献花するほど仲が良い

するめいか

戯れ言の記録

 三万円のカメラが初めて電源をオンにされた時、そのレンズが捉えたのは、持ち主である一人の女子高生だった。


 夏が始まろうとしているというのに、着ているのは冬物の紺色セーラー服。濡烏ぬれがらすの長髪に、あどけなさの残る顔立ち。


 しかし、少女の纏う雰囲気は、神秘的で不安定な妖しさを多分に含んでいる。


 端的に表せば、十七歳の若者にあるべき生気が無い。


「『最近の精密機器って、どうしてこうもややこしい構造をしているのでしょう。ただでさえ奇っ怪な機械ものなのに』」


 背景はカーテンの閉めきった薄暗い部屋。どうやらここは彼女の私室みたいだ。


 カメラの隣で起動しているパソコンが唯一の光源で、少女は難しい顔を作ってカメラをいじっている。


「『あぁ、本当に面倒くさい。かにを食べている気分です』」


 彼女が苛立ったようにカメラを抱えると、部屋を覆っている異常がとうとう明らかになる。


 『写真』だ。四方にある壁の全てに写真が貼りつけてある。


 写っているのは、少女の腕にできたあざだったり、口内にできた裂傷だったり、破かれた制服だったり。


 とにかく種々様々な記録達だ。


「『……あれ? もしかしてもう動画撮影、始まってます?』」


 すると、そこでようやくセーラー服の娘は、カメラが動画モードになっていることに気付いたようだった。


「『やれやれです。お見苦しいところをお見せしました』」


 肩をすくめて謝ると、少女はカメラを手にしたまま、自分の姿をフレーム内に入れた。


「『皆さん、そろそろ夏が始まりますね。こんな時は文学的なことをしてみたくなりませんか? そう、例えば自殺とか』」


 次の瞬間、カメラには部屋の中央に垂れ下がるロープの輪が写された。絞首刑で用いられるのと同じ結び方だ。


「『私、藍本あいもと理菜りなは、小学生の頃からずっとイジめられてきました。生まれてから長らく、性的暴行を初めとした虐待に悩まされてきました。具体的にどんな被害に遭ったのかは……まあ、話すまでもないでしょうね。そのために記録していたわけですし』」


 少女はまるで一仕事を終えたかのような疲れはてた笑顔で部屋の壁を見回している。死にゆく日には勿体ない充足感だ。


 だが、彼女はハッと我に返ると、人差し指でこちらを鋭く爪指つまさしきた。


「『……あ、そうだ』」


 高級なレンズに早くも指紋がつきそうだ。


「『どうして伝えてくれなかったんだ! なんて、馬鹿ぶらないでくださいよ。わざわざ報告しなかったのは、あなた達が知っていることを、私が知っていたからです』」


 カメラをパソコンの横に再び置いて、少女は背を向け、こちらから離れていく。


「『それに、格好悪いじゃないですか。自分だけの失敗も、唯一無二の後悔も、口に出したら最後。ありふれた愚痴に成り下がります』」


 漫画や小説等、雑多なジャンルの読み物が詰め込まれた本棚を漁る女子高生。


 どうやら探し物をしているようだ。


「『ともかく、私はどんなに実害を被っても、決して助けは求めませんでした。何も言えないまま、癒えない傷だけが増えていったのです』」


 駄作の洒落を交えながら、少女の独白は続いていく。


「『だけど正直なところ、辛い環境に身を置くというのは、さほど苦ではありませんでした。ただ、私にとって重大問題であったのは、が公然の秘密として、あるいは暗黙の了解として周知されていたことなのです』」


 すると、そこで彼女は目的の物を発見したようだ。護身用に常備していたボイスレコーダーである。


「『私は私の抱える地獄を、みんなからもっと明白に、分かりやすい形で認めてもらいたかった。同情されて、慰め励まされて、れ物に触れるかのような慎重さで接してもらいたかった。そうでなきゃ、私の受けてきた悲運や理不尽の代償は、一体誰が払ってくれるって言うんですか?』」


 手のひらサイズの四角い機械を制服のポケットに突っ込み、今度はさらにゆっくりとした足取りでこちらへ歩み寄ってくる少女。


「『努力しないで済む理由が欲しい。劣等を許される免罪符が欲しい。優しくされるための欠陥が欲しい。だから、不幸自慢をするための材料を提供してくれる彼らには心底感謝していました』」


 まるで演者だった。大きく身振り手振りをして、センチメンタルに酔っている。


「『けれど、いくら耐え続けてみたところで現実は少しも変わってはくれません。私はそこにきてようやく、こちらから行動を起こさねば、知ってもらう努力をしなければと気付いたのです。私は楽をするために苦労を惜しまない人間でした』」


