第27話 『ゴミ処理の歴史-2』ポリバケツ・東京ゴミ戦争・ペットボトル

「明治初期まで、ごみは塵芥(ごみ)屋や、くず拾いなどによって分別され、資源として売られて、徹底した再利用がおこなわれていた。新しい着物は江戸や上方の上層のものが着る者で、一般庶民は古着であった。江戸は環境最先端都市であった」とは前回書いた。鎖国政策によって限られた資源を再利用するしかなかったであろう。しかしそこには先人の人知の知恵があったことも確かである。


政府がごみ処理にかかわるようになったのは、1877(明治10)年、腸チフスやコレラが流行したことによる。1900(明治33)年『汚物掃除法』が公布され、生活環境を保持するために清掃を行い、地方自治体でごみ処理の管理をするよう法的に義務付けられ、極力焼却するという方針であった。この法律が意識されたのはおもに東京、大阪、京都などの大都市であり、全国に清掃事業を拡大するまでには至っていなかった。

焼却炉の建設には経費がかかることや、焼却の際、焼却炉から出る悪臭気やばい煙を抑制する技術も発達していなかったことから、焼却法の普及は困難であった。

戦争末期になると物不足と食糧難は深刻になり、よってごみそのものもほとんど出なくなるという状況に至った。「ぜいたくは敵だ!」の効果かな?


戦後

「化学肥料が急速に普及し、これまで農村で肥料として還元されてきたし尿が使われなくなり、ひとびとはその処理に困るようになってしまった。


戦後復興と都市化

戦前から引き継がれてきた『汚物掃除法』を廃止して、1954(昭和29)年『清掃法』を制定、汚物を衛生的に処理・処分し、公衆衛生の向上を図ることを目的とするとともに、ごみ処理に対する国家補助制度を定めている。


高度成長期

特に産業廃棄物の量は家庭ごみを上回るほどに増加し、清掃事業は困難性を強めた。そして、ごみ問題は衛生上の対策にとどまらず、環境破壊や公害という社会問題に発展していったのである。ちなみに、東京にオリンピックが決定したとき、外国人が来るのに従来のゴミ箱では見苦しいだろうと、ポリバケツによる回収法になった。その内袋に使っていたのが黒のビニール袋であった。分別になって中が見える透明なポリ袋になった。これを開発した『セキスイ』は大きく飛躍した。


「清掃法」を全面改正し、1970(昭和45)年に『廃棄物の処理及び清掃に関する法律(廃棄物処理法)を制定し、事業者の自己処理責任を明確に規定した。


東京ゴミ戦争

夢の島をご存じであろうか。焼却処理される前は、ゴミはほとんどを埋め立て処理されていた。東京湾で埋め立てが開始されたのは1957年(昭和32年)である。それ以降、1967年(昭和42年)までこの地への埋め立ては続いた。昭和36年には当時の埋立地の40%を焼き、2週間にわたる火事が発生した。1965年(昭和40年)夏、夢の島で発生したハエの大群が強い南風にのって、江東区南西部を中心とした広い地域に拡散し、大きな被害をもたらした。都と区による懸命な消毒作業が行われるが、抜本的な解決にはならず、警察、消防、自衛隊らの協力を得て、断崖を焼き払う「夢の島焦土作戦」が実行された。(現在ではスポーツ施設が建設されるなど緑の島として、名前に相応しい夢の島となっている)。

これによって、ゴミ処理の方針は、埋め立てから焼却に大きく変わった。しかし焼却施設の建設には幾多の問題が発生した。ごみ戦争が起こった1971 年(昭和46)になっても、焼却処理率は収集量の30%そこそこに過ぎなかった。このような状況の中、清掃工場の建設計画に建設予定地の住民反対が起こるなど、戦後の第一次東京ごみ戦争となったのである。


プラスチックゴミ

高度経済成長期に普及したプラスチックは、今日、私たちの日常に欠かせない存在となっているが、同時に、ごみとしてのプラスチックはその処理が大きな問題である。都内の一部清掃工場の排ガスから高濃度の塩化水素が検出され、また残灰や排水の中に基準以上の有害な重金属の残留が検出されたことにはじまる。この原因は焼却ごみの中に廃プラスチックが増えすぎたためである。


分別して埋め立て

埋め立てた後も微生物に分解されないのでいつまでも残り、土に還らない。そのうえ土中に空洞ができて不等沈下を起こし、跡地利用が制限される。しかも焼却してもその過程で高温発熱するために炉を傷めるなど、廃プラスチックは数々の問題を生み出してきた。便利なものではあるが、埋め立てても焼却しても問題になるという厄介な存在でもある。


さらに産業廃棄物の不法投棄が絶えないことから、

1991 年に、『再生資源利用促進法』が新たに施行され、リサイクル促進のために製品を分類し、各々の事業者が行うべき法的措置について規定された。。続いて1995(平成7)年、資源の再利用、プラスチックの減量化、ごみ処分場の延命化を目的に『容器包装リサイクル法』が1997(平成9)年に施行された。


現在、プラスチックは、全国市町村の約半数は可燃物として収集して焼却し、残りの半数は不燃物または焼却不適物として収集し埋め立て処分をしている。


容器革命・ペットボトル

ペットボトルは、米国のデュポン社が炭酸飲料向けプラスチック容器の開発を始め、1973年にペットボトルの特許を取得した。飲料用の容器包装にPET 樹脂が多用されるようになった。日本では1982年に飲料用に使用することが認められ、瓶に取って代わった。瓶は再商品化の優等生であった。ペットボトルのリサイクル運動が始まり、現在日本では、回収率は100に近く、リサイクル率は85%を維持している。リサイクル率の半分は国外輸出されている。欧州のリサイクル率は40%、アメリカは20%である。日本は超優等生なのだ。それにしても、特許料金で儲けているアメリカがこの数字とは・・環境問題に関する意識の低さを指摘されても仕方がない(良くない性格と分かってはいるのだが、なぜか、アメリカの悪い数字を見つけると私は嬉しいのだ)。


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