第三話 百合の過去


「お話があるんです」



 その日の夕餉の時。百合がそう話を切り出した。

 百合は神妙な顔をしていた。此処にいる全員が、百合の様子が違うことに気付き、何となく何が言いたいのかを察した。


「あの……私、沖田さんのことを疑っていました。ごめんなさい」


 沖田は答えに困った。殿内義雄を殺したのは、紛れもなく自分なのだから。しかし、これを口外することは禁じられている。

 百合に話し、平隊士や町人に知られることは避けなければならないからだ。

 百合がそこまでお喋りだとは思っていないが、信用するには値しない。


 例え週に一度、一緒に甘味を食べに行く仲だとしても───そもそも、甘味を一緒に食べにいってやってほしいとお願いしてきたのは芹沢なのだが───信用と百合を可愛がっていることとは、また別問題なのだ。


「私っ、沖田さんのこと好きです。だから、ちゃんと謝らなきゃと思って───」


 そこまで言って、百合はハッとしたように口を押さえた。


「あっ、あの!好きってその、違うんです!恋情とかではなくてっ!」


 顔を赤くして慌てふためく百合に、沖田は思わず吹き出した。


「ふっ、あははっ! 分かってるよ、大丈夫だから。会ってひと月の人間に恋情を抱くわけないでしょ?」

「あ、はい……取り乱してすみません」


 場の空気が和んだところで、コホン、と咳払いをして、百合は沖田から視線を逸らし幹部達を一瞥した。


「私の話……聞いてくれますか?」


 その真剣な眼差しに圧倒されながらも、近藤が勿論、と返せば、百合は静かに話し始める。それは、百合の昔話だった。




「私が此処に来る前の話です」


 そう言って話始めた彼女は、思い出すのが辛いのか、目を瞑っていた。




 ──それはまだ、百合が物心がついたばかりの頃の話。

 

