第十二章 手紙

RESTART(再出発)


『――拝啓 木々の緑が日に日に眩しく映る今日この頃、お元気でお過ごしでしょうか。このたびは私の身勝手であなたにずいぶんご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません。二ヶ月近くが経った今になってようやくご連絡を差し上げることになってしまったことも、本当に心苦しく、重ねてお詫びします。お許しください。

 私は今、長野ながの県の梓川あずさがわというところにいます。すぐそばに北アルプスを望む、瑞々しい自然に囲まれた美しいところです。この小さな地区で私は何をしているかと言うと、ある方のお宅に住み込み、十五人の身寄りのない子供たちの世話をして働いています。こう書くと、おそらくすでにある程度の事情を把握しておられるであろうあなたにはお分かりかも知れませんが、十五人は全員、今年の春先まで津和野の児童養護施設にいた子供たちです。

 津和野の施設『のぞみ園』は、かつて私と母が帰らぬ父を待ちながら母の実家にいたころ、母が勤めていた職場のすぐ隣にあり、私はよく、母の仕事の終わるのを待ちながら施設の子供たちと一緒に遊びました。学校では私はいつもよそ者扱いされ、ときには心無いいじめにも遭いました。そのため、私にとってのぞみ園はどこよりもずっと居心地がよく、園の子供たちの事情を分かっていない頃は、自分もここで暮らしたいと思ったものです。その懐かしいのぞみ園が、廃園の危機にさらされていると知ったのは三月の末、そう、わたしが姿を消す一週間前に津和野に行った、あのときです。私はあのとき、仕事の取材ではなく、消息を絶った田村芙美江さんの手がかりを調べに園を訪ねようとしたのですが、そのときすでにそこに園はなく、園長先生ご夫妻が知人を頼って子供たちと一緒にこの梓川に移られたと知り、そして今、ここで先生のお手伝いをさせてもらっています。おかげさまで元気です。あなたには連絡が遅れて本当に申し訳なく思っています。ごめんなさい。


 さて、何から書けばいいのか迷ってしまうくらい、あなたには説明しなくてはならないことがありすぎて、こうして便箋を前にした今でも、頭の中を整理するのに四苦八苦しています。できるだけ順序だててお話ししますが、分かりにくいところがあればお許しください。また、すでにあなたがご存じの話も出てくるかとは思いますが、それも今の私には分かりかねることとしてご承知ください。


 まず、わたしと田村芙美江さんの関係ですが、簡単に言えば津和野の幼馴染みです。芙美江さんはのぞみ園の園児で、私は特に彼女と仲良しでした。歳は二つ違いだっだけれど、生後間もなく園にやってきた芙美江ちゃんは、大勢の人の中で育ったせいか、とても人懐っこく、私も彼女を妹のように思っていました。芙美江ちゃんも私を慕ってくれて、彼女が大阪のご夫婦に養子縁組で引き取られて行ったときは、私は食事も喉を通らないくらい悲しみました。のちに、中学生になった芙美江ちゃんが園を通じて私に連絡をくれたときは、本当に嬉しかったです。それから彼女とは月に一度程度の手紙でのやりとりが続き、私が大学進学で大阪に出てきてから二、三年は、手紙が電話やメールに代わり、そしてたまに会ってあちこち遊びに行ったりもしました。その後、彼女が東栄商事に入社したのと同時期に私も新聞社に入り、互いに時間が取れなくなってからは、またメールだけの付き合いに戻りました。仕事に忙殺されていくにつれメールの数はだんだんと減っていきましたが、それでも一昨年くらいまでは続いていたのです。

 ところが一昨年の十一月頃を境に、彼女との連絡が取れなくなってしまったのです。電話は使用されていないとのアナウンスが流れ、メールは送信不能で戻ってくる。どうやら使っていた携帯電話を解約したらしく、それでは手紙を、と書いて送りましたが、転居先不明のスタンプが押されて戻ってきました。港区の実家にも連絡を入れましたが、田村さんご夫妻は彼女が家を出て以来あまり連絡を取られていらっしゃらないようで、彼女がどこへ引っ越したのかは分からないとのことでした。そうこうしているあいだにも、ご存じのように私は仕事に追われ、彼女の行方を探すのを諦めかけていたある日、突然、彼女から手紙が来たのです。確か去年の夏頃でした。手紙には、彼女がルームメイトを見つけて暮らしていること、そのルームメイトの話、自分の近況などが書かれていましたが、肝心の住所が書いてありませんでした。私は返事を出すこともできず、けれども同封してあった写真にそのルームメイトの方と写っていた彼女の表情がとても明るかったので、それで納得することにしたのです。そんな彼女の手紙は三通届きました。去年の十一月が最後でした。そのときの手紙はごく短く、今まで自分があまりにも人の顔色を見て過ごしすぎたと書かれていたのが妙に心に残りました。彼女は今、何か問題を抱えている。そう直感しました。けれども、私にはどうすることもできませんでした。

