第27話 介護業界2
叶谷は喫煙所を後にし、自席のパソコンを立ち上げた。と言っても今日はこの電子画面に甘んじて過ごす予定はなく、これから新入職員のオリエンテーションをしなくてはならない。
大卒の26歳の男だと言うがどんな奴だろうか。
『お疲れ様です。』
事務室に上下黒のジャージ姿の男が立っていた。
『あ、野口くん?』
即座に叶谷が反応する。
『はい、宜しくお願いします。』
野口と呼ばれた男は軽く頭を下げた。
暗くもなく、明るすぎることもない。
文化部には見えないし、所謂泥臭い体育会系にも見えない青年だった。
『あ、これうちの制服だから。Lかな?』
『はい、Lで大丈夫だと思います。』
野口は紙袋に入った制服を受け取る。見たところ身長は170から173センチほどだろう。
『ロッカー案内するね。』
叶谷が先導する。
『ここが野口くんのロッカー。あとでネーム貼っとくから。鍵は自己管理してね。』
『了解です。』
『じゃあ着替えたらまたさっきの事務室にー』
叶谷はロッカールームを退室した。
3分後事務室に、緑の上下ジャージを着た野口がやってきた。
『お、ちょうどいいね。』
『ありがとうございます。』
野口は初めて笑顔を見せた。
『とりあえず今日は僕とユニットに入って貰うから。』
『宜しくお願いします。』
二人はエレベーターで2階に向かった。
『あ、ごめん普通に癖で乗っちゃったけど本部の人間来てるときは階段使ってね。うるさいから。』
叶谷は戯けて言った。
『エレベーター使うと怒られますか?』
野口は目を丸くした。
『うん、このエレベーターはあくまで来客用ってことらしいのよ。』
『はぁー…。』
なるほど、と言った風に野口が数回頷く。
あまり初日からこの法人のしがらみに触れさせたくないが、後々の面倒を考えると仕方ない。
エレベーターを降りるとすぐさま神田が横切った。
『あ、神田リーダー!』
『おうっす!新人さん?』
『あ、はい、野口と言います、宜しくお願いします!』
『この人は3階雲雀ユニットリーダーの神田さん。めちゃベテランだから、何かあったら神田さん、何かあったら神田さんね?』
『ちょやめてよぉー!』
神田と叶谷は声を上げて笑った。
『えと今日は2階のユニットに入るからね。鴛ユニットって言う、まあ比較的穏やかなユニットだよ。』
『あー、よかったです。』
野口の口ぶりもほぐれてきた。
『どのユニットもこうやって左右5部屋ずつで計10部屋。右手前から1,2,3番て数えていくんだ。』
野口は叶谷の説明をメモしている。
『で、なんでわざわざ部屋番覚えるかと言うと、このピッチね。』
叶谷はポケットからPHSを取り出す。
『これに、何処ユニットの何番でコールが鳴ってるってのが出るから。』
『あ、なるほどです。』
『とりあえずまずはユニットに入るときは申し送りを受けることからだからそこから始めよか。』
そう言って夜勤明けの大場に声を掛ける。大場は朝食の介助が終わり洗い物をしていた。
『大場さん、こちら野口くん。今日から。』
『野口です、宜しくお願いします!』
『大場ですー。よろしくね。』
大場はきさくな笑顔で応じた。
『早速送りいいすか?』
『はーい、まずヒロミちゃん、』
『あ、今日は略語なしで。』
『ごぉめん!』
大場と叶谷はくすくすと笑う。
野口はキョトンとしている。
『はい、西村様ですが、臀部のデク…えーと褥瘡ね、部分にメグミンシュガーとガーゼ保護お願いします。次滝本様ですが…』
11:30
午前のオリエンテーションを終えて野口には昼休憩に入らせた。
再び喫煙所。
『おっす!』
神田が先客だった。
『お疲れ様ですー。』
『どうよ、彼。』
神田が前歯を見せて笑う。
『うん、なんかそつなくこなすタイプなんじゃないかなーって見てましたけど。』
叶谷は火を付ける。
『誰タイプ?』
『ええ?んー…しいて言うなら…』
ここで叶谷に浮かんだのは「しいて言うなら自分」と言うセリフだったが慌てて飲み込んだ。そつなくこなすタイプと言う評が自画自賛に値するかはわからないが一応。
『永田さん?かな?』
『おー、期待値でかいね!!』
神田は相変わらず声がデカい。
『ってまだ初日ですけどね!』
叶谷は慌てて繕う。
『ダメな奴は初日でわかるじゃん、所とか。あれ覚えてるかな?あのー…』
『ああ、内田さん事件!』
『そう!あっはっはっはっは!』
内田さん事件とは、そもそも内田さんとはもう既に亡くなった利用者だが、その昔3階に居た利用者である。
極度の被害妄想の持ち主で、見慣れた職員に対しても『あいつは親がヤクザだから近づけないで』『あいつは私の肌着を盗んだから辞めさせて』などと心を開かない。
そんな内田に、入職初日の所を挨拶に行かせた。
部屋をノックし入室するなり
『帰ってきたー!!ロクが帰ってきたよぉぉぉー!』
と泣き喚き始めた。
どうやら戦死した息子さん(六朗さん?)に似ていたのだとか。以来内田は所にだけは心を許していたが、内田にしてみれば勘違いした相手が悪かった。
なんと所は事ある毎に内田の部屋からペットボトルの飲み物やお菓子や、時には小銭を拝借していた。
不審がった家族に説明を求められ、所本人に問うた際所は『内田さんがむりやりくれた。僕は断ったのに。』と言い放った。そうだとしても差し入れがあったその日に全てかっさらっていくのだからタチが悪い。
あの時に、辞めさせとけば、所くん
、と言うのが各ユニットリーダーの標語である。
『いやー、あんな大物はもう来ないか!』
『そうっすよ、あんな大物。』
二人は皮肉を肴にゲラゲラと笑った。
レッドピル 大豆 @kkkksksk
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