第二話 嘘と真

「これで終わりです、皆さん有り難うございました!」



 最後の一つを運び終えたところで、百合は手を叩いて水戸派の面々にお礼を述べた。

 丁度、稽古を終えた隊士達が帰ってきたらしい。遠くから隊士達の賑やかな声と足音が聞こえてくる。



 芹沢以外の水戸派は「……おう」と力なく返事をした。

 お膳を運ぶのは意外にも神経を使うらしく、普段から鍛えている彼等も疲れきっているらしかった。


「ご苦労。さて、我々も戻って朝餉としよう」


 手伝う、と言い出した張本人である芹沢は、運んでいる姿を見て楽しんでいるだけだったので一人だけ元気である。八木邸へと戻っていく水戸派の背を見送って、百合は幹部達が朝餉をとる広間へと向かう。


 平隊士達は大広間で、幹部達は大広間よりは狭い広間で朝餉をとる。百合は何故か、幹部達と朝餉をとることが日常になっていた。






「失礼します」


 戸の前で声を掛けると、入れ、と返ってくる。百合はそれを聞いてから、戸を開ける。


「お早うございます、皆さん」


 にっこり。いつものように人懐こい笑みを浮かべる。


「おはよう、百合くん」


 戸を開けてからまず目に入るのは、局長である近藤勇。彼もまた、人懐こい穏和な笑みで百合を迎えてくれた。


「おう」


 近藤の右に座るのは、土方歳三。切れ長の瞳と艶やかな黒髪が魅力的である。しかし、その眉間に寄った皺と、誰をも寄せ付けないような雰囲気はそう、まさしく鬼のようだ。


「おはようございます、百合さん」


 近藤の反対隣に座るのは山南敬助。この時代では珍しく、眼鏡をかけている。人の良さそうな雰囲気を醸し出しており、土方とは対極の存在───仏のようである。


「おはよう、百合ちゃん」

「おはよう」

「毎朝ご苦労様」


 藤堂平助や原田左之助、永倉新八が続けて挨拶を返す。百合はにこにことしたまま、自分の定位置についた。

 土方と山南の隣には、直角を描くような形でお膳が並べられている。 百合の定位置は、その一番端だ。


「おはよう、百合」


 百合の隣は沖田総司。壬生浪士組で1、2を争う剣豪と呼ばれている。50人余りの小さな組織で1、2を争うなどと言われても想像がつかないかもしれないが───沖田の才能は、本物だ。

