ももも

 目の前に不思議な世界へと続く扉があったら、あなたはどうするか?

 迷わず飛び込むか。一度家に帰って、諸々の後始末をしてから向かうか。とりあえずスクショを撮るか。それとも知らんぷりして何も見なかったことにするか。

 答えは千差万別だろう。

 選択肢は数多にあるように見えるかもしれないが、最終的には

 

 行くか

 行かないか

 

 二つに分岐した道を一つ選ばなくてはならない。


 同じ質問をされたら、私は行かないと答える。扉を閉めてその場を立ち去り、しばらく周辺にさえ近寄ろうともしないだろう。

 意気地なしだと思われるかもしれないが、そこまで頑なに拒否する理由は、小さな頃に体験したとある出来事に由来する。


 あれは小学4年生の時のことだ。あの頃は学校が終わったら、家にランドセルを置いてすぐに公園に集合して遊ぶ日々だった。

 メンバーは私を含めて4人でほぼ固定で、ある程度遊んだら誰かの家におやつを食べにいくという流れになっていた。 

 何をして遊ぶかはその日によって変わるが、あの日はポコペンをしていた。


 ポコペンと聞いてあまりピンと来ない人もいると思う。かくれんぼと鬼ごっこが組み合わさったような遊びで、缶蹴りに似ている。

 初めに鬼と鬼の陣地である木を決める。鬼はこの木を守りながら、隠れている子をすべて探し出せば勝ち。鬼以外の子は、鬼が探しに出かけている間にこの木に近寄り、「ポコペン」と言って叩ければ勝ちだ。

 トランプゲームの大富豪のように地域差は色々あると思うが、大筋はそんなところだろう。


 遊んでいた公園は広くはなかったが、いたるところにツツジや名前の分からない木々がぎっしり植えられており、倉庫、斜面や階段など隠れる場所に困ることはなかった。

 そんな中、トイレに隠れる子はいなかった。公園にあるトイレにありがちなことだと思うが、見るからに薄汚れ独特の臭気を放っており、中をのぞくと汚らしく、よくわからぬ虫が巣くっていたからだ。

 男用女用トイレの他に多目的トイレもあったが、スライド式の大きな扉は壊れており、力を込めればなんとか開くという仕様であった。


 その日、私は逃げる側で、鬼が数えている間に例の壊れかけたトイレの扉に向かった。あえてガラガラと音を立て、トイレの中に隠れているように思わせ、鬼がのぞいている間に陣地に近づくという小狡い作戦を立てていたのだ。

 良い作戦だと思いながら、重量感のある多目的トイレの扉を開けようと力をこめると、横にすっと開いた。

 あまりの軽さに、あれっと思うのもつかの間、私は目の前の光景に息をのんだ。


 扉の向こうは不思議な世界が広がっていた。


 境界を隔てた先には、膝丈ほどの草が視界の届く限りどこまでも生い茂っていた。遙か遠くでは火を噴いている山々があり、紫がかった色をした空を見れば、強靱なギロチンを顎に生やしたクワガタムシのような生き物が飛んでいる。こんなにも離れた距離で形が分かるなら、その大きさたるや、人なんて圧倒するだろう

 当時流行っていた、相棒のモンスターと一緒に異世界を旅するアニメの世界が今、手を伸ばした先にあった。


 今すぐにでも中に入ってしまいたい衝動に駆られたが、この光景を見た瞬間に感じた感情が、足がそれ以上進むことをとどめていた。

 

 何か、嫌だ。

 

 他にどう表現して良いのか分からないもやもやとした感情が、頭にこびりついて離れなかった。

 ポコペンをしている場合ではない。私はすぐにみんなを集めた。 


 不思議な世界を見た時のみんなの反応は、二つに分かれた。

 4人の中でもリーダー格の女の子は、扉の向こうへ行こうと主張した。


「グズグズしている間に消えちゃうよ。早く行こう!」

 

 けれど他の2人は、行くことに対し否定的だった。


「知らない場所へ子供だけで行くなんて危険すぎるよ」

「そうだよ。とりあえず、大人の人にこのことを知らせた方がいいと思う」 

 

 至極真っ当な意見であったが、リーダー格の女の子は二人の態度に憤慨した。


「二人とも頭堅すぎ。○○はどう思う? 行きたいでしょう?」


 彼女は、あなたは私の言うことを聞いてくれるわよね? という態度を隠さずに私に聞いてきた。


 普段から私はその子に流されっぱなしであった。その子が何か望めば、いつでも手下のように従っていた。そうでなくても、扉の向こう側は見れば見るほど心が沸き立つ情景で、最初に感じた嫌な予感なんてどこかにいっていた。