 そして今年の二月です。岡本信哉さんが殺され、その容疑者としてニュースに映し出された坂口郁代さんの顔写真を見て、私は驚きました。芙美江さんの送ってくれた写真に写っていたあのルームメイトととても良く似ていた――いえ、本人に間違いなかったからです。しかし坂口さんに会うことはできません。その代わりに、私は事件の行方に注目し始めました。すると坂口さんが容疑を否認しているのが気にかかり(職業病のようなものです)、自分なりに調べ始めもしました。そして、坂口さんがアリバイ主張の中で峰尾昭一の名を挙げたことを知り、その峰尾が東栄商事の重役であることを知って、この事件にはどこかで芙美江さんも関係しているに違いないと直感したのです。そしてどういうわけか私は、芙美江さんが岡本さんを殺害した犯人なのではないかと考えました。そう思うとあの最後の手紙が、彼女が誰かを憎んでいる内容にも取れ、この事件の伏線のように思えたのです。坂口さんは岡本さんと友人関係にあったのだから、芙美江さんと彼も知り合いであってもおかしくはない。おまけに岡本さんはかなり女性関係が派手だったと聞き、芙美江さんが岡本さんに騙されて、その仕返しに何ヶ月も前から殺害計画を練っていたのではないかと思ったのです。だから彼女は私に住所や連絡先を知らせようとしないのではないか。私はそう推理したのです。すべてが明らかになった今では、とんでもない間違いだったのですが。

 そして二月の終わり、私はまず持田先生を訪ね、事件取材と称して坂口さんの面会を申し出ました。芙美江さんのことは先生には伏せました。もし彼女が真犯人なら、私は彼女を庇ってあげなければならないと本気で考えていたからです。あなたへのUSBで彼女について記さなかったのも、そんな考えがあったからです。残念ながら、先生には申し出を断られたので、次に坂口さんのお母さんに会いました。ただ友達と言うだけなら、お母さんなら大丈夫だろうと思いましたし、また実際、隠しごとばかりしていては何も掴めないと思ったからです。が、そこでも成果はありませんでした。岡本さんと坂口さんの関係性を詳しく知るために彼が出演したことのあるライヴハウスをいくつか取材し、そこでも確信を突く事実を掴むことはできませんでした。

 それで今度は、東栄商事の人間を当たることにしました。峰尾と内田です。しかし二人の答えはまったく同じ。ただ、都合で先に会った内田の様子がおかしいのを私は見逃しませんでした。間違いない、内田は峰尾と口裏を合わせている。私はそう思いました。坂口さんが嘘のアリバイ主張をしているのかいないのか、そのときはどちらとも判断がつきかねましたが、少なくとも峰尾が芙美江さんを知っていることには間違いないと思いました。そうでないと坂口さんが峰尾の名前を出してくるはずがないと考えたからです。

 内田に東栄商事の元社員の石川慶子さんと言う婚約者がいるのを突き止めた私は、彼女に接触を図ろうとしました。しかしそれも拒否され、いくぶん八方塞がりの感を持ち始めたころ、私のところに脅迫めいた手紙が投げ込まれるようになりました。内容はありがちな決まり文句でこの事件から手を退くようにと言うものでしたが、そのおかげで私はかえってこの事件には真犯人がいること、そして今まで会った人物の中にその真犯人もしくはそれに近い人物がいることを確信したのです。しかし当然、まさか峰尾が芙美江さんを殺害し、それを隠すために坂口さんのアリバイを否定したなどとは思ってもいませんでした。私は考えました。この脅迫状を送ってきたのは誰か。そして出した結論は、芙美江さんかも知れないということでした。今から思うと、かけがえのない友人を疑った自分が情けなくて恥ずかしい限りですが、坂口さんと峰尾、内田を結ぶ重要人物である彼女の存在を知っている私としては、なぜか彼女の存在が表に出てきていないのがどうしても引っ掛かっていました。そしてそのことが、芙美江さんこそが事件の首謀者であり、真犯人だと思わせる要因となってしまったのです。