 例えこの先、壬生浪士組が大きくなり隊士が増えようとも、彼は組織最強と呼ばれることであろう。


「お早うございます、沖田さん」


 百合が挨拶を返したところで、近藤が声を上げた。


「では、全員揃ったところで頂こう。いただきます」


 その言葉を合図に、いただきます、と全員が合掌をする。

 壬生浪士組と町人に恐れられる彼等も、この時ばかりは笑顔が絶えない。


「あぁ?!!左之さん!それ俺の魚!!」

「うるせぇ、ボーッとしてんのが悪いんだろ!」

「けっ、左之ぉ、自分のお膳ががら空きだぜ?!」


 三馬鹿と称される原田、藤堂、永倉がこんな風に朝餉を取り合うのは日常茶飯事である。


「百合。これ、嫌い」

「沖田さん……食べてください。栄養が偏ります」


 沖田が嫌いなものを百合に与えるのもまた、日常茶飯事なのだ。


「てめぇら、朝餉くらい静かに食えねぇのか! 人のものは取らない! 好き嫌いはすんな!!」


 土方は騒がしい隊士達に一喝を入れる。まるで母のようである。


「そういやさ、白狐ってどうなったんだ?」


 鬼の副長に雷を落とされ、静かになったところで永倉がそう言った。


「あぁ、あいつか。殿内義雄を殺したのも白狐なんだろ?」


 土方は思い付いたように、沢庵を口に運びながら切り返す。

 殿内義雄は元々一緒に上京してきた仲間だった男だが、百合が入ってきて直ぐに、四条大橋の上で殺されている。


 不自然に口数が減り、何とは無くに不穏な空気が流れた。そんな中口を開いたのは、百合だった。


「白狐が殿内さんを殺したんですか?」

「あぁ」


 間髪入れずに、やはり土方が答える。

 しかし、此処にいる者は全員知っていた。殿内を殺したのは、白狐ではないということを。



 ───内部粛清。殺したのは紛れもなく、壬生浪士組の沖田総司と土方歳三なのだ。

 百合はそれを知っていて、敢えて質問をした。顔色一つ変えずに答える土方と、何食わぬ顔で朝餉を食べ続ける沖田に、百合は眉を潜めた。

 無論、百合には誰が殺したのかは確証はない。しかし、白狐ではないことくらい分かっていた。


「……今まで訊きそびれていたのですが」


 今まで沈黙を突き通してきた斎藤一が、今日初めて口を開いた。何故か斎藤は、小さく手を挙げている。


「どうしたんだい?」


 斎藤の隣にいた井上源三郎が、その先を話すように促す。斎藤は一度頷いてから、話し始めた。


「白狐の噂は、一体いつから?」

「町人に聞いたところによると、確か三年前くらいからだったな」

「では、白狐が殿内を殺す可能性も大いに有り得るということですね?」

「そうなるな」


 土方との対話を終えた斎藤は、まるで当て付けのように百合の方を見た。


「そういうことだ」

「……」

「お前が我々のことを信頼していないのはよく分かる。お前を受け入れたのは、芹沢さんだからな。だが、変な勘ぐりは止してくれ。仮にも仲間だろう?」

「勘繰っているわけでは……でも、」

「やったのは、白狐だ」

「そんなっ! でも私はあの日───」

「真実がどうであれ、そうしておいた方がお互いの為だろう?」


 静かな圧力が、斎藤だけではなく此処にいる他の者からもかかる。冷たい視線だった。

 百合があの夜見たのは、縁側で呆然とする沖田の姿。いつもと様子が違っていたことをよく覚えている。


 その次の日、沖田の洗濯物として出された袴には血がついていた。昨日の様子がおかしかったことと関係があるのだろうか、そう考えを巡らせていた所に、殿内義雄が遺体で発見されたと報告を受けた。


 そういえば前日に、殿内義雄は土方や近藤達とお酒を飲みに行っていたはずだ。何故殿内だけが帰って来なかったのか───。

 答えに辿り着くまでに、そう時間は掛からなかった。



「そう、ですよね……ごめんなさい。私の勘違いです」


 百合はパッと顔を上げた。


「私、失礼ですよね。此処に置いてくれている皆さんを疑うなんて……」


 その顔は何処か晴れやかで、澄んだ瞳をしている。その言葉と表情に安堵したのか、広間の空気は軽くなったように感じた。







(──これでハッキリしたわね)


 朝餉を終え、百合は片付けをしていた。多過ぎるほどの洗い物も、もう見慣れた。

 百合が壬生浪士組に来てもうふた月が経つ。桜も散り、初夏の風を感じる皐月の頃だ。


(私はまだ、信用されていない)


 ───信用されていないどころか、鬼の副長さんや寡黙で無愛想なあの人には、煙たがられているみたいだし。


 信用される為には、どうすればいいか?


 先ずは私が彼等を信用するという意志を見せ付けること。何があっても裏切らないのだ、と思わせること。

 次は弱味を見せることと、素性を明らかにすること。相手が心を開いていると示せば、自ずと相手も心を開いてくる筈だ。

 特に生温い仲間意識だか何だかとほざいてる彼等ならば。


 隠していることがあれば、不信感を抱かれる。それはいけない。心を開いているのだと示すのなら、彼等が私について知りたがっていることを教えてやればいいのだ。


 信用がなきゃ情報なんて引き出せない。何より、動きにくいのだ。

 組織というものは、信用で成り立っていると言っても過言ではないだろう。




(まぁ、でも……)


 はぁ、と百合は小さく溜め息を漏らした。

 

(って言うのも癪に障るけど)


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