1−1 日常の終わり
【186日
・第七居住
ゴンゴンゴンッと鉄板の上を走る音が響く。
花「ねえ雪ちゃん」
雪「なに」
花「『こたつでみかん』って知ってる?」
雪「知らない」
花「こたつでみかんを食べるんだよ!」
雪「こたつもみかんも知らないんだけど」
花「見て、この本」
花はどこかかから持ってきた本を開いて、興奮した目つきでそのページを指さした。指がブレてどれのことを言っているのかよく分からなかったが、数秒格闘してついに理解した。
雪「これがこたつ?」
花「そう!で、これがみかん!」
雪「めんどくさい」
花「やろーよ」
雪はあまり乗り気ではなさそうだった。何しろ毎日忙しいのだ。食べる物を探さないといけない。燃料だって定期的に培養槽まで取りにいかないといけないし、生きていくために知恵や技術を身につける必要だってある。そのための勉強の時間だって貴重なのだ。
雪「なんで」
花「のんびりとした日常、ってものを体験してみたいと思わない?」
雪「のんびりしてる方が非日常なんじゃないの?」
花「細かいことは考えなくていいんだよ」
しかしこういう時の花の頑固さを雪はよく知っていた。というよりも、思い知らされていたと言った方が適切かもしれない。
・野菜・果物工
バシャバシャという水音と共に、重厚なエンジン音が部屋中に響いている。
花「すごいよ!ジュースが水槽の中で回ってるよ!洗濯機みたい!」
雪「落ち着きなよ……」
建物の中に花のよく通る声が反響し、雪が顔をしかめる。
花「雪ちゃん面白くない……?」
雪「そんなことない。初めて見るものばかりで面白い」
あまりキツい言葉をかけてしまうと、花の心は急に折れてしまう。だから雪は、花が望んでいそうな言葉を選んで定期的に浴びせることにしている。
花「ここに来たのは初めてだもんね。いつも携帯食料だし」
携帯食料はどこにいっても落ちているし、何より保存が利く。工場から取ってきたら数日で腐ってしまう生体由来の食物は彼女らにとって高級食なのだ。
雪「いい匂い」
花「そうだね。このジュースを固めて、別の場所で作ってる果肉に注入するんだって」
雪「へぇ、果物ってそうやってできるんだ」
花「今はね。昔は逆だったらしいよ」
雪「逆……?」
花「元々果肉があって、そこからジュースを作ってたんだって」
雪「勿体ない、なんでそんなことするの」
花「不思議だよねー」
花と雪の頭が思考を巡らせる。そうしている間にも、培養槽の中では色とりどりの甘いジュースがぐるぐると渦巻いていた。
雪「さっきの話だけど」
花「さっき?」
雪「ほら、昔の人は果肉からジュースを作ってたってやつ」
花「ああ、その話か」
雪「私たちが正しいと思ってることが実は逆だったって話、他にもあるんじゃないかなって」
2人はみかんが一杯に入った箱を抱えながら、次の目的地へと向かっていた。辺り一面に鉄と油のにおいが充満し、蒸気による蒸し暑さがその不快さに拍車をかけていた。
花「なるほどね、確かにありそうだよね。昔の人は、地球の周りを太陽が回ってると思ってたんだって」
お姉さんらしさを見せつけるチャンスだと、花が途端に饒舌になる。
雪「太陽って、地球の近くにあった熱くて明るい天体のこと?」
花「そう。でも本当は間違いで、地球の方が太陽を回ってたんだよ。でも地球で暮らしてたらそんなこと中々分からないよね」
雪「私も分からないと思う。だって今乗ってるこの船が動いてるってこともうまくイメージ出来ないのに。すごく速いんでしょう?」
花「光の速さの半分だよ!すごいよね」
花は一旦荷物を置き、両手を広げてそのすごさを表現する。
雪「どうやって止まるんだろう。あと花は止まらないでね」
荷物を置いた花に背を向けて、雪は速度も落とさずに前進していく。
花「速くなれるんなら、遅くもなれるんじゃないかな。どういう技術なのかは分かんないけど。だって止まれないと、住める星を見つけたって意味ないし」
よたよたとふらつきながらも、何とか花は追いついてきた。
雪「私たちじゃ、止められないけどね」
花「そうだね」
もう一つの目的地、第二工場へと到着した。
・第二工
工場の外と違って、中は以外と清潔だった。清掃用の巨大ファンが工場内の埃を吹き飛ばしているからだ。
雪「あった。灯油ストーブ」
花「でかしたぞ雪!」
雪「声が大きい」
