第5話

「Hey、ヒゲダンディ。聞いたぜ、東京の兵士イヌを助けてやったんだって。オタク、そんな性格だったかい」

 びしゃあっ。けたたましい轟音が晴天の森の中を駆け抜け、迸ったのは紫電。地面を掘り返しながら繰り返し落雷するそれを掻い潜り前進するのは赤鉄。化身具足を纏ったあの禅次郎である。

 相対するは青銅の鈍い輝きを纏う化身具足“雷音らいおん”の鬼武者。可笑しな言葉を使う若人、月山がさん丈治じょうじ

 彼は軽口を叩くと共に、具足の背面に備えられた連なる太鼓の内、ちょうど時計で言えば三時と九時の位置にある鼓を両手に持った金砕桴かなさいばちで同時に打った。

 どんっ、という音が轟くと同時に再び紫電が迸り赤鉄の行く先の落ちようとしていた。

てっぺいの親父とはちょっとした縁でな。墓参りに東京へと参じた折、つまり偶然よ」

 身を翻し紫電を避け、ぐんと跳ぶ赤鉄。「Whatっ」 と言う雷音の間抜け声が挙がった頃にはもう彼は雷音の懐深くに居り、突き出した拳が彼の腹を打った。

 雷音という具足は雷を放つためのものにより、その防御能力は他より秀でるものではない。故に赤鉄の拳による衝撃も吸収しきれず、貫通したそれにより雷音の腰が砕けくの字に曲がる。

 そして降りてきた彼の顎へと、赤鉄はかつて伝授された業を試した。

 ――れつ富嶽ふがく。大地を震わせる踏み込みと共に、標的の顎へと一直線に上昇する拳だ。それを受けた雷音のくの字の体が、今度は再び跳ね上がり逆に反り返った。

 赤鉄が己の右拳をこの日本に堂々そびえる富嶽ふじさんのように天に突き出す中で、雷音はそのまま地面へとくの字の次は大の字になって倒れる。

「本来であれば、これより三十六景へと繋ぐ所。だが俺はそれの全てを習得出来なんだ故、これ一筋。だがこの富嶽こそが始めにして極意。しかし故にいまだ未熟。だからこその“れつ”。先生の富嶽はこんなものではないぞ。立てい、雷音」

 徐に降ろした拳を見詰め、物思いに耽る赤鉄。劣る拳、劣る業。故に雷音もこれでやられるようではまだまだと叱咤した赤鉄であったが、彼が見た先では既にその雷音を解いた丈治が長い金髪を撒き散らしながら両手を挙げて「――Give up。ダメ、もうムリ、降参」

 それを見た赤鉄は顔を覆いながら溜め息を一つ。すると気の抜けるような音と共に具足が煙と消え、禅次郎としての姿が露わになった。

「ジョージ、お前はもっと近付かれた時の対処を訓練せんといかんな。それと根性付けろ。何が降参だ馬鹿者が」

 そんなことを言われてもと禅次郎の小言に文句を垂れる丈治は更に「そもそもオレの雷音は雷で敵を圧倒するのが役割の具足なんだぜ。格闘戦なんてnonsense。そういうのはbuddyが敵を近づけないようにしてくれなきゃあ」

 そんなことを言っていると「たわけが」 と禅次郎からの一喝が飛び。ひっと地面に体を横たえたまま丈治は情けなく身を縮こめ頭を抱えた。

「お前の親父はその雷音で敵へ飛び掛かって殴り倒しておったぞ。その金砕桴は何だ。雷とてお前のようにでたらめに落とすばかりではなかったわ。俺とて奴に近付くのには骨が折れたと言うのに――」 そこまで言うと舌を出した丈治が「先生も大したことないじゃん」 と言うと「黙らっしゃい」 当然、再び禅次郎の雷が落ちるのであった。