 私は何とかして彼女を探し出そうと、藁をもつかむ思いで津和野に行きました。ところがそこで知ったのは、のぞみ園の廃園でした。そのとき、園の従業員だった方と出会い、かつて園が危機にさらされていた去年の秋頃から、誰にも心当たりのない村田江美子と言う人からお金が届くようになったという話を聞かされ、それで直感したのです。それは芙美江さんに違いない。しかも最後の送金が三百万円と聞き、やはり彼女は何かの犯罪に手を染めているのだと思ったのです。ところが送金はそれっきり途絶え、そのありがたい協力も空しく、園は潰れてしまいました。高金利の時代に金融機関の誘いに乗って多大な融資を受けて施設の拡張工事を行い、今になって返済が苦しくなった果ての廃園ということでした。

 津和野から帰った直後に、今度はあの空き巣事件が起きました。正直言って私は恐怖に怯えました。津和野から帰った日にマンションの下で私を見張っていた人物がいたのは分かっていましたし、その人物がとうとう強硬策に出た。しかも、あろうことか私とあなたを間違えて。それと同時に、相手は手段を選ばずに何でもやりだしたのだと思い知らされました。そこで私はどうするべきか考えました。私の頭の中では、岡本さん殺しの犯人と脅迫犯、そして空き巣犯は同一人物であり、それはつまり芙美江さんの共犯者だという思いがありました。つまり、芙美江さんは自分の育った施設を救うために犯罪に手を染めていて、それを何らかのきっかけで知った岡本さんを殺害したのだと、そう思ったのです。大阪で事件の解明を中断することに心残りがなかったわけではありませんし、もちろんあなたのことも気懸りでしたが、このまま残ればあなたにさらなる被害が及ぶかもしれない。かと言ってすべてをあなたに話すには確証の持てないことが多すぎる。そこで発想を逆転し、あなたに、警察への告発を頼もうと思いました。私はあなたを信じていました。あなたになら任せられる。とても強い人だから、必ず切り抜けてくれる。そう信じてあのUSBを託したのです。メッセージの中にはいささか過大な表現やごまかしもあったでしょうし、わざわざUSBに残したのも芝居じみているとは思いましたが、それも今まで述べた事情のためです。(結局、脅迫と空き巣の犯人は岡本さん殺害犯の関係者だったのですね。私の推理などいい加減なものです。深く反省。)

 実際、あなたは警察や持田先生と協力して、見事に事件の真相を暴いてくれました。事件を取り上げたテレビやネットのニュースを見て、私は驚きと感嘆、そして大きな悲しみと怒りを覚えました。私の推理はまったくの見当違いだったけれど、すべてが終わった今、思うことはただ一つ、あなたへの感謝です。仁美、本当にありがとう。


 園には今、再建計画が持ち上がっています。とは言っても借金はまだまだ残っていますし、仮に再建するにしても、今度はごく小規模なものになるとは思いますが、園長ご夫妻がここへ来られて数ヶ月、お二人の地道な活動に共感される方がこの地域にも増えてきて、その声を知った自治体が、ご夫妻に援助を申し出てきたのです。園長は慎重ですが、私たち周囲の人間はかなり乗り気です。そこで私は最近、一つの決断をしました。そう、すでにお察しかも知れませんが、大阪での生活を切り上げて、ここへ移ってこようと思うのです。ライターという仕事は、確かに都会で活動していた方が便利だとは思いますが、究極のところ場所を選びません。それに、私は園の仕事が好きです。園も今は大事なときですし、私のような者でも、居ないよりは居た方が少しは役に立つかも知れないと思うのです。記者時代の無理がたたって、私は子供の持てない身体になりました。そのせいかも知れませんが、日々、親の愛情に恵まれない子供たちを見ていると、自分もこの子たちの親代わりの一人になりたいと考えるようになったのです。そうすると、五年前に病気に倒れたのも、すべて意味のあることだったのかも知れないとさえ思えてきて、とても楽になりました。子供たちにとっては迷惑な話かも知れませんが、私はそう決めました。それで近々、萩の叔父が部屋を片付けにそちらのマンションを訪ねることになっています。そのときはまたご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。私の最後のわがままです。


