輸血必須系な彼女と付き合っています

青野 瀬樹斗

輸血必須系な彼女と付き合っています


 あくる日の朝、それはいつもの日常に起きた些細な変化であった。


「あ、あの、満之みちのくん! ちょっといいかな?」

「ん?」


 彼──満之みちの一樹いつきは耳に掛かるくらいに切り揃えた黒髪、無愛想ながらも男らしい雰囲気を漂わせる聡明な少年に好意を向ける女性はこれまで少なくない人数がいた。


 現に、今まさに彼に声を掛けた少女もその一人である。

 だが……。


「イチく~ん! おはよ~!」

「おはよう、智穂ちほ

「あ……」

 

 これから告白しようとしたタイミングで不意に別の少女が挨拶をして割り込み、ごく自然に一樹の腕を組んだ様子で、二人がただならぬ関係だと悟る。


 故にその少女自らの想いを諦める他ないと思い知らされた。


 一樹には既に愛すべき恋人が存在していたのだ。 


 その恋人の名は──詩倉しくら智穂ちほ

 一樹の幼馴染でもある彼女は絹のように白く透明感のある肌を持ち、琥珀と見間違う茶髪は腰に届く長さで整えられ、ルビーのように艶やかな赤色の瞳は柔らかい微笑みを浮かべている。


 特に目を引くのがその美貌であった。

 学校指定の制服を着崩すことなく身に着け、左手首のカラフルなリストバンドが愛らしい。

 最早彼女以上に一樹の隣に立てる女性はいないと確信出来る程に、詩倉智穂は文句無しの美少女であった。


「──っ!」


 自身の敗北を悟った少女は、告白する勇気も彼への好意も失せてその場から立ち去る。

 その背中を、一樹と智穂は疑問の眼差しで見ていた。


「さっきの子、何だったの?」

「さぁ?」

「ふぅ~ん。ま、いっか。それよりはい、いつもの」

「あぁ、ありがとう」


 そう言って智穂から一樹に手渡されたのは、275mlサイズの缶コーヒーだった。

 ただ、中身はコーヒーではなく智穂の手作りジュースである。


 週に一度、一樹は彼女のオリジナルジュースを受け取って飲むのが習慣となっていた。

 彼女手製の好物があるからこそ、彼はこの一週間を切り抜けようと意志を強く保つことが出来るのだ。


 しかしそれを受け取った直後、智穂の体はフラッとバランスを崩した。


「──っと、大丈夫か?」

「あ、ごめんね……イチくん。いつもの貧血だから……」


 倒れそうになった彼女の体を一樹が咄嗟に支えたことで転倒は免れたが、助けられたことに謝る智穂の顔色は若干青ざめていた。


 詩倉智穂という少女はある理由でよく貧血を起こす。

 こうして倒れることは稀なのだが、余程症状が重いのかハァハァと息が荒い。


「智穂……あんまり無理するなよ?」

「ふふふ、してないってばぁ……ハァ、ハァ、だって……」


 彼女の体調を慮って告げた一樹の言葉に、智穂は傍目からも強がりと分かる笑みを浮かべる。 

 そして、ギュッと一樹の着ている制服のシャツにシワが出来る程彼の胸にしがみつき……。






「──した時の、手足が徐々に冷たくなっていく過程が、一番生きてるって実感出来るんだもぉん……♡」


 血の気が引いたハイライトの無い赤い瞳で恍惚とした表情を浮かべる智穂に、一樹は呆れを通り越して反応に困った様子でため息をついた。


「相変わらず、死に直結する生き甲斐だなぁ……」

「えへへ~。この頭がフワフワってするのも、夢見てるみたいで気持ちいい~♡」

「それは本気で不味いって! 早く保健室に行くぞ!」


 とろんと蕩けるような眼差しを向ける智穂にツッコミを入れつつ、一樹はお姫様抱っこの格好で彼女を抱き抱える。


 当然、通学路の途中で起こした行動なので周囲にいる多数の学生や社会人達の目に留まるが、彼は智穂第一と言わんばかりにそれらを一切無視して学校へ駆け出す。


「きゃ~、イチくんってば大胆~♡」

「言ってる場合か!」


 詩倉智穂、17歳、高校2年生にして保健室登校。

 

