思ってしまう。日本とドイツは国力においても大きく差がつくことは間違いがないと思っている。たかがゴミ、されどゴミ、ゴミ問題は文明の尺度であるのだと思うのだ。

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モノで語る戦後昭和史 北風 嵐 @masaru2355

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