電波と肘と星空と

綾坂キョウ

電波と肘と星空と

 宇宙には様々な音が溢れている。

 それらは時に重要な情報をはらんだ音であり、そしてなによりロマンの塊のようなもので。


「暗いなぁ」

 ベランダに立てたアンテナをいじっていた白矢木大空は、部屋の中から聞こえてきた言葉に、ぎしりと身体を強ばらせた。


 確かに連日、悪天候の続くこの大型連休の空は、今日もどんよりと暗く重たい雲がかかり、雨が降ってさえいる。だが、そういうことではないのだろう――嫌々振り返ると、大空の部屋の窓から、兄である大陽がにやにやと見ていた。


「きちょーな高二のながぁいゴールデンウィーク、しかも明日から元号が変わるって世の中フィーバーしてるときに、一人でアンテナと無線いじりとか。暗すぎるだろ、そらっち。好きなコでも誘って、映画でも行ってくりゃいーのに」

「うっさい。てか、なんで勝手に人の部屋に入ってんだよ」


 二つ年上の兄である大陽は、幼い頃こそ一緒によく遊んでいたが、大空が高校生になった頃から少しソリが合わなくなってきた。もっとも、気にしているのは大空だけらしく、大陽はいつもへらへらとうるさいのだが。


「いやぁ、だってさ。部屋の前通ったら、なんかピーピー鳴ってるんだもん。今も、ほら」

「えっマジでッ!?」

 大空は慌てて、窓から部屋へと飛び込んだ。机の上に置いた武骨な無線機からは、少しくぐもったような電気音が響いている。


「なになに。なんなの」

「いや……今、木星あたりの電波を聴こうと思って調整してたんだけど……どっかの衛星から出てる電波拾ったのかなぁ」


 椅子に座りながら、大空はほとんど独り言のような心地で早口に呟いた。短音と長音から成る信号は続いていて、その組み合わせに集中する。


(クセが強いけど……なんとか、聞き取れるかな)

『繰り返す。非常通信、非常通信、非常通信』

 聞き取った信号の意味に、自然と背筋が伸びる。


「なに、なんだって」

「ちょっと黙ってて」

 非常通信はその名の通り、非常時にのみ許させる通信であり、人命がかかっている場合すらある。自分になにができるかは分からないが、せめて聴き逃すまいと、大空はますます集中を傾けた。


「ええっと、『実験場ナンバー二十三「地球」にいる、全てのゴホット星人に告ぐ。母星は当実験場を廃棄することと決定した。ついては、二十四時間内に全員実験場から脱出されたし』……?」

「え。なに急に。そらっちったら、電波な発言しちゃって」


 アマチュア無線はまさしく、電波のやり取りなわけだが――それはともかくとし、「モールス信号だよ!」と、大空は半ば怒鳴るように言い返した。その間にも信号は、再び「非常通信」の呼びかけを始めている。


(いったい、なんなんだ)

 衛星からの発信でもなんでもなく、ただの誰かのいたずらか。それにしても、非常通信でいたずらをするとは、なんというか大胆にも程があるというか。


 同じ内容を繰り返す信号に、大空は頭を掻いた。大陽はもう興味を失ったのか、スマホをいじり始めている。なにがなんだか分からず、大空が改めて信号音を聴き取っていると、不意に大陽が横で珍妙な動きをし始めた。


「……なにしてんの?」

「いやさぁ。自分の肘舐めるのって、確かに難しいのなー」

 「ネットでもう話題になってる」と、自分の肘を抱え込むようにしていた大陽が笑いながら、スマホを向けてきた。画面には、【#ゴホット星人チャレンジ】【#肘なめ】という文字が踊っている。


「なにこれ」

「なんか、同じの聴いてたっぽいやつが、広めてるみたい。『ゴホット星人は本当に地球にいる。本来は友好的で、放棄するというのは、上層部の勝手な判断。協力して地球を守れ』って」

「……この、肘ってのは?」

「自分の肘をなめられる、ってのが、ゴホット星人の特徴らしい」

「なんだそりゃ」

 全く意味が分からない。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。ゴホット星人? 地球が実験場? 廃棄? あげく、肘を舐められるかだとか――。


(肘……)