 趣味──リストカット。

 本人曰く『ストレスが溜まってる時にやると、スカッとする』とのこと。

 彼女が左手首に付けているリストバンドは、傷痕を隠すためのカモフラージュである。

 

 一樹が幼馴染の趣味を知ったのは中学時代に智穂から告白されて付き合ってからなのだが、一向に辞める傾向はみられないどころかさらに病んで行く有り様であった。


 ~~~~~


「おはよ~。って、詩倉はまたなのか」

「おはようございます。はい、またです」


 智穂を抱えた一樹が学校の保健室に到着すると、一年が経過した高校生活ですっかり見慣れた養護教諭の女性が呆れた様子で挨拶をして来た。


 一樹としても最早慣れたもので、特に焦ることもなく淡々と挨拶を返して空いているベッドに智穂を寝かせる。


「ハァ……ハァ……♡」

「いつもながら救いようのないドMっぷりだな、コイツ」

「俺の彼女でもあるんで、オブラートに包まない言い方は止めてくれません?」

「事実だろ。精神科医もカウンセラーも匙を投げるくらい末期なんだから、もう死ぬまで止めんぞ」   「……」


 そこまで言われては一樹もぐうの音が出ない。

 というより、智穂のリスカ癖は本当に医者も見捨てている。

 それほどまでに、彼女の趣味は深刻なのだ。


「で、お前もお前でいつものを持ってるんだろ?」

「え、はい。まぁ」

「その愛情をもっとまともな子に向ければ……いや、これは野暮だった。忘れてくれ」

「いえ、俺には智穂以上の相手なんていないですし、外野には見向きもしませんから」

「あーあー、惚気るのはよしてくれ。それじゃ始めるぞ」

「はい」


 話も程々に、養護教諭の合図で一樹はカバンからある物を取り出す。

 

 ──それは、専用のパックに血が詰められた物……所謂『血液製剤』である。


 智穂の趣味リスカを知った一樹は、彼氏として彼女のために出来ることを模索した結果が、自身の献血した血を基に血液製剤へと造り替えてもらい、今日のような事態に備えることであった。


 本来であれば、一学生が血液製剤を持ち歩くなどあってはならないのだが……リスカ改善に失敗した医師に献血から製造までの協力を取り付けたことでなし得たのだ。


 ちなみに、一樹と智穂の血液型は同じA型なので、感染症や副作用等のリスクは極々低確率である。

 

 ともあれ、養護教諭は慣れた手付きで智穂への輸血準備を整えた。


 智穂の右腕にある血管へ細い管が挿し込まれ、鮮やかな赤色の血が一滴一滴とゆっくり点滴されていく。


「ほら、輸血中の経過観察は私が看ておくから、満之は授業を受けておけ」

「でも、智穂が──」

「私のためにイチくんの成績が下がっちゃったら悪いもん。ね? 大丈夫だから」

「……智穂がそう言うなら、分かった」

「──ッケ。隙あらばイチャイチャするなお前達は……ほら行った行った」


 血液製剤の種類にもよるが一単位(血液製剤200mlを指す)おおよそ一時間程度であるため、一樹としてはこのまま智穂の輸血の様子を見守っていたかったが、生憎彼は保健室登校ではないので普通に授業を受ける必要があった。


 養護教諭と他ならない智穂に諭されたことで、渋々授業へ向かうことを了承する。

 彼は頭を下げて礼をした。


「じゃあ、お願いします」

「またお昼にね、イチくん♡」

「あぁ」


 授業が終われば智穂の手作り弁当を食べられると前向きに考え直し、一樹は保健室を出て教室へ向かうことにしたのだ。


 その後……。


「んんっ、はぁ……。やぁん、これすきぃ……っ! イチくんの血球成分も血小板も血漿けっしょう成分も全部、あぁん、私のに溶けて混ざり合っていくの、しゅごく、いいっ……のぉぉぉぉっっ!」

「輸血中くらい黙らんか! 後紛らわしい!!」

「だって、だってぇっ! リスカして冷たかった体が、ハァハァ……イチくんの血で温まっていくの、ぁん♡すごくドキドキして頭がクラクラってして、どうにかなっちゃいそうなんだもんんんんっ!!」

「既になってるだろうが!! いい加減黙れ!!」

「ダメェッ! これ、ホント、癖になってりゅうぅぅぅぅっっ! 何十万回でもリスカしちゃうのぉぉぉぉっ!!」

「するなバカァァァァァァァァ!!」


 至って健全な輸血のはずなのに、智穂はやたら淫靡な嬌声を廊下に響かせるのだった。

 一樹にとっては最善を選んだはずの方法が、より彼女のリスカ癖を悪化させているとは誰が予想出来ただろうか。


 それでも、まだ貧血で済んでいるのは間違いなく彼の愛情が為した成果だということは確かであった。


 ~~~~~~


「んく……ぶぱぁ~」


 そんなこんなで放課後。

 智穂の手作りジュースを一口飲み、満足気に息を吐く。

 

 授業中は急変が起きた場合を考えて常にそわそわしていた一樹だったが、昼休みに智穂の元へ保健室に赴いて共に昼食を摂ったりした頃には、その心配は杞憂だったと判断した。


 そんな彼は今、校門前で智穂を待っている。

 RINEにはもうすぐ出るとメッセージが着ているので、今か今かと待ちわびていた。


 すると……。


「おい、お前が詩倉の男か?」

「……はぁ? そうだけど?」


 唐突にガラの悪い同級生に絡まれ、気分を害された一樹は酷く無愛想で返した。

 だが、その不良は臆することなく睨みを利かせながらあからさまに彼を見下す。


「アイツは俺の女だ。さっさと別れろ」

「なんでアンタに指図されないといけないわけ? 智穂と付き合いたいなら俺じゃなくてあっちに言えばいいじゃないか。それとも、フラれるのが怖くてこっちに来たってことか?」

「──テメェ……」


 何故そんな横暴な命令を聞くと思ったのかと、一樹は不良の脅しを一蹴する。

 話の内容に苛立ったのか、加えて追い討ちのように挑発を重ねる程に。


 流石にそんな返事をされると思っていなかった様子の不良は、怒りからその悪人面に青筋を立てて、全身を震わせていた。


「話がそれだけなら、早く帰ってくれ」  


 もうすぐ智穂が来るというのに、こんなやつに構っている暇はないと一樹の中で不良に対する関心はあっという間に失せていた。


 その証拠にもう一口ジュースを飲み出した始末である。


 当然、ここまでコケにされた不良が黙っているはずも無く……。


「勝手に終わらせんじゃねえ!」

「──っ!」


 気に入らない態度を取り続ける一樹を突き飛ばした。

 不意打ちを受けた彼がバランスを崩して尻餅を着くのは至極当然だろう。


 ──手に持っていた缶を落としてしまうことも。


「ぁ……」

「あぁ? なんだそれ? トマトジュースかなんかか?」


 不良の言う通り、落とした缶からはが零れていた。

 使い回しの缶に野菜ジュースを入れる等、とんだ貧乏性だなと決め付けた瞬間……。







「──に、すんだテメェェェェッッ!!」

「は!? んげぇっ!?」


 ──不良の足が地面から離れた。


 正確には、立ち上がった一樹が不良の着ている制服の胸倉を掴んで宙吊りにしたのだ。

 目算で10cm近くの身長差があるのにも関わらず、高い位置にある棚に本を戻すような軽々しさで持ち上げたのである。


 率直に言って、一樹はブチ切れていた。


「智穂が作ってくれた特製ジュースを、トマトジュースと一緒にしただけじゃなくて、よくも台無しにしてくれやがったなぁっ!!?」

「が、ご……っ!」


 宙に持ち上げられた不良が襟を絞める一樹の手を必死にタップするが、彼は下ろす気配が無い。

 さらに鬼気迫る形相もさることながら、不良の足搔きなど全く意に介さない一樹を相手に、周囲の学生達では誰も止められそうになかった。


 このままでは、あの不良が再起不能にされてしまう。


 誰もがそう思った時……。



「イチくん!!」

「「「──っ!?」」」


 一樹の彼女である智穂が颯爽と駆け寄った。

 あまりに早い接近に、周りが止める間も無く智穂は一樹と不良の元へ近付く。


 しかし、彼女の声も怒りのあまり我を見失っている一樹には届いていないようだった。


 智穂はそう察した途端カバンからあるモノを取り出す。

 そして彼女は……。


 




 ──取り出したカッターナイフで、躊躇なく自らの左手首を浅く切り裂いた。 


「「「「えええええええええ!!?」」」」


 予想外の行動に驚愕する周囲の目などお構いなしに、智穂はドクドクと血が流れ出る左手首を一樹の口元に寄せると……。


「──っ! はぷっ!」

「──あぁんっ!」

「「「──っ!!??」」」


 待てをされていた犬が許可を得て餌に跳び付くように、一樹は智穂の左手首から溢れ出る血を吸い出したのだ。


 痛みからかどこか悦を含んだ声を上げる智穂と、その彼女の血を一心不乱に啜る彼氏という奇妙を通り越したナニかの光景に、周囲の理解は完全に置いてけぼりとなる。


「はぁ……んぁ、輸血したたでぇ、体中の血管を循環し始めたばかりだからぁ、まだ熟成が足りてないのぉ……ゃんっ、こんな急ごしらえでぇ……ごめんねぇ? イチくぅん……」

「じゅるるるるっ! んぶ、じゅぷぷぷぷっ! ぷぁっ、ちほのなら、ちゅるる、おいしいから、いい……じゅるるるるるるるるっっ!!」

「はああぁぁぁぁんんっ! わたしの血小板が運ぶ酸素で、イチくんの血液循環の手助けしちゃってるぅぅぅぅっっ! やっぱり缶に入れて保存させるのより、生の方がずっとずっといいのぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!!」  


 とても他人様に見せられないような恍惚の笑みを浮かべ、彼氏に自らの血を吸われて悦ぶ智穂。

 一樹も一樹で、蓋に付いたヨーグルトを舐めとるように淫靡な水音を立てて彼女の血を啜り続ける。


 いつの間にか地面に降ろされてのびている不良を尻目に、二人は瞬く間に自分達の世界にトリップし出した。


 詩倉智穂が彼氏である満之一樹へ手渡した特製ジュース。

 その正体は、智穂がリスカした際に流れ出た彼女の血そのものである。


 毎日少しづつ溜めた血を、一樹は顔色一つ変えることなく飲み干していたのだ。


 何故そんな異常を抱えたのか……それは彼が初めて智穂のリスカ癖を知った際、その血を啜って止めようとしたことが原因である。


 血の味、匂い、喉越し、それらに魅了された彼は智穂の血を定期的に摂取しないと、禁断症状を起こすようになってしまったのだ。



 ──つまり、二人は持ちつ持たれつ……否、底なし沼以上に深沈みする共依存関係なのである


 放課後の校門前で繰り広げられる常軌を逸脱した青〇のような、多分恐らく二人にしか通じないやり取りは、完全にアウェー以外の何物でもない。

 

 やがて二人は落ち着き、一樹は夢現と評するのが一番と思える程に呆けている。

 一方で、意味深に内股気味に立っている智穂は呼吸を整えた後、周囲の生徒達にニコリと笑みを向けた。


「「「──ヒィッ!!?」」」


 まるで、人の姿をしたナニかに遭遇したかのように外野は恐れ戦いた。

 そんな彼ら彼女らに智穂は特に何をするでもなく、静かに口元へ人差し指を添えて……。




「──とっても恥ずかしかったから、今見たことは忘れてね?」 


 とてもそんな殊勝な態度を取れるように見えない一連の光景を、照れながら忘れるように促した。

 ぶっちゃけ色んな意味で誰も忘れられないだろう。


 ──ブンブンブンブンッッ!!


 だがしかし、ギャラリーは首が折れるのではという速度で首肯する。 

 ならばよろしいと、智穂は未だ呆然とする一樹の手を引いて校門を後にした。

 

 ──もう絶対、あの二人の仲に割り込むのはよそう。


 目撃者達の心は、その決意で一つに固まったのだった。


 ~完~

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