 結局、今日という終わりの日まで、それが実ることはなかったけれど。


「『であれば、どうするべきだったでしょう。問題を明るみに出してみれば良かったかもしれません。傍観を貫いていた人を巻き込むくらい盛大に』」


 思いついた時には既に、先延ばしが癖になってしまっていたけれど。


「『あるいは、からめ手や邪道を捨てるべきだったかもしれません。もっと強く言い返してやれば、妥当な結末を得られた。抵抗を諦めたりしないで、相手の頬でもってやれば、きっと普通に戻れたのです』」


 正面から挑むほどの勇気は魂に宿っていなかったけれど。


「『喧嘩するほど仲が良い。昔の偉い人はそう言いました。つまり、ひとたびと拳を交えたのなら、きっと少年漫画的な素敵効果で私達は最高のになれるのでしょう』」


 これが負け犬の遠吠えであることも、本当は分かっているけれど。


 飢えたる犬は棒を恐れないものだから。


「『だけど、暴力はいけません。義務教育で学びました。戦争を始めるのは簡単だけれど、終わらせるのは至極困難なのです』」


 少女はスカートのポケットからボイスレコーダーを取り出した。


「『だから私は、平和的にやり返してみせます。暴力を振るわずに、ろくな代償を支払わずに、同情を買ってみせましょう』」


 そう告げて、機械のボタンを力強く押す。


【アンタ、もう学校来なくていいよ。ていうか早く死んでくれない? 目障りなんだけど】


 すると、無機質なボイスレコーダーからひどく感情的な娘の声が聞こえてきた。


 当然ながら、それは理菜の声ではない。


 むしろ反対だ。写真や録音機を使って彼女が記録していたのは、理菜に向けられた悪意の念だった。


「『これは、告白してきた男子を振っただけで、勝手に嫉妬してきた女の子の声ですね。この時はたしか制服を破られて、数回殴られた記憶があります。次の日も学校に行ってみたらはさみで髪の毛をバッサリ切られました』」


 理菜は淡々と解説しながら、当時の自分自身を撮った写真をカメラに見せつけてくる。


 そうしている間にも、ボイスレコーダーは別の人物の音声を流し始めていた。次は中年男性のネットリした声だ。


【理菜ちゃん……。ちょっと触るだけだから。静かにしているんだ。いいね? 体に触るだけだから……】


 声の他にも衣擦れのような音が聞こえる。


「『あぁ……。これは母親と再婚した義父のセクハラ音声です。無論、お母さんは見てみぬふりを通していましたよ』」


 少女はそこまで喋ると、思い出したように小さく笑いを漏らす。


「『ふふっ。今だから明かしますけど、お義父さんのことは口臭こうしゅうトイレという蔑称べっしょうで呼んでいたんですよ。口が臭い人を揶揄やゆするにしては、なかなかのセンスじゃありませんか?』」


 くだらない言葉遊びは最後の最期まで止まないようだ。


「『あとは、SNSの拡散用アカウントで、この音声を含めた証拠の数々をネットの海に流すだけです。実に爽快ですね。心のうみが洗い流されていくようですよ』」


 カメラの写す景色は少女の手によってパソコンの画面やデスク周辺を眺めるものに変わる。


 少女は心底楽しそうな声で話しながらキーボードを叩き出す。


 準備はほとんどできていたのか、拡散作業はものの数秒で済んでしまった。たったの数秒で彼女と関わった者は全員『破滅』へと追いやられたのだ。


 これは酷い。


 悪意の送り手の方が、善意の送り手よりも受け手のことをよく考えているという良い例だろう。


「『ただ今は、みんなの末路をこの目で見届けられないのが甚だ残念でなりません』」


 台詞の後、カメラの位置が元に戻される。アルバムでできた踏み台の上に首吊り用の縄が待ちぼうけていた。


「『宙ぶらりんな気持ちです。浮き足立ちになっちゃいますよ』」


 少女はその輪に向かって笑いかけると、パソコンの前から退いて、積まれた過去に上り始める。


 十三冊のアルバムで作られた絞首台だった。


「『でもでもやっぱり楽しみです。私が天に召されたら、みんなは雁首がんくびを揃えて葬式に参列し、泣いてくれるんでしょうから』」


 指よりも太い縄の丈夫さを改めて確かめておく。腹の方は既にくくったらしい。


「『家族も教師も元友人もクラスメイトも皆が皆! 暗い過去は公にさらされるけれど、明るい未来は滅茶苦茶にされたけれど、それでも私のために悲しんだふりをしてくれるのでしょう!』」


 そうしてロープに首を通す。


 サラリーマンがネクタイを締めるかのように。不自然なまでの自然さをもって。


「『だって――――』」


 少女は笑う。ただただ笑う。まるで悪魔の微笑みだ。


「『私達は、んですから』」


 穏やかにそう告げた後、彼女は一瞬だけ激しい憎悪と狂喜を覗かせて、足場にしていたアルバムの塔を思いきり蹴り崩した。


「『ね?』」


 カメラが聞いた少女の声はそれが最後だったようだ。


 縄の軋む音が鳴りやむまで、彼女の意識が途絶えるまでに、必要以上の時間はかからなかった。

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献花するほど仲が良い するめいか @surume0610

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