海の匂い

更科 周

海の匂い

 海の匂いは

 僕らが僕らである証だった。


 かつての僕らが住んでいた小さな町のコミュニティは余りに排他的であったことを覚えている。町の人のほとんどが二代三代と繋がりを持つ町だった。それが絆の強さとして褒められるものであったのか、古く閉鎖的だと責められるべきものであったのか、今でもわからない。 

 ただ、その土地で暮らしていた僕にとっては特に違和感もない環境であった。

 

「今日は転入生が入ってきたよ」

 中学二年生だった僕は、夕食のときにそんな話をした。

「どうしてこんな時期に?」

 から揚げを頬張りながら母が尋ねてくる。九月の中ごろの出来事だったからだ。

「サーフィンをやるためにこの町にきたんだってさ」

 僕らが住んでいた町はサーフスポットとして有名だった。サーフィンをやりたいがために引っ越してくる人は一定数いたように思う。

「そう。あまり関わらないようにね」

 母は事もなげに言った。そういった話をするといつも母は言う。その頃は何故そんなことを言うのだろうと思っていた。今思えば理由もわからなくはないような気がする。サーフィンなどという理由で転入してきた人は大体がすぐに出て行ってしまうのだ。町になじむ間もなく。人との別れを嫌う僕のことを母はよく知っていた。

「わかった」

 反論することはなかったが、そんな言葉を守るつもりもなかった。

 いずれ来る別れだと割り切って付き合える彼らとの生活は案外気楽だった。

「またな」

「必ずまた会おうぜ」

 そんなテンプレートな別れは辛くなかったからだ。

 

 町の人々は新参者、余所者には厳しかった。彼ら同士ではすぎるくらいに親しみを持った付き合いをするのにも関わらず。朝、道ですれ違っても挨拶もしない。町内会のお知らせ、集金の仕組みなんかも教えない。どうせ出ていくのだろう。そんな扱いをするのが当たり前だったように思う。そんな異質な風潮が余所者と呼ばれる人達を出て行かせる理由になっていたような気がしてならない。

 そうした噂が広がっていったのか、新しくこの町にやってくる人はいなくなっていった。町の人はお金が回らないと嘆きながらも、町おこしなどと言って新しい人を受け入れるようなことはしなかった。


「海の匂いがしやん人らは、安心できへん」


 海女をやっているばあちゃん達、漁師をやっているじいちゃん達はよくそう言った。海が汚れてきている原因を余所者、都会者という自分達で作り上げた悪者になすりつけたかったのだろう。僕たち町の人間だって、界面活性剤のたっぷり入ったシャンプーや洗剤を排水溝に流したり、海を汚す真似を一切しないというわけでもないのにも関わらず、彼らにとって余所者は悪だった。


 「ほんまはな、もっとこの町に新しい人が来て欲しいんよ。もっと大勢で祭りを楽しんだりしたいんや」

 僕たちの町では信じられないような言葉を聞いたことがある。誰だっただろうか。確か自称小説家を名乗るこの町に一つしかない郵便ポストの前の家に住むおじいちゃんだった。

「この町にずっと昔から住んどるわしらはどうにも素直になれへんのや。寂しいなんて言えへんのや」

 この町のなんだか寂しい風潮について聞いたときのことだった。

「いつやったか忘れたけど、この町が海鮮や綺麗な海やてゆうてよーさんにぎやかになった時期があった。新しい人もたくさんえ来はった。わしらはそれが嬉しゅうてな、とにかく仲よくしようとしたんや。実際、それは叶っとったと思てる」

 けどな、と少し悲しそうな目で一息置いて、

「そんな楽しい日々もようけは続かんかった。なんや知らんけど、どっかの工場が流しとった科学物質とかそんなんが海に影響与えたことがあってな。海鮮やら綺麗な海やら、売りにしとったもんはあっちゅーまにだめになったわな。それをきっかけにして、新しい人らは皆出て行ったんや」

 初めて知る町の歴史だった。

「一気に寂しい町になったわ。昔からおる人しか残らんかった。あん人らを責める気にはならんけど、もうあんな思いはしたないなあ」

 きっとあん頃からおる人らは似たような気持ちなんやと思うで。若い人らは知らん事やろうから知らんまま同じように避けたり、あんたみたいに謎に思うんやろうな。

 そこまで話し切ると、おじいちゃんは目を伏せた。僕はなんだかそれ以上聞いてはいけないような気がして、ありがとう、とだけ言って家に帰った。


 月日が経って、中学生だった僕らは進学や就職、様々な進路に足を踏み出した。誰も地元であるあの町に残ることはなかった。小さな町では進学するような大学もなく、安定した就職がなかったのだ。

それぞれの道へ進んだ僕らは、それぞれの生活を確立したころ、帰郷を兼ねて、同窓会をしようということになった。

「今、何の仕事してるの?」

「え、もう結婚してるんだ」

 方言もすっかり抜けきった僕らは、新しい各々の世界について随分と話し込んだ。


 仲の良かった友人である健と同窓会を抜けて、昔よく出かけた堤防へ向かった。

風もなく、波も静かだった。

「どうよ、久々に帰ってきて」

かつての少年らしい表情が僕を見る。

「どうよ、って何だよ。」

 少しからかうように返す。

「お前もさ、なんか違うって思わないか?」

 なんだかうすら寒いような気がした。黙っていると健が続ける。

「家族は変わらないんだけど、なんだかどうにも居心地が悪いんだ。ずっと住んだ町なのにな」

 少年らしい表情が消えて、一人の寂し気な男の顔をしていた。

「わからなくはないよ」

 それどころか全く同じ思いだった。きっと同級生のみんなもそうだったのではないだろうか。

「町が、変わったのかな。」

 それとも、と区切って、言う。

「やっぱり、俺たちが変わったのかな」

 なんと答えていいかわからなかったが、

「きっと、そうなんだろうな」

 やっとそれだけ、答えた。

僕たちからはもう、海の匂いなんてしない。


 それからあの町にはあまり帰らないようになった。母は帰ってこいというが、やはり、行く気になれない。出て行った方もまた、こんな寂しさというものを味わうのだということを知った。


 あの町は、このまま誰しもを受け入れず、出ていくものを送り出して、その内、誰もいなくなってしまうのだろうか。そしたら、寂しがる者もいなくなるのだろうから、いいのかもしれない。涙のようなしょっぱい匂いだけを残して、誰もいなくなってしまえばいいのかもしれない。

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海の匂い 更科 周 @Sarashina_Amane27

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