耳元で大声を出した花の頭を雪は軽く叩いた。ファンの騒音がうるさいのは分かるが、離れて大声を出すか、耳元で普通の声を出すかどちらかにして欲しかった。
花「……」(声が小さく、音声データから抽出できなかった)
雪「いいよ普通にしゃべって」
花がストーブを持ち上げようと試みる。
花「重いねこれ……」
雪「分解して運ぼう」
花「そうしよっか。私がたくさん持つね」
雪「花は小さいんだから私がたくさん持つ」
花「あ!バカにして!私の方が年上なんだよ!?」
雪「だって壊しちゃったら大変だし、花が怪我したらもっと大変だし」
雪は顔を背けて、ぶっきらぼうに呟く。顔を花に見られたくないようだ。
花「雪ぃぃぃぃぃ!」
雪「ちょっと、くっつかないで。危ない」
結局2人で半分ずつ持つことにした。途中で花がギブアップしてしまったが、その経過をここに記す必要はないだろう。
・第七居住区
2人は念願のこたつでみかんを実践していた。念願にしていたのは花だけだが。
花「ほわぁ……あったかい……」
雪「うん、暖かい」
花「みかんも美味しい〜!」
花の笑顔は雪の心をも元気にする。こたつでみかん、良いものだ。雪は心の中で呟いた。
雪「花は、これがやりたかったの?」
花「そうだよ、なんか安心しない?」
雪「安心……?」
花「そう、安心」
花は先ほどと変わらない笑顔でそう答える。
雪「私には、よく分からない。花がいればそれで安心。花は私じゃ足りない?」
お前は今安心しているか? 不安を感じているか? と聞かれれば、雪は迷わず安心していると答えるだろう。雪と出会うまでの孤独な日々に比べたら、まるで天国のようだ。いつも楽しいことを思いついて遊んでくれるし、笑顔を見せてくれるし、夜眠るときには温もりをくれる。
花「そんなことないよ!雪ちゃんがいてくれるから私は生きていけるんだよ!でもそうじゃないんだ。こうやって毎日生きてるとさ、こんなに苦しい思いをしてまでどうして生きていかないといけないんだろうって思うことがあるんだ」
雪「花……?」
これは良くない。雪はそう直感した。雪は花と一緒に寝ることが大好きだが、一つ気になってることがあった。花は夜眠っているとき、よくうなされているのだ。普段は天真爛漫な彼女が一体何を抱えているのか、人生経験の乏しい雪には想像できなかった。雪は彼女を支えられる自信が無かった。だからそのことに触れないようにしていたのだ。なのに自分からこじ開けてしまった。地
花「安心して、勝手に死んだりしないから。絶対。でもね、たまにフラフラ〜っと死にたくなる時があるんだよね」
その目はひどく据わっており、発言が真実であることを物語っていた。
雪「花が死んだら私も死ぬけど、いい?」
雪も花と見つめ合い、負けじと押し返す。
花「ダメだよ、絶対ダメ。でもこうやってこたつに入ってみかんを食べてる間だけはね、まだ死ななくていいかなって思えるんだよね。不安なことを一時的にでも忘れられるから」
花は引き下がってくれたようだが、直前の自殺を仄めかす発言を取り消すつもりはないらしかった。
雪「……やっぱりよくわからない」
花「雪ちゃん、目の前で人が死ぬのを見たことある?」
雪「無い。死体ならいくらでも見たことあるけど」
雪は花の質問の真意が分からず、首を傾げながら答える。
花「私は見たことあるよ。すごいよ。さっきまで元気に、元気って言ってもその人も人を殺してたんだけどね、生きて動いていた人が、動かなくなるの。最初はピクピクおもちゃみたいに痙攣して、真っ赤な血を勢いよく吹き出してるの。その動きがだんだん弱くなって、最後はただの『物』になる。そんな現場を何回も何回も見た」
それを語る花の表情は氷のように冷たく、そして硬かった。まるで何かに取り憑かれているようだった。それはいつもの朗らかな花ではなかった。雪の知る花は今、目の前にいないようだった。
雪「怖い……想像したくない」
花「私も殺したことあるんだよ。大人に追いかけられて、近くに落ちてた鉄の塊を投げた。そしたら頭に当たって死んじゃった。こんなに身体の大きさが違うのに、生きてきた時間も違うのに、私より先に死んじゃうんだ……って不思議だった」
花の言葉が濁流のように口から溢れていく。舌が別の生命体に寄生されたのだと言われた方がまだ納得できるほどだった。
雪「花!」
