第9話 逃走

 なかなか返って来ないな。旅立って早々ミサキに取り残されるとは、俺の言葉が至らなかったな……。

 まさかこんな事態になるなんて思ってもいなかったが、なってしまった事をグダグダ言っても仕方がない。今は一人寂しくミサキの帰りを待つしかないか。

 ここで待っていてと言われた以上、先へ進むなんて出来ないし。


 しかし、俺は戦闘能力の低いヒーラーだ。もし魔物に襲われでもしたら大変だぞ?

 低級の魔物ならなんとかなるかもしれないが、あまり一人でいて気持ちのいい場所ではない。

 

 そういう不安な気持ちでいると、これでもかと言うほどに五感が研ぎ澄まされていく。耳は無駄に小さな音を拾ってくるし、風に揺れ動く草木に視線は奪われてしまう。

 羽虫が側を飛んだだけで、びくっとなって振り返る。静まり返った密林は、必要以上に神経をすり減らされる。


『ゴォアああああああ』

 

 遥か遠くで聞こえる魔物の叫び声に、警戒心を強めて周りを見渡す。


「めっちゃ怖い!」

 

 小さな叫びは虚しくも草木の中へと消えていく。

 

 ミサキさん……早く帰ってきてください……。俺の寿命が縮んでくよ。

 

 道端の切株に座るのは背後から襲われる不安があるので、道の真ん中に堂々と座り込む。

 どれほど時間が経っただろう?心細い時間は意味もなくゆっくりと流れていく。

 

 ふと、ミサキの持って帰ってきた魔族の核が視界に入った。ミサキは核を拾わずに行ってしまったらしい。

 腰を上げて転がっている濃い緑色の核を拾い上げる。


「コアを見るのは初めてだなぁ。」

 

 手にしたソレをマジマジと見つめる。魔族の核はコアと呼ばれる。魔族を形作る程の魔力は失われているが、ソレに近しい魔力を秘めているのだ。

 魔法屋へ持っていけば魔具の材料として高値で取引される代物だ。せっかくだし、鞄に入れておこう。

 

 これから旅をするんだから、資金は多い方がいい。金目の物は遠慮せずに拾っておくべきだ。手持ちの金銭だけでは生活していくには限界があるしな。

 

 俺がコアを鞄に入れていると、背後からガサガサっと音がした。反射的に飛び上がるように振り返る。

 

「……!?」

 

 視界の中には何も飛び出して来ない。俺は警戒を強めながら、腰に下げていたワンドを構えた。

 一歩後ずさって距離を置く。なるべく死角をなくすために道の中央、そして少しでもひらけた場所へと動く。

 

『ガサガサ!』

 

 また背後から物音が聞こえて振り返る。

 しかし、その元凶となるモノは姿を現さない。自分の心音が早く、大きくなっていくのがわかる。

 

 なんなんだよ一体!こんな時に敵襲とかやめてくれよ!?


 少し安心し始めていただけに動揺も大きかった。焦りと不安に心を乱され、キョロキョロと周囲に視線を運ぶ。

 ミサキとの修行デートで少しは戦えるようになったとは言え、一人で魔物を相手にするのは不安だ。

 相手が見えない所為で余計な不安を駆り立てられる。

 

「キッキッ!!」

 

 !?


 警戒していた俺の前を野生の猿が走り抜けていった。ソレを見て一気に肩の力が抜ける。

 

「脅かすなよ……。」

 

 気を張って身構えた自分が少しバカらしくて恥ずかしい。安堵と共に構えたワンドをブラリと下げて溜息をつく。

 

「はぁ……。勘弁してほしい。」

 

 張り詰めた空気が砕けるような感覚。俺には一人旅は出来そうにない気がする。

 やっぱり心の支えってのは大事だよ。いつもミサキの前で強がってはいるが、一人だと頼りない事この上ないと思う。

 

『キュイイィィィ〜!!!』

 

 上空から鳴き声が聞こえる。鳥型の魔物か、ただの鳥かはわからないが俺の恐怖心を煽る。

 

「ミサキ〜、早く返ってきてくれ〜。」

 

 情けないが、一刻も早くミサキに返ってきてほしい。俺はただ待っているだけで意気消沈してしまっている。

 

 また近くでガサガサっと音がする。ビクッとなったあと一瞬遅れてため息が出る。

 ほんと、そういうのはいらないから。だいたい魔物の出現率が低い場所なんだから、ミサキを待つくらい静かにのんびりと過ごさせてほしい。

 

 そうは思って見ても音のした方を振り向いてみる。ビクビクし過ぎて少し疲れた。

 道から少しだけ離れたところ。木々の隙間から此方を見つめる茶色い影が見て取れる。

 

「ん?」

 

 木の幹の様な茶色い鱗に、先端へ向けて尖った頭。四足歩行に長い尻尾を有したソレは、この密林に住む魔物だった。

 

「フォレストリザード!?」

 

 言うならばオオトカゲだ。ただ、魔物は普通のトカゲと違ってサイズもパワーも格段に大きい。耐久力も半端じゃないし、固有の能力も備えている。

 