 ふと、脳裏に浮かんだのは。幼馴染みの白い肘で。


「……」

「そらっち、なにやってんの?」

「いや……その……」

 肘を思いきり内側に折り込んでも。思いきり首を伸ばしてみても。筋が痛くなるくらい舌を突き出しても。自分の肘まではあと一歩というところで届かない。


「確かに無理……だよね。自分の肘を舐めるなんて」

「ホント。できそうで、できないもんなんだなー」

 気楽にスマホをいじる大陽を尻目に、大空は勢い良く立ち上がった。


「ん? 今度はどったの」

「ちょっと、出かけてくる」

「それならついでに、ファボマでチキチキ買ってきてよ。新発売の山椒味のヤツ」

 へらりとした兄の言葉は無視し、大空はばたばたと慌ただしく家を出た。


※※※


 傘をさして歩くこと十五分。辿り着いた先は、幼馴染みである畔やぎこの家であった。


 郵便配達員だろうか――悪天候にもかかわらず自転車に乗った男が、畔家のポストに手紙の束をゴトンと入れて、大空の隣をチリンチリンと通り過ぎていく。


 その間に呼吸を調えた大空は、じっと家を見つめた。隣の家とほとんどデザインの変わらない、いかにも住宅街の中の家ではあるが、その屋根には立派なアンテナがそびえ立っている。


 インターホンを押すと、ピンポーンと間の抜けた音がした。やや置いて、「はい」と高い声が、スピーカー越しに聞こえる。


「あのっ、白八木と申しますが」

『大空クン……? ちょっと、待ってて』

 どうやら、当人が出たらしい。すぐにパタパタという足音が聞こえてきたかと思うと、目の前の玄関が勢い良く開いた。


 やたらと大きな目をぱちくりとさせながら、畔やぎこはまじまじと大空を見つめ、かくんと首を傾げる。


「大空クン。どうしたの、急に」

「いや、あの」

 どぎまぎする心と身体を必死になだめながら、やぎこの右肘にちらっと視線を走らせる。綺麗なつるりとした肘。ごくりと、喉が鳴るのを自覚する。


「あの……さ。畔って……宇宙人?」

 いくらなんでも唐突すぎるだろと――大空自身突っ込みを入れたくなるような言葉は、「うん」という軽い相づちに肯定された。


「そうだよ。ゴホット星人。よく分かったね」

 にこりともせずに、全くの真顔で頷かれてしまうと、どう反応したら良いか分からず、大空は「えっと」と頭を掻いた。


「あの、それでさっき、ゴホット星人がどうとか……地球が廃棄されるとかいう無線を……聴いて。それで」

「ふぅん。空良クンも聴いてたんだ」

 「まぁ上がって」と促され、空良は傘を閉じ、おそるおそる玄関をくぐった。


「――それで、非常通信を聴いたって?」

 居間に通されると、やぎこはさくっと本題に入った。「偶然に」と、大空も素直に頷く。

「そう。それは災難だったね」

「災難……?」

 目をしばたかせる大空に、やぎこが長い髪で手遊びしながらこくりと頷く。

「だって。知ったってどうしようもないことを知るっているのは、災難でしかないじゃない」


 「それとも」と、やぎこの大きな目がぐるんと大空に向く。

「どうにかするために、ワタシのところに来たの?」

「……えっと……」

 そう訊ねられると、どう答えたものか――その答えが自分の中に見当たらなくて、大空は曖昧な半笑いのようなものを、口元に浮かべた。


「なんて言うか……そもそも、意味わかんないし。えぇっと、なんだっけ。ゴッホ星人?」

「ゴホット星人――まぁ、フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホも地球人に紛れて暮らすゴホット星人の一人だったから、そう間違っているとも言いきれないけれど」

「へぇ……?」

 頷いてはみたものの、それは新手のジョークかなにかなのか。それとも。


「……なんて言うか。もしかして、地球には、そのゴホット星人っていうのが畔以外にも何人もいて。それで、昔から地球人に紛れて生活してる、ってこと?」

「そう」

 こくりと、畔はなんということもないように頷く。腰まである髪が、それにあわせてさらりと揺れると、ほんのりシャンプーのような香りがして、なんとなくそれが場違いのように大空には感じられた。


「太古から、ゴホット星人は地球を実験場として、地球上の生き物を観察し、時に干渉してきたの。例えば、モールス信号も元は、ゴホット星人の通信手段で、サミュエル・フィンレイ・ブリース・モールスにゴホット星人だったジョセフ・ヘンリーが伝えたものだし」

