Epilogue

そんな、まさか!


 鍋島が出勤してくると、隣の芹沢のデスクには昨日届いた佐伯葉子からの手紙が置いてあった。

 漠然と眺めながらコーヒーを淹れに行き、戻ってくると向かいの島崎巡査部長に挨拶をした。宿直明けで、そろそろ帰り支度のようだ。

「――おはようございます」

「おはようさん」島崎は軽く頷いた。

「芹沢、もう来てるんですか」

「ああ。昨日休んだからか、早く来てたんやないかな。課長と係長で、会議室に入って行ったで」

「手紙、読んだんかな」

「読んでた。『長ぇな』って、呆れてたわ」

「課長たちとは何の話?」

「さあ。突然の休暇の説明とちゃうの」

「ふうん」

 鍋島はコーヒーを飲みながら廊下に振り返った。会議室のドアを眺めて首を傾げる。――そんな話、わざわざ会議室で?

「おまえは何も聞いてないんか」島崎はスマートフォンを操作しながら訊いた。

「ええ。一昨日の夜、もう一日休むと連絡が来ただけで」

 その二日前の宿直明けに芹沢が横浜へ行っていたことは分かっていた。あの日はだからだ。

「女性関係でしくじったとかやなかったらええけどな」

 島崎の言葉に鍋島は愛想笑いをした。「ああ見えて、意外とそのへんはぬかりないみたいですよ」

 そうか、と言いながら島崎も笑った。「――あ、出てきた」

 鍋島が見ると、植田課長と高野係長、そして芹沢が刑事部屋に入ってきた。課長の席でひと言ふた言話すと、芹沢はコーヒーを淹れてデスクに戻ってきた。

「――悪かったな、余分に休んで」席に着くと芹沢が言った。

「ええけど――何かあったんか」

「あとで話す」と芹沢は片目を閉じた。「頼みたいこともあるし」

 ふうん、と鍋島は頷き、芹沢のデスクの封筒を顎で示した。「読んだか、それ」

「読んだ。長くて途中で挫折しそうになった」芹沢はため息をついた。「要するに、他にやりてえことが見つかったんでそっちに行きます、なんかごめん、めっちゃお世話になりましたありがと! ってことだろ」

「……おまえは、相変わらず辛辣やね」鍋島は苦笑した。「元も子もない」

「知らねえよ、やりたいようにやりゃいいさ」

 そう言うと芹沢はコーヒーカップを持った左手で肘を突き、口に運んだ。「いちいち構ってらんねえのがこっちの日常だ」

 鍋島はその様子を見て、芹沢が横浜での墓参りのあと一条に会って一日休暇を延長したものの、何かがあって後ろ髪を引かれる思いで帰ってきたんだなと思った。

 しかしその瞬間、を見つめて目を大きく開く。

「……え?」

「ん?」と芹沢は振り返った。にやりと笑っている。

「ちょっと待って……え、は? な、なんや」鍋島は身を乗り出した。

 芹沢は今度はニカッと歯を見せた。そしてコーヒーカップをデスクに置くとその手をゆっくりと顔の前に翳して言った。「――お先に」

「はああ?!――ふ、ふっざけんなぁあっっっっっ!!!!!」

 部屋にいた捜査員たちが驚いて顔を上げるほどの大声を上げて鍋島が襲いかかってきたので、芹沢は慌てて立ち上がり、部屋の奥の来客用ソファまで逃げて倒れこんだ。うひゃひゃと笑いながら鍋島のパンチを両手で受け、反撃に出る。しかしその腕を掴まれると、今度はぴたりと動きを止め、鍋島の反応を伺った。

「……どういうことか、説明しろ」鍋島は低い声で言った。

「だからあとで話すって言ってんじゃん」芹沢はまだにやにや笑っている。

「ここで言え。今すぐや」

「ええ~あとでいいだろ」

 そう言うと芹沢は掴まれていた腕を素早く持ち替え、一度引き寄せると即座に振り払った。鍋島は大きく反り返った。

「この野郎――」

 鍋島は再度芹沢の両足に跨り、今度は彼の腹をめがけて拳を当てた。

「痛い、やめろって――」

 芹沢はまた笑って両手で腹を抱えた。

「――おい、やめとけ二人とも――!」

 デスクに戻ってきた高野係長が二人の様子を眺めて言った。言葉とは裏腹に、本気で止める気配が全くない。それを不思議に思った島崎が訊いた。

「何かあったんですか、あの二人」

「いや、いつものじゃれ合いやろ」高野は席に着いた。「ほっとけ、ちょっとうるさいけど」

「鍋島がえらい怒ってますけど」

「そうか?」高野は鍋島を見た。「ああ――そんな感じやな。もしかして事前に知らされてなかったんかな」

「何をです?」

「芹沢、結婚したんやて」

「ああ、なるほど――」島崎は頷き、すぐに顔を上げた。「――ってえええっっっ!?」

「おお、シンプルかつ模範的ノリ突っ込み」高野は頷きながら小さく手を叩いた。

「だっ、誰と――?!」

「……それこそ、聞いて驚きやぞ」高野は声を潜めた。「……神奈川県警の一条警部や」

「――――――!」

 島崎は目をむいて両手で口を塞ぎ、絶句した。それからぷはっと息を吐くと、かすれた小声で言った。「……あのお嬢さん?」

「ああ。付き合ってほぼ一年やてさ。相手が相手やから、事前報告も身辺調査も要らんでしょ、ときた。しかも別居婚らしい。鍋島がふざけんなとわめくのも解る」

「……マジか……」 

 島崎はゆっくりと椅子に倒れこみ、額に手を当てた。そしてまだソファでやり合っている鍋島たちに振り返る。よく見ると、芹沢の左の薬指には真新しい指輪が光っていた。 

「――鍋島、やっちまえ。息の根止めてやれ――!」島崎が声を張った。

「島崎、あおるな――!」

 とうとう業を煮やした課長がデスクから叫び、立ち上がって腕を組んだ。そしてソファの二人を眺めると、ほとほと困ったように呟いた。

「……ったく、ハイリスクハイリターンとはまさにあいつらのことや」

「「……今さら?」」

 高野と島崎が呆れたように突っ込んだ。

                                           



                      《了》




※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係はありません。




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そのころの彼女、あのときの俺 みはる @ninninhttr

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