007

 田中の部屋は、当たり前だけど男の子の部屋だった。


 フットサルのボールが転がっていたり、デスクトップパソコンはごついデザインだし、本棚にはヘッセとか、志賀直哉とか、私じゃ絶対に読まない文庫が並んでいる。


 でも、私の視線は一点で止まった。

 デスクの上に異色のものが転がっているのだ。――化粧道具。

 下地クリームに、ハイライト、アイシャドウ、チークに、ノウズシャドウ、アイライン、アイブロー……

 リップだけじゃない、何に使うのかパッと見分からないものもあった。


「……ねえ、自分でも化粧してたの?」


「うん。頑張ってみたんだけど……伊藤さんみたいには出来なかった」


 そう苦笑をこぼして、田中は湯気の立つカップを部屋の中央の丸テーブルに置いた。私はふわふわのラグに腰を下ろして、田中を見る。


「学校にメイク道具持ってきてたのって……」


「そう。伊藤さんに教えてもらおうと思ってたんだ」


 あの日。クラスメートに気付かれた日。

 どうして田中は学校に化粧道具なんて持って来たんだろうと不思議に思っていたけれど、そういうことだったらしい。


「伊藤さん、今日時間ある? あるなら、僕にメイク教えてくれないかな」


「……あんたって、すっごく変わってるよね」


「そう?」


「普通、あんな風に言われたら……メイクなんてもうしたくないって思うんじゃないの」


「でも、楽しいからなぁ」

 田中が困ったように肩を竦める。


 私はフッと噴き出した。それから、立ち上がると彼のデスクにあったメイク道具を一つ一つ丸テーブルに並べっていった。


「……いいよ、教えてあげる」


「ありがとう。お願いします」


 田中の肌は、手入れされているのかつるっとしている。

 私はいつものように、彼にメイクを始めた。もう手慣れたものだ。


「……ねえ、今度制服交換して出かけようよ」


 ウィッグを付けた彼に、私は思いきって口を開いた。


「交換? それって伊藤さんが僕の学ラン着るってこと?」


「そう。それで、あんたがあたしのブレザー着るの」


「ははっ、面白いね」


 田中が笑う。その笑顔はとても可愛い。


「……田中って、めっちゃ可愛いよ」


 嫌味とかじゃなく、思ったことを口にした。


「そう? ありがとう」


 可愛いは女の子の専売特許じゃないと、当たり前のことに気付いたのと同時に、私は田中をとても魅力的だと思った。胸が不思議とときめいている。

……それと、彼が眩しくて少しだけ悔しい。


「……あたし、美容室寄って帰るわ」


「髪切るの?」


「内緒。……でも、一番に見せにくるよ」


 私は出してもらったお茶を飲み干すと、立ち上がった。


 * * *


 その日、私は親にも相談せず髪を切った。切って、更にもみあげと襟足首を刈り上げた。


 友達は苦笑いするかもしれない。

 男子の恋愛対象からは外れるかもしれない。

 それでも……鏡の前に立った私は、ワクワクしている。


「意外と、似合うじゃん」


 鏡の中のベリーショートの女生徒が、気恥ずかしそうに口を開く。


 ――でしょ?

 私はニッと口の端を持ち上げて、答えた。


 その時、初めて私は『私』の声を聞いた気がした。




おしまい

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