「兎に角、今日はお前にみっちりと兵法というものを叩き込んでやるから覚悟しておけ」

 ばらけた髪を再び一つに結いながら禅次郎がそう言うと、丈治はええと心底嫌そうな声を挙げて地面を左右に転がった。

 その不甲斐ない姿を呆れた顔をして見下ろす禅次郎。彼が痺れを切らして丈治を叩き起こそうと思い立ち、行動に移そうとした時であった。

「――捜しましたよ。天城禅次郎さん」

 呼ばれた禅次郎と、上体を起こした丈治が同じく木々の向こうを凝視した。そしてそこに居たのは――

「――誰」

 声を揃えた禅次郎と丈治の二人の言葉に、その人物はがくんと膝を折り危うく跪きそうになる。そこを何とか踏み止まるためにたたらを踏んだその人は、木の幹に手をつくことでようやく落ち着き頭を掻きながらはははと引きつった笑い声を上げる。

 そうして顔を上げると、そこには微かに茶色掛かった髪をした青年のやはり引きつった顔があった。それを見た二人は目を見開き、顔を合わせた後に再びその者を見詰め――

「だ――誰」

 がくんとまた青年の膝が折れる。

 今度は遂に己の尻の重さを支えることが出来ずひっくり返った青年は、やはりはははと力無く笑うだけ。

 虚ろな目は木々の隙間から覗く青空を見詰め、餌を強請るツバメの雛か鯉のようにぱくぱく開閉する口は「まあ別に、顔ずっと隠れてたもんな。仕方ないよな」 と落胆する言葉をうわ言のように紡ぐばかり。

 そんな青年の視界にふと禅次郎が現れると、彼は口髭と顎髭に囲まれた口の端をつり上げながら青年へその手を差し出して言う。

「――ふっ、冗談だ、撤兵。ま、一瞬富士の奴に見えて面食らったのは確かだがな」

 その言葉を受け、はははと力無く笑う撤兵。

 彼は差し伸べられた禅次郎の木の肌のように硬い手を掴むと、起き上がる前にその体を禅次郎により引き起こされる。

 自らの調子で立ち上がったわけでないからか少しふらつく撤兵であったがそこは一人で堪え、禅次郎の手を放すと一息。

「結局、誰よ。Who are you」

 同じく立ち上がり、側まで歩み寄った丈治が撤兵の顔をまじまじと見詰めながら撤兵と禅次郎の二人の顔を交互に見遣り訊ねた。

「初めまして。オレは富士撤兵。ええと――」

 一応として丈治に自己紹介をする撤兵であったが、そうは言っても質問の答えにはならないことを分かっていて、彼は禅次郎を見ると彼からの紹介を暗に要求。

 咳払いを一つして、それを受けた禅次郎が口を開く。

「ジョージ、これは富士顛碌てんろくの倅の撤兵だ。お前の親父から顛碌の名前くらいは聞いたことあるだろう」

 言うが、どうも丈治自身はぴんときていないらしく頭を掻きながらはぁと生返事をするばかり。

 再び撤兵の顔が引きつる中、こほんと咳払いした禅次郎は「兎に角」 と前置く。その目は撤兵を見ていた。

「イヌのお前がどうして“此処”に居る。余計な手出しで、俺は東京に指名手配でもされたのかよ」

 捕まえに来たのかと茶化した調子で言う丈治に撤兵はまさかと苦笑を浮かべながら両手を振り、すると改めて此処に居る理由を尋ねた禅次郎。

 撤兵は一息吐きながら、シャツの襟を崩すと中から認識票を取り出し、それをそのまま首からも外した。

「兵士は辞めました。ケジメって、そういうやつです」

 なんでも、落胤を滅亡させたことで一応責任は取ったこととなり除隊にはならずに済んだものの、撤兵は自らの意思で結局は軍を抜けてきたのだという。

 落胤を滅したのは撤兵であったが、彼はそうは思っていないらしいようだった。捕らえたのは禅次郎であるし、痛めつけたのも彼だ。それを鑑みれば、撤兵が納得しないのも頷けるように禅次郎は思った。

「此処に来たのは禅次郎さん、貴方にお礼をしたかったのと東京の外をよく見ておきたかったからです」

 東京土産は里の屋敷に届けてあると言う撤兵。彼はお世話になりましたと禅次郎に頭を下げた後、徐に背中に背負った長物の包みを降ろし地面に置いたそれを解いて行く。その中から出てきたものは、立派な拵へと収められた二振りの刀であった。