 コイツの場合は毒だ。牙によって放たれる猛毒は、喰らえば一発であの世行き。

 絶対に噛み付かれてはならない。

 

「しかも見つかってんじゃん!?」

 

 フォレストリザードと目があった。そして途端に此方へ向かって走り出したのだ。俺は慌ててその場を離れる様に身を翻した。

 

 よりによって見つかったのが低級とは呼べない魔物。魔物は強さによって大きく9段階評価で分けられている。

 上級の上中下、中級の上中下、下級の上中下だ。上から順にA〜Iで表記される。

 

 冒険者も強さに合わせてランク付けされているが、これは大雑把な枠組みでしかない。自分のランク以上の魔物と戦わない事で、生存率を上げるための目安である。

  

 俺は学校を卒業した時点でGランクとして扱われている。これは低級の上であるGランクの魔物との戦闘が可能である事を示すが、一律に与えられるランクであるため実際の能力とは異なる。

 

 しかし、俺の出くわしたフォレストリザードのランクはEランクだ。たとえ俺の実力がGより高いFランク相当あったとしても厳しい相手。

 

 見つけた時点で即撤退がセオリーとなる。一人で出くわして勝てる相手ではないのだ。

 なんなら俺はヒーラーだ。サポートが専門であって戦うのは専門外。

 たとえ相手がGランクだったとしても一人では逃げるしかないのだ!

 

「って、はえぇぇぇぇ!!!!」

 

 俺が全力で森の中を逃げ回っても、フォレストリザードは全く離れないどころかどんどん距離を詰めてくる。

 さすが四足歩行と言ったところか、感心している場合なんてないが現状逃げ回る以外に手立てはない。

  

『キェヤァァァァァァ!!』

 

 体調約二メートルのオオトカゲがのしのしと迫ってくる。

 

 やばいって!ミサキ!!

 早く返って来てくれぇぇえ!!!

 

「はぁ……はぁ…………。」

 

 どんどん息が上がっていく。肺の周りが痛い、足が重たい。

 振り向く余裕もなくなってきたが、草を掻き分ける音がどんどん近づいてくる。

 

 木の上に逃げたって無駄だし、かといって戦うのはもっと無駄。攻撃魔法なんて使えないし、防御魔法なんて短い時間を耐えるだけで効果が切れる前に相手を倒す事なんて出来ない。

 継続回復をしながら戦うにも毒を喰らえば一発で意識を持っていかれて死ぬだろう。

 相手が悪すぎる。なんでこんな時に限ってエンカウントしちゃうんだよ!!

 

 俺は全力で走り抜けた。上がった息と重たくなった足を継続回復リバイブで回復する事によって無理矢理動かす。

 

 全力で逃げ続けているが、やはりその距距離は少しずつ縮まってきている。次の一手をパニックになりそうな頭で考えながら、草木を避けつつ周りを見回す。

 

「!?」

 

 なんだ?今何か…………!!

 俺は木と木の隙間から大木を見た。その木の幹に貼られた大きな白い板を。

 そう、罠の設置を表示する看板だ。

 

 小さな希望が湧き上がり、俺は進路を変えてその木の根元へ向かって全力疾走をキープして突き進んだ。

 

 近づくにつれて目を凝らし、設置されているであろう魔法陣から微妙に立ち昇る魔力を探す。

 

(あった!あそこだ!!)

 

『キィユァァァァァァ!!』

 

 フォレストリザードはすぐそこまで迫っている。

 はやく!!

 

 魔法陣をその目に捉え、それを飛び越えて奥へと着地する。炎系の魔法陣、先ほどと同じだ。

 チラリとソレを視線に流して離れる様に走る。数歩進むと大きな爆発が巻き起こった。

  

「ぐあっ!!」

 

 爆風によって身体を吹き飛ばされ、少し先にあった茂みにダイブした。必死に体制を立て直して後ろを振り返る。

 

 かなり大きな爆発が起こった様だ。先ほどの冒険者がこんなモノを食らっていたら、ひとたまりもなかっただろうが……。トラップにかかった魔物の魔力に比例して強さが増すのだろうか?

 それならあの冒険者があの程度の怪我で済んだ事も納得できる。いや、ここはあの場所よりも密林の奥へと進んだ場所だ。

 より強力なトラップが仕掛けてあったのかもしれない。

 

 どちらにしろフォレストリザードにはかなりのダメージを与えたはずだ。我ながらよく頑張った。

 地を這う魔物の大半は腹部に弱点がある。普段的にさらす事のない部分であるため、これだけの爆破が起こればダメージにも期待できる。

 

 それが証拠に巻き上がった爆炎からフォレストリザードの姿が現れてこない。

 うまくいっていれば倒せているかもしれないな。頼む、倒れてくれ!!

 

 少し離れた位置でそれを見守っていようかとも思ったが、もし生きていたら先ほどの逃走劇がまた始まる。

 今のうちに逃げるしかない!

 

 そして俺は躊躇なくその場から走り去った。

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ヒーラーの俺が聖剣を引き抜いてしまったなんて、勇者の彼女には絶対に言えない 三羽 鴉 @mu-min32

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