「ふぅん……」

 つまりゴッホもジョセフ・ヘンリー――誰だかよく知らないけれど――も、自分の肘を舐められたんだななどと、どうでも良いことを考えながら、大空は頷いた。


「でも、ナンバー二十三……地球を作ってから、四十六億年も経ったし。そろそろ上も飽きてきたみたい。これだけの規模の実験場を、なにもせずに放棄するのは宇宙条約第九十九条に違反するから、廃棄するしかないのだれど」

 廃棄――それだ。大空が引っかかっていた、不穏な単語は。


「廃棄って、具体的にどういうこと……?」

 そこで初めて、やぎこはつと目をそらし、言い淀んだ。

「……合図と共に、取り敢えず地球上の動植物と文明痕をあらゆる手段で掃討、撤収し、まっさらな状態にするの。最近は宇宙環境問題についても保護団体がいろいろとうるさいから、惑星自体は砕いて塵にするより、リサイクルする可能性が高いと思うのだけれど」

「はぁ……」

 ぼんやりと返事をしかけ――大空はハッと首を横に振った。


「えぇっと。じゃあ、その。僕たちは……」

 ――人間は。

 揺れる大空の目をじっと見つめながら、やぎこは瞬きもせずに口を開いた。


「明日の今頃、絶滅する予定」


 それから少し黙ってから、「それで」と付け加えてくる。

「ワタシが、その合図役。現場監督員なの」


※※※


 家へ帰り、ベッドに突っ伏すなり、ばたばたと騒がしい足音が無遠慮に近づいてきた。ノックもなしにドアが開き、「俺のチキチキはっ?」と大陽がテンション高く訊いてくる。


「机の上の袋ん中……」

「えっ、これチキチキじゃないじゃんっ! セブチキじゃんッ⁉」

「似たようなもんでしょ」

「似て非なるモンだよそらっち! どこに目ついてんのッ」

 うるさい兄の言葉を避けるため、大空は無言で枕を頭に被った。


(似て非なる……か)

 その通りだ。全くその通りだ。

 地球人とゴホット星人は似ていても、地球人は自分の肘は舐められなくてゴホット星人は舐められる。似ていても違う生き物だから、ゴホット星人は地球人を絶滅させることができる。ゴッホは他者と景色の見え方が違ったのではないかと言われているが、当然だ。宇宙人だったのだから。地球人とは違う生き物だったのだから。


「なぁなぁ、どうしたんそらっち。どっか行って、帰ってきたと思ったらそんな亀みたいなことして。ほら、もうすぐテレビで天皇のなんか儀式始まるって。退位のヤツ」

「ふぅん……」

 そんなのはもう、どうでも良いのだ。明日には平成どころか、地球が終わるのだから。


「……大陽はさ。人生最後の日に、なにしたい?」

「えー、なんだよ急に」

 文句を言いつつも、「そうだなぁ」と付き合いが良いのも、大陽らしい。枕越しに、くぐもった声が続ける。


「美味いもん腹いっぱい食べたいし、家族ともそれなりに過ごしたいし、仲良いヤツらとも遊びたいし、ミカちゃんやのんちゃんやハルナちゃんやちほちゃんとデートしたいし……身体一つじゃ足りないなぁ」

「……あっそ」

 呆れつつ、のっそりと枕から頭を出すと、いきなりがばりと首に腕を回された。


「なんだよ急にっ」

「まぁ、アレだ。結局なんでそんだけの相手と一緒にいたいかって言ったら――ふだん、気持ちだとか想いだとか、そういうもんを伝えきれてないからなんだろうなぁ」

「……気持ちや、想い?」

 思わずおうむ返しをする大空に、「そっ」と大陽が頷く。


「それが未練、ってことだろ。もっと美味いもんが食いたかった。もっと感謝を伝えたかった。もっと大事にしたかった。もっとイチャイチャ気持ちイイことしたかった」

「最後で台無しじゃん」

 せっかく良いこと言いかけていたのに、としかめ面する大空の背中を、大陽の大きめな手がバシッと叩く。


「ま。なんかネットじゃ、例のゴホット星人が地球を廃棄するから滅びるだなんだって話題になってるけど。俺らが生まれる前にもノストラダムスなんてのがあったらしいし。気にすんなよ」