 長々ととりとめのない話を書き連ねてきましたが、そろそろペンを置くことにします。持田先生と西天満署刑事課一係の皆様にも、これと同様の手紙を送りました。もしあとで皆様にお会いになるようなことがあれば、どうぞくれぐれもよろしくお伝えください。本当に感謝していますと。

 仁美、今まで本当にありがとう。あなたという友達を持って、私はどれだけ心強く、そして楽しかったことか。重ね重ねお礼を言います。

 では、くれぐれもお身体に気を付けて。信州しんしゅうに来られることがあったら、必ず連絡くださいね。

 そのときまでさようなら。お元気で。


辻野仁美様

                       五月二十八日 佐伯葉子 


《追伸:気の乗らない彼氏とはどうなりましたか。以前と同じ気持ちなら、一日も早く清算しましょう。お互いのためです。》



 最後の追伸を読んだところで、仁美は思わず苦笑いした。葉子らしいと思った。忙しくしていても、いつもどこかで自分のことを気にかけてくれているのが葉子だった。その歯に衣着せぬ言い方も、彼女の書く記事と同じだった。仁美は彼女の新しい門出を受け入れることにした。


 あれからふた月も経ったんだなと、仁美はいくらか懐かしく思い出した。空き巣がすべての始まりだった。それから葉子がいなくなり、彼女の残して言ったUSBから坂口郁代の存在を知った。その直後から、のちに田村芙美江だと分かる村田江美子の存在が浮かび上がり、それとともに峰尾と内田に対して大きな疑惑が持たれるようになった。石川慶子に会ってこの部屋で話を聞いたときは、仁美がこの事件の解明に一番情熱を傾けたときだ。やがて事件は解決し、そのあいだに仁美は二人の男性への想いを整理した。それからもう、三週間が過ぎる。

 田村芙美江は実に気の毒な女性だった。おそらく葉子とは、親との縁に恵まれず、他の大人たちの顔色を見ながら暮らさなければならなかった少女時代の辛い経験を共有したことによって強い絆が生まれたのだろう。社会に出てからも、二人にはいくつもの苦難が待ち受けていた。平々凡々と過ごしてきた自分にはどう転んでも理解できない、そして絶対に立ち入れない特別な聖域のようなものが、あの二人のあいだには確かにあったのだろうと仁美は思った。

 坂口郁代とは、彼女が釈放されて一週間後に、持田弁護士に連れられて礼を言いに来てくれたときにこの部屋で初めて会った。明るい様子で自分の身に降りかかった災難を話し、力強い口調で何度も感謝の言葉を口にした郁代は、強く、逞しい精神の持ち主という点では、葉子や自分と同類のように思えた。そして、男運の悪さでは芙美江とも同類なのかも知れなかった。それでもまだこの街で頑張っていくと言ったその顔の真ん中には、出来の悪い男友達に大金を貸し、それを踏み倒されても懲りずに面倒を見て、挙げ句には無実の罪を着せられて何ヶ月も自由を奪われていたお人好しの目が二つ笑っていた。彼女は今、村上優の勤める『アフター・アワーズ』の近くのクラブで働いている。仁美も一度店を覗いたが、そのときは彼女はちょっとした時の人だった。

 芹沢とはもう会うことはない。彼のことを想ってしばらくは何をするのも辛く、切なかったが、その思いは少しずつ、薄皮を剝ぐように消えていった。今でもときどき、西天満署の近くやあの大衆食堂の付近に立ち寄ることがあり、そんなときはどうしても微かに胸が痛んだが、いまさら悲恋のヒロイン気分に浸るほど青くも甘くもなかったし、こんな経験をしているのは世界中にたくさんいるということも分かっていた。そう思うと失恋もまた日にち薬で、時間が経つにつれ、芹沢は彼女の真新しい思い出の中に生きてくれるようになった。

 ただ、これだけは確かに言えることは、どちらかと言うと今までは苦手だったはずの標準語の男性が、今ではそう嫌いでもない、むしろ好感さえ持てるようになったということだ。中でも、特に崩れた話し方をする職場の同僚などが誰かと喋っているのを耳にしたときなどは、心地よいほろ苦さが仁美の耳と心をくすぐるのだった。


 仁美は最近、煙草をやめた。


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