カーテン越しの彼

 神山美晴は恋をしていた。

 昼休みの中庭で友達とベンチに座り、桜が咲き始めたころの暖かい風を感じながら恋バナで盛り上がっていた。

「みはるだって好きな人いるんでしょ、あたしたちもうすぐ卒業だからさっさと告白しちゃいなよー」

「6月の修学旅行の頃からいるって聞いているのに名前も教えてくれないんだもん」

 友人たちの日差しよりも熱いまなざしを浴びながら、美晴は紙パックのストローから口を離した。

「私も顔は知っているくらいで名前も知らないんだよ」

「うそだぁ~」

 盛り上がると声が大きくなるモヨが大きい声で美晴に詰め寄る。

「またまたそんなことを言ってぇ~」

 もう一人の友人、香苗も同様だった。

 美晴は二人に体を揺さぶられながらも心の中でこう思っていた。さすがにこの嘘もそろそろ限界だ、と。

「しかし!」

 揺さぶる友人を払い、美晴は座っていたベンチから立ち上がる。

「わたしかて、この気持ちを黙ったままこの中学生活を終わらせるつもりなどない!」

 そう紙パックジュースを掲げなら言って、友人らのテンションが上がるかと思いきや、「いいから教えろし!」と眉間にしわを寄せ、下唇をたらこのようにみせびらかす友人の顔を見る羽目になった。

「ま、私には私のペースがあるのですよ」

 ペタンとまた腰を下ろし、ストローでジュースを吸い上げる。

「ま、あたしら陰キャ三姉妹。それぞれ成就しようがしまいが、恨みっこなしで」

 右側に座っていたモヨが美晴の方に手をまわし、右手で握手を求めてきた。

「わかってらい」

 左側に座っていた香苗も同様に、左手で握手を求めてくる。

 美晴もその手を掴んで大きく頷いた。

「がってん!」


 そして、昼休みの終わり五分前を告げるチャイムが鳴り、中庭から教室へと戻ることにした。

 教室に戻るには、新校舎に入り、階段を上って一つ教室を通り越す。

 その一つ手前の教室を美晴は前を歩く二人に気付かれずにちらりと覗いた。

 視線の先には、その教室の窓際、半透明のカーテンの向こう側から校庭を少し憂いを帯びた顔をして、ぼうっと見ている男子生徒がいた。

 名前は既に調査済みで「柊隼人」というらしい。

 まだ一言も会話をしたこともなく、なぜ彼がいつも校庭をあれほどまでに物悲しい様子で見ているのかもわからないままだ。そんなこともあり、美晴はモヨたちに名前を告げることができなかった。

 いつか話してみたいという気持ちはあるものの、いまいち踏ん切りがつかず、勇気もなく、この一年間ずっと彼のその姿を見ているだけであった。

 そしてこの日も、その彼の姿を見ているだけで残り少ない中学生活を終わるチャイムが鳴った。


「私だって、このままじゃすっきりしない」

 家に帰って、電話でモヨに少しばかり愚痴った。彼女から、高校デビューするために何をしたらいいかの相談の電話だったのだが、結局話の方向は恋愛へと傾いてしまった。

「それならもう決めちゃいなよ~。上手くいってもダメだったとしても、あたしが今度お好み焼きおごってやるから。その代わりあたしん時もよろしく」

「お好み焼きかぁ~」

 不思議と美晴の頭はお好み焼きで支配された。上手くいってもダメでもモヨたちとお好み焼きに行けると考えると、やる価値はあるなと思えた。

「さすが心の友よ」

「まぁな」

 結局、高校デビューは元ZOZO社長、前澤のお年玉企画が当たったという冗談を言えばきっと行けると意気込んだモヨの意見で幕を下ろした。


 その次の登校日、美晴は意を決していた。今日こそあのカーテン越しの彼に告白をすると。

 失敗してもお好み焼きがある。いざ砕け散れ、私の初恋、と頭を巡らせていた。

「なんでそんな窮地に追い込まれた戦国武将みたいな顔をしているんだ」

 と担任に言われ、いったんお手洗いに行って顔を洗いなおす。


 必要なアクティビティを終わらせ、職員室から教室に戻る際に隣の教室をいつものようにチラ見する。そこにはいつも通り、ぼうっと校庭を見下ろしている彼の姿があった。いつものように見ているだけだったが、美晴の心臓はいつもより早くドクンドクンと身体に血を巡らせていた。