「……痛いんだけど」

 「ごめん、ごめん」と、けらけら笑いながら、大陽が部屋を出ていく。大陽がいなくなった部屋には、雨音だけが響いていて。大空は溜息をつきながら、ごろりと仰向けになった。ちらりと窓に視線をやると、乱雑に開いたままになっていたカーテンの間から、八木アンテナが見える。


 大空とアマチュア無線の出会いは、小学生の頃。大空と大陽の両親は共働きで、いわゆる「鍵っ子」だった二人は、同級生たちより遅い時間まで公園で遊んでいることも多かった。そんなとき、一人公園でブランコに座り、ぼんやりと夕暮れ空を見上げていた畔やぎこに、大陽が声をかけた。表情の乏しいやぎこのことが大空は苦手だったが、それ以来、大陽に引っ張られて三人で遊ぶことが増え、やぎこの家へ遊びに行くようにもなった。


 やぎこの家には大きなアンテナが立っており、幼かった大空には、それがまるで秘密基地の道具かなにかのように見えた。

「アレは、無線のアンテナだよ」

 まじまじと見つめていた大空に、やぎこが言った。


「無線って?」

「無線っていうのは……電波を使って、遠くのヒトと喋ったり、いろんな音を聴いたりできるものだよ」


 ぽかんとしていた大空に、「聴いてみる?」とやぎこが流してくれたのは、ビビッというノイズ音だった。

「なにこれ」

 大陽が笑い、大空はますます首を傾げた。音のおかしさよりも、いつもぼんやりとした顔をしているやぎこの目が、なぜか輝いて見えるのが不思議だった。


「これはね、はじまりの音」

 やぎこの口元がゆるみ、噛みしめるようにゆっくりと話す。

「宇宙がはじまった、その名残の音が。今でもこうして、宇宙に響いているの」

「へぇ。あ、宇宙の音が聴こえるんじゃ、宇宙人とも喋れるの?」

 大陽のはずんだ声に、やぎこは丁寧に頷いた。


「うん。理論上は可能。交流能力のある宇宙人が近くにいればだけど。でも、宇宙の大きさから言って、それってものすごく奇蹟的なことだから」

 やぎこの目の輝きは増して。夜空に輝く星々のように、大空の心を捕らえた。

「……そんな奇蹟と触れ合えるんだったら、ワタシもきっと。そんな機会、逃したくない」

 やぎこの言っている意味は、当時の大空にはさっぱりだったけれど。


「――っくそッ」

 ベッドから身体を引きはがすようにして、大空は勢いのまま机に向かった。ノートとボールペンを取り出すと、がむしゃらに書きなぐりだす。


 ストレートに、死にたくないということからはじまり。家族のこと。無線のこと。空に輝く星々のこと。

 ――文脈もなにもない、思いつくままに書き連ねただけの文章で。ただ、文を書く合間に浮かぶのは、あの幼い日のやぎこの目だった。


 途中、大陽が退位の儀を観ようと誘いに来たり、夕飯に呼ばれたりもしたが、大空は座ったままひたすら書き続けた。初めて人工衛星の電波を受信したときのこと。将来、ペットに犬を飼いたいと思っていること。初めて会ったあの日――ジャングルジムから落ちた大空を受けとめてくれたやぎこが一緒に転び、肘を擦りむいたときのこと。


――こんなの、舐めとけば治るから。だから、そんな泣く必要ないから。


 静かな色をした、大きな目。言葉通り自分の肘を舐めながら、じっと見つめてくるその目に、ドキリとしたのを覚えている。当時は、ただただ自分は怖いと感じているのだと思っていたけれど。


 書きあがったそれをつかんで家を飛び出したときには、もうすっかり暗くなっていた。雨が降り続くなか、傘を持つことすらわずらわしくて、大空は手紙を握りしめて駆けだした。


 雨音がうるさい。でもそれ以上に、脈打つ身体の中の音の方がうるさい。まるで宇宙みたいに、身体の中では音が駆け巡っていて。その雑音は、命を生かすための音で。だとしたら、この身体こそロマンの塊みたいなものじゃないかと、笑いたくなる。


 そうだ。こんな時代の変わり目の夜更けに、紙切れなんか握りしめて。明日にも地球が終わるかもしれないなか、びしょ濡れになりながら宇宙人の幼馴染の元へと駆けていく。馬鹿馬鹿しさに笑いたくなるけれど、なんてロマンチックなんだろう。


