第五話 白詰草の謎


「また、白狐の仕業か……」



 土方は目の前に無惨に広がる血の海を見て、忌々しげに呟いた。独特の鉄の香りが鼻腔を刺激する。───これは、酷い。そんな死体だった。

 被害者は3人。3人が一度に死んでいることなど、初めてだった。


「相手はかなりの手練ということですかね」


 沖田が被害者の開いたままの目を、そっと閉じさせた。


 腕に3箇所、両足に4箇所、胸は1箇所。全員が全員、同じ数だけ斬られている。偶然か?いや、傷の場所も大まかだが同じ。まるで、遊んでいるかの様な───


「総司」

「あ、はい、なんですか?」

「お前は白狐がどんな奴だと思う?」

「……遊んでいる。遊んでいる様に思えます」


 土方は興味深そうに沖田を見た。そんな土方を横目に、沖田は話し続ける。


「同じ箇所に同じ数だけ付けられた傷……偶然には思えません。それに、致命傷は胸だけ。目を閉じていませんし、この一突きで息絶えたように思えますね。


 ただ、殺しを楽しんでいる節はあるものの、意味も無く殺しているわけではないかと。何か意味があるんじゃないですかね?───この、白詰草にも」


 沖田が1つの花を掬いあげた。小さな小さな、白い花。白詰草だ。


「いつもあるからな、ソレ」

「そうです、でも、どんな意味を成すのか……」

「俺達にはわからない、因縁でもあるのか。或いは共通する花の意味があるのか。山南さんにでも聞いてみるか。帰るぞ、総司」


 踵を早々に返した土方は、足早に屯所へと向かった。


「あっ、待ってくださいよ土方さん!」


 沖田もその後を追い掛ける。

 死体の処理は、呼んでおいた隊士達がやるであろう。噂をすれば───何人かの隊士達が駆け付けてきたようだ。遠目からでも分かる浅葱色の羽織りが、鮮やかに見える。


 すれ違い様に挨拶をしていく隊士達に、


「よろしくね」


 とだけ声を掛けて、沖田も屯所へと向かった。



  ◆ ◆ ◆


「シロツメクサはシャジクソウ属の多年草ですね」


「……しゃじくそう」


 土方は引き攣った笑みを浮かべた。何だそれは。聞いたこともない。そもそも花などに興味などないのだから仕方が無い。


「土方さん、顔引き攣ってますよ。こわーい」


「ぬけぬけとそんなこと言えるお前の方が怖えよ」


 古びた赤色の表紙の本とにらめっこをしている山南が、新しい知識を見つけたのか口を開いた。


「別名、クローバーとも言うみたいですよ。異国から伝わった花のようです。花が咲くのは春から秋ですね」

「異国のものですか……特にこれといって手掛かりはなさそうですね、土方さん?」


 沖田にそう振られた土方は、考え込みながらポツポツと話し始める。


「いや……、異国から伝わったもの。殺すのは不逞浪士ばかり。……何か意味があるのかもしれない。例えば鎖国を推している奴の仕業かもしれないし、逆の意味も然り、だ」

「なるほど……私ももう少し白詰草について調べてみよう」

「あぁ、よろしく頼む、山南さん」

「失礼します」


 一通り話し終えたかと言うところで、まるで見計らったかのように声が掛かった。高い声。女だ。ならば1人しかいないだろう。


 部屋の主である山南が「どうぞ」と返した。


 ゆっくりと開かれた戸から覗いたのは、やはり予想していた人物。百合である。百合の手にはお盆。そこにはお茶が3つと羊羹が3切れ乗っかっていた。


「お茶をお持ちしました、良かったら」

「悪いね、いつもありがとう」


 にこっと笑い、百合はそれぞれの前にお茶を、そして3人の中心に羊羹の乗った皿を置く。


「いつも、と言ったが、いつも山南さんにお茶出しを?」

「ええ。彼女はいつも、お菓子とともに持ってきてくれるんですよ。ね、百合さん」


 土方の問いに答えたのは、百合ではなく山南だった。土方の眉がほんの少しだけ、ピクリと動くのを沖田は見逃さない。


「じゃあ、私はこれで失礼しますね」


 百合が出て行った後に、真っ先にお茶を飲んだのは山南だった。


「……あれ?」

「どうかしましたか?山南さん」

「あぁ、いえね。お茶がいつもより温い気がしたんだ」


 山南はすかさず百合を気遣うように、


「きっと、私の分だけ先にお茶を淹れていて、ここまで来た時に2人が居る事に気付いて淹れ直したんだろう」


 と続ける。


「いや、それはねぇ……」



 厳しい顔で、土方は呟いた。山南には聞こえなかったが、隣にいた沖田には、確かにその呟きが聞こえていた。

 土方が言わんとしていることを、沖田も十分に理解しているつもりだ。現に自分も、土方と同じであろう違和感を覚えている。


 沖田は疑問を確信する為に、お茶に口をつけた。


(やっぱり……)


 お茶はやはり、少しだけ温かった。

 その瞬間、沖田の脳裏に先日の出来事が過ぎる。


『何故、今あんな話をした?』

『俺には、付け入る隙を狙っているように見えてね』

『狙いは何だ?』



 近藤は、何かを疑っているようだった。意味も無く近藤があんなことを言うわけがない。

 百合が何かを企んでいる、それは壬生浪士組にとって良くないことなのではないか……だからこそ、近藤は百合に言ったのではないだろうか?