 記憶が始まる頃には、百合は祖母に育てられていた。京の都の端で、ひっそりと二人暮らしていたのである。

 父と母は彼女が幼い頃に死んだと聞かされていた。

 生活は豊かなものではなかったし、両親がいない寂しさもあったが、祖母に愛情を注がれ彼女は幸せだった。


 そんな幸せは、とある一日の終わりに壊れてしまった、と百合は言った。


「ある日一人の侍の方が、祖母の家に訪ねてきました」


 その男の額には古い傷があった。男は家に百合と祖母しかいないことを確認すると、腰に差してあった刀を抜いて──


「お祖母さんは……」


 藤堂が伺うように呟くと、百合は小さく頷いた。


「今でもよく覚えています。祖母の下腹部から、右腕から、左足から血が溢れでていたことを……」


 あの日のことを思い出すと憎しみで、怒りで震えるのだ、と彼女は涙を堪えながら言った。


「祖母は私に、逃げろと言いました。泣いて嫌だと言った私に、優しい祖母が初めて怒鳴ったのです。それまで一度も怒鳴ったことがなかった祖母が」


『百合! 言うことを聞きなさい! ……あんたは生きなきゃだめだ、早く!』


 腰も曲がり、刀に触れたことすらない年老いた祖母が男に立ち向かうなんて無理だと百合は悟っていた。

 しかし、百合はその思考に蓋をした。逃げたのだ、自分は。

 年老いた祖母を生け贄にして。


 百合は走り出した。夜の街へと、無我夢中で。


『百合! 待て!』


 後ろからそんな声が聞こえてきた。そのあと直ぐに、祖母の断末魔も。

 それに耳を塞いで走って走って、とにかく走った。



 直ぐに追いかけてくるかと思ったが、男は不思議と追い掛けてこなかった。

 次の日、家に戻るとそこにあったのは、祖母の無惨な死体と血と、荒らされた家。

 祖母は見るに絶えない死に様で、きっと最後の力で自分を逃がしてくれたのだろう、と思った。


 後で聞いた風の噂によれば、その男は百合の父だったらしい。

 お金に困って盗賊と化した彼は、ついに祖母の家を訪ねたのだろう、と町民が噂をしていた。


「祖母が大事にしていた大小の刀と、何かあった時のためと祖母が私に渡してくれていたお金を持って、私はこの壬生浪士組に来ました」


 百合の瞳からは涙が溢れていた。しかし、決して折れることはない、強い瞳だった。


「私は、絶対にあの男を捕まえて復讐を果たすと誓ったのです。……長々と話してしまい、申し訳ありません。ですが、皆様のお力を借りたいのです」

「はっ、よくある話だ」

「土方君、そんな良い方は良くないだろう!」

「そうだぜ、土方さん!」


 鼻で笑った土方を、山南と永倉が制しようとするが、土方は構わず続けた。


「今うちにいる奴等の中にだって、そんな経験をして来た奴くらいいるだろ。こいつだけが特別じゃねぇ」

「……はい」



 そう言われることくらい覚悟していた、そう訴えるように凛とした姿勢を崩さず、百合は返事をする。

 土方は百合を真っ直ぐ見据えた。百合も負けじと、涙ぐんだ瞳で強く土方を見据える。


「だが、まぁ……お前は、今まで辛かったんだろう。よく頑張ったな」

「っ……!」


 思いがけない優しい言葉に、百合は目を見開いた。そして直ぐに、手で顔を覆う。泣いているらしかった。


「……男についてはまた詳しく聞かせてもらう。京の都を荒らすのなら、放ってはおけねぇ」

「はい……ありがとうございます……!」

「あーっ!土方さんが百合ちゃんを泣かせた!」

「おいおい、可哀想になぁ」

「うるせぇっ!!」


 藤堂と原田は土方をからかう。彼等なりに気を使って、場を明るくしようとしているのだ。それを分かっている土方も、二人の会話に乗って照れたように突っ込みを入れた。


「……」


 斎藤は何も話さないが、いつもより食べるペースが早いように思えた。


「百合、泣かないで。ほらこれ」


 慰めているつもりなのだろうか。沖田は百合の前に、懐から取り出した金平糖や飴を並べ始める。その中には何故か、冊子も含まれていた。


「有り難うございます、沖田さん……これは?」


 百合が涙を拭いながら、その冊子を手に取り、文字を紡いだ。


「豊玉……発句集?」


 瞬間。


「うわあぁああぁあ?!」


 土方の悲鳴にも似た怒号が飛んでくる。


「やめろ百合!それは大人しく俺に渡せっ!!」

「……えっ?」

「大丈夫だよ、読んでみて」


 百合は沖田に促され、冊子を一枚捲った。


「……梅の花 一輪咲いても 梅は「やめろおおおお!!!」



 屯所中に土方の怒号が響く。

 豊玉発句集──土方の句集である。鬼の副長は意外にも、可愛らしい趣味があったのだ。それをからかうのが沖田の楽しみのひとつでもある。


 沖田は言うまでもなく、土方に説教をくらい、3時間正座をさせられたのだった。





  ◆ ◆ ◆


 ───一人だけ。あの場にいた人の中で、一人だけ。私の話に、何の反応も示さなかった。



 木も花も、鬼ですら寝静まった夜も深い頃。百合は縁側で、ぼんやりと空を眺めていた。

 視線の先にあるのは、煌々と輝く青白い三日月。

 まるで此方を嘲笑っているかのようなソレから目を逸らす様に、百合は瞼を静かに閉じた。




『百合くん』


 夕餉を終え、片付けをしている時。一人の男が、百合の元を訪ねてきた。片付けを手伝っていた沖田が、百合よりも早く反応する。


『近藤さん!』

『どうかされました?』


 近藤は何も答えず、百合をじっと見つめたまま動かない。百合の瞳は涙の跡で少しだけ赤くなっていた。

 沖田は、近藤にいつもの優しい笑みが無いことに疑問を抱く。

 百合もそれを感じ取ったのか、困った様子で言葉を捲し立てた。


『もしかして夕餉の時にあんな話をしたからですか?! ご飯美味しくなくなっちゃいましたよね、すみません! そ、それとも料理が不味いですか?!それなら練習を───』

『百合くん』


 もう一度、近藤が百合の名を呼んだ。

 言葉を遮られ、次の言葉を発することは許されないように思えた。

 そうして少しの沈黙が続いた後、近藤が静かに問い掛ける。



『何故、今あんな話をした?』

『……え?』

『俺には、付け入る隙を狙っているように見えてね』

『……』

『狙いは何だ?』


 百合は一拍置いて、答える。


『必要と、されたいからです。私は、壬生浪士組に来て本当に良くしてもらいました。でも、此処にいるうちに、それだけでは足りなくなってしまった。

 皆さんの、本当の仲間になりたいんです。そう思うのは、いけないことですか?』


 肩が小さく震えているのに気付いた近藤は、そうか、悪かったね、とだけ答えて踵を返したのだった。

 その後、沖田も近藤の後を追うように去って行く。必要とされたい、そう言った百合は結局一人取り残されたのだった。






(近藤勇……伊達に局長をやっているわけではない、ということか)


 百合───いや、彼・女・は小さく舌打ちをする。

 もはや彼女は、百合という仮面を取った、誰かなのだ。


 あどけなさも、明るさも、人懐っこい笑みも。何処を探しても、見当たらなかった。

 其処にあるのは、艶やかで脆い、狂気にも似た美しさ。




 近藤が何故あんな事を聞いたのか。彼女の中で、既に答えは出ていた。


(あいつは気付いていたからだ、“私”に)


 沖田の前で態々あんな風に意味深な言葉を残したのは、沖田に危機感と警戒心を高めるためだろう。

 元々沖田は、私に対して誰よりも警戒心を持っていた様な気がする。暇さえあれば私の所に来て、情報を引き出そうとしていた。


 しかし、そんな警戒心の強い彼の信頼を得ることができれば……そう考えていたのは事実だ。近藤は私の考えを読んだということか?


(あいつは一体、何処まで気付いた?)


 少し急ぎすぎたのかもしれない。もっとゆっくり、確実に信頼を得なくては。目的を果たす為に───。


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