 やぎこは――自分とは似て非なる存在だらけのこの星で、なにを感じて過ごしてきたのだろうか。ゴッホは自分の耳を削いだ。やぎこは? 実験場である地球を、それでも奇跡として愛した彼女は。果たしてこの十数年間、なにを想って生きてきたのだろうか。


 この角を曲がって。がらんとした家に一人いるやぎこに、握りしめた想いのたけを渡して。それで、なにか変わるのか。それとも無駄な足掻きでしかないのか。それも、分からないけれど。それでも。


「畔――ッ!?」

 高いアンテナが立つ家は、しかしあるべき場所になく。住宅街に、ぽかりと空き地ができている。


「あー、もう上がってる」

 間の抜けた声に振り返ると、雨のなかチリンチリンとベルを鳴らして、昼間の郵便配達員がやってきたところだった。


「キミも、談判状を監督員に持ってきたのかい? 僕のとこにも、見てよほら。地球上のあちこちにいるゴホット星人たちからの、廃棄撤回の談判状がこの短時間で山ほど送られてきて。ホント、参っちゃうなぁ」

「えぇっと……もしかして、郵便屋さんもゴホット星人……?」

「ううん? あ、ごめんごめん。キミは地球人か。まぁいっか、今更だし」

 そう言いながら、配達員は膨らみきった鞄から、大きめのライトを取り出した。それを夜空に向けて点けると、強い光が白い筋になって、暗闇を照らし出した。その、先に。


「ひ……ッ!?」

「もう飛び上がってるのは良いとして。全く隠れる気がないんだから。監督員も、なかなかずぼらだよね」

 配達員の言う通り、ライトに照らし出された先には、巨大な円形の未確認飛行物体が静かに浮かんでいた。色や見た目から判断すると、どうやら家そのものが変形して、このUFOになったらしい。てっぺんには例のアンテナが立っている。


「反応するかな? おーい」

 ぶんぶんと振り回すライトに応えるように、飛行物体が急にほんのりと光り、底の一部をぱかりと開いた。配達員が鞄から手紙の束を取り出すと、思いきり空へと投げ――それはスッと飛行物体の中へと吸い込まれていった。

 配達員は更にもう一束、鞄から取り出し、ふと大空を見た。


「キミのも一緒に送るかい? 談判状、今日の無線聴いてた地球人たちからも、近場のゴホット星人経由で集まってるから。一緒に送ってあげるよ」

「え? あ、はいっ!……あッ」

 手紙を渡そうとし――雨に濡れたそれのインクが、結構な割合で滲んでしまっていることき気がついた。


「あぁあもう馬鹿……ッ」

 少し考えれば分かりそうなことなのに。自分自身の勢いにのせられて、こんな初歩的なミスをするなんて。


「ありゃりゃ。一応送ってみるかい?」

 ぐったりと項垂れながら、差し出された手に手紙を渡す。

「まぁ、かえって他の手紙より目立って、目に留めてもらえるかもよ。……っと」

 大空の手紙を混ぜた紙束が、先ほどと同じように飛行物体へと吸い込まれていく。


 ――例え目に留まっても、あれでは言いたいことが伝わるのか。自分の言いたいことが、本当に伝えたいことが――。


「っ貸してください!」

 言って、奪うように配達員からライトを借りる。


 もし、あそこから。やぎこがこちらを見ているなら。それなら。


 チカ、チカ、チカ、と小刻みにライトを点滅させる。続いて、チカ、チカ、そして少し長く。

 顔に降り注ぐ水滴も拭わず、ひたすら目をこらして、飛行物体を見つめながら。大空は、夜空に向かってライトを点滅させ続ける。


 チカ、チカ、チカ。チカ、チカ、ピカーッ。ピカーッ、チカ、ピカーッ。チカ、チカ。ピカーッ、チカ、チカ。チカ、ピカーッ。


 配達員が、隣で口笛を吹く。構わず、大空は繰り同じサインを送り続けた。短い光と長い光は組み合わさって、一つの想いをひたすらに夜空へ描く。


 好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。


 死にたくない――キミともっと一緒にいたいから。家族――大陽がキミと僕とをつなげてくれた。無線――キミに近づきたくてはじめて、今では僕を形作ってくれている。空に輝く星々――またキミの、あんな風にきらきらした目が見たい。