 行きたい。

 心は決まった。

 けれど口を動かし、その言葉を発する前に。


――その子に引っ張られ、扉の向こう側へ進む自分の姿が頭に浮かんだ。


 それはもうはっきりくっきりと、明確に。


 ここで私が行きたいと行った場合、話し合いの末、二人は扉を見張り、二人は大人を呼んでくるという展開になる。

 けれど残った二人は止める者がいなくなるや、すぐにあちら側へ足を踏み出す。


 見えたのは一瞬であったが、どういうわけかそこまで分かってしまった。

 と、同時にあちらへ行きたい気持ちはふっと消え去り、口からでかかっていた言葉を引っ込め、私は首をふった。


「私も大人の人を呼んできた方がいいと思う」


 リーダー格の女の子は私が逆らうなんて思いもよらなかったのだろう。顔を盛大にしかめて、私を睨みつけた。

 けれど、この時ばかりは譲れなかった。行ってはいけない、二手に別れては駄目だと、頭のどこかで何かが叫んでいた。


 そして最初の提案通りに、みんなで大人を呼んでくるということになった。

 例の彼女は、離れている最中にあちらの世界が消えてしまうかもしれないから一人で残ると言い張ったが、みんなでひきずるように連れて行った。


 その日、おやつを食べに行く予定だった△△ちゃんの家に急いで行くと、いつもより早い訪問に△△ちゃんのママは少し驚いた顔をした。今までの経緯を話し、すぐに公園へ行こうと説得すると、子供の遊びに付き合ってあげようかしら、といった表情でエプロンを外し、公園に行くと言った。そしてのんびり歩く△△ちゃんのママを急かして、公園へと戻った。


 扉は閉まっていた。

 私たちは顔を見合わせた。扉は開けたままにしていたはずだったのだ。

 誰かが閉めたのだろうか。それともなにかの拍子に閉まってしまったのだろうか。

 △△ちゃんのママは、あらあらといった表情であった。

 この扉の向こうに変な世界が本当に見えたのだと私は主張し、まったく信じていないその顔をあっと驚かせようと、扉に手をかけた。

 

 けれど扉は、重く開かなかった。

 さっきは力を入れなくても簡単に開いたのに、うんとも寸とも言わなかった。

 扉の隙間に木の枝を挟み、こじ開けようとしたが、ぴっちり閉じられ紙一片さえ通らなかった。

 △△ちゃんのママや、ちょうど公園を通りかかった町内会の知り合いのおじさんにも事情を話して協力してもらい、大人の力を使って開けようともした。


 けれど結局。

 扉が開くことはなかった。


 翌日、トイレの前にはぐるりと柵が立てられ立ち入り禁止の表示が掲げられ、そばに近寄ることさえ出来なくなっていた。

 扉が壊れており、子供が中に入って閉じこめられてはいけないようにだと、誰かが言っていた。

 子供の頃は大人の言葉に疑問を持つことはなかったが、今考えればその柵というのは、子供が入らないようにする為というにはあまりにも厳重であった。

 工事現場で使われる虎模様のフェンスがトイレをぐるりと包み込むように並べられ、さらには有棘鉄線が何十にも巻かれていた。棘がささるリスクがある分、こっちの方が子供に危険じゃないかと思ったのを覚えている。


 そんなわけで、それっきり扉を開くことは出来なくなってしまった。

 行きたいと主張していた子は、せっかくのチャンスをふいにしたとしばらくプンスカ怒っていたが、新作の対戦ゲームが発表されたらそちらに夢中になり何も言わなくなった。


 その後、メンバーの一人が引っ越したり、クラス替えでそれぞれ別々のクラスになったり、私が中学校受験をするため塾へ通わなくてはいけなくなったのもあり、当たり前の日常であった、あの4人で一緒に遊ぶということはなくなってしまった。

 夢うつつか分からないあの不思議な出来事は、年をとるごとに増える思い出の1ページとなり、ぼんやりと記憶の彼方へ消えていく……なんてことはなかった。


 とある植物を初めて見た時の衝撃を、私は生涯忘れることはないだろう。

 漠然とどこかで追い求めていた答えが、ころりと目の前に転がってきたようで、心の臓をぎゅっと鷲爪でつかまれたようであった。

 

 その植物の名前は、ハエトリソウ。


 食虫植物の一種で二枚貝のような葉を持ち、甘い密の香りで虫を誘い込む。誘惑された虫が、その葉に生えたまつげのような感覚毛に触れたが最後。ぱくりと貝が閉じるように瞬時に葉が閉じ、中に閉じこめられた虫は、葉から分泌される消化液でゆっくり溶かされていく。

 

 ハエトリソウの映像がテレビで流れた瞬間、忘れかけていたあの公園のトイレの記憶が瞬時に浮かび上がり、二つは頭の中でぐるぐる混じり合って悪意のかたまりとなり、本性を曝け出した。

 私は否応にも分かってしまった。

 あれはそういう代物であったと。

 あの不思議な光景は、ヒトを誘い込む甘い罠であったのだと。

 

 扉を見たときに何か嫌だと感じたのは、本能的に危機を察したからだろう。

 私はあれ以来、初めに感じた直感はないがしろにしないと決めている。

 そして、目に見えない悪意というものが、この世の中にはそこらかしこに転がっていることを忘れないよう心に留めている。

 

 扉がぴたりと閉じられていたことを思い出す度に、私は寒気を覚えずにはいられない。

 あれはまるで、ハエトリソウがぴたりと口を閉じたようであった。

 

 私たちが大人を呼んで行っている間に、何かあったのか、何もなかったのか。


 その答えは永遠に分からない。ただ、何事もなかったように願うばかりだ。

 

 さて。

 ここで冒頭の質問へもう一度、戻りたい。


 目の前に不思議な世界へとつながる扉があったら、あなたはどうするか?

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ももも @momom-

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