花火の音が聞こえない
綿柾澄香
夏祭り
「嫌よ、夏祭りなんて」
と言った半分は本心だ。
あの人ごみは好きになれないし、大きな花火の音は煩わしい。家で快適にエアコンの風を浴びながら、スイカを食べつつテレビの音楽番組でも見る方がよっぽど有意義だ。
そして、もう半分は見え透いた友達の計画には乗りたくなかったからだ。
私には、気になっている男の子がいる。その男の子と私を夏祭りでいい雰囲気にしてやろう、という魂胆が丸見えだった。
だから、私は夏祭りになんて行きたくない、と言ったのだ。
「えーなんでよー、いいじゃん、夏祭り。浴衣着れてさ、綺麗な花火見てさ、そしてついでに気になるアイツのハートも射抜く。一石三鳥だよ?」
「私にとっては浴衣を着るのも、花火を見るのも、べつにどうだっていい。だから、一石三鳥なんかじゃない」
「へえ、なるほどね。彼のハートを射抜くのはどうでもいいってわけじゃないんだ」
と、にやにやと笑う友達を適当にあしらって、私は家に帰ってきた。
夏祭り自体はもう始まっている。ただ、花火が始まるのはおそらくまだもう少し後だろう。
「……」
私はエアコンのきいたリビングで、椅子の上で両足を抱えながら、ネットで好きなアーティストのミュージックビデオを眺めている。
夏祭りはあんまり好きじゃない。だから、べつに夏祭りに行っていない今の状況を不満には思わない。ただ、だからといって夏祭りにまったく魅力を感じていないわけでもない。
屋台で売っている焼きそばは、なぜか格別に美味しく感じるものだ。
「……焼きそば、食べたいかも」
とはいえ、夏祭りには行かない、と友達に宣言してしまっている以上、のこのこと夏祭りに行って鉢合わせになるのはあまりにみっともない。
でも、一度焼きそばを食べたいと思ってしまうと、脳内でどんどん焼きそばが溢れてくる。焼きそばを食べたい欲はもう止まらない。
――あれ、私って女子だよね? 女子なら普通、りんご飴とかかき氷に惹かれるんじゃないのかな?
なんて、ほんの微かに頭を過ったものの、そんなものはどうでもいい。
とにかく私は今、焼きそばが食べたいのだ。
ならば、もう行くしかないだろう。
なるべく目立たないようにシンプルなTシャツとハーフパンツに、帽子を目深にかぶって、外に出る。
夏祭りの会場には、多くの人が行き交っている。
その中に、友達がいないか気を配りつつ、私は歩く。やっぱり人は多くて歩きにくいし、人ごみの熱気で蒸し暑い。
それでも、目当ての焼きそば屋を探しながら歩いていると、不意に声を掛けられた。
「あれ、雪野も来てたんだ」
その声に慌てて振り返って、息が止まる。
私が気になっている……いや、正直に言ってしまえば、好きな彼がそこに立っている。
――なんでこんなところで、よりにもよってこんな格好の時に、ばったり出くわしてしまう相手が彼なの!?
慌てて帽子をより深く被ってみるけれども、手遅れだ。なんとかTシャツの裾を引っ張ってみたりするけれども、そんなことで急に可愛いファッションに見えるはずもない。
絶望感と共に泣きたくなる。
ああ、せめて浴衣ではなくともそれなりに恥ずかしくない服を着てくればよかった、と私は
けれども。
「ねえ、綺麗だよ」
と、唐突に発せられた彼のその言葉に心拍はひときわ大きく跳ね、辺り一帯はカラフルに染まり、肌をビリビリと刺すような衝撃が走る。
――綺麗? 綺麗って、なにが? まさか私……なわけないよね!?
「え、あの、えっと……」
と、彼がどうしてそんなことを口にしたのかがわからなくて、私は混乱し、言葉に詰まってしまう。
そんな私の様子に気がついているのかいないのか、彼は人差し指を上に向ける。
「ほら、花火」
彼がそう言ったのを聞いて、私は空を見上げる。
そこには、空いっぱいに広がる光の華。
――ああ、もう花火が始まっていたのか。
なのに、そんなことにさえ気づけないほどに私は彼に夢中なのだ。
彼の隣に立っていると、花火の音さえ聞こえない。
あんまり好きだとはいえない夏祭りだけれども、それでも彼と一緒なのならば、悪くない。
むしろ――
「ねぇ……」
と、彼と向かい合う。
今の私はほんの少し、夏祭りの熱気にあてられている。いつもよりもほんの少しだけ、気が大きくなっている。
きっと高揚しているのは熱気にあてられたというだけではない。
目の前に彼がいるからだ。彼がいるから、私はのぼせてしまっている。
夏祭りの雰囲気と、目の前に彼がいることの興奮に、私は舞い上がっている。
だから、勢いに任せて私は彼の手を掴む。
今日くらいは……いや、今日だからこそ、私は彼の手を握れるのだ。
彼の驚いた表情を初めて見た気がする。
なんだか新鮮で、可笑しい。
「……私、焼きそばが食べたいの」
そう言って私は彼の手を引いて、一緒に駆けだした。
花火の音が聞こえない 綿柾澄香 @watamasa
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