 卒業が近づき、三年の教室はどこも人が少なかった。その日は隣のクラスにはあと数人ほどしか残っておらず、彼だけになった時を美晴は狙っていた。

 自分の教室に戻り、彼が見ているであろう校庭を見下ろす。下級生が体育の授業をしており、もう授業をしていない自分がどことなく不思議に感じた。

 いよいよ卒業するのだということが頭が理解し始める。

「お二方」

 この日はモヨも香苗も登校日ではなかったため、二人にはラインを送った。

「行ってまいります」

 返信を待たずに美晴は少し震える拳を握り、口をきゅっと結んだ。窓ガラスに映る自分の前髪を整えて、いざドアへ向かう。


 自分でも引くほど震える手を握る。どことなく温度も感じないような気がする。足も力が入りにくいような気がした。

 教室を出て、隣の教室をのぞいてみると、ちょうどそこにいるのは彼だけであった。

 美晴はゴクリとつばを飲み込み、不自然に忍び足で彼に近づく。彼は美晴に気付かないようにじっと校庭を見ていた。

「あ、あの!」

 ひっくり返りそうな声を何とか抑えながら美晴は口を開いた。

「私、神山美晴といいます。となりのクラスの、って言っても知らないですよね、へへへ。あの実は少しお話がしたくて声をかけさせてもらいました!」

 頭の中が真っ白だった。自分が今何を話しているのかもわからないまま、頭に浮かんだ言葉が勝手に口から出ていく。彼は振り向きはしないものの、顔の角度を変えて、耳だけこちらに向けているようだった。

「実を言うと、私、周りとちょっと違うというか変わっていて、あんまり不思議ちゃんアピールするわけじゃないんですけど、その見えないものが見えてしまったりとかそういう力がありまして……、いや力っていうとなんか厨二っぽいんですけど、その両親とかも結構見えたりするらしくってその遺伝みたいなんですけど……」

 彼は校庭から視線を美晴に向ける。その顔を見たとき、美晴の胸は高鳴り、頬が熱くなるのを感じた。

「そそそその、実をいうとこの教室を初めて通った時から、そのあなたが見えたときから一目惚れをしてしまいました!」

 彼は言葉を発しなかった。

「釣り合わないと思うのは承知の上です。でも私はこの気持ちをあなたに伝えないと後悔したままになってしまいそうだったので! 自分勝手なのも承知の上です! ごめんなさい!」

 美晴は自分で謝罪をしたあとになんで私は謝っているのだろうと心の中でおもったが、光り輝く彼の整った顔を見ると申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。

「もし、叶うのであれば、私とお付き合いいただけないでしょうか!!」

 直角90度に腰を曲げ、申し入れをする。

 10秒ほど無言になり、ちらりと美晴が顔を上げると、少し困ったような顔をして微笑んだ彼の姿があった。

 そして彼が少し口を開くと、春風が窓から吹き込み、カーテンが舞い上がる。

「……ごめんね」

 風のように流れていったそのか細い声は確かにそう云っていた。そして、カーテンが元の場所へ戻ったころにはそこに彼の姿は無くなっていた。

 美晴はお辞儀をしたまま前のめりに倒れこんだ。

「ぐ、ぐおおおおお……」

 振られてしまった。彼女の淡い初恋は見事に砕け散ってしまったのだった。



 その日の夜、美晴はお好み焼き屋でモヨと香苗に慰められながらも3枚ものお好み焼きを平らげた。

 その相手の名前と振られたという事実を伝え、彼がもう何年も前に亡くなった男子生徒だったということだけは隠して。


 美晴が卒業するまで、その隣の教室のカーテンの向こう側に男子生徒の影が現れることはなかった。

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短編 高柳寛 @kkfactory2020

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