 それを見た禅次郎は思わず感心の声を挙げると共に、それが撤兵の父、顛碌のものであることを思い出した。そして己の髭を撫で付けながら振り返るとぼんやりとしている丈治へと「具足用意」 の声を掛けた。

 当然のように嫌な顔で嫌そうな声を挙げる丈治であったが、黙って歩み寄ろうとする禅次郎に迫力を感じると堪らんとして鬼装填鎧の号令を叫び、再びの雷音をその身に纏った。

 青銅の鎧の上をのたうち回る紫電は鋭利な刃のような目をする兜へと登り、そこに備えたる牛の湾曲した二本角に至り弾け飛び、逆立つ虎の毛皮は風に揺れた。

 雷音の姿を初めて見る撤兵はおおっと感極まった声を出し、その内面とは裏腹に勇ましい様相に目を輝かせる。

「丈治はまだまだ青っちょろいが、雷音は一騎当千の雷様の化身。不足あるまい」

 雷音と化した丈治に傍らに立ち、その背中をばんと叩き彼を撤兵の前に突き出しつつ、にやりと不敵な笑みを浮かべる禅次郎。

「ずいぶん買ってるんですね。ですがもちろん、不足などあるはずもない」

 本当かよと禅次郎と撤兵のやり取りについつい本音が零れる雷音は、兜の後ろ半分から生えた虎の毛を頭をそうするように掻いた。

 そんな雷音の尻に早く準備しろと前蹴りを見舞う禅次郎であったが、具足を纏った鬼武者はびくともしない。

 とは言え蹴りをかまされたと言うことは雷音も理解していて、「へーへー」 と雑な返事の後、腰に提げた二本の金砕桴を手に取りいつでも背の鼓が打てる位置へと持っていった。

「馬鹿者。紫電は使うな。その金砕桴のみで立ち合え」

 早速の駄目出しに雷音は溜め息を吐きつつ、仕方なしと言った様子で金砕桴を鼓ではなく撤兵へと構える。

「Hey、先生。でもよ、撤兵君は無防備だぜ。良いのかよ。仮に剣の腕が立つにしてもさすがに鬼武者とじゃあ――」

 心配無用。そう言ったのは禅次郎ではなく、件の撤兵その人であった。

 禅次郎も、彼を見ていた雷音もその撤兵を見る。そこでは二振りの剣とは別に、トランクケースにしても些か大き過ぎるがそれでもケースらしきものを転がした撤兵が居た。

「無防備ではありません。オレのアーマーは此処に。貴方がたのようにスマートじゃありませんが、スポンサーが提供してくれた最新作。ご覧に入れましょう」

 そう言ってぱちぱちと固定器具を外し、取っ手を捻ると重々しい音が響く。それは錠が外された音であり、するとケース天面が展開。何やら手形らしき形状が露になると、撤兵がそこに手のひらを嵌め込もうとした時であった。

「――お取り込み中の所、大変恐縮ですが禅次郎様、里長が禅次郎様にご相談を、と」

 姉ちゃん。そう始めに口を開いたのは雷音であった。

 一同は手を止め、雷音が見た方へと顔を向ける。そんな中でケースを再び格納した撤兵だけが怪訝そうな顔をしていた。気配をまるで感じなかったからだ。

「相談とは、何事だと思う。えんじゅ

 槐。その名を言うは禅次郎であり、彼が振り返った先では木陰にその身を潜ませたスーツ姿をした妙齢の女性が居た。

 彼女はお約束とでも言えば良いか、縁無しの眼鏡を掛け直す仕草をしつつ己に向けられる禅次郎の瞳を見詰め返しながらその潤った薄紅色の唇を動かす。

「はい、無縁衆生絡みのご相談――依頼が届いたものかと」

 それを聞くなり禅次郎はぱんと手を打ち鳴らした。

 稽古はこれにて終い。そう言って彼は槐の元へと歩み出し始める。

 ぽかんとしてその背中を見詰める撤兵と、やったと喜色の色滲む声を挙げて雷音を解く丈治。

 そして槐の傍らに辿り着いた禅次郎は一度振り返ると、片目を閉じる仕草を見せながら微笑を浮かべ「せっかく来たのだから俺の家にでも泊まってゆっくりして行け」 と撤兵に言うのだった。しかし――