花「私のお母さんが死んじゃった時はね、私が住んでた第四居住区に強盗の集団が押し寄せてきたの。家のドアを壊されて、住民は引きずり出された。みんな正座させられて、並べられて、目隠しされて、順番に頭を鉄パイプでつぶされる。お母さんは23番目だった。お母さんは私を隠してくれた。絶対にバレない隠れ場所を、ずっと前から用意していたの。私は建物の屋上に上がって、みんなが殺されるのを黙って見てた。一人目は私の友達のお父さん。二人目はお母さん。次は友達、次は……」
雪「花!やめて!」
花「ごめん、ごめんね?こんな話聞きたくないよね。怖かったよね。ごめんね……?」
雪「違う。花、自分の腕見て」
花は話しながら、無意識に自分の腕の肉を自分の爪で抉り取っていた。血がしたたり落ち、毛布を濡らす。尋常でない彼女の様子に、雪は途方に暮れてしまっていた。それでも何か言葉をかけてあげなければと思ったが、やはり何も浮かんでこなかった。
花「ああ、昔のことを思い出すとつい、ね。あの時に何もできなかった自分を呪いたくなるんだ」
雪「花……こっちに来て」
かける言葉を持たない雪は、ただ物理的な距離を近づけるしかなかった。ひょっとしたら花を元気付ける魔法の言葉があるのかもしれない。しかし雪にはそんなもの扱えないのだ。
花「ダメだよ、血が付いちゃうよ」
雪「来て」
花「うん……」
花を抱きしめる。それは客観的に見れば、2人の歴史の中で過去最悪の抱擁だっただろう。しかしそれは同時に、2人の関係が進展するための最初の一歩、ある意味で最高の抱擁と言えるのかもしれない。
雪「花は生きてる。生きてていいんだよ」
花「雪ちゃん……。暖かいね」
花は意図的に雪の後半の言葉を無視した。
雪「花もあったかい。私は花が好き。いつも私を支えてくれる花が好き。ううん、支えてくれなくたっていい。私は花がいてくれたらそれでいいの」
水筒に水を注ぐとき、我々はふたを開けてから水を注ぐ。ふたが閉じたままでは水が全部こぼれてしまう。これは心と言葉の関係にも同じ事が言える。ふたを閉じた心にいくら言葉を浴びせかけたところで、それらの言葉は虚しくこぼれ落ち、乾いた地面へと吸い込まれていく。
花「私は花が思ってるような人間じゃないよ」
雪「もう寝よう?」
花「うん……」
その夜、花はうなされた。悲鳴を上げ、手を振り回し、布団を爪で引き裂いた。雪はただ抱きしめることしか出来なかった。少しでも花が楽になれるようにと、願いながら。
翌朝傷だらけの雪を見て、花は泣きながら手当をした。私のせいで泣かせてしまったと、雪も心の中で泣いた。
*0:文章について
ここで繰り広げられる二人の会話は、船内の録音デバイスや鋼材の量子年輪を分析して得られた音声データを元にしている。
また、会話の合間につづられている地の文にも、上と同じく録音デバイスや量子年輪のデータが使われている。また「花」と「雪」2人の個体から得られた記憶媒体(人間が書いた解剖学の本によると「脳」とよばれている)から抽出された感情データに基づき彼女らの心境を構築し、それを忠実に叙述している。
*1:第七居住区
船内は用途によっていくつもの区画に分かれており、人間が生活するための設備が整っているのが、彼女たちが暮らしている居住区である。第三〇居住区まで存在する。
*2:野菜・果物工場
人間は食物を詳細に分類する文化を持つ。例えば栄養で分けたり、その生物の遺伝子によって分けたり、あるいは宗教や個人の価値観によって分類することもある。
野菜・果物とは、細胞壁を持つ生命体由来の食物のことである。
*3:第二工場
この船の工場は、第一工場から第一六工場まで存在する。工業用品の生産を行っている施設だ。
*4:地雷
地中に埋めておき、何かがそれを踏んだときに爆発する仕組みの爆弾。地球で行われた戦争では頻繁に使われていた。ここでは心の中のナイーブな部分を刺激して相手の感情を爆発させてしまったことを表現している。
【花の手帳】
186日
・今日あったこと
今日は本で読んだ「こたつでみかん」というものをやることにした。私たちはいつも急かされている。食料という締め切り。あるいは飲み水という締め切り。極めつけは船の寿命という締め切りだ。とは言っても、飲み水の方は水道が生きてる間は大丈夫。食料だって、頑張って探したらなんとかなる。一番の問題は船の寿命だ。これは私たちがいくら頑張ったところで伸ばすことはできない。悲しいけど、仕方がない。
