神との約束
翌日、天気は曇り。やや小雨がまじりそうな感じである。
朝のお勤めの為に柊仁が祭壇の間に上がって窓を開けると、辰彦が窓とは反対側の壁に寄り掛かってどう見ても機嫌が良さそうには見えない顔をして立っていた。
「どうしたの? 僕が村へ行くのを承諾してくれていたよね?」
「……そうですけど……」
祀られている身の辰彦は神宮の敷地内は何処にでも行けるが、そこからは出る事が出来ないのだ。同時に、主として神宮に入った柊仁が神の許し無く外に出る事もかなわない。神と神宮の主とは言わば相互契約の一種なのだ。
「若君は、私が宮から出る事を本当に願っていらっしゃるのですか?」
柊仁は明るい笑顔で頷いて言った。
「辰彦も一緒に行って調べようよ。」
何時もの様に近付いて来て顔を覗き込んで来る柊仁に辰彦は、困ったなぁ、と言わんばかりに溜息を吐いた。
「この間は、簡単に木下達が解決してくれるだろうと思っていたのであんな事を言いました。これまでもそうだったので、私の出番は無いだろうと高を括っていたのです。」
「乗り気がしないの? 水琴窟にはそんなに嫌な奴が居ると思うの?」
「そうではありません。何と言うのか……籐次が付いて参りますから、お調べには滞りはないかと思います。」
何か別の考えが有るのか、辰彦の顔色はまったく冴えなかった。
「じゃあさ、下調べをして来るから待っててよ。大丈夫、ちゃんと戻って来るから。」
「若君は、私と言うモノをちゃんと認識しておいでなのでしょうか?」
その問いに即答する柊仁。
「神様でしょ? 放っておくと祟るって婆上がおっしゃっていた。」
「まぁ、そうですが……私はそんなに寂しがり屋ではありませんよ。って、そうではありません。つまり……」
何をそんなに言い難そうに濁すのか測り兼ねて、話してくれるのを待つつもりで彼は胡床に腰を下ろそうとするが、辰彦は天気を気にする様に海の方を見た。
「とにかく、事象には必ず何か原因が有るので、関係者からしっかり話を聞いて来て下さい。下で籐次が弁当を作って待っていますよ。早くお行きなさい。私へのお土産もお忘れなく。」
神と言うものは良いモノばかりではないから気を付ける様に、と家を出立する時に見送ってくれた祖母の霊の言葉を柊仁は思い返していた。
考えてみれば確かにそうかもしれない。人に禍を起こして退治され力を弱められて神として祀られている者ならば、当然そこに喜んで留まっているどころかむしろその逆で、暇さえ有れば人の通って来ない内に逃げ出し、悪くすれば逆襲しようと隙を狙っている者が殆どなのが当たり前だと思う。特に人の言葉の通じない四本以上足の生えたモノとか逆に足の無いモノはそう言う傾向にあるらしく、祟りを鎮める為に作られた祠などが雨嵐で倒壊すれば尚の事、簡単に出て行ってしまうとか。人からの扱いがまあまあ気に入って留まってくれている間は、近寄る他の怪しいモノを追い払ってくれて作物の育ちや漁も安全に出来るが、何かが気に食わなくなって祠から出てしまえば元の力を取り戻して暴れ神に戻ってしまうのだ。
辰彦は、元はどんなモノだったのだろう。
木下から説明を受けて、これだけは守ってくれと言われた事と言えば、朝、日が昇る前に雨だろうが晴れだろうがその時刻に神殿の扉を開けてご神体とされている鏡に陽を当てる事だ。
言われた通りにそうすると、辰彦は何処からともなく現れるのだ。
もしかしたら夜の間は柊仁にも姿が見えない存在に成っていて、朝日を浴びると人の姿に戻るのかもしれないが、深くは詮索しないでいようと思っている。
それが彼との適切な距離だと彼は考えていた。見られたくないから見えないようにしているだけなのならば、見ないでいてやる事も必要だと思う。
それで良好な関係が続けられるならそれでいい。
見ないで、と言われていたのに、見たいと言う欲に負けて見てしまい、それまでの幸せを失うのは子供向けのお伽噺に隠された反面教師的教訓だ。
相手が雪女だろうが鶴の化身だろうが、自分の事を好いて来てくれたのだから、好きなだけ居させてやればいいのだ。
そんな幸せそうな展開は物語としては全くもって面白くないかもしれないが、柊仁は自分の好奇心の為にもう誰も大事な人を失いたくないと強く思っているのだ。
柊仁は籐次が用意してくれたにぎり飯を竹の皮に包んで昼用に腰の竹かごの中に携帯し、下働きの小僧を装う為に身に付けた色落ちした小袖と袴に頭には菅笠を被って、まるで遠足に出掛ける様な気分で神宮の山を籐次と共に村へ向かって下りて行った。
つづく
さて、次回はとうとう轆轤翁が登場する予定です。
どんな事情が隠されているのか、読みに来て下さいね。
それでは、ごきげんよう。
暁の銀影 桜木 玲音 @minazuki-ichigo
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