「無縁衆生とお聞きした。もし奴らが現れたと言うのであれば、オレも連れていってはもらえませんか」

 思わぬ撤兵の申し出にはぁ、と呆れ声を挙げたのは丈治であったが、禅次郎はそんな様子も無く寧ろ分かっていたかのように不敵な笑みをその顔に浮かべていた。

「奴らを滅亡させるのが、兵士としての――いや、それがオレ自身の使命だと思ってます。父から継いだこの刃、奮わなくてはその甲斐も無い。禅次郎さん」

 きっと鋭く禅次郎を見詰める撤兵が紡ぐ言葉には確かな熱意があった。

 禅次郎はしばし己の顎髭を撫で付けながら無言。傍らの槐も撤兵も言葉を発することは無く、ただ合間に居る丈治ばかりが戸惑いながらその首をいったり来たりとさせるばかりであった。

「どう思う、槐」 禅次郎が突如として問い掛ける。槐はそんな彼の横顔を見上げながら静かに返す。「禅次郎様の付き添いと言う事であれば問題無いかと。契約金が嵩まなければ先方も文句は言わないでしょうし――」 そう槐が言うと、禅次郎の瞳が動き己を見上げる彼女を見詰め返し「先方のことはどうでも良い。槐、お前はどう思うと訊いた」

 その言葉に槐は僅かに俯き「私は――」 と独り言た後、再び顔を上げ彼女は言った。

「あの者が禅次郎様、貴方様の負担にならないと言うなら。足手まといにならないなら。禅次郎様が無事に帰ってきて下さる邪魔にならないなら、槐は構いません」

 光の加減か、僅かに顔を赤らめているようにも見える槐。しかし禅次郎はそのことを告げぬまま、良しと意気込みを一つ。そしてそう言うことだと撤兵へと告げると、撤兵はその場で頭を垂れてお辞儀をした。

「感謝します。ありがとうございます」

 最後に、禅次郎は突っ立つ丈治へと顔を向け「お前はどうする」 と訊ねると丈治は槐を見た。

 そこで槐は彼に何かとてつもなく鋭く冷たく、そして圧力のある目を向けていて、蛇に睨まれた蛙よろしく丈治は金縛りにされた上に全身からは冷や汗が噴き出した。

「オレはパス」

 そう丈治が言うと禅次郎はふと笑い、剣とケースを担ぎ駆け出す撤兵と槐を連れて彼に背中を向けて歩き出した。

 槐の金縛りから解放された丈治はほっと胸を撫で下ろすものの、「ジョージの奴も連れて行く。手配しろ」 と言う禅次郎の言葉が耳に届き、更には再び槐の圧力を覚えひっと短くも悲痛な悲鳴を挙げるのであった。

 ――いつの世の頃からか、この世には救われぬ哀れなる魂たちが溢れかえり、その無念のままに魂は醜悪なる異形“無縁衆生”へと化けるようになった。

 無縁衆生は人を襲い、そして死んだ者の魂もまた異形と化す。この惨いばかりの循環を人々は良しとせず、やがてそれに対処するための力を身に付けていった。

 時は過ぎ、人々はいまだ無縁衆生という人が生きる限り祓いきれぬ驚異に曝されている。

 江戸の町は機械ハガネと刃の街、機械都市“東京”へと変わり。京の都はいまだ神秘息づく神仏古都“京都”と呼ばれるようになっていった。

 人と無縁衆生。切っても切れぬ、これぞまさしく腐れ縁。人の業あらば、そこに無縁衆生あり。

 これを断ち切るは人の業に非ず。それなるは鬼の業なり。かつて悪しき九尾を討ちし鬼と契りし者を、人はこう呼んだ。

 ――鬼の威を借る、“鬼武者”と。


 完。

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鬼神伝 赤鉄 こたろうくん @kotaro

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