でも私たちは、もしかしたら私だけかもしれないけど、考えても仕方の無いことをずーっと考えてしまう癖がある。どうしようもないことに頭を悩ませたってつらいだけで何の特にもならないって分かってるのに。
だから私は日常ってものを取り戻したかった。物心付いた時にはもう世界はめちゃくちゃだったし、船に乗り込んでからも怖い大人たちが周りに一杯いた。もちろん優しい人だっていたけど、みんな死んじゃった。居住区から逃げ出してからは、雪ちゃん以外に信用できる人がいなかった。
私は日常を知らないけど、それが「安心できる場所でくつろいで穏やかな気持ちになること」なのだとしたら、私にとっての日常は雪ちゃんの隣にいることだ。
でもどうせなら私はかつての人間の「日常」を真似したかった。形だけでもいいから、それを模倣したかった。
伝統は私に安心をくれる。雪ちゃんとはまた違った安心だ。隣に雪ちゃんがいるから、私は孤独じゃない。でも、伝統に従うことで、過去に生きていた人間の存在を感じることが出来る。それが安心につながる。どっちが上とかじゃないから、私の中で雪ちゃんが一番なのは変わらない。
雪ちゃんが嫌がったらどうしようって不安だったけど、興味なさそうにしながらも一緒に準備してくれた。私は嬉しかった。
こたつを作るために近くの工場を漁った。灯
準備が終わって、まず考えたのは灯油ストーブでどうやってこたつの中を暖めるかだ。まさかこたつの中で灯油を燃やすわけにはいかない。悩んでいたら雪ちゃんが機転を利かせてくれて、どうにかこたつは完成した。
二人で食べる「こたつでみかん」はとても美味しかった。いつもは忙しくて食事に時間をかけられない、だから毛布にくるまって携帯食料をむさぼっているだけだった。でも今日は違う。明日のことやこれからのこと、そういう難しいことを全部忘れて今だけはこの穏やかな感覚に浸ることが出来る。
肌の神経が送り届けてくる「暖かい」という感覚。舌の細胞たちが感じた「甘い」「酸っぱい」という感覚。それらを脳が受け取って、私の心を落ち着かせる。
『人間は考える葦である』
この言葉は、考えることを神聖化しすぎている気がする。人間そんなに毎日考えてばかりいたら死んじゃうよ。だからこういう日は必要。
昔の人がやってた「お祭り」っていうのは、考えるのをやめるためにあるんじゃないかな。
問題はその後だ。雪ちゃんを困らせてしまった。びっくりさせてしまった。どうしよう。あんな話、雪ちゃんの前でするべきじゃなかったのに。私はいつも大事なところで失敗する。第四居住区が襲われた時だって、本当ならお母さんと一緒に逃げられたはずなのに。私がパニックを起こしちゃったからお母さんが私を庇うことになってしまった。
私は多分心を病んでいる。でもそれは雪にだけは隠しておきたかった。なのにあんな醜態を晒してしまって、私はどうすればいいんだろう。私はどうして生きているんだろう。どうして生き残ってしまったんだろう。私が死んで雪ちゃんがずっと生きていられるなら、そうしてあげたいのに。
せっかくの「安心」を自分で壊してしまった。私は自分が大嫌いだ。
*1:186日目
地球の暦。地球が一回時点すると1日。我々の母星が一回時点する間に、地球は3.4回自転する。
*2:灯油
地球の広範囲で使用されていた、生物由来の天然の液体燃料。
*3:kg
地球で使われていた、物の質量の単位。5kgとは、だいたい我々の成体の平均質量と同じである。
【雪の手帳】
196日
今日も花が変なことを言っていた。花は楽しいことが好きだ。花は昔の人の真似をするのが好きだ。
こたつで食べたみかんは美味しかった。こたつは暖かかった。花が言っていた「安心」はどういう意味だったのだろうか。
花はいつもよく考えてる。私とは違う。時々苦しそうだ。震えている時がある。抱きしめてあげると震えは収まる。
でも今日は一段と苦しそうだった。何か怖い思い出があるんだろうなとは思っていたけれど、とても私が癒してあげられるようなものではなかったらしい。
私は花のことが好きなのに。花と一緒に生きていられるのが幸せなのに。私の想いは届かない。
私は花のことが大好きだ。
*1:196日目
「雪」と呼ばれる個体は日付を数え間違えている。
月の無い宇宙へ 丸井零 @marui9
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