 手紙を書いた。思いつくままに書いた。それは全て、キミへの想いの塊だった。ここまで走りながらもキミを想った。過去が未来へとつながることを、ただただ願って。


「畔やぎこぉぉぉぉッ」

 平成の終わりを告げる雨はひたすらに大地へと降り注ぎ、大空の声だって上空に届く前に撃ち落とすだろう。それでも、叫ばずにはいられなかった。


「好きだっ! 大好きだッ! 地球人だとか宇宙人だとか、そんなのもうどうでもいいッ。僕は、やぎこといたいっ! ずっといたいッ!」

 頬を、雨の冷たさとは違う温度の水滴が流れていく。目をこすり、ぐずぐずと鳴る鼻をすすって、大空は叫び続けた。


「やぎこが見てる景色や、音を、これからも教えてほしいッ! 僕は全然大したことのないやつだけどっ、それでも……それでも! やぎこがこの星に来て、良かったって思えるように頑張るから――だからッ」


 不意に。温かさに口をふさがれ、大空は目を開いた。大きな目がすぐ近くにあって、柔らかな手がそっと大空の右頬に添えられた。

「――なんだか分からないけれど。ありがとう、大空クン」

「やぎ、こ……? あの、宇宙船にいたんじゃ」

「ううん。ワタシは、そろそろ上司が来るはずだから、船だけ準備して、迎えに行こうとこのあたり回ってて」

「え。あ、じゃあ。さっきの……は」

「さっきの……?」

 不思議そうに首を傾げる顔を見る限り、本気でなにも分かっていなさそうなやぎこの反応に、大空はいっきに顔が熱くなった。あれだけ執拗に愛を語ったモールス信号が、まさか見られてもいなかったなんて。


「大丈夫だよ、地球人クン。キミの愛のサインなら、ボクがちゃんと見届けたからね」

 そう言って背中を叩いてきたのは、配達員だった。「なかなか来ないと思って探しに行ったのに、こんなところにいらっしゃったんですか」と、やぎこが溜息をつく。


「え?」

「いやぁ、次々に送られてくる談判状に目を通していたら、思いの外に遅くなってしまってね。船にはもう積んだから、キミもあとで目を通してくれたまえ。そこの彼からのもあるよ」


 遣り取りを聞きながらただただ瞬きすることしかできない大空に、配達員――もとい、やぎこの上司はウインクのようなものを投げかけてきた。


「あんまりにも談判状が多いから、廃棄についてちょっと迷っていたんだけどね。いやぁ、なかなかに熱い恋愛劇を間近で見せてもらって、楽しかったよ。キミの愛に免じて、あと二百年くらいはまた様子見ようかな」

 「じゃ、そういうことで」とひどく軽い調子で手を振りながら、やぎこの上司は自転車にまたがり、そのままふわふわと飛行物体の中へと飛んで行ってしまった。それをぽかんと見送る大空に、「ごめん」とやぎこが、これまた軽く呟いてくる。


「わりといつもこんな感じで。テキトウなの」

「そう……なんだ……」

 その「テキトウ」にどれだけ心を乱されたか――あの大量の談判状を見る限り、ゴホット星人の人々が不憫にすら感じる。


「じゃあ、ワタシも行くね」

 言って、ふわりと浮かび上がるやぎこの手を「えっ?」と握り、慌てて引き止めた。

「行っちゃうのかっ!?」

「一応、今回のことでやらなきゃいけない仕事とかあるから。談判状も、目を通さなくちゃいけないし。大空クンからのも、あるんでしょ?」

 やぎこの言葉に、ぐちゃぐちゃになった手紙を思い出して、大空は顔を引きつらせた。


「あれは、もう読まなくていいから」

「でも」

 「いいから」と、つま先立ちになってやぎこの頬に口づける。


「かっ、帰ってきたら、いくらでも話すから。だから……ちゃんと、帰ってきてよ」

 ぼそぼそと呟きつつ、火が出そうなほどに熱い顔をそれでもなんとかやぎこに向けると。


「――ちゃんと帰ってくるから。そのときは、帰ってきて良かったって、思わせてね?」

 笑うやぎこの目は、空の星を映したようにきらきらと輝いていた。




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電波と肘と星空と 綾坂キョウ @Ayasakakyo

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