 近藤は普段温厚で平和ボケをしているようにも見えるが……、違うのだ。しっかりと組のことを考えている。

 そして近藤が口を出す時は決まって、壬生浪士組に害がある時ばかりだ。


 そう、殿内義雄を殺した時も───。




「気配、感じたか?」


 山南の部屋を出た後、土方が周りを見渡しながら沖田に訊く。警戒をしているのだろう。他の者に知られたくない話、ということだ。


「……いえ」


 沖田はいつもより声を小さくして、首を横に振った。

 誰のことを指しているのか、容易に想像はつく。


「山南さんのだけじゃなく俺のお茶も、温かった。ここまで来るのに冷めたのかもしれない、そう思ったが、なら山南さんはいつもそのお茶を飲んでいることになる。あんなこと言うわけがねぇ……」

「はい。おまけに気配は感じなかったのに、何故3人分用意出来たのか……、声を掛けられるまで、彼女の存在には気付きませんでした。恥ずかしい話ですけどね」


 自嘲的な笑みを浮かべる沖田を横目に、土方は溜息を吐いた。


「だが、聞かれて困る話をしていたわけでもねぇ。仮に百合が白狐ならば話は別だが、あんな所業を女ができるとは思えねぇ。お互い、疲れているんだろうな」


 そう言って土方は、自室に戻っていった。沖田は土方の背を見送りながら、何故か一抹の不安を抱いた。


(……本当に、そうだろうか)


 長年の付き合いだから分かる。土方は、百合を気にしてはいるものの、疑っているわけではない。信用しつつあるのかもしれない。


 だが、そうだ。

 百合に怪しい行動をした試しはない。今のだって本当に取り留めもないことで、自分達が勝手に疑心暗鬼に陥っているだけの可能性は大いに有り得るのだ。


 お茶がほんの少し温かった、百合の気配に気付かなかった、過去の話をして付け入ろうとしている───捉え方によっては全て、自分達が難癖をつけているに過ぎないのかもしれない。


「どうしたのさ?そんなところで突っ立って」

「平助」


 声のした方に目を向ければ、藤堂が手を振って此方にやって来るのが見えた。羽織を着ているということは、見回りにでも行っていたのだろう。


「いやぁ、今回のは酷かったね!」

「唐突だね。何の話さ」

「白狐だよ、白狐!」

「何。もしかして遺体の処理を担当したの?」


 そういえば、さっき浅葱色の羽織の集団の中に小さい男を見た気がしなくもない。顔立ちも似ていたような気がする。

 沖田は記憶を掘り返しながら、藤堂を見やった。……うん、相変わらず背が低い。


「そうなんだよ。いやぁ、派手にやったよね。最近は少ないと思ってたんだけどなぁ」

「……白狐が出るのが少なくなったのって、いつか分かる?」

「え?あー、確か壬生浪士組が結成して直ぐじゃないかな?それまでは週に1度くらいの間隔で白狐が出没していて、町人は夜出歩くのを控えてたってお菊ちゃんが話していたなぁ。俺達に恐れを成したのかもしれないね!」


 お菊ちゃんとは藤堂お気に入りの、甘味処の娘だ。愛嬌があって人気である。


「……そうだね。お菊ちゃん最近どう?」

「は?!い、いや別に!俺、お菊ちゃんのこと好きとかそんなんじゃないから!!」

 「別に誰も好きとか言ってないけど。お菊ちゃんは元気かって意味だよ?」

 「な、なななっ……!」

 「そんな顔真っ赤にしてー、あれ。もしかして平助、お菊ちゃんのこと……」

 「違う違う違う!!俺土方さんに報告あるから!じゃあなっ!!」


 脱兎の如く走り出し、沖田の前から姿を消した藤堂。先程までにこやかだった沖田の顔からは、一瞬で笑みが消えた。


 「……白狐が恐れを成した、ねぇ」


 白狐が本当に壬生浪士組に恐れを成したのなら、もう殺人など起こさないはずだ。頻度は減ったものの、未だに白狐は現れている。


 それは白狐が動きにくい理由があったんじゃないだろうか。下手に動けない状況下にある、とか。そう、例えば壬生浪士組に入ったとしたら───


 「いや、考えすぎか」


 そうだ。土方も言っていたではないか。白狐は女が出来る所業ではない、と。自分でもそう思う。刀を扱うのには、相当な力が必要だ。それも大の男を相手にするのだから……。


 焦っているのかもしれない。

 白狐を早く捕まえたい、壬生浪士組の名を挙げたい、……いや、そんな大層な理由なんかではない。近藤の考えが読めないのが、怖いのだ。いつしか近藤に見限られてしまいそうで。


 だから、近藤の考えを少しでも知る為に百合を疑っていた。結局他人に左右されているに過ぎない。思えば、百合のことを自分から知ろうとしたことはない。


 ……今度、ちゃんと話してみよう。疑うためじゃない。情報を引き出すためでもない。百合という、1人の人間を知る為に───




 沖田はそうして、百合の元へと向かった。次の甘味処に行く予定を、百合と立てる為に。

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偽り彼女と誠空 天